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検索結果: 1214件
2022/03/05

急募;妻が中絶希望。出産拒否。どうしたら

妻(39)が妊娠 第1子出産の辛さ故、頑に堕胎希望。現10週 私自身は、新しい家族と過ごす未来が欲しい どうしたら良いでしょうか <妻の堕胎理由> ー第1子出産のトラウマ、出産時40にてリスクを感じる ー兄弟姉妹ありに魅力感じず ー出産時40。そこからの子育てが現実的でない <妻がリスクと感じる理由> ー高齢出産。現39→出産時40 → 子の異常。自身の健康リスク 1.現在、子宮筋腫あり、痛みあり。去年腰痛(椎間板ヘルニア、船酔いつわり強い 2.初産時、切迫流産。3週入院  出産後血中鉄分低く2週入院  分娩時間30時間 <夫婦関係> - 良好。大学時から20年。結婚10年。コロナ禍で365日一緒。私の子で間違いなし - 経済状況:良好。年収1500万円 - 父親としての第1子との接し方、家事への関与  私自身は、子育てを大変というよりも、それ自体が人生の一部、自身の役割、素敵なこと、楽しいこと、と捉えていて、思いやり持って積極関与。  家事は、妊娠前、掃除は私。他、妻。ただ自動食器洗い、乾燥まで自動。  現在は、つわりで調子悪く、私がすべて実施 //出産・中絶に対する私自身の思い詳細 ー私は3兄弟育ち家族に良いイメージ  安寧に産まれたら、新しい子含めた家庭が目に見えるようで、妻の辛さから、無理に断ち切ることに悲しみを感じています  勇気を持って産む方向に動き出していたら手に入れることができるであろう、その未来を手放すのが悲しい //死生観(妻含め)  ー妻は仏教徒。私は無宗教  ー妻の家の守り本尊は、光明観世音菩薩様  ー妻の祖父の仏壇には、祖父木彫りの光明観世音菩薩様がいらっしゃる 祖父がある時、夢で観音様が木から掘り出して欲しいとおっしゃるのを見、その後、掘ったことが無い観音様を1週間で堀り出したとのこと 結婚した時、私に対して、死ぬ時のその時で良いから仏教徒になってね そしたら向こうで会えるからと 第1子が生まれる前、イメージで第一子の顔が見えていたそう その時、女の子を一人引き連れて ただ女の子の顔は見えず、また第1子がこの子親がいない子だから、とも言っていたそう。観音様はこの子はいない子だからと。そういうイメージが不安要素の一つなのか 中絶すると、地獄に落とされると泣いている それでも堕胎希望 それも可能だが、残念

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2021/08/22

夫の無視にどう対処すればいいですか。

夫はとても優しくて家事もやってくれます。明るい性格です。 ただ、怒ると豹変します。 黙れこの○○!というように汚い言葉を吐き、会話が全く成り立ちません。なぜそこまで怒るのか分からず尋ねても、同じ暴言の繰り返しです。 怒ると一週間ほど無視が続くのですが、夫からこの冷戦を終わらせようとしてくれたことは一度もありません。 一週間後に私が話しかけて、ようやく元に戻ります。怒る理由を聞くとまた怒るので、うやむやのままの仲直りです。 ちなみに2日後くらいで話しかけたりすると、黙れ!死ね!と言われるので一週間くらい経たないと話しかけるのが怖くなりました。 この期間にご飯を作ると怒りが増し、捨てたり、「俺が食うと思ってんのか!」と言われるので、ご飯は作らないようにしています。 一週間以上待ってみて、夫から話しかけられるのを待ってもいいんじゃないかと思ったりしますが、この無視状態が辛すぎて、私が話しかけて終わらせるというのがパターン化しています。 とても苦しくて、この一週間何度も涙が出てくるのですが、どうすればいいでしょうか。 夫は普段は優しいですし、趣味も合うので、離婚したくありません。 ちなみに結婚してからケンカの回数は減ってきています。 ただ、暴言と無視は治りません。 今後また同じことがあっても、一週間ではなく1日〜2日程度で終わるのであれば、受け入れていく覚悟です。 この辛い状況を早く終わらせる方法を知りたいです。 ケンカの原因は、夫がお菓子のゴミをテーブルに置きっ放しにしていた時に、私が「また置いてるじゃん」と指摘したことに対して、キレるなど、小さなことです。 ちなみにここ1〜2年は、キレられるのが怖いので注意しないようにしています。 アドバイスをよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 26
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『なぜ私だけが苦しむのか』

