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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9942件

命の重さが解らない

初めまして。 長文で申し訳ないのですが、最後まで読んでいただけたら幸いです。 私のことはプロフィールを見て頂ければ少し解ると思いますが、感情をコントロールする器のない人間です。 昔から家族とコミュニケーションをとらずなにかあると暴力を振るう父、ヒステリックで暴れる母の間にたち、目の前で動物を虐めてた兄を見て育ちました。 その結果、自分のことが小さく感じ、自分よりも弱いものをいじめ、それで悦に浸るようになりました。 そんなことを繰返し、今大人になり、彼女とケンカをしたときカッとなり胸ぐらを掴んでしまったり、彼女が心から大事にしている犬(小型犬)に嫉妬しいじめてしまったりしています。 彼女は昔から人に馴染めず、暇さえあれば犬と遊び、中心には必ず犬がいたそうです。 人は裏切るが犬は裏切らないと言っていました。 彼女に尽くしている私はそれが耐えられませんでした。 私にとってペットは趣味のひとつ、物であり、家族とは思えないのです。 そして彼女と同棲するようになり、余計に犬に振り回される毎日が続き、犬のことで文句を言うと彼女は真っ先に犬を守る、私は日々のたまったストレスを隠れて犬にばかり向けていました。 そのうち犬は私を避けるようになり、私はそれを見てイラッとし、また犬を虐める日々が続きました。 そして昨日、犬と留守番していたときに犬はいつものように私から逃げて、いつもとは違う狭くて危険な場所にはいってしまいました。 私はそれを見て、その場所にいるのは危険だからだしてあげなきゃという考えと、いつもいつも面倒くさいやつだという怒りの感情がいりまじり、物凄い力でひきずりだしました。 狭いところから暴れる犬を無理矢理引き出したので、色々なところにぶつかり犬は骨折し、これが原因か解りませんが内臓にも悪いところが見つかり、今病院に入院してしまいました。 彼女は精神的に参ってしまい、その後寝込んでしまいました。 私は今、彼女や犬に対する罪悪感が物凄く、潰れてしまいそうになっています。 彼女のためにも犬には無事に帰ってきてほしいです、心からそう願ってます。 ですが、人より犬を優先する彼女のようになりたいとも思えません。 私は心が冷たすぎるのでしょうか? よろしければ、ご解答頂ければ幸いです。

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息子の事を使用するって事はさぼり?甘え?

 我が家の息子(小学六年)は忘れ物が大変多いです。  特に宿題がひどく、チェックが無ければだめです。  前年からそのような状況でしたので、家庭訪問にきた先生にずっと睨まれ続けました。  他に話したいこともあったのに、宿題を出させる事をひたすら宣言し続ける家庭訪問でした。  (何故私が?と思いましたが一対一で男性に睨まれるのは非常に恐ろしかったです)  それからは先生が毎晩「宿題させたか、忘れ物はないか」の確認電話があります。  数年前から息子には「忘れ物ない?忘れ物したら信用にひびがはいるんだよ」と説いてきました。  息子は「大丈夫」とにっこり返してくれるので、それ以上問い詰める事が出来ず・・・甘えてしまって反省しています。  しかし、息子だから信じたかったのも事実です。  今は毎晩の先生からの確認電話に追い詰められています。  私自身、差し迫て持ち帰り仕事(必須)を仕上げていて、息子にかかってというのはかなり大変です。  実家にその家庭訪問を含めた現状を話すと、「ほっておいて改善を待てばいいのに」  待てない私を非難してきました。  先生はある時「他の子に示しがつかない」と言いました。息子は宿題以外は学力はパーフェクトな気がします。  私は待ちたいのです。息子が自分がこうするべきだと思うまで。   矛盾する実家と先生の指示に締め付けられて苦しいです。  私がぎりぎりまで息子の意志を待つのは悪ですか?  先生の学級運営の事まで考えて息子を力づく動かすのは不本意なのですが、人としてはダメな事ですか。  私は先生の信用を大切にして、自ら忘れ物をしない意志を息子に固めてほしい、そのために必死に語り掛けています。  どうすべきか悩みます。

