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hasunoha 問答検索結果 : 「悟り」
検索結果: 2103件
2022/04/29

最初から生まれてこなければ良かったと思う

お世話になっております。 以前、こちら(https://hasunoha.jp/questions/58413 )にてご相談させていただいた者です。 ご相談させていただいた後、1番上の兄と義姉さん(1番上の兄の奥様)に打ち明けることができました。 2番目の兄から過去に性的なことをされたことや、その兄から入学金を借りざるを得ない事実が屈辱的だったことなどを話しました。 1番上の兄と義姉さんは最後まで聞いてくれました。 その中で1番上の兄が「じゃあ俺が(2番目の兄)からのお金を代わりに支払うよ」と言ったのですかさず断ったのですが、「いや、俺もう奨学金の支払い終わっているし、今まで兄らしいことをしてこなかったから」と、2番目の兄に支払ってくれました。 私は、必ず1番上の兄にお金を全額返すと約束しました。 しかし、このことに対して私の母親はよく思っていないようです。 3日前、母親にこれまでのことを打ち明けることができました。 母は「すべての事実はわかった。あなたが辛かったことに気付けなかった。2番目の兄はシめる」と話してくれました。 しかしその反面「なぜ先に親に話さなかったのか。1番目の兄夫婦は結婚式も挙げていないし、私ら(両親)もお金を出せていない。なぜ1番目の兄夫婦を巻き込むようなことをしたんだ、お金を返せばいいって話じゃない。お前が2番目の兄に直接言ってお金を叩きつければよかったんじゃないのか。義姉さんや義姉さん家族はウチのことをどう思うか考えたことないのか。結婚は家族の付き合いだ、そこまで頭が回らなかったのか」と言われ、何も言えなくなりました。 「もういい、やってしまったことだからあとは私が考える」と母に言われ、今回の話はそれ以降していません。 あれから3日経ちますが、「最初から私が生まれてこなければ、2番目の兄が私に性的なことをすることも、その兄が私の学費を出すことも、1番目の兄や義姉さんを巻き込むことも、母が頭を悩ませることもなかったのでは」とずっと考えて泣いてばかりいます。 ふとした瞬間に「私が生まれてこなければ…私は家族のお荷物だ」といった思考に陥ってしまいます。この思考をどうにか止めて切り替えていきたいです。 しかし、私が生まれてこなければ良かったのでしょうか。

有り難し有り難し 13
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2022/08/29

仕事が続かない50代ひきこもり 

私は仕事が長く続けられません。 大体1年半くらいで投げ出してしまいます。 いろいろ調べたところ私は自己犠牲の傾向があり、 俗にいう「努力」の意味をはき違えて生きてきました。 「社会貢献」「やりがい」などキレイな言葉がありますが、 被雇用者にとっては、雇用者が「低賃金で労働を搾取」するための魔法の言葉でしかありません。 と、判ったところでたどり着いたのが、仏教の「中道」なのですが、 あまりにも曖昧すぎて、何をどう考えて行動して良いのかわからないです。 試しに自己犠牲を止めて「出来ないふり」「気づかないふり」を続けたところ、 自分を抑制することにエネルギーを消費し、逆に疲れてしまいます。 そればかりか「気が利かない人」「言われたことしかできない人」になってしまいました。 多分、中道というのは「自分がどうしたいのか」という考えが基準になると思うのですが、 損得の基準といいますか、私にはその軸が全く無いのです。 なので「やるからには全力」「中途半端なら無駄」という極論になります。 いずれにしても疲れるので、なんとかしたいです。 また、一言を聞いて、2手3手先を考てしまう思考(妄想)を止める方法ってあるのでしょうか? 一応、自分なりに中道を解釈し「出来ないふり」「気づかないふり」は試してみましたので、 それを前提に今後「何に努力すれば良いか」を教えていただきたいです。 小さな希望でも見えたら最高です。 ご教授お願いいたします。

有り難し有り難し 20
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生前の仏教の触れ具合は死後の「ハンデ」になる?

