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検索結果: 1077件

死が怖いと感じてしまいます

長文で失礼いたします。はじめまして。 去年の8月頃から、死ぬということに対して過敏に恐怖を感じるようになりました。 ふと、母親がいなくなったら恐ろしいと感じ、そこから、いつか誰もが死を迎えるということに気がつき、自分もいつかそうなるのだと強く感じて、「死んだら自分はどうなってしまうの?」といった恐怖で常にいっぱいになるような状態になっていました。 怖がるだけではどうしようもないと感じ、友人や母に打ち明けて相談に乗ってもらい、一時的に恐怖から離れられることもありましたが、安心できる状態がしばらく続いた後、ふっと思い出し、どうにもならないという思考になってまた怖くなるような状態の繰り返しになってしまいました。 忙しくすれば忘れられるという親の意見を元にアルバイトを始めてみたりもしましたが、バイト中に恐怖心が押し寄せてくることもあります。 不安のあまり、SNSで同じような悩みを持つ人たちの投稿を見た時に、そこで「産まれなければよかった」など不安を掻き立てるような言葉ばかりの人を見てしまい、恐怖が押し寄せてくるような事もありました。 産まれることは自分の意思で選べないことであり、この世へ産まれた以上は死を迎えるまでは懸命に、楽しく生きたいと思っています。就職も迫っているので尚更この考え方が大事だと思います。それなのに、まだ死が恐ろしいと感じてしまう自分がいることが不甲斐ないです。 こんな状態が続いて苦しいです。私はどうすればいいのでしょうか?

有り難し有り難し 106
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退職願いを撤回してしまったのですが…

30歳の男性、現在会社員をしております。誠にお恥ずかしい悩みなのですが、聞いて頂きたく思います。 業務内容についていけず、休みの日まで仕事のことが頭から離れず憂鬱な気持ちがずっと続いており、先日退職を申し出て、先輩にはかなり叱られましたが何とか認めて頂きました。 ところが、私はその数週間後「今辞めてその後はどうするの?」という不安に負けてしまいました。悩んだ末、上司と支店長に「もう一度頑張らせて下さい」と退職願取り消しをお願いし、残ることを認めて頂きました。 ですが、それを先輩にお話したところ、無理もないのですが、すごく怖い顔をして言われました。 「固い決意で辞めるって言ったから認めたのに、また言を翻すとか理解できない」「30のくせにあまりにも精神的に未熟」「仕草のそこかしこで偉そうな態度が多い」と言われました 反論することもできず、ただ小さい声で「はい、わかっています、申し訳ありません」と返すことしかできませんでした。 その先輩はまだ納得したわけでなく、続きはまた話す、本当にやっていけるかはまだ様子を見たい、と仰っていました。 正直「変わった」と認めてもらえる自信がありません。情けないことですが、変わってないと判断されればまた怒られる、その恐怖で頭がいっぱいになってしまいます。 その先輩の叱り方というのが、「お前は~だ!」というのではなく、「君のそういう所、俺は甚だ疑問なんだけど、その辺自分でどう思ってるの?」と問い、私が答えると「身勝手だね」「厳しいようだけど、甘えてるだけ、としか言えない」と返される、そういう感じです。 「どう思う?」と突きつけた上で、お前は甘ったれてる、と切り捨てられる、そんな事が毎回続き、今では先輩の傍に寄ることすら恐ろしくてできません。 情けないことに、今では退職撤回などしなければよかった、という後悔でいっぱいです。休みの日も気が休まらず、胃がキリキリと痛み、食欲も無くしてしまいました。しかし、骨を折ってくれた支店長や上司にこんなことはとても言えません。退職撤回だけでも我侭なのに、それをまた翻すなど、身勝手の域を通り越していますよね…。 ですが、このまま働き続けても、ガタガタ震えるだけで新しいことなど覚えられそうにありません。どうすればきちんと「先輩に認めてもらう!」と頑張れるようになるのでしょうか。

有り難し有り難し 89
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2021/07/30

悪意がなければ自分が傷ついてもいいのか

同居している義母はたぶんいい人なのですが、少々言動に配慮が足りない方でして、例えば新車を買っても「狭いわね」とだけ言ったり、私と孫の写真を、見える場所で雑な扱いをしたり、実父が息子におもちゃを買ったことを話したら「それしか楽しみがないのね」と言ってしまう人だったりします。(これに関しては"コロナ禍だから「今は」"という意味だとは思うのですが。。) ありがたいことに、夫、夫の兄弟共に、義母のこの性格を理解したうえで、私のことを気遣ってくださり、味方になってくれているのですが、そういった些細な言動で少しずつ嫌な気持ちがたまっていってしまい、いつもなら「こういう人だから仕方ない。悪気はきっとないはず」と耐えてきましたが、「悪気がなかったら私は傷ついてもいいのか?」と思うようになってから、うまく接することができなくなりました。 大好きな夫の家族ですので、表向きだけでも仲良くしていきたいのですが、なかなかコントロールできなくなってきて辛い気持ちです。 これが他人だったら少しずつ距離もとれるのですが、家族なのでそれもできず、義母以外にはみな優しくしてもらっているので、嫌われたくもなく、やはり自分の心持ちだったりでカバーするしか無い気もしているのですが、 「悪意がない言動」をどうしたらうまくスルーできるでしょう。 よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 59
回答数回答 3