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趣味を続けるかやめるか悩んでいます

私には長く続けている趣味があります。もうかれこれ15年ほどになるでしょうか、人生の半分くらい続けてきたことになりますが、最近それが楽しくなくなってきました。 もちろんやり始めたときは楽しくて楽しくて、これをずっと続けてきたことに喜びや誇りをもっていました。それが徐々に「あれ?なんだか楽しんでいないな」「いや、むしろ辛いような…」となってきました。 趣味の内容は、うまく書くことはできませんが例えるならばスポーツ選手やアイドルのようなものなのではないかと思っています。 技術は年月を経て積み重なりどんどん身についてきているのに、体力的にも見た目的にも若さが必要で、年齢的にもうダメなのではないか?と悩んでいます。 また、その趣味の世界でのルールや常識の変更みたいなものについていけないという点もあります。私が始めた頃はまだそれをやっている人が少なく、それにより世間との差みたいなものが楽しかったりしたのですが、今は一般化してしまいそういった「特別感」みたいなものが無くりました。そして、単純に人が増えたことにより私が押し出されている状態です。 今まで長く長く続けてきたことにより、物理的にも精神的にも生活の一部となっています。周りには「やりたいなら続ければ?」「嫌ならやめればいいじゃない(笑)」と言われるだけですが、私は悩み過ぎて鬱になってしまいました。もともと鬱になりやすくはあるのですが、原因が自分でもわからなかったのですが自分でもまさかの趣味が原因だった!という状態です。 新しい人がどんどん入ってきてもう敵わない ↓ でも生活の一部となっていてやめにくい、「まだいけるのでは?」と期待してしまう ↓ 結局敵わなかったから精神的に辛くなる ↓ 鬱っぽくなってクオリティが下がる これを繰り返しています。 スポーツ選手やアイドルだって時期が来ればそれをやめることになるのでしょう。それはわかっています。自分はあくまで趣味なのでちょっと違うかもしれませんが、人生の一部となっていることについての判断をどう乗り越えていくのでしょうか?

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仏様っている?

以前、何度か質問させていただきました。 私は信仰心が強く、仏様を信じています。 でも、祈って病気が治るならみんな死なない と言うようなご回答をいただきました。 ごもっともだと思い、見返りを求めていた 自分を反省しました!そして私は心配性です。 別の質問をしたとき、仏様を信じているから このままではいけないと、仏様がハスノハへ 導いてくださったのです。とご回答を いただきました。携帯を変えたので質問が 残っているかは確認してません。 このハスノハでたくさんのことを勉強 させていただきましたが、結局物事は なるようにしてなり、起こるべくして起こり、 現実をどう受け止めるか。なのかなと。 仏様を信仰しているのはただ人が仏様を 信仰することでいいことをした気分になり 救われるような気がするからで、 その後いいことや悪いことが怒っても 仏様の力でもなんでもなく、ただ起こるべく して起こっただけなのかなと思うようになりました。私は祖母に小さい時から仏様に 手を合わせなさい、朝起きたら朝日に向かって 手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、 そうすると心が穏やかになるんよと 言われて、できるときはそうしてきました。 小学生でひいおばあちゃんが亡くなり、 ショックで落ち込んでいると般若心経を 覚えなさいと言われ、毎日写経しました。 何年か経ち、私が祖母の部屋でなんとなく 写経していると、もう1人のひいおばあちゃんが 亡くなったと連絡がきました。 私が写経している間に眠るように亡くなった そうで、祖母が、ひ孫のお経で逝ったんやね と言っていました。他にも亡くなった人や 仏様との結びつきを強く感じることが 小さいころからたくさんありました。 その度に私は感謝し、手を合わせました。 つらいことが怒っても仏様なんかいない! とは思ったことはなく、どう乗り越えるか 私が強くなるための試練を与えて下さってる と信じて超えてきました。 でもハスノハで仏教のことを いろいろ教えていただきましたが、 現実を見せられた気持ちになりました。 仏様なんか!とかではありません。 私が信じてきた仏様はいないのですか? 人が勝手に仏様と結びつけているだけで。 そう思うと、手を合わせる意味がわからなくなってしまいました。仏様なんか!とかそうではなく、純粋に混乱しています笑 複数ご回答いただけると嬉しいです!

有り難し有り難し 98
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