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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2817件

逝く道への想い

昨年2月、癌との闘いを頑張っていた母が逝ってしました。 母を愛していたので……哀しく、もっと何かを…何かを…の後悔ばかりを考える日々を過ごしていたところ その約半年後の8月、兄が自らの意思で逝ってしまいました。 母の死は余命宣告を受けていましたので、その時の覚悟は少しは出来ていましたが 兄の死は想像すらしておらず、まして自らの意志で…強い意志で逝ってしまうなんて本当に考えてもいなかったのです。 現在も哀しみと向き合う事が出来ず、後悔ばかりです。 兄の死を知る3~4日程前、首から背中にかけ、急な激痛におそわれ その痛みは兄の死を知ると共に治まりました。 今想えば、母が知らせていたのだと想えてならないのです。 何故、私はその身体の異変を変だと想わなかったのか… 何故、二人きりの兄妹なのに電話をかけ『何か変わったことはない?』 と、兄を気遣わなかったのか… 兄が心の病と闘っていたことも知っていたのに 何故私は兄へ連絡を取らなかったのか… 兄も私を愛していたし、私も兄を愛していたし なのに、何故…何故 私は兄の逝く道をとめられなかったのか… どんな想いでいたのか…何を見ていたのか…何を感じていたのか… どんな気持ちで一人逝ってしまったのか… 考えれば考えるほど胸が張り裂けそうで… 穏やかに笑みさえ浮かべて眠る兄の顔に 兄の意志なのだから 兄の意志を尊重しよう 穏やかに過ごせるところを探して逝ったのだから 兄の意志だから…と、 何度も何度も自分に言い聞かせてはいるのですが あの時、私が気づいてあげていられていれば 何かが変わったのかもしれなかったのに… でも、気づかなかった事が兄の為にはよかったのか… 想いが右往左往して混乱しています。 私が想いすぎると兄は母のもとへいけませんか? 母には逢えたのでしょうか… きちんと三途の川を渡らせてもらえたのでしょうか… この世で苦しみ哀しんだのだから あちらでは苦しみませんよね? 私は 兄の母の傍へいきたいです 何故私をおいて逝ってしまったのか… 私を連れて行ってほしいのです 文章が定まらず申し訳ございません。 お坊様…愛する母の死、愛する兄の死 その哀しみと向き合うことが出来ません… 受け入れる事が出来ません。 私に出来る事があったはずなのに… 何も出来なかった己が辛いです。

有り難し有り難し 17
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自分のイヤな所

一昨日 祖母が亡くなり、明日、近親者のみで簡単に家族葬を行う事になりました。 小さい頃、特に祖父がまだいた頃はよく親戚同士で集まったりしたものでした。 ですが私は、物心ついた頃からなぜか、祖母も、叔父や叔母も、従姉妹でも、敬語でしか話す事が出来なくなってしまい、私1人だけよそよそしくなってしまいました。自分で壁を作ってしまったにも関わらず、自分でその理由もわからず、親戚中みんな、よそよそしい私をよく思ってないんだろうな、とずっと感じていました。 普段は感受性が強すぎる所があり、生きにくいと感じる事もあるぐらいなんですが、一方で、今回、祖母に対して涙が出る事もなく、また親戚同士顔を合わせる事になり、敬語でしか話せない私の事を、”涙も出さず、おばあちゃんへの気持ちはそんな程度なんだ、と思われるんだろうな”という様な事しか考えていなかったり… そういう面があります。 私はおじいちゃんっ子だったので、祖父が亡くなった時は、まだ中学生、しかも人生で初めての、身近な人の死、という事もあり、本当にショックでずっと泣いていました。 でも今回は、そういう事が本当にないんです。 母方の親戚… 祖母、叔父や叔母、従姉妹も、嫌いなワケではありません。 小さい頃はみんなで色んな所へ遊びに行きました。従姉妹の中で私が1番年下になりますので、たくさん遊んでもらい、たくさんかわいがってもらいました。だけど、敬語でしか話せないからなのか?私1人だけが、簡単に言えば仲間外れの様になっています。 こんな自分がとてもイヤです。 - 追記 - 昨日、無事に家族葬を終える事が出来ました。祖母の顔を拭いたりお花で飾られていく祖母を見て、やはりグッとくるものがあり、おばあちゃん色々とありがとう、と声を掛けてきました。叔父や叔母は私に普通に接してくれますが、きっと心の中では、いつも敬語というなにか一線がずっとあるんだな、と感じてるとは思います。 話しかけてくれる従姉妹もいますが、1番上の従姉妹は姉妹揃って話しかけてもくれません。昨日も言葉を交わす事はありませんでした。親戚だし、嫌でも付き合いがあるんだから、と思い毎年年賀状は出しますが、こちらには頂けません。 会う機会があっても私とは話す事もなく、年賀状も一方通行なんだし、もう年賀状も出さなくていいかな、と思ったりしています。