どうすれば学校に行けるのかわかりません

学校が嫌いで嫌いでとても行きたくありません。 元々小学4年生の後半くらいから学校への苦手意識が出てきてそれからずっと不登校で今更っていう恐怖心もあるんだと思います 行かなくちゃいけないとわかっていてもやっぱり学校には行きたくなくて、 正直行きたくない理由はないんです、親からはどうせめんどくさいからだろ?と言われてきたんですが、激しい嫌悪感と恐怖心があって 親や学校から「何故行けないんだ、何がダメなんだ、何が嫌なんだ」と聞かれる度ストレスを感じるようになり、 なんで行けないんだろう、理由がないってダメなことなのかな、もしかしたら自分がどこかで甘えているだけかもしれない、ととことんネガティブになっていってしまい 最終的には鬱になりかけるまでになってしまって、日常の些細なことでどうしようもないくらいに死にたくなったり、ふとした瞬間に自分はこれからどう生きていくんだろう、学校も行けずに生きていくことなんてできるのだろうか?こんな自分は生きていてはダメではないのだろうかと考えるようになりました 親からの「こんな子に育てたつもりは無い」や祖父からの「なんで弟はあんなに出来ていて愛想もいいのにお前はダメなんだ?」という言葉を聞くと怖くて怖くて いつか自分は親にも見放されて独りぼっちになってしまうのではないだろうか、親の思い通りに育たなかった自分は死ぬしかないのかもしれない、親不孝だ、死にたい、と何度も思うようになり遂に自傷行為に走りました 誰にも相談も出来ず、元々人に自分の話をするのがとても苦手で、親が連れていってくれた病院のカウンセラーさんや学校のカウンセラーさんにも本当のことは言えずにヘラヘラ笑っていたら結局独りになってしまい 友達にもネット上でもこの気持ちを話せずにいつもいつもただひとりで泣いて、親の前では何も無いように笑って振舞ってそれが本当に苦しくなってここならどうにかしてくれるかもしれない、と思いました 親にも友達にも相談が出来なくて、 というか誰も信用出来なくなってしまっていっつも疑心暗鬼で生きていて、 親が怖くて、人が怖くて 学校に行って親に見捨てられないようにしたいのにやっぱり行けないんです、怖いんです、震えてしまうから怖いんですなのに私の心の問題のせいでうじうじ閉じこもっていて、どうやったら私は学校に行けるようになるのでしょうか

有り難し有り難し 127
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霊魂の存在を否定されるお坊さまへのご質問

 こんにちは。先日は私の拙い質問にご回答頂き、誠にありがとうございました。また、こちらで何度もご質問させて頂いておりますが、その度毎に丁寧なご回答を頂いておりまして、大変感謝しております。本日は、多少突っ込んだ質問になってしまいますが、自分の中でどうしても整理がつかない点があり、それを質問できるような場が他にありませんでしたので、この場を借りて質問させて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いします。  こちらのサイトを拝見しておりますと、「霊は存在しない」と回答しておられるお坊さまが何人かいらっしゃいます。お坊さまの中でも意見が分かれる問題なのだと思いますが、私は霊魂の存在を信じており、また輪廻転生もあるのではないかと考えております。霊魂の存在を否定されるお坊さまは、霊感商法やカルト教団への対応など、現実的な対策の観点から、またお坊さま個人の世界認識から、そのような発言をされているのだと思います。しかし、素人の私から見ると「悟り」や「阿弥陀仏の救い」を前提としてお話をされているお坊さまが、「霊魂」の存在を否定されることが、どうしても理解できないのです。  素人の私から見ると、「悟り」も「阿弥陀仏の救い」も、それが一体何であるのか分かりません。そのため、お坊さまが「悟り」や「阿弥陀仏の救い」をお話されることは、「霊魂」や「輪廻転生」のお話をされることと同じくらい荒唐無稽なもののように感じてしまうのです。唯物論者の方が霊魂の存在を否定されるのは理解できるのですが、お坊さまが否定されることは、私にはどうしても理解できません。霊魂の存在については、「分からない」とおっしゃることが最も妥当なのではないでしょうか。  実際に、現代には様々な宗教がありますが「霊魂」や「輪廻転生」の存在などを説いている宗教も数多くあります。もし、お坊さまが霊魂は存在しないと考えておられるのであれば、それらの宗教についてはどう理解されているのでしょうか。  このような突っ込んだ質問をして、誠に申し訳ありませんが、霊魂を否定されるお坊さまのお考えをどうしても伺いたいと思いました。ご回答頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 168
回答数回答 7

