hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 3006件

姉が自殺で亡くなりました。

初めて質問させて頂きます。 2ヶ月前に姉が自殺をしました。 私が目撃して一心不乱に救急車を呼び、心臓マッサージを初めてながら救急隊に電話で指示されながら行いました。 一度は心肺停止しましたが一命を取り留めました。 自殺の原因は、鬱病から来る突発的なものだと病院の先生から説明されました。遺書などありませんでした。 今まで鬱の兆候があったのに何故あの時1人にしたのか、何故すぐ様子を見に行かなかったのか…死ぬかも知れないと言った姉のことをそんなこと出来ないと軽く考えてしまったのか。 姉の現状(借金問題、大事な人を裏切った後悔と罪悪感、子供達からの拒絶と家出)だったら私は同じことをしていたと思います。 その上、鬱病だったのなら尚更です。 最後の姉の気持ちを思うと、やりきれません…。 自殺して2週間後に姉は息を引き取りました。 助けてあげられなかった罪悪感と後悔。 いっそのこと、私も姉の元に行きたいとまで思ってしまう。 でも、私にも最愛の子供達がいます…私が死ねばあの子達は…と考えるとせめて立派に一人前になるまでは…と弱い心に言い聞かせてます。 亡くなってからも夢なのではないかと…突然いつものように帰ってくるんじゃないかと思ってしまって、姉のいた光景をふとした瞬間に思い出しては、遺影を見て…夢じゃないと現実を突きつけられます。 私の家に御先祖様と姉の仏壇があるのですが、御線香を焚いて、数十分置きにまた御線香を焚いてとずっと繰り返し焚きっぱなしみたいな状況ですが、この方法はダメなのでしょうか? 御本尊様に姉の魂をお導きくださいと毎日お祈りしているのですが、自殺者は地獄に行ったり、この世を彷徨ったりすると聞いたことがありますが、姉は四十九日を過ぎた今、どう過ごされているのでしょうか…? 罪滅ぼしとして私は姉に何かしてあげられることはないのでしょうか? 大好きな姉に会いたいです…夢でもいい、声が聞きたいです。どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 43
回答数回答 1

子どもを安心して手放すには

この春から息子がかなり遠方の大学に進学しました。 進学が決まってから急に恐ろしくなりました。 もし息子がなにかつらいことがあって悩んでしまったら・・・ そのあげくに命を縮めるようなことがあったら・・・ どうして近いところではなくこんな遠くへやってしまったのか・・・ 考えはまとまらないまま半年以上が過ぎました。 私は心を病み心療内科にかかっています。 しかしよくなる気配はありません。 日々息子は無事か、つらい思いをしていないかが気になって仕方ありません。狂ってしまいそうなぐらいです。 20年前に弟を自死でなくしたためか、以前から身の回りの人が死んでしまうのではないかという恐怖がありました。 これまでは理性で抑えていましたが、大切な息子が遠くへ行ってからは強迫観念のように息子のことが気になって気になって、苦しんでいます。 今日も無事に生きているかつらい気持ちになってはいないか・・・。 あのとき近いところを選んでいれば・・・あのとき・・・と、たらればばかり考えて気が狂ってしまいそうです。 大変苦しい毎日を送っています。助けてください。 ずっと子どもを支配しようという気持ちは決してありません。 体に病気を抱えている息子が田舎の不便な不慣れな土地でつらい思いをしないか、生きることがいやにならないかが気になっているのです。 そしてこの選択をしてしまったことを後悔しているのです。 主人は単身赴任で普段は娘と二人きりなので、娘のことも気にかけてあげなければいけないのに、それもできません。 娘のためにもなんとかしなければ・・・と思い相談させていただきました。 どうか助けてください。 お願いします。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

