母を亡くしたのは7年前です、余命が付いた末期の乳癌でした。 告知をするか迷い、悩み、家族で話し合い決断したのは伝えないで、希望を捨てず治療していく・・・今思えば母は気付いていたと思います。 旅立ってから周りの親族から母の生き様について色々な話を耳にしました、私が子供の頃の父との関係や経済状況、両親はとても仲がよく私は幸せなんだと感じていました。 しかしながら金銭的な面でも制限され、日常の買い物も行く場所を制限されとても大変だったと聞かせれました、母は本当に幸せな人生だったのか・・・ 病気療養中も私自身仕事が忙しく、母の所へは休みの日に1、2時間顔を出すぐらいしかしていませんでした、死は必ず訪れるもの、忙しさを言い訳にしていた私は冷たい人間です。もっと一緒に居てあげるべきだった、何処かに連れて行ってあげればよかった、本当はあの時余命を教えてあげた方が残りの時間を有意義に使えたのかもと、ずっとその答えが見つからず今に至っています。 このまま答えを見つけ続ける事が何もしてあげられなかった私の償いになるのでしょうか?
タイトル「現実と理想の狭間で」を書かせていただいたことで、1つ疑問がわいてきたのですが… 私たち医療従事者って守秘義務がありますし、それに反したら守秘義務違反になりますが… お坊さまには、そういう罰せられるような守秘義務というか…そのようなものはあるのでしょうか? 基本的な質問ですみません。 「絶対誰にも言わないから」という学校の先生の言葉に、一喜一憂した自分の経験と、最近おきた虐待死事件と、とが頭の中をぐるぐるしているうちに思い付いた、あっ!そうだ!お寺さんは全国にあるし、もっともっと、お寺さんが子どもたちの駆け込み寺になったらいいなぁ…とか、もっともっとお坊さまに相談出来るようになったらいいなぁ…とか思ったもので。 絶対誰にも話さない、秘密は守る、大丈夫、助けてあげるから、君を救いたいんだ、さあ話してごらん… そういう流れが自然と子どもたちの心に宿るといいなぁ… と思ったりして… どうなのでしょうか…? そんなこと言ったら…私は無責任でしょうか? 分からないので… 先に謝らせていただきます… お坊さま方、申し訳ございません。
今月子どもが産まれ、実家族・義家族・主人に温かく迎えられ、大変ですが幸せな日々を過ごしています。 ただ、最近テレビやネットのニュースを見て、学校での殺人行為や高齢運転の事故死など自分では防ぎきれない事故に過剰に反応してしまいます。 今は里帰りをしているのですが、「自宅に住んでいる主人が今日事故にあったらどうしよう」とか「買い物に出ている母が突然他人に刺されたらどうしよう」とか、時間があると考えてしまいます。 この考えと向き合うにはどうしたら良いのでしょうか。向き合った方が良いのでしょうか。 人間いつかは死ぬものだと思いつつ、当たり前ですが、他者から殺されるのは本当に避けたいです。 これからの人生まだ長いのに、こんなことを考えて、起こってもいない未来に恐怖を感じているのに少し疲れました。 どう気持ちの整理をつけたら良いのでしょうか。
自分がこの世にいる事が辛いです。 不登校で親や祖父母に迷惑ばかりかけてる、普通の事がちゃんとできない、努力しようとしてない、嬉しい楽しいを知っている事、この体に自分がいる事に罪悪感を覚えます。 罪悪感を覚えると同時に自分なんかが愚痴を言ってはいけない相談してはいけない、自分が1番悪い、自分より辛い人がいるのに助けを求めようとするお前は人間以下だ、甘えるなという自分で言っている罵倒が頭から離れません。 本当のことなのにそれから逃げようとしている自分がいて情けなくなったりこの世から消したくなります。 死にたくなっても親に迷惑がかかるという言い訳で死のうとしない自分がいて、それに対して罰を受けなければならない気がします。 この世にいる事が自分への罰でしょうか? また、罪悪感を感じるのに逃げようとするこんな情けない自分をどうやって変えればいいんでしょうか? 稚拙で愚痴のような文章で、すみません
