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hasunoha 問答検索結果 : 「親 死 怖い」
検索結果: 330件

この夏に孤独死した父について

とても気になってしまっている事があります。亡くなった父を悪く思いたくはないのですが、一体意味はあるのか、お教え頂きたいです。 今年の酷暑に、一人暮らししていた父を孤独死させてしまいました。 ですが遅かれ早かれこうなる事は想像がついていましたし、亡くなった事を知った瞬間とゆうのはホッとしてしまったのも事実です。 私には三つ下の弟がいますが、それぞれの生活があるので1〜2ヶ月に1度くらいは共に父に会いに行っておりました。 父はと言うと、4年ほど前に心筋梗塞の疑いでカテーテル手術をしてから、きっと合併症だと思うのですが元々の糖尿と緑内障も発症し、仕事も出来なくなり生活保護で暮らしていました。 3年くらい前までは私が一緒に暮らしていたのですが、本当に何もしない人で。仕事も好き勝手に行ったり行かなかったりしていたので、半ば切られたと言っても過言ではないと思います。 気に食わないとすぐにキレて仕事を辞めて、糖尿で病院から食生活を正す指導があり私が料理をしても気に入らなければジャンクフードしか食べない、病院にも行かない、行っても医者にキレる、処方された薬も飲まない使わない、酒タバコ当たり前、そんな人でした。 汚い話なのですが、糞尿をたれもつれる様になり、布団で嘔吐してもそのまま、お風呂も何ヶ月も入らない…そんな風になってしまったのです。 最後ら辺に弟と父を訪ねた時も、幻覚や幻聴がある様な発言もあり、心が病んでしまっているのだと思いました。 濡れ衣を着せられ、違うと主張しても納得してくれないのでその場を離れようとすると、「お前のせいでこんなになった」と怒鳴られたり。 息子(1歳)を連れて行き「おじいちゃんだよ」と言うと「口の聞き方に気を付けろよ」と怒ったり。 見た目も中身も人じゃ無くなって行ってる様でした。 そんな父が亡くなり、弟の夢で「お前もこっちに来い」と手招きをすると言うのです。 私の夢に出て来た時は、私が「やめて、いい加減にして」みたいな事をひたすら伝えていました。 それがとても気になっています。 亡くなる前の変わってしまった人格の事もあり、四十九日迎えるまでにも、父が弟を呼んでる気がすると感じた事があったので、正直怖いままです。 私は恨まれていたのか、弟は呼ばれているのか、そんな事はあるのか… 幼稚でお恥ずかしいですが、どうすれば良いか教えて頂きたいです。

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祖父母を失う怖さの心の整理をしたい

祖父母を失うのが怖いのですが、心の整理の仕方を知りたいです。 離婚して父についていったが、揉め事で父が亡くなり、父の親である祖父母が私をずっと大切に育ててくれました。 5年ほど前から私は家を離れて婚約者と住んでるため、祖父母は実家で二人で暮らしてます。月1ペースで会いに行ってますが、そんな祖父母も85歳になり歳をとりました。若いときからとにかく苦労をしており、欲がまったく無く、本当に孫の私の為だけに生きてきた人です。しかし大人になった私に今まで話さなかった苦労話を全部教えてくれてとてもショックを受けました。若いときから兄弟など人の借金をかえすためにずっとタダ働きをしており、1日に貰える500円は息子の父にあげていたと。 こんなにも苦労しているのに全く甘えず、葬儀の準備やらは全て準備し、死んでも孫の私に迷惑かけないようにと徹底してます。最近は二人がひどい風邪をこじらせ会いに行きましたが、大丈夫だし気を使うから早く帰りなさいと...私はそれが辛いです。甘えかたを知らないんです。一番の親孝行は私が幸せになることだと分かってますが、あまりにも貰った愛情が大きすぎて、何も返せないまま祖父母が居なくなるのがとても怖いです。 そんなに長くないと覚悟はしています。長生きしても月1でしか会ってないならあとどれくらい共にできるのか、でも引っ越しは嫌だそうで、それを無理させるのも違うなと 感謝の気持ちなどは恥ずかしがらずに伝えるようになりましたが、それでも言葉がつまってとにかく敵わないのです、祖父母の愛が大きすぎて、本人たちは誰よりも誠実に生きてるのにお金も仕事も苦労して欲も知らず、そんな祖父母が私にも甘えることなく亡くなる事を想像するととても怖いです。人の死は残った者に強烈なものを植え付けるのを知ってます、愛が大きければ大きいほど。 こういうときはどうしたら良いのでしょうか?はっきりな答えはなくともアドバイスが欲しいです。

