誰もわかってくれないという嘆きがうるさい
苦しみを抱えた方が数多いらっしゃる中、機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。
いま直面している心の問題は、「自分を受け止め受け容れてくれる存在がこの世のどこにもいない」、その事実を認められないということです。
5年ほど前に最も信頼できる女性に見限られて以降、なんとか真っ当な人間になれるよう、自省と行動を重ねてきたつもりでした。
その中で皮肉にも、人間関係の破綻に直面し、人生観が崩壊するようなこともありました。
漠然と、神のような存在が喜ぶ人間であろうとすれば報われると思っていたのに、その神から裏切られたような数年間を味わいました。
孤独・理不尽・求不得苦…
仏道に辿り着けたのは唯一の収穫かもしれません。
禅の啓発の中で「いま・ここ・この瞬間に集中する」とあります。
感情は起こるもの、ひとりでに湧いてきてしまうもので、向き合うものではない、と。
確かに、私の苦しみはすべて私が一人でこねあげた妄想の産物なのでしょう。
ですが、私の中に叫び声が上がるのです。
今までほとんどの人が私の感情を受け止め理解してはくれなかった、
唯一無二だったあの人も私の幼さを目の当たりにして千尋の谷に突き落とした、
では私が私に巻き起こる感情を拾ってあげなければ、私の感情が可哀想過ぎやしないか、と。
自分ひとりでは手に余る、激しい嘆きです。
他人に幸福を委ねるな、他人に自己理解や救済を求めるな、
それができるのは他ならぬ自分だけだ、といいます。
今の私には、それらがどうしても強さを手に入れた人の一方的な論理にしか聞こえず、響きません。
インナーチャイルドという言葉を手掛かりに検索をかけてみても、「不安だったんだねー、もう大丈夫だよー」と声をかけてあげましょう、客観視しましょうという話がほとんどです。
私は私と完全に一体化しており、切り離せません。
社会的な責務を全うし、早くこの「命の枷」から解放されたい。
このような思いで溺れそうになりながら、日々を送っています。
人生に対し否定的、受動的な態度の人間ですが、喜びを見出して生き直すことは可能でしょうか。
なお大喝のお言葉などあれば襟を正して頂戴いたしますが、阿弥陀様は救ってくださる、お大師さまはいつも側にいてくださるといった観念的なお話は、今回だけはご遠慮くださいますよう、謹んでお願い申し上げます。
有り難し 24
回答 2