独身女性で現在親の介護中です。 親にはこうして私が側にいてあげられますが、自分が後期高齢者になり介護が必要になったらどんな生活になっているのか、全く想像がつきません。 希望は70歳すぎたら老人ホームに入居したいと思っていますが、経済的な事もあり高額費用は出せません。 取り敢えずは生活が出来るだけの費用は賄える予定です。 家族は姉1人、既婚者で少し離れた場所にいますが頼れません。 内向的性格で親戚付き合いや近所付き合いは出来たら関わりたくないと思っています。 知り合いがいる中で孤独に生きるより、全く知らない人の中で孤独に生きた方が、私の場合は心が落ち着きます。 人生最後の時もプロの方々に見守っていただければ充分です。 今から20年後はおひとり様が多く、私の預貯金では老人ホームも入居出来ないかもしれません。 どうしたらいいと思われますか? 勿論ピンピンコロリンで逝くのが理想で、体力も作るつもりです。 これからの国の課題でもありますが、私の課題でもあるのでよろしくお願いします。
テレビでこのサイトを知り、とても興味がわきました!敷居が高いと思っていたお坊さんのありがたいお話を、わたしでも聴けるなんて…という事で、初めて質問させていただきます! この度、新居を購入することになりました。ラッキーなことに、ずっとわたしが住みたかった地域で、わたしたちの手に届く新築物件が建つんです!間取りもお値段も納得。ここにしようかな。 ところが。 周辺施設に少し気になるところが…… 隣には大きなお墓、目の前には立派な葬儀場と火葬場があるではないですか。 必ずわたしたちもお世話になるところだし、物件から見えるわけではないのですが…なんだかすごく気になってしまって。しかもマンションの建つ前の敷地も、大きな火葬場だったみたいなんです。 もし、何か不吉なことが起きたら…とか、寝ているときに金縛りにあったら…とかいろいろ考えてしまってなかなか踏み切ることができずにいます。 そこで!お坊さんにとっての火葬場、お墓、とはどんな意味を持つものでしょうか??普段から生死を目の前にしているお坊さんからのご意見をぜひ!聞きたいです!
私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいですか? 一人っ子で育ちました。結婚した時に、養女と初めて知りました。 結婚の際、私は夫の姓を名乗り、夫にはマスオさんとして2年弱、養父母と一緒に暮らしてもらっていました。 養母はH19年7月他界。 お仏壇は養父が養母のために購入しました。 <宗派は浄土真宗・西本願寺> 養母が他界して間もなく養父もH20年3月他界。 当時、私は何も考えることなくそのまま黒仏壇を継承しました。 今まではそれでよかったのですが、私自身最近大きな病気を患ってしまい、 お仏壇のことが気がかりです。 私の考えは、子ども達には、お仏壇の継承までさせたくありません。 お墓は永代供養付きで既にあります。お参りだけで十分と考えています。 また、夫は長男で、下に妹2人居ます。 義両親は病気がちですが存命です。夫実家宗派は浄土真宗大谷派。 夫自身は、実家の仏壇は継承せず、<親が亡くなった場合>写真を飾っておくだけで十分。その時々で祀り方等、変化して当然という考えを持った夫です。 私自身、和室<仏間>にある仏壇ではなく、家族が生活する場所<リビング>に写真を飾る(祀る)ことによって、身近に感じられたらいいかなという考えに至りました。 私にもしもの事があった場合、養父母の遺影は棺に入れてもらい、 娘・息子には、リビングに置く予定の養父母の写真だけを継承してもらえたら…と考えています。 私が元気なうちに仏壇じまいをしたほうがいいのでしょうか。 最後に、寺院との付き合いは、通夜・告別式等7回忌迄で疎遠です。 養母13回忌は西本願寺で家族4人で済ませております。 色々なご意見、頂戴できれば幸いです。
