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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3007件
2023/01/20

ペットロスについて

もうすぐ19歳になる愛犬を老衰で、亡くしました。年末年始の休みの最初の日で、単身赴任中の夫も一緒にみんなで抱きながら看取ることができました。 ですが、後悔ばかりで苦しいです。 あんなに溺愛していたのに、私に子どもが産まれてから子ども中心になり、あまり遊んであげなくなったと思います。 私がかなり神経質になってしまい、いろいろ上手く出来なくなりとてもイライラしていたと思います。 そんな中で、徐々に認知症の症状が出始め、夜泣きや無駄吠えが多くなり何回も叩いてしまいました。叩くと吠えるのをやめるからくせになってしまっていました。思い切りではないですが、なかなか吠えるのをやめない時は少し力をいれました。 トイレの失敗が増え、晩年はサークルに入れていることが多く、毎日出してましたが、庭か室内を歩かせるぐらいで、以前のようにあまり抱っこをしてあげなかったような気がしています。 散歩には行ってましたが、足腰が悪くなってきてからは毎日行かなくなりました。コロナ禍で夫が単身赴任になり、帰ってきても子ども優先で遊ぶようになり、犬は二の次になりました。 犬を出している間はずっと見とかないといけないので、時間が限られており、仕方ないとは思うのですが、犬は夫のことが大好きだったので、寂しい思いをさせてしまって申し訳ないという後悔で心がえぐられます。 亡くなる2ヶ月前くらいから、本当にいろいろ失敗が増え、トイレの片付けや汚れた体を洗って毎日頑張ったとおもいます。ですが、亡くなる一ヶ月前に歯槽膿漏になってしまい、そこから認知症のような症状が、悪化したような感じがして、なんでもっと早くに気がつかなかったと後悔だらけです。 文句いったり、ため息をついたり、何で笑顔で頑張れなかったのだと自分を責めてしまいます。 最後の10日くらいは犬が本当に悪くなってきたので優しく頑張れました。 涙がとまらないです。もっともっと寄り添って優しく抱っこしてあげながら介護してあげたかった。 いつも心に余裕がなく、これでもいっぱいいっぱいだったと思います。 ずっと蔑ろにしていたわけではなく、もちろん可愛がっていました。ですが、負の記憶ばかり蘇ってしまい苦しいです。楽しかったこともいっぱいあります。 本当に自分の性格が嫌いで、でもずっとそばにいてくれた愛犬に対して申し訳なさと後悔でいっぱいです。 早く会いに行って謝りたいです。

有り難し有り難し 17
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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 60
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出自に対する絶望にどう構えるか

私は今、休職して5カ月目になります。 上司との折り合いの悪さが原因だったため、保健師の方からは配置転換を検討しようと提案いただいており、転換先を決める参考に「やりたいことを聞かせて欲しい」と言われています。 しかし、やりたいことがさっぱり出てこないのです。 果たしてどうしてだろうと思い、カウンセラーさんと二人三脚でひとつひとつ原因を辿っていくうちに、自分の中に根深い絶望感があることに気付きました。 私のルーツは韓国系で、日本系の血は入っておりません。しかし、両親ともに在日韓国人だったため、生まれも育ちも日本で、記憶にないころに家族全員帰化したと聞いています。ルーツを知ったのは中学の頃です。しかし、世間で言われる韓国の評判に辟易しており、自分の中でのコンプレックスとなっています。 また、発達障害を抱えており、これが原因で家庭崩壊を起こしています。私一人が原因ではないと頭では理解できていても、「私が生まれてこなければ平和な家庭があったかもしれない」という気持ちがどうしてもぬぐえずにいます。 この二つを抱えている以上、あたたかな家庭を望んだり、仕事を通じて自己実現を果たすというのは(可能性は0%ではないにしろ)限りなく難しいだろうと心のどこかでずっと思っているのです。ここで気持ちがくじけてしまっているから、「やりたいことがない」「やっても無駄だから」となってしまっていると気付きました。 問題はここからで、出自というのは努力ひとつで変えられるものではないため、この絶望感にどう向き合っていけばいいのかさっぱり分からないのです。 カウンセラーさんはあくまで気持ちの整頓のお手伝いをしていく方ですし、最後にどう乗り越えるか決めるのは私自身となります。それでも、さっぱり思いつかないのです。 「いつかこの苦しみが何かの役に立つ…」と考えてみても、実に薄っぺらく、まるで意欲がわいてこない始末です。 こういった、変えられない・けれど一生付き合っていかなくてはならない苦しみを越えて希望を持つには、どう知恵を凝らせばよいか、教えていただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 11
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般若心経とキーマカレー