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突然の父の死について

初めまして。 父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。 今年2015年3月18日に、父が急逝しました。 浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。 享年83歳でした。 私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。 父親はプライドが高く頑固な性格で 子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており 大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。 しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり 自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。 そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。 今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。 父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。 (再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった) これから父を支えていきたかった。 そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」 という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。 葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」 「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが 私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。 また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり 父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。 そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり 実家には自分1人で住んでいます。 自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると 様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。 特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり 毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。 父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。 後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり 何か助言を頂けたらと思っています。 宜しくお願いします。

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2022/10/31

父の死がつらいです

こんにちは。こちらで相談させて頂くのは3度目になります。 父親が亡くなり、非常につらいです。 現在私は県外に嫁いでおり、臨月の妊婦です。 親戚よりは「あなたが無事に元気な赤ちゃんを産むことをお父さんも願ってるよ」と言って頂き、大事をとって葬儀などは欠席し、お腹の子に障るといけないとなんとか気を紛らわせて過ごしている状態です。 私と父はどちらかと言うとそこまで良好な関係ではなかったかもしれません。 楽しかった記憶も多いですが、学生時代は父に不快な言葉をぶつけ、激しい言い合いになることが多かったです。 私が大人になり、進学や結婚で実家を出てからは冷静になれ、少しずつ上手く父と関わる事ができるようになっていきました。過去に父と衝突した時の事を今思い出しても、「あれは子供に言う言葉じゃなかったな」などと思う事もあり、父に腹を立てたり恨みもした事もありましたが、 私は母を早くに亡くしており、推測ではありますが父も父親としての自覚が芽生える前に1人で父になったような形で、私との関わり方がわからなかったのかな?父も1人の人間だし、限界があったのだろうと今では思います。 そんな父ですが、同居する両親(私から見て祖父母)との折り合いが悪く、かなりストレスを抱えておりました。 以前相談させて頂きましたが祖父が特にひどい気性の持ち主でよく父と激しい言い争いをしておりました。 父がつらいのをわかっていながら、私はそんな環境に父を残し県外に嫁ぎました。 父にすべてを任せて自分だけ幸せになったのが申し訳なかった。でも父は「自分の居場所が見つかって良かった」と言ってくれました。 父が病気で入院した時、怖くなり過去に酷いことを言ってしまった事を謝り、もっとお父さんと色々話しておけば良かったと謝った時も「そう思ったなら自分の子どもができたらそうしてあげればいいの」と笑っていました。 これから産まれてくる子、夫や親戚、友人に対し後悔のないように感謝をしたりして繋がりを大切に生きていく事が大切なのかなと思います。 ほとんどの人が親と納得のいく別れができるわけではないとは理解していますが、どうしても、「もっと父と話したかった、もっと会いに行けばよかった」と後悔や悲しさが襲ってきます。 今更後悔しても遅すぎる事ですが…。 こんな親不孝な者に対し恐れ入りますが、何かお言葉を頂けますとありがたいです。