人は何故に働き、生きようとするのでしょうか? 最近、彼女に裏切られてしまい、ふと人は何故働き 生きようとするのかと考えてしまいます もし、生きて無ければ、産まれて来なければ 彼女に裏切られる事も、親や周りの人を傷つける事も 無かったはずなのに 何故私は、この世に産まれて、いろんな人に傷つけられ 人を傷つけてまで、生きようとしているのか、わからなくなってきました。
上山春平・梶山雄一編 「仏教の思想 その原型をさぐる」 より 縁起ということは相依性(idappaccayata)ということで、相依性とは「これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる。これがないとき、かれがなく、これが滅びるから、かれが滅びる」ということであると説かれている。後の中観学派では、この相依性は交互因果・交互媒介の意味でAとBとが、AがあるときBがあり。BがあるときAがあるという、A⇔Bの関係を成立させることであるという。『中論』の立場は空すなわち無自性(自己原因としての実体概念の否定)ということを、一切の存在(法)の交互媒介性によって考えようとするのである。 原始仏教の縁起説で縁起支の相互の関係が一方的な基礎づけの系列であるか、あるいは交互媒介的であるかは、わが国の学者の間でも議論のあったところで、一方的基礎づけと考えるのは和辻哲郎説であり、交互媒介説は宇井伯寿説が代表的である。和辻説によると、縁起支の関係がもし全く相互的であるとすれば、根拠付けの系列に縁起支の全体を秩序付けることも、本来不可能なことになる。これに対して宇井説は、原始仏教の縁起では、それぞれの縁起死が自己の中に全系列を映じ、いわば世界とモナドのような互いに映じ合う関係にあるとする。その結果縁起支AとBとの間に予定調和に基づく相互融入の関係が成立する。要するに相即相入という華厳哲学の交互媒介を───一即一切の世界観を前提としながら───原始仏教の縁起説の相依性を及ぼそうとするのが宇井説の特色である。 宇井伯寿や和辻哲郎は共に十二支縁起を「相依性」と解釈していた筈ですが、これによると両者の縁起観に若干の違いが有ると見受けられます。 和辻の主張する「一方的基礎づけ」と宇井伯寿の主張する「交互媒介」にはどのような違いが有るのでしょうか? 両博士は縁起の「相依性」を主張していた筈ですが、私にはこれらの差異が何を意味しているのかさっぱりです。
昨年、父が亡くなりました。 父は私が幼い時に病気で倒れて復帰後は仕事を転々としていました。 主に体を使う仕事でした。 休日は友達と麻雀をしにいったりしていて母は父を放置していたので私は父と関わることがあまりありませんでした。外食をした記憶もありません。父親は働いてお金を渡すためにいる。そんな認識になっていました。 私が高校で下宿生活をしている時に父から電話がありました。 酔った口調で「ごめん。仕事辞めてもいいか?」と聞かれました? 私はその時自己嫌悪にかられて泣きました。 こんなにも追い詰められていたのに何もしてあげれなかったと。 後から知りましたが父は当時の職場で人間関係に疲れて鬱になっていたそうです。 その後も仕事を転々としていました。アルコール中毒にもなっていました。 鬱にもなります。働いても子の学費、生活費にとられ、手元には残らず、家族からは感謝もされない。 そんな父に感謝の言葉を伝えたときには昏睡状態でした。 伝わったかわかりませんし、父の死直後はそこまで落ち込みませんでした。 しかし今、娘が2人いて子供のために働いている中、職場ではミスばかり、将来の立ち位置が想像できない不安、地元から離れてるため誰かに相談することもできない。そんな状況の今になって父はもっと辛かったろうに。と後悔しています。 自分も父親同様に鬱になりそうな状態です。 今後この心情からどういう考え方をしたら解放されますか?