まず素朴な疑問のうえ、お坊さんの限りある時間と質問を増やしてしまい頭が下がります。 死後の行き先は生前の「行い」によって左右されるというのは勿論ですが、 こちらのサイトでもいろいろ知恵を授かっている内に、 死後の「裁判」は良い悪いの数直線上では計れないところもあると感じています。 たとえば、ある人は日本に住んでいて、 まったく仏教に触れていなかったとしたら? ある人は仏教に触れて、 仏教の「表面上の」知識は身に付けて、 それでもなお多かれ少なかれの悪い行いをして… 後者は私ですが、少なくとも「知っていて尚悪いことをする」のと、 知らずに悪いことをしたのとは、やはり裁判の天秤の重さに違いがあるのでは?と思いました。 「弥勒菩薩は兜率天に住み…」 「虚言はいけない」 「丸々寺は誰々により開かれ」 「般若心経」 「お寺や神社の真ん中を歩いちゃ駄目。」 「蚊を殺しただけで地獄」 「獄卒が火であぶる。」 私はこのような「情報」を得て、我を顧みることもなく過ごしています。 ただ蚊は殺めません。 仏教で守るべき掟も、出家された方にとっては、いままでとはより厳しくなると思います。 まず、 出家された僧たちにある戒律は、破ったときにのちの自分に降りかかるのでしょうか? それとも守ることで人のため、世界が良くなるべきの「願い」の要素がありますか? また、「在家」まではいかないが仏教を信仰する私として、 表面上の仏教を(インターネットで閲覧できる限りの知識を)覚えるごとに 死後の裁判の「ものさし」が厳しくなるということはあるのでしょうか。 おなじく、お坊さんとも一般人とも、仏教の知識が死後の「ハンデ」とはならないでしょうか?

有り難し有り難し 15
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実の親子関係

私は〇〇家の長女として生まれ、妹が一人います。 幼少期から親戚をはじめ、親から跡継ぎだと言われ育ちました。髪も床屋で男の子のように短髪。親に甘えることもできず、妹が可愛がられているのを見ながら雨の日も強引に外に出され傘を差しながら一人でままごとをして遊ぶような幼少期でした。 学校でも友達作りができず友人がいないまま大人になりました。自殺したいという気持ちを幼少期から今に至るまで持ち続けています。 親に迷惑かけてはいけない一心で、いじめにあってもこらえました。学校では、お弁当も食べれず居場所がなかったのでトイレで食べたり、パンを買うといって100円もらって親に心配かけないように食べたふりをして放課後に缶ジュースを飲む。いつも親と距離感があり、相談事もできず・・・大人になり、夫と出会い結婚して家を出ました。あれから20年。妹が跡継ぎになり男児がいる為、跡継ぎの心配なくなりましたが、私自身未だに親との関係がよくないです。私が出産の際も里帰りしないよう言われ、実家の敷居が高くなってしまいました。 家のことも子育ても自分で抱え込み心が病んでしまいました。今、子供が大きくなって両親の為に何かしたいと考え料理を作って持っていき、親の顔を見る。それが精いっぱいの私の気持ちです。どうして愛されなかったのかわかりません。歩みよっても歓迎されません。 両親との関係がよくないまま私は、生きてていいんでしょうか。今の自分の家族を一番に考えていいんでしょうか。

有り難し有り難し 26
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どうすれば楽になれますか

2回目の質問になります…。ジ病にかかり治るという事はないようです。 ですが、死ぬ事もない。 このしんどい身体で生きていくしかない…地獄です。 幼少期に親に捨てられ、自分一人でも食べていけるようにと資格をとり、やりがいのある仕事につきました。その後、心臓♿🏥で3回の手術。障害をかかえても向き合って生きてきました。そして今度は治る事のない難病。 私は刑事事件の被害者になった事もあります。 犯人は「証拠不十分で不起訴」になりました。 その人間が幸せに家庭を持ち何事もなかったかのように平和に暮らしている。 何故、そんな人間がのうのうと暮らしていて、私がこんなにも重い岩を背負わなければいけないのでしょうか。嘘をついて力の強い人間が笑って生きている。 岩が重すぎて…楽になる方法ばかり考えてしまいます。人はいずれ亡くなります。ならば、この先何十年も苦しんで生きていく必要はないのでは…と。 頑張っても報われない、治らないものなら。 気力体力限界です。 死にたくないのに亡くなる人がいる。しんどいだけで、ただ生きている。 どちらも地獄です。 💊😷🏥この病気は治らないそうです。ならば楽になるにはどうしたらよいのでしょう…。

有り難し有り難し 25
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病気が治ってきているのかもしれません。

