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漠然とした不安で苦しいです

最近こちらのサイトを知った者です。 同僚にも友人にも相談しにくいので、お坊さんにお聞きしてみようと思いました。 一人暮らしをしながら、会社勤めをしています。転職して入った会社なので、まだ勤続1年数ヶ月ですが、職場の人間関係も良い方ですし、お給与なども恵まれていると思います。業務にもだいぶ慣れました。 上司との月一回の面談でも良い評価をいただいています。自分としても、日々の業務はそれなりに滞りなくこなせていると思っています。 ただ、休みが終わる日曜日や、連休最終日になり、「明日から仕事だ」と思い浮かんだ途端、漠然と不安になってしまいます。 そうすると、気持ちのソワソワが止まらなくなり、休みどころではありません。疲れを取るための休日なのに家でも仕事のことを考えてしまって休まらず、辛いです。めまいや胃痛など身体症状にも出てしまう日が多くなってきました。 自分で言うのもナンですが、真面目すぎる方で、完璧主義なのだと思います。 上司から良い評価を頂いても、「本当かな?他の同僚はもっと頑張ってるように見えるし、自分なんかまだダメダメだ」と思ってしまい、自信がつきません。 これらも漠然とした不安感に繋がっているのではと思います。 そこで、お坊さんにお知恵を貸していただきたいのです。 ①「失敗・ミスしてはいけない」という考えが幼少期からあります。「失敗」は、仏教ではどのように捉えるのですか?別の視点から捉えなおし、苦しい状況から抜けて、色々前向きにチャレンジできる考え方になりたいので、教えていただけませんか。 ②休日に浮かんでくる漠然とした不安は、邪念とも言えるのかなと思います。仏教では邪念が湧いてきたとき、どのように処理・対処するのですか。一般人の私にもできるような対処方法はありますか。 ③他人と比べる癖があります。比べて、一人で勝手に苦しくなってしまうのです。他人と比較しない為に、どのように考えたらいいでしょうか。 どうぞよろしくお願いいたします。

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誰もわかってくれないという嘆きがうるさい

苦しみを抱えた方が数多いらっしゃる中、機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。 いま直面している心の問題は、「自分を受け止め受け容れてくれる存在がこの世のどこにもいない」、その事実を認められないということです。 5年ほど前に最も信頼できる女性に見限られて以降、なんとか真っ当な人間になれるよう、自省と行動を重ねてきたつもりでした。 その中で皮肉にも、人間関係の破綻に直面し、人生観が崩壊するようなこともありました。 漠然と、神のような存在が喜ぶ人間であろうとすれば報われると思っていたのに、その神から裏切られたような数年間を味わいました。 孤独・理不尽・求不得苦… 仏道に辿り着けたのは唯一の収穫かもしれません。 禅の啓発の中で「いま・ここ・この瞬間に集中する」とあります。 感情は起こるもの、ひとりでに湧いてきてしまうもので、向き合うものではない、と。 確かに、私の苦しみはすべて私が一人でこねあげた妄想の産物なのでしょう。 ですが、私の中に叫び声が上がるのです。 今までほとんどの人が私の感情を受け止め理解してはくれなかった、 唯一無二だったあの人も私の幼さを目の当たりにして千尋の谷に突き落とした、 では私が私に巻き起こる感情を拾ってあげなければ、私の感情が可哀想過ぎやしないか、と。 自分ひとりでは手に余る、激しい嘆きです。 他人に幸福を委ねるな、他人に自己理解や救済を求めるな、 それができるのは他ならぬ自分だけだ、といいます。 今の私には、それらがどうしても強さを手に入れた人の一方的な論理にしか聞こえず、響きません。 インナーチャイルドという言葉を手掛かりに検索をかけてみても、「不安だったんだねー、もう大丈夫だよー」と声をかけてあげましょう、客観視しましょうという話がほとんどです。 私は私と完全に一体化しており、切り離せません。 社会的な責務を全うし、早くこの「命の枷」から解放されたい。 このような思いで溺れそうになりながら、日々を送っています。 人生に対し否定的、受動的な態度の人間ですが、喜びを見出して生き直すことは可能でしょうか。 なお大喝のお言葉などあれば襟を正して頂戴いたしますが、阿弥陀様は救ってくださる、お大師さまはいつも側にいてくださるといった観念的なお話は、今回だけはご遠慮くださいますよう、謹んでお願い申し上げます。

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人を妬んでしまう、趣味が楽しめない

私は現在精神的な病気の療養のため、心を休ませながら日々を過ごしています。 最近ようやく活力が戻ってきて、数年間触れずにいた趣味を再び始めてみました。 私の趣味は創作活動系のもので、技術的な知識を得るために色々な人の作品を見ることがあります。 しかし、今までは良いなと思っていた他人の作品(趣味・アマチュア)に嫌悪を感じたり妬んだ目で見てしまいます。 それまでは作品たちから元気を貰っていた筈なのに、嫌な気持ちになってしまうことがあるのです。 普通の羨望や嫉妬とはなんだか違うような、もっとタチの悪い、陰湿な感情のように自分では感じています。 作品を通して相手を全面否定したくなるような感じがしばしばあります。 その作品が素晴らしいのは作者が時間をかけて技術を習得して現在も努力しているからだ、と頭では分かっていても、努力ができた/できる環境が妬ましいとすら思ってしまいます。 作品を超えて相手の生活や来歴、境遇にまで難癖つけてしまいたくなるのです。 作品評価を超えた相手への否定は創作活動においてタブーだと個人的には考えてるので、自分の人間性の程度を感じて情けなくなります。 こんな自分がとても嫌です。 これではいけないと思い、しばらく他人の作品の鑑賞から離れているのですが、自分が勝手に抱いた悪い印象は今も拭えないままです。 自分にも相手に対しても、粗を探しては勝手にがっかりしてしまうことが最近とても多いです。 嫉妬をして、自己嫌悪して、自分の制作も上手くいかずなかなか完成しないことにがっかりして、心のエネルギーを余計なことに使っているような気がします。 病のせいで落ち込んでいた元気もようやく回復し始めてきたというのに、エネルギーの使い方も時間の使い方も無駄にしているような気がして焦燥感にもかられています。 この趣味はライフワークになるのではないかと思っているので、趣味そのものを長期間止めるということはできればしたくありません。 長文乱筆で申し訳ありません。相談の主題は、 「趣味活動を足がかりにして病状を回復させたいと思っている中、厄介な感情が湧いてきて上手くコントロールできずにいる。療養とこれからの人生の為に良い方向に舵取りしたい、どうすればいいか」 です。 なにかご教示いただけたらと思います。よろしくお願いします。

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