数日前に母を亡くしました。闘病の末ではありましたが、あまりにも突然で心の準備もろくに出来ておらず、いつも明るく優しかった母を失い人生で最も大きなショックを受けています。 今も毎日ふとした瞬間に涙を流していますが、葬儀等を通じて少しずつ母の死を受け入れられるようにもなり、単に悲しむというよりは、他界した母の為に自分は何をしてあげられるのか?してあげるべきなのか?と考えるようになりました。(とりわけ、他界して間もない今だからこそ母に届くものがあるのではないかと信じています) 以下、質問というよりは、どなたかに「きっとそうだよ」と後押しをして欲しいだけのものもあるかも知れませんが、私の質問にお付き合いいただけますと幸いです。 ① 葬儀で母の棺に数々の思い出の品を副葬品として入れました。特に、楽しかった思い出をたくさんまとめたアルバムはなんとしてでも母に届けたい一心で準備しました。あのアルバムは、あの世の母のもとへは届いていますでしょうか?また、もし届いているとすれば、母はどういう思いでアルバムを眺めているのでしょうか?(もっと生きたかった、という具合に現世への悔い?それとも、楽しかった思い出を糧にしてくれているのか?) ② 母はとても愛情深い人で、これまでも愛犬の死や親族の他界にとても心を痛めていました。この度亡くなったことにより、母は、愛犬や親族に会えているのでしょうか?(延いては、私もいつかどこかでまた会えるのでしょうか?) ③ 死後1週間もたっていませんが、母はいまどういう状況にあるのでしょうか?そのために私が今、母のためにしてあげられることは何なのでしょうか? 具体的な行動(どこどこへ行く、何々をする、等)に紐つけてアドバイスをいただけると、私もそれを実践することで母を感じ、気が楽になる部分もありますので、そのようにご助言いただければ尚有難いです。 長文・乱文となり申し訳ありません。何卒よろしくお願いいたします。
私が高校生の時に父がある手術を受けました。そのとき私は何故か「父が死んだらどうなるだろう」とか「別に死んでもかまわない」「死んでもいいかな」などとても不謹慎な事を考えてしまいました。私は父が嫌いではなかったですし父の事を心配していたはずでした。しかしふとそんな考え、雑念のようなものが頭に浮かんでしまったのです。死ぬ事なんてまずないような簡単な手術だったのですが、そんな事を考えてしまいました。手術は無事成功してそれから5年ほど経って現在に至るのですが、最近ふとその事を思い出してあんな事を考えた自分が恐ろしくなって動悸がしてパニック状態になるぐらいです。今は親に対してそんな不謹慎な事を思うこともなく、あの時の事を申し訳なく思っていますし、反省も後悔もしています。親孝行したいという気持ちもあります。しかしあんな事を考えた自分が平然と生きていていいのか?と思うと怖くて怖くてたまらなくなります。趣味や好きな事で気を紛らわそうと思ってもその事が頭から離れず怖くてたまりません。許されない事だとわかっていますし。罪が消えない事もわかっています。しかしなんとか罪を償いたいです。私はどうすればいいのでしょうか?こんな私は生きていてもいいのでしょうか?アドバイスやご意見よろしくお願いします。
怒鳴られたり、理不尽な怒りをぶつけられたときの対処法についてアドバイスをいただきたいです。 誠実なアドバイスは喜んで吸収するのですが、度々関係ない人格否定の言葉を投げられることがあります。 「お前は何をやってもダメだ!」 「親の育てが悪かったんだな」 「人間のクズ」…などなど。 私がミスしたのは私が悪いですが、何もそこまで…と思うぐらい、人格否定までしてくる人によく出会います。 ここまで怒鳴られて威嚇されると、私は怖くて意見が言えなくなります。ここで対抗したら後から怖い間に合うんじゃないか?とか1人怯えてしまいます。 共感してくれる友達や家族はいます。 ですけど、お互い傷を舐め合うような状態で前に進んでいないので、このままでは終わりがないなと思いこちらに相談いたしました。 この人たちはなぜわざわざ敵を増やすような発言をするのでしょうか? こういう人たちに対してはどういう対応を取れば良いんでしょうか? アドバイスお願いいたします。
不幸のあとには必ず幸せがやってくる 人生はプラマイゼロになるようにできてる 最後には帳尻があう… みたいな話を聞きますが、本当にプラマイゼロで、幸せの量、不幸せの量は、みんなに平等なのでしょうか? ニュースでは、子供を虐待・命を落とす・・・そんな話が後を絶えず、胸が痛いです。 自分が親になって、いっそう、つらく感じます。 またなの? どうしてそんなことできるの? 子供が生を奪われるほどの、何をしたの? 望んでも、子供に恵まれない人もいるのに… 自分の産んだ子なのに… まだ赤ちゃんなのに… いつもいつも、不条理で、泣きたくなります。 そんなニュースは見たくもないし、こうして言葉にするのも、苦しいですが、 そういう事件を思うにつれ、疑問なのです。 本当に、人生はプラマイゼロなのですか? なんの非もなく、愛されることもなく、むごく、人生を奪われてしまって なのに、幸も不幸も、平等なのでしょうか。 因果応報なら、わかる気がするのですが、 この話は、ずっと納得いく答えが見つからないでいます。 たとえば子供に聞かれたら、何と言えばいいでしょうか。 よろしくお願いいたします。