これは私自身が生きる中で抱いた怒りや悲しみではなく、hasunohaで数々の質問を目にする中で生じた仏教への一般的な関心に基づくことを最初にお断りしておきます。 H.S.クシュナーの『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』(齋藤武訳)を既にご存知かもしれません。この本は、私の理解する限りでは最後の章で次のような普遍的な問いを扱っています。 「なぜ、善良な人が(あるいは私が)不幸にみまわれたのか」 「私の苦しみが単なる不運であるなら、私が苦しんでいることになんの意味があるのか」 「正しい人も悪い人も同じように苦しむのだとしたら、だれが宗教なんか必要とするだろうか」 諸行無常、諸法無我、一切皆苦。「それはわかっているけれど……」「死んだあとのことを今いわれても……」というのが、これまた雑な理解に基づく感想で申し訳ありませんが、仏教徒にとってもまた正直な反応ではないかと感じています。一例として、ターミナルケアの現場において、死後の世界に関する教義が死への恐怖を有意に和らげているとはいえなかったという話をどこかで耳にしたことがあります。 これらの問いに対して、皆さんは時に誰かの、時にご自身の問題としてどのようにお考えになるでしょうか。あるいは宗旨の違いにより、そもそも仏教ではこうした問い自体が前提から不適切かもしれません。そうであれば、仮に目の前の方がこのような疑問や怒り(たとえば病気について)を投げかけてきた時、その方に対してどのようなお話をされるでしょうか?

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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
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死後の世界観

 初めまして。  私は、横浜で会社員をしている伊藤と申します。先日、テレビでこちらのサイトが紹介されていまして、仏教の教理に関して長年疑問に思っていたことがありましたので、質問させて頂こうと思い書き込みを致しました。  私は、大学生のころから仏教に興味を持っておりまして、仏教に関する本をいくつか読み、修行の真似事もさせて頂いたことがあります。仏教との出会いは、私の人生の中で非常に貴重なものでした。これからも、修行を重ねていきたいと思っています。  ただ、その中で未だに釈然としないことがあります。それは仏教の説く「死後の世界観」がなぜ宗派によってここまで大きく異なるのか、ということです。  仏教では、もともと「輪廻からの解脱」が一番の目的であったと聞いています。それが、現代の仏教では死後の世界観について「極楽浄土で仏弟子となる」といった立場や、「死後のことなど考えず、今を生きる」といった立場など、様々に分かれています。  私は、どうしても理屈っぽいので、このように死後の考え方が異なっていることに疑問を感じてしまいます。例えば、「極楽浄土に行けるなら、今は努力せず楽をしていた方が良いではないか。」と思うこともありますし、「死後の輪廻転生を否定するなら、そもそも修行する必要さえないのではないか」と思うこともあります。  先日、上座部仏教のお坊さんの著書を拝読して、私の考えに近いことが書いてあって共感を覚えました。そのお坊さんは、「死んですぐ極楽浄土に行けるのなら、どうして早く自殺しないのでしょうか。」といったことや、「輪廻転生が無いなら、どうして修行する必要があるのでしょう」といったことを述べておられました。  もし、輪廻転生があるのであれば、私もなるべく善行をしようと努力すると思います。逆に、輪廻転生がないと考えると、やる気を削がれ厭世的な気分になってしまいます。  人間がこのような気分になることを見越して、お釈迦様は死後の輪廻を説かれたのかもしれません。しかし、今の私にはそれ抜きで前向きに生きる心構えを持つこともまた難しいです。また、死後の輪廻を否定するならば、自殺を否定することもまた難しくなるのではないでしょうか。  こういった点を、お坊さんはどう考えているのか、どうしても気になったので質問させて頂きました。失礼なことを伺ってしまい申し訳ありません。

有り難し有り難し 73
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死ぬほど苦しい

数ヶ月前、不倫相手と駆け落ちをしました。 私は独身で、彼が妻子ある身でした。 仕事も決まり、衣食住も安定してきた先日、彼が元嫁と連絡をとっていたことが判明しました。 元嫁は心身が弱ったと言っているらしく、彼が連絡をとることで、安定してきているとのことでした。私も元嫁、子どもたちには、申し訳ないことをしたと一生償いながら生きていくつもりで、養育費等も支払うつもりでいました。 しかし、彼は一緒に出てきた私とは関係を切り、一人で暮らしていると元嫁に伝えてありました。元嫁の安定のためだと。 元嫁との連絡は毎日、仕事中も家に帰ってきてからもずっと続いています。 それでも彼と一緒にいたい思いから、全てを受け入れました。 ですが、彼がいつ家族のもとに戻るといい出すだろうとか、元嫁が本気で帰ってきて欲しいとすがってきたらとか、不安で不安で仕方なくなってしまいました。 過呼吸や拒食傾向の身体の不調も出てきました。毎朝不安感に襲われ、不安過ぎて何も手がつかなくなってしまい、家事すらまともに出来ていません。 自傷や自殺の方法さえ検索してしまいます。 因果応報というものなのでしょうか? この苦しみからは、逃れられないのでしょうか?

有り難し有り難し 151
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