感興のことば第26章13の内容について

仏典についての質問です。 正式に仏教の知識を学んだこともありません。 己の体験と仏典を照らし合わせて仏道に勤しんでいます。 浅学でお恥ずかしいのですがお答えいただければ幸いです。 感興のことば第26章 安らぎ(ニルヴァーナ)の13です。 僧侶であればだれでもが親しんでおられる仏典だと思われます。 「13 ①前にはあったが、そのときには無かった。②前には無かったが、そのときにはあった。③前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」の内容をお知らせください。 個人的な一考察ですが、 ①「前にはあったが、そのときには無かった」とは、 A:前には「認識している私」という意識があったが、そのとき(=安らぎ)ではすでに「私」というものは無い。 B:前には「渇愛」があったが、そのとき(=安らぎ)では「渇愛」はない。 ②「前には無かったが、そのときにはあった。」とは、 前には「智慧」は無く「無明」であったが、そのとき(=安らぎ)には「智慧」があった。 ③「前にも無かったし、のちにも無いであろう。また今も存在しない。」とは、 前にも「魂」は無かったし、のちにも「魂」はないであろう。また今も「魂」など存在しない。  という勝手な考察ですが、お坊さんの体験された内容をご伝授いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
回答数回答 3

過去を忘れられない

こんにちは。 最近、過去を思い出して独りで悩むことが多くなりました。しかも、実際に失敗したり後悔した経験ではなく、“あと一歩で”恐ろしいことになっていたであろうことに対してです。つまり、ギリギリで困難を回避できていたことや危なかったが周囲の助けでなんとかなったことであるにも関わらず、 「もし、あのときこうなっていたら…」 「もし、あのとき対応が遅れていたら…」 と考えてしまうのが今の自分であるということです。 “そんなのは明らかに無駄”、“過去のことは割り切って、今をしっかり生きればよい”、“妄想はただの幻”  などは分かっているつもりではありますが、なぜか思い出しては悩み、一人で苦しんでしまいます。 こんな時、どのような気持ち、もしくは心構えをすればよいですか?また、日頃このようなことが起きたとき、どうすれば落ち着くことができますか? ※以下は質問とは関係ありません※ 思い返せば、命に関わる事故に遭いそうになったこと、自暴自棄になったこと、悪人に騙されそうになったことなどがありましたが、結果としては全て回避もしくは対処できています。奇跡の連続のように思え、人生って不思議です。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

時間を戻したいと考えてしまいます

こんにちは。相談させてください。 数年前から、時間を戻したい、過去をやり直したいということをたびたび考えてしまいます。たくさんある後悔をひとつひとつやり直して、人生がよくなっていく想像をすると、少し楽しい気分になれますが、時間は戻らないんだったと思い出しては虚しい気持ちになります。 後悔しても仕方がないのだから、今の行動を変えていけばいいとか、何をするにも遅いということはないとか、20代なんてまだまだ若いとか、自分で自分を励ましてみたりはするのですが、今からでは遅いという気持ちが余計に強くなります。わたしがやり直したいと思うことは、以下なようなことです。 ・子供の頃にすべき経験、始めるべき物事、つけるべき習慣などをする。 ・学校生活のこと。学生時代にもっと人と関わって、いろんなことに挑戦して、青春を味わいたかった。 ・進路選択のこと。高校進学、大学進学に後悔があり、選択し直したい。 例えば多くの芸事は、子供の頃から始めて続けなければほとんど大成しないです。大人になっていちから始めることは、一層苦労し、たいてい趣味の範疇にとどまります。 10代の感性やパワーで成り立つ学校生活の楽しみも、もう取り返せないです。 進路選択ももうやり直せないです。学び直しはできるかもしれませんが、通常の年齢での進学であの学校に入りたいという願望は叶いません。 今からでは取り戻せないということを、納得したいです。本当の意味でどうしようもないのだからと諦めて、どうしようもないなりに、今からやれることに集中したいです。こんなふうに考えるのをやめたいです。 なにか助言をいただきたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 36
回答数回答 2