私の父は僧侶をしていました。 真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。 でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。 私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。 そんな父が急に亡くなりました。 僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。 悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。 悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。 でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。 あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。 もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。 よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。 もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。 とりとめなくすみません。 父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。 よろしくお願いいたします。
苦しむこともなく安らかに息を引き取り、お浄土へ修行に出られた我が父のことで少々ご相談致したく。 確かに父は死を迎え、我が家からは表面上姿を消しました。 然しながら何かにつけて見え隠れする父の存在の大きさに息子として見ると詠嘆するばかりです。 「それに比べて我が身のなんという小ささよ」 とふと、自分が卑下の心にとらわれてしまいます。 無論、こんな心にとらわれるのは馬鹿げていて何も生み出さないのですが時折熱病のように我が身を襲うのです。 超えられなかった父の存在、超えるべきであった父の存在。 両者の間で惑う自分がおります。 「僕は父のようになれただろうか?」 「僕は父のようになれないのだろうか?」 「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実が苦しいのです。 如何ともし難い現状ですが、少しでも抜け出せるお言葉をいただけたら幸いでございます。 合掌。
50代独身の男性です。 軽い聴覚障害と発声障害持ちです(障がい者手帳あり) 同居の両親の痴呆症の介護のため、会社を辞めてから上手く行きません。 現在は父は病院に入院中、母は昨年の秋に入院先の病院で亡くなりました。 母は最後は痩せ細り、面会に行っても見るだけでも辛く会話も細りがちでした。その当時は衰える母を直視できなくて今ではもっと話をしておけばよかったと後悔してます。 去年の秋に両親とも入院して介護の手が離れた時点で求職活動を始めましたが仕事が決まらず、やがて貯金も尽きて金銭面の悩みばかり頭に浮かび不眠気味な毎日が続きます。 何社も面接を繰り返したのですが、私自身に軽い聴覚・発声障害があり電話が使えないので事務、営業職は難ありと判断され、体が弱いので肉体労働の仕事は面接前に断られてアルバイト、パート契約さえも決まらずにそのうちにコロナの影響で求職を中断して今に至ってます。 父の年金は父自身の入院費や我が家の家賃で消えるので当てに出来ません。 自分が生きる生活費の悩みで頭がいっぱいなのに、面接しても理由を付けて断られ続けるパターンに私自身が傷ついてしまい、担当者から「今は心身不安定だから落ち着いてから来てください」と告げられてからハローワークに足が進まなくなってしまい、今に至ってます。 親戚からは国の生活保護を受けなさいと言われて「それは避けたい」と返事をしたら「うちからは援助できないから」と返事が来てそれっきりです。 今はただ人間関係に疲れました。 元々は両親の介護のために仕事を辞めざるを得なかったのが、周囲からは親の年金頼りに会社を辞めて家で過ごしているみたいに受け取られているのが辛い。 相談できる場所がなくて色々書かせて頂きました。 50歳を過ぎた年なのに情けないです。アドバイスやお叱りの言葉をください。