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父親の死と子供の心のケア

初めまして。つい一週間ほど前に父親の葬儀を終えました。私は遠方に嫁いだため、最期会うことができませんでしたが一ヶ月ほど前に入院していた父の所へ会いに行っており、その時最後かもしれないと意識はしていたつもりです。が、生前とても可愛がってもらい気にかけてもらっていたし私も父が色々あっても大好きだったので最期会えなかったのを申し訳ないと思ってしまいます。頭の中では、受け入れなくてはならないと分かっているのにもう自分が死ぬまで父に会えないという事実がなかなか受け入れられません。また、今まではあまり深く考えなかった自分の死というのも強く意識してしまい怖さを感じます。時間が流れれば、全て受け入れられる事だとは思いますが、頭の中が色んな感情でゴチャゴチャしてしまい混乱しています。こんな事では優しくて時には厳しかった父に怒られてしまいそうです。 ただ、こんな感情の今の私を支えてくれる家族は勿論います。主人と子供たちは優しく、理解してくれて助けてくれ支えとなってくれています。その中で中学生の長女が初めての身近な死を経験し私以上に悲しみを感じていたようで、体調を崩したり精神的にもやや不安定になっています。私は自分の感情を優先していた事に気付きハッとしました。娘へのケアも考えなくてはいけないと、今になって感じています。娘は祖父の死によって、いつかは親の死が訪れる恐怖もやはり感じているようです。どのように話をしてあげればいいでしょうか? 私自身も、今はまだ辛いし娘と同じように先の事に恐怖も感じています。私も娘も今を乗り越えるために是非ともアドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 16
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我が子の突然の死

深夜1時過ぎ息ができない肺が痛いということで救急車を呼んでほしい」と訴えて来たので119番してそのまま救急病院へ。 速攻入院ICUに入りました 検査は続いていて、一旦家に帰るように言われました。朝8時前に家に着き、一息つく暇もなく病院から、「すぐ来てください」私は病院へ 無菌室で彼は力なく、痛みに耐えていました。会話はできるということでお話をしました。 「いい病院に来れてよかったね(私)」 「(息子)治りに来たのに痛いのと呼吸できないの取れないよ」 「きっと治るよ!(私)」 かなり辛そう呼吸が苦しそう。欲しいものは?ときいたら、お水が欲しいということでペットボトルを3本渡す。面会時間限られているので 「また来るね」 2日目の昼呼吸器を付けるのですぐ来てくださいといわれたが、着いた時にはもう装着して、眠っていました。 眠っている我が子の手やおでこに手をやる、足が出ていたので足の裏をさする「治りますように!」 3日目の朝 「すぐ来てください!」 着いた時には、もう眠っていました。 医師が「死亡確認をします」 信じられなくて突然すぎて。。もっと早く大きな病院になぜ行かせなかったのか?後悔ばかりです。「治るために来たのに苦しいの治まらない」と最後まで言ってた息子です。 病気で辛かった時かかりつけの医者以外に行っていれば、 悪化しなかったかもしれない! 発熱に耐えて、仕事などに行かさないでもっと早くやすめるように会社に言えなかったのか!? してやれなかった後悔が後から後からあふれてきます。 救急車呼んだ時間から夜明けまで、息子の事で一杯で寝れません。 電話の音も怖いです。 私がいま息子のために、してあげることは何でしょうか? 息子の魂はどこにいまいるんでしょうか? 助けてください。幸せになってほしかった息子が喘息と肺炎の悪化で若くして死んでしまいました

有り難し有り難し 101
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2023/09/05

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
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育てて貰った兄の死を受け入れられません。

私は親が小さい頃他界し歳の離れた兄姉に何不自由なく育ててもらいました。20歳の頃、遊びすぎで言うことを聞かない私と厳しい姉から猛烈な叱りを受け怖くて帰れないまま20年もの時間が過ぎてしまいました。怖くて連絡が取れなかっただけで、仲の良かった兄弟から冷たくされるのも怖くて謝りにいけませんでした。ただそれでも母のお墓参りには行っていたのですが、先日恐れていた事が起きました。 母の日のお墓参り行った際、新しいお塔婆で兄の死を知りました。 家出した身分ですが、私は小さい頃から兄姉が大好きで5歳くらいから末っ子なので自分がみんなを看取るかもしれないと未来を恐れていました。本当は心の底から許してほしくて仕方がありませんでした。でも怖くて会いに行けなかった。謝ることもできずに私は私の暮らしをして勝手に生きていたのです。  でも20年の日々の中どうしたら謝りに行けるかをずっと考えていました。それでも行動に移せず、こんな現実を迎えさせてしまった自分は生きる資格なんてない、なぜ生きているのかと毎日苦しくて仕方がありません。兄は私達を育てるのに10代から昼夜働き苦労ばかりさせてしまいました。私は何一つ孝行できずに私は幸せに生きています。そんな自分が許せません。こんな未来は本望ではなかった、謝りたかったし身代わりになれるならなってあげたかったです。こんなふざけた自分をこの先どう生きていけばいいかわかりません。大切な人を傷つけた最低な自分です。死ぬ事もいけないこと精神を病む事もいけない事とわかっていますが毎日毎日苦しいです。最後まで逃げていた自分を許す事ができません。厳しいお言葉をお願いします。