ハスノハ内の回答について。

ハスノハ初心者です。 殆どのお坊様方の下さるご意見は温かく時に厳しいものもあり、大変親身になってお答え下さっているのだと感じます。 しかし先ほど私の質問に対してではないのですが、ショッキングな回答を見かけてしまいました。 あるお坊様が「結婚は女性向き」「結婚制度は女を守る為のもの」等と回答に書かれておられたのです。 要約すると、女は自分に見返りを求めたがる傾向が強いからこそ結婚すべきだし、女は結婚により守られる存在だ、といった感じです。 このお坊様以外にも「子供を作らないのは身勝手」だとか 「男女には向き不向きがあるからこうした方がよい」等と仰るお坊様方もおられました。 男女は対等な存在であり、結婚は支えあい愛する為にするもの。 女だからといって弱くて至らない存在として守ろうとするのは対等ではなく見下しているのと同じ。 子供は授かりもので、その選択も夫婦の自由意思によるもの。 男女に性差はあるがあくまで傾向でしかなく、腕力等ハッキリ違いがあるものを除いて「向いている向いてない」と決めつけるものではない。 私はこう考えています。 そして当たり前のことではないでしょうか。 とても前時代的なお坊様がおられること、そしてこんな書き方はしたくありませんでしたが差別的な発言をされる方が少なからずおられることにショックを受けております。 こんな風に思う私はおかしいのですか? ハスノハの印象が変わってしまいました。

有り難し有り難し 295
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母親失格 息子への接し方がわからない。

先日は、悩みに答えて頂きありがとうございました。 今回 息子への接し方についてお答え頂けたら幸いです。 私には、9歳6歳の二人の息子がいます。 長男は、今は反抗期に入ったのか私の言う事は、全くきいてくれません。そればかりか、うるせー!だまれ!ママなんか消えろ!死ね!うざい!などと酷い言葉を吐きます。 私がガミガミ言い過ぎてしまう事もあるかもしれません。二人の息子は主人が仕事で居ない日は天国なのか 戦いゴッコを始め 夜でも ドタバタ騒ぐため、近所迷惑だからと 叱り 注意をしますが、馬耳東風 馬の耳に念仏 そんな、息子に手を挙げてしまう事もしばしば。 しかし、息子は、そんなの全く どこふく風 私の言葉など 少しも届きません。 主人の言う事は、ちゃんと聞きます。 なので、主人から注意をしてもらおうとしますが 子供の躾は母親の仕事だろ。 自分でなんとかしろ。 と言われてしまいます。 おまえの言葉には、刺があるから、余計反発するんだ。 だから、もっとしっかりやれ。と言われ 確かに、子供に 苛々させられ 子供を傷つけてしまう事を 言ってしまいった事もあり その度に 後悔 寝顔に謝る しかし、翌日はまた繰り返す。 そんな、自分は母親失格だ。こんな私に育てられて 息子は幸せなのか?私をふかく恨むのではないか? もっと愛してあげたい。愛している気持ちをわかって欲しい 気持ちと、息子に苛々する気持ちが錯誤してしまい 結果 怒りが勝ってしまい 息子を怒鳴ってしまう。こんな大声出したくない こんなキツい言葉言いたくない 反発し、生意気な口を聞 少も言う事を聞かない息子に 結局 怒り 手が出てしまう。 怒るではなく叱る。私のしている事は怒り。 ただ苛々したストレスを息子に発散しているだけなのは わかっています。 息子に今後 どう接すべきなのでしょうか? 悪ふざけをすり息子 汚い言葉 特に死ね!と言う息子をどうに、諭したらいいのでしょうか?叱り方は? 長文ですみません。良いアドバイスお願いします。

有り難し有り難し 260
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南無阿弥陀仏をおとなえする意味について

私の家は浄土宗の檀家です。 浄土宗(浄土真宗も同じだと思います)では、「ただ南無阿弥陀仏を唱えれば、臨終に際して阿弥陀様が現れて浄土に連れて行ってくださり、そこで悟りをひらいて救われる」という思想だと理解しております。 しかし、どうしても心の中にもやもやが残ってしまいます。 といいますのは、「南無阿弥陀仏を唱えれば浄土に連れて行ってもらえ、悟りをひらける(=救われる)」というのを裏を返せば、「南無阿弥陀仏を唱えない人は悟りをひらけない(=救われない)」ということになってしまわないかと思うのです。 「自分に帰依しないもの、信じないものは救わない」などと、阿弥陀様はおっしゃるようには思えないのです。そんな心の狭い方ではないと思うのです。 おそらく「信じるものは救われる、でも信じてない人も救ってあげるよ」とおっしゃると思うのですが、ではそうなると「南無阿弥陀仏」をお唱えするのに果たして意味があるのかどうか、唱えても唱えなくても救われるのであれば、なぜ「南無阿弥陀仏を唱えると良い」とされているのかという疑問がわいてきます。 つまり 「南無阿弥陀仏を唱えないと救われない」→阿弥陀様はそんな心の狭い方だろうか? 「南無阿弥陀仏を唱えなくても救われる」→じゃあなぜ南無阿弥陀仏を唱える必要があるのか? という板ばさみといいますか、ジレンマに陥った気分になるのです。 これについて、お坊さんの見解をお聞きしたく、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 712
回答数回答 12

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