私は今4歳年上の彼氏がいます。 今はお互い同じ土地でそれぞれ働いていますが、あと1年以内を目処に彼氏は家業をつぎたいため地元へ帰ると言っています。 このことは付き合う前や、付き合ってからもたまに話をするなかで伝えられていました。結婚というはっきりしたワードは出しませんが、いつか一緒にきてほしいということは言われていました。 付き合った当初は、先のことはまだわからないけど今一緒にいたいと思うから、と私が返事をしお付き合いをはじめました。 その後私の中で、この人とお付き合いを続けたら一緒についていくんだな、楽しそうだなと、特にマイナスに考えることもなく乗り気なくらいでした。彼にも、一緒に家業をお手伝いできるの楽しそう、一緒にやりたい、ということを伝えたこともあります。 ですがここ数ヶ月、やっぱり将来は大好きな親や友達がいる自分の地元に帰りたいと思うようになりました。今地元から離れているからこそ、よりそう思うのかもしれませんが、私は家族が大好きで、今後自分の家庭を持っても近くに住みたいと思うようになりました。 自分の状況や環境によって今後また考えが変わるかもしれませんが、今時点での私の正直な気持ちがこうです。 一度彼には私が乗り気でいるようなことを伝えてしまっているので、気持ちが変わっている今、そのことを正直に伝えるべきか、もう少し自分の気持ちや彼との関係がどうなっていくか様子を見るべきか、ここ最近ずっとモヤモヤして考えています。 お互い認識が違うまま進んでしまうのも良くないと思うのですが、タイミングや、相手を傷つけてしまうかなど、色々考えてしまっています。 また、今一緒にいることはすごくすごく楽しいです。 ただ、先のことを考えれば考えるほど、このままでいいのかと不安になります。 話すべきかまだ話さないべきか、まずはそこに迷っています、、 何か少しでもアドバイスいただけたら嬉しいです。
はじめまして。 1年間ほど付き合った彼女が、私と別れて風俗で働こうとしています。 その彼女は20代前半で、過去にもキャバクラなどで働いていたことがあります。 彼女は、お金が足りないから仕方ないと言っています。裕福な家庭ではなく、親にもこれ以上は頼れないそうです。ただ、親にはもちろん風俗でバイトをすると言っていないです。彼女の親は、どうも全然お金がない、という風には見えません。ただ、彼女の親は、「もうこれ以上のお金は出せない」と言っているようです。 親からの仕送りは一人暮らしの家賃の他に10万円あるのですが、彼女は身体を壊しており通院もしている関係で、お金がかかってしまい、足りないそうです。また、将来のために貯金もしたいと言っています。 私は、彼女に物欲が強すぎ、毎月数万円ぐらいの何かに出費をしてしまうクセにも問題があるのではないかと思っています。 このまま行くと、将来のために貯金どころか、風俗のバイトでお金ができるがゆえに出費が増えて、結局のところ貯金もできず、単に「風俗のバイトなしには生活水準が維持できない女」になりそうな気がしています。 彼女は私に、「本番行為のない風俗で働くようにはするが、あなたが我慢できないなら別れる」と言っています。 確かに彼女の言うことはある一面では正論で、理由はどうあれ別れなければならないほどに風俗で働きたい・働かざるをえないのであれば、私が口を出す幕はないのかもしれません。 私がお金を援助するのは簡単なのですが、それは彼女のためになるのでしょうか。結局短期的にお金を乗り切っても、また出費が増えて同じことになり、悪循環になるような気がしています。 ただ、私自身まだ彼女にそっちの世界に行ってほしくない、という気持ちもあります。 諦めて、彼女を風俗の世界に送り出したほうがよいでしょうか。
初めまして。結婚し実家から離れて住んでいます。 姉が数年前から肝硬変末期と言われいつ死んでもおかしくない状況と言われています。そして最近になり父が病気になり、ほぼ寝たきりとなりました。 実家にいるのは母のみで、2人の世話をしています。いつ痙攣発作を起こすかわからない姉、1人では歩き出すことのできない父。 私は遠くにいるため何の手伝いもできません。 母がどれだけ神経を使い肉体的な負担を負っているのか考えると、せめてどちらかでも亡くなれば、と悪魔のような思いが湧いてしまいます。 父も姉も母も大事な家族です。大好きです。 祖父母の死を経験し、悲しみも知っているつもりですが、こんな事を考えてしまう私は人間失格だと思います。 先日実家に帰った際、病気で働けない姉に 「六文銭も持ってないから死なないのよ」 と、冗談のつもり(死んで欲しくはない)で言ってしまい、純な姉は、働けない、稼げない事を心苦しく思ったのか泣いてしまいました。 父は何よりも誰よりも、私達姉妹を大切に大切に育ててくれました。言い表わしようがないくらい、大事に育ててくれました。叱られもしましたが、節目にはいつも私の味方でいてくれました。 本当に大好きな家族なのに、もう楽になってほしいと思う気持ちがあります。 私が実家に戻ることを家族は望んでいません。私が主人と幸せでいる事を願ってくれています。 そんな家族に恵まれながら、最低な人間です。 厳しいお叱りをお願いします。