有り難し有り難し 12
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2022/09/15

自分との向き合い方、親との接し方

小さい頃からメンタル面が弱いです。 今でも、成人男性や酔っ払っている人が非常に怖かったり、自分に自信がとにかく持てず、私自身のことを褒められてもしっくりきません。 丁寧に説明されると嬉しいことには嬉しいのですが、心の隅では「過剰評価だ」と感じてしまいます。 それらについてネットを中心に調べてみたところ、親からの影響だとか、愛情不足だとか、幼い頃に褒められてないだとか……そういった言葉が様々な場所で「あなたは悪くありません」と一緒に、頻繁に書かれていました。 確かに、親に褒められたことを思い出そうとしても出てきませんし、抱きしめられたり頭を撫でてもらったことも思い出せません。 けれど、10代の頃こそ親に愛されていないと思い込んでいましたが、今現在では「あれが両親の言うところの愛情だったのかもしれない」と思い当たる出来事も数個あります。 思っていたように育児がうまくいかず親も苦しかったのだろう、と、親へある程度の共感や理解もできるようになりました。 一方、考えれば考えるほど、どうしてあんなことができたのかなぁと不思議に思ってしまいます。 向こうが「愛情だ」と言っていても、私からすれば苦痛でしかありませんでした。 それでも、きっと両親は嘘をついていなくて、本気で私と弟を愛しているのだと思います。 頭では「愛されていた」とわかっていますが、完全に割り切れているわけではありません。 親に裏切られたこと、傷つけられたこと。それらを忘れることもできなければ、許すこともできそうにありません。かといって、縁を切るほど憎みきれているわけでもありません。 本題に戻りますが、 私の持っているトラウマや自己肯定感の低さ、希死念慮、そういったものを全部親のせいにしても良いのでしょうか。 みんなの言う通り、私の努力不足や能力不足だったり私が怠けているだけではないのでしょうか。 また、愛憎半ばな親にはどう接すれば心身穏やかに暮らすことができるでしょうか。 実家から出るメリットが「親と離れられる」しか思いつかず、且つそれが(少なくとも今は)特別大きなメリットでもないため、心構えなどを中心にお言葉をいただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 8
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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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2023/10/15

親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 5
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自死した娘の命日を迎えるのが怖いです

いつも相談をさせていただきありがとうございます。 数ヵ月に昨年亡くなった娘の命日を迎えます。その日に私は自分自身がどうなってしまうか、とても怖いです。 娘が亡くなったとき、数日間私は長女の引越の手伝いに通っていました。その日はそんなに疲れていないのに夕方なぜか胸の痛みと息苦しさを感じていました。 しんどいなと思いながらなんとか帰宅していつもどおり夕飯を終えてくつろいでいた夜9時過ぎに、娘の異変を知らせる電話が入りました。 警察署でさまざまな手続きを終えて検死をした医師から渡された死亡診断書に書かれた死亡推定時刻は、私が息苦しさを感じていた頃と同じ夕方5時頃でした。 私の体の不調は娘からのメッセージだったとすぐに思いました。娘は私のことが大好きでした。心や行動が不安定だったときも「いちばんの理解者でいてくれてありがとう」と書いた誕生日カードをくれました。 最期まで私を思っていてくれたんだと思っています。その娘が死を選ぶまで何を悩み何に苦しみ、どんなに絶望をしたのかを思わない日はありません。 そんな中で迎える命日は、きっと朝から「去年のいまごろあの子は…」「この時間にこうしてあげていれば…」と考えるに違いありません。そうして絶命した時間を迎えるとき、私は自分がどうなってしまうのか、正気でいられるのかわかりません。 とても怖いのです。 本当に怖いです。 その時をどう迎えればよいでしょうか。また、それまでに今から私ができることは何かあるでしょうか。

有り難し有り難し 22
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