有り難し有り難し 7
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心の整理

こんにちは今回始めて投稿しました。 私は、去年の4月14日に実の父親が、他界しました。 末期のガンで、もう病院に行った時は、治療すら出来ないほどガンは体全体に、転移してたそうです。 私は、実家から車で2時間ぐらいかかる所に住んでいます。結婚もし障害児ですが、子供がいます。私には、車がなく中々実家に帰る事できません。父と最後にあったのは、亡くなる2年前です。最後に電話したのは、亡くなる1ヶ月前に電話をしました。 そのころには、体全体が痛いはずなのに、自分が経営してる、電気店で、ギリギリまで仕事してたそうで、私が電話掛けた時も、なんとも無いような声でした。 旦那は、生活費もいれず、アパート暮らしなんですが、家賃も払わず、パチンコ三昧です。 稼いだ金全部パチンコに費やし、結局、全部無くなり、私の親が金の援助してくれました。 父親は、幸せになってもらいたいはずなのに、ダメな旦那と結婚したばかりに、親に、迷惑かけてしまいました。 それさえなければ、病院に、行き治療出来たはずなのに、それさえなければ、苦労かけ無かったはずなのに、と後悔ばかりです。 65歳で、亡くなったんですが、親を、送り出すのが、子供の役目なのかも知れませんが、 いざ、父を、送るとなった時、辛くてそれ所ではなかったです。 受け止める事もできず、今でも寝る時思い出し泣いてしまいます。 元気だった父が、病室のベッドで、痛さを堪えてる姿、辛い顏が思い出し泣いてしまいます。 つぎは、母親を、いつかは、送り出す時が、来ますが とても、怖いです。自分の大事な人が、居なくなる事が、世界で一番怖いです。 死が、こんなに怖いと思いました。 親孝行も、出来ず、迷惑かけてしまい、親不孝な娘です。 長くすいません。父の声も聞けず、会いたくても会えない、心が、折れそうです。 どうしたらいいか分からず、相談しました。助けてください。

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日蓮宗は神社に行かない方が良い?

私は日蓮宗に お世話になっているのですが ある人から 「日蓮宗にお世話になっているから 神社には行かない方が良いよ」と 言われた事があります せっかく御加護を頂いているのに 神社に行くと 良くない物が頼って来るとの事でした。 とは言え 氏神神社は行った方が良いと思い お正月に歩いて行ける距離の 神社に伺いました そこはちょっと荒れた神社で 手水舎も使えない程でした 今日ネットで地元の氏神神社を探して 行くと クチコミはとても良い神社でしたが 行ってみると やはり荒れた神社でした こちらも手水舎も使える状態ではなく 午前中に伺ったのですが 受付の所も閉められて 空き箱等が散乱してる 神殿の横に お祓い等に使われる白いギザギザの紙がついた棒(すみません) 等がダンボールに他の物と 一緒置いてあったり おみくじにお金を入れても 壊れているのか 中に入ってないのか おみくじが出てこなかったり 地元の氏神神社に 行くと何故か この様な神社に遭遇します。 荒れた神社には行きたくありませんが 氏神神社を探して行くと 荒れた神社に行き着いてしまいます 市役所に電話して 地元の氏神神社を聞いては いませんが なぜでしょうか 荒れた神社に行ってしまいます 良くない物が着いてないか とても気になります

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父の死との向き合い方

現在27歳。18歳まで実家で父含め家族と同居していました。私は中学生から反抗期で父とはまともに話さなくなったまま大人になりました。 父は私が5歳の頃から病気でしたが、父母は私が心配しないようにと具体的な病状は話してくれなく、父は病気だが長生きするのだと思っていました。 大学進学で実家を離れた後、Uターン就職しましたが、数年後再び県外に出て転職。この間に父の病気は進行し手術ができない状況になりました。しかし私はこの事実をよく知らないままでした。 県外に転職し2年目の夏、父が心肺停止になったが蘇生したと母から連絡があり新幹線に飛び乗りました。なるべく週末は見舞いにいきました。 父は心肺停止の影響で記憶がなくなってしまった部分がありました。同居していた18歳までの記憶はありましたが、私が大学進学を機に実家を離れてからの記憶はありませんでした。そのため私が県外にいることもわかっていませんでした。 父が心肺停止したこの時期、私は婚約しました。意識が途切れ途切れの父に婚約の報告をしました。 そして、私は当初予定していた結婚式の日を父の寿命を考えて2ヶ月程早めました。 父は体が落ち着いていきリハビリもし、ゆっくり歩けるようになりました。 父にとって最後となる年末年始。一緒に実家で過ごしました。しかし、母、兄も疲れてイライラしやすく、私もむしゃくしゃしてイライラしやすく、私と兄は一家団らんの食事の際口論になりました。私は兄が怒鳴り散らしたことをきっかけに、皿や箸を投げつけ割りました。そばにいた祖母は泣いて止めようとし、父も止めようと必死でした。悪いことをし父母に謝りました。父は許してくれました。私は精神的に限界だったと思います。 そして入籍まで約10日、結婚式まで1ヶ月を切った頃、父は入院先で亡くなりました。車椅子で結婚式に出ると張り切っていたのに。私は県外で仕事中で、職場に母から報告があり地元に駆けつけました。 約20年、父の病気を知らずに反抗してばかり。自分のやりたいことのために地元を離れていた私。父との時間をもっと作れば、もっと素直になれば、もっと温厚でいればよかった。私へのお仕置きとして、結婚式前に父は旅立ってしまったと考えてしまいます。私は父に寂しいことやひどいことばかりしてしまった。父はこんな私を本当に許してくれているのか。父の死との向き合い方がわかりません。

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