ちょっとだけ日常生活に支障がある病気を持っています。私にとっては怖い病気です、生涯のものではないそうです。 今2年目です。 薬は後々の妊娠とか依存のこととかも考えて頓服だけにしています。 正直、いつ治るとか数値でわかる病気ではないのでこのまま治るのかな?という不安や病気になってしまったストレスや葛藤でいっぱいでした。 ところが最近は不安よりも楽しい事を考える時間が増えてきたのです。 病気の症状事態はまだ治っていないのですが、心が全然違います。 前は早く病院に行って早く治したい!だったけど、今は病院よりも遊びに行きたいとまで思っています。 前まで悲観的だったのに、将来の楽しみやこれからの期待まで出てきました。 病気になる前よりも主人との関係も良好で、親も私の事を前より理解してくれています。 考え方も自分の拘りみたいなものや自分を縛り付けていた考え方などが見えてくるようになっています。 友達関係もちょっと傲慢な態度を取るようになった子はいたものの、ある意味距離を取る良い機会になったし、それよりも前より親身になって話を聞いてくれる子が居て、その子の事を尊敬したりと色々と面白い事がありました。 なんかここ最近こんな感じである意味戸惑っています。拍子抜けみたいな… 幸せって気持ちが体の真ん中からじんわり感じる瞬間があって、なんか、前まで悩んでた事が嘘のように思える時もあります。 病気は治っていないので油断はしてはいけないけど、なんか…誰かに共感して欲しくて質問してしまいました。

有り難し有り難し 16
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感情のコントロール

職場のうるさい女性にこまっています。 彼女はムードメーカーのようにふるまっていますが 年上の入社時にあからさまに嫌な態度をとってしまったことを根にもち 私だけ「いない人」という扱いをしてきます。 また、周りも誘導尋問のように引きこみ 自分の感情に沿わせようとする態度に どうしてもイライラしてしまうのです。 たとえば彼女がオムライスが好きで、私がカレーが好きな時に カレーが好きだといった私の言葉を全否定して 周りにそうですよね?と問いかけ同意させるといった具合です。 それだけならば くだらないなーと思ってみられるのですが。 私には職場に親しくしている友達以上恋人未満の人がいたのですが 彼女が私に対する不満を脚色しながら彼に上記のような形で 「土日も会社の人と会いたくない」「あんなの選ばないですよね?」 と声かけているのをみて なんでそこまでするものかと思いました。 相手の男性はデートする位の間柄でしたが 以降は私に少し距離を置いて 職場の関係だけだと主張しながら接するようになったと感じます。 近くの上司や他の同僚(うるさい女子と仲良くしているひと)は あいつ(うるさい女子)の態度が悪いと 声をかけてくれるので、そこは護られているなと思います。 彼女に対して最初に悪い態度をとった自分も悪かったと思いますが しかし、仕事の邪魔をする、交際の邪魔をする等々 侵食されて迷惑です。 最近は職場は職場と割り切り、仕事に集中し 最低限のコミュニケーションで周りともやり取りをしていますが だんだん笑顔や会話のやりとりがおっくうになってきました。 (意中の人とはなしているとうるさい女子がかならず横から話題をかっさらっていきます) 仕事は好きなので、辞めたくありません。 3カ月に一度私の感情が爆発して やっとリセットできるような状態が続いているため 話を聞いてくれる社外の友人に迷惑をかけることに心が痛みます。 昇華、回避のよいアドバイスがあればお願致します。 男性の方は自分が職場の男性で、こうした女性同士の対立に対してどう感じておられるのかも伺えたら幸いです。

有り難し有り難し 21
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皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
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2024/09/24

瞑想して病気を治すように言われた

難病の再発で、真言宗のお寺で得度するつもりでしたが、やめておこうと考えました。 理由は住職様に、難病を理由に得度を延期したい旨を伝えたら「治療で飲むステロイドをやめて、瞑想した方が良い」と言われ、びっくりしたからです。 いやいや、私の難病はステロイドを飲まないと、他臓器不全を起こして死んでしまうのですが! という趣旨の話をしたら、笑われました。 持病の双極性障害は落ち着き、今まで関わってくれた人達のお陰で50年いきてこれたので、今は冷静に残りの人生を誰かの役に立てるように生きたいと思えるようになり、得度したいと思いました。 でも、よく考えたら得度しなくても、そういう生き方はできます。 正直、話を聞かず医療も否定する住職様に幻滅してしまいました。 これからも、自分で好きな観音経や他のお経の勉強も、書籍で出来ます。 ご先祖供養の仏前勤行も、音源を手に入れたので、自分で練習して出来ます。 お坊様も人ですから、色々な方がいます。 僧侶としての経験は立派で尊敬していますが、なんとも複雑です。 仏壇やお位牌の開眼供養を、大したお布施も出来ないのに快く受けてくれる僧侶の友人の紹介の住職様なので、これから住職様と、どう関われば良いかなと考えています。

有り難し有り難し 2
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