いつもお世話になっております。 ここのところ、仕事の関係で4時半起きが続いています。 窓を開け放ち、心地よい朝の風を感じ、薄暗い朝が明けてゆく風景。 お日様が上ったら手を合わすととても気持ちがいいです。 毎朝、雀にパンや米粒をあげていたら、網戸を開ける音で分かるのか、どこからか数羽やってきて、チュンチュンと催促をするのが何とも可愛らしくて。 仕事に行く前に最低限のニュースだけ観てゴシップ系が始まったらTVを消す。 あーだのこーだの余計な情報は要らないのです・・・。 毎日拝読しているhasuhohaお坊さま方のご回答と、 繰り返し読んでいる一冊の禅宗老師の本が私の仏道の全てです。 こんな私も苦労はしています。いろいろあって給料は右から左。 でももう物欲もありません。すっきりとした感覚です。 一日一日、丁寧に過ごせて、ご飯食べれて、 みんなが安寧で過ごしていてくれたらそれで幸せです。 hasunohaの常連様方にも一喜一憂したり。 あー、帰ってきれくれた!(涙)とか。 でも、それはそれ。 このサイトに出逢わなかったら「人のしたことしなかったことを見ないで、自分がしたことしなかったことを見なさい」というお言葉を知らなかったかもしれません。 私にとっては、人生において非常に大きなお教え(教訓?)なのです。 さて本題ですが、この間キーマカレーを作っていたらトントントンという音に合わせて般若心経が何度も頭の中で流れてきました。 しんむーけーげーむーけーげーこー・・・この部分からばかりなのですが。 (何年か前までは普通にJ-POPが流れてましたが(笑)) 時々キッサコさんを聴いていた影響もあるのでしょうかね。 こんな時は流れに乗せて料理を作りながら唱えていたら良いのでしょうか?たぶん延々ですが・・・。 お盆前のお忙しい時節に、お気楽極まりない質問で大変恐縮です。 お手隙の時にお教えいただけると幸いです。 あ・・・仕事・体調不全・恋などに悩んでいる我が娘に、 「こだわりが過ぎると苦しみが大きくなるよ~」とメールしたら、「悪に対しては復讐しかない」と返事がきました。 囚われずに生きていければ少しは楽になるのになと思いながら娘の中にはまだまだマーラが住んでいるようです。 困ったものですが、流れにそってボチボチやっていきます。 (余談になっちゃいました。すみません。)

有り難し有り難し 6
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罪の償いについて

数年前、私は会社で中堅となり仕事をしていました。 今思えば、休みもほとんどないことからストレスがかかっていたのだと思います。 そして、ストレスの捌け口となってしまったのが当時飼っていた猫でした。 その猫は、1歳くらいの元野良猫で、甘えん坊で人間大好きな子でした。いつも膝の上に乗ってきたり、一緒の布団で寝てくれる子でしたが、当時の私は、その子を虐待してしまったのです。 一人暮らしでしたので、私を止める人は誰もいませんでした。 しかし、その子はどんなに虐待されても膝乗りや一緒に寝ることをやめようとしませんでした。今思うと、愛情で私を止めようとしたのかもしれません。 ですが、私は虐待を止められず、挙げ句殺してしまいました。 その後にも、同じく拾った猫を殺してしまいました。 しばらくして、また猫を拾いました。メスでした。 自分でもよくわかりませんが、また虐待をしようとしたのだと思います。 しかし、拾った後に、その猫が出産をしました。 捨てようと思ったのですが、その猫が健気に子育てをする姿を見て、命の大切さを知りました。命に対する畏敬と言った方が近いかもしれません。 そして、それと同時に激しい後悔が生まれました。 今までの子の、信じていた私に殴られて、どんな気持ちだったろう、どんなに怖かったろう、どんなに悲しかったろうという気持ちを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。 罪滅ぼしのために、動物ボランティア団体に寄付もしました。車に轢かれた猫の遺体も土に埋めて供養しました。 今いる猫、上の拾ったメス猫ですが、絶対に幸せにしたいと思い最上級の餌や環境、愛情を与えているつもりです。当然、私を救ってくれた子ですし、一度も叱ったり、手を上げてはいません。 しかし、年月が経っても、どんなことをしても一向に気持ちが少しも軽くならないのです。 謝罪したり罪滅ぼしをする相手がこの世にいないので当然です。 私はこれから何をすれば罪を少しだけでも償えるのでしょうか? どのように自分に罰を与えればよいのでしょうか?

有り難し有り難し 22
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逃げた自己嫌悪から抜け出せますか

私は中高生の頃を思い出しては後悔し、自己嫌悪してしまいます。ある事で失敗して周りに馬鹿にされ、何か行動をする事に臆病になっていきました。部活に入って自分のやりたい事をやる事も、塾で友達と切磋琢磨して勉強する事もやらず、どんどんサボりがちになりました。サボって楽な行動に逃げて、一時的な快楽を得て自分をごまかしてきました。何もしなかったので、失敗する事も、それで馬鹿にされることもありませんでしだが、正直楽しくありませんでした。自分が出せないんですから当然です。 一生懸命にやる周りの人達とはどんどんと差が開いて、なりたい自分とはかけ離れたものになってしまいました。しかし時間だけが流れて今自分には何の能力もありません。学暦も、スポーツや芸術面の実績も、何一つ持っていないんです。こんな状態で、これから先他の人たちと渡り合って生きていく自信がありません。どうせ自分の事だからまた続かないまま、出来ないまま逃げるんだろうと思うと、その瞬間にぶつかるのが怖くて、今何もしていない状態です。もう取り返しがつく気がしません。 こんなダメな私でも、いつか一人で生きていくことを考えると、恐怖でますます動けません。自堕落なニートになって孤独死する未来しか想像できません。仮に動いて何か出来るようになっても、この後悔を一生背負うと思うと気が狂いそうです。こんな状態から脱却する方法はありますか?長文失礼致しました。

有り難し有り難し 2
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