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検索結果: 979件
2023/10/30

父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

有り難し有り難し 10
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人や自分の死の受け止め方

先日祖母を亡くしたことで相談させていただいた者です。 その節はありがたいお言葉をいただき、何度も何度も読み返しては涙を流しております。 本当にありがとうございました。 祖母の死をきっかけに、死について考えるようになりました。 死は決して避けられないものであるということ、そしてその期限はわからないということ。 誰にも確実な明日はありません。 明日どころか、1秒先もどうなるかわかりません。 もし両親が突然亡くなったら…もし自分の家族が突然亡くなったら…しばらく会っていない祖母でこれだけ悲しいのだから、もっともっと悲しいにちがいない。 でもそんな日は突然ではないかもしれないけど、いつか必ず来る。そのとき私は耐えられるだろうか。 今でも祖母に会いたくてたまらないのに、これ以上の悲しみに耐えられるだろうか…と、ふとした瞬間にこんなことばかり考えてしまいます。 突然の別れに後悔しないようにと、どれだけ回りに尽くしたとしても、必ず後悔や悲しみの感情はあると思います。 尽くせば尽くすほど、悲しみは倍増するのかな…とか。 それに、私自身にも必ず死の瞬間がきます。 そのとき私はどんな感じなのだろうか、少なくとも私の家族や友達は悲しむだろうな…少しでも回りの人の悲しみを和らげるために、遺書というものになるのかもしれないけど、手紙を残しておいたほうがいいのかな…とか、私はどんな死に方をするんだろうとか考えてしまいます。 まだ祖母が亡くなって日にちが浅いからかもしれませんが、毎日このようなことを考えてしまい、一人では何の解決もできず、もやもやしっぱなしです。 この前教えていただいた、後悔を感謝の思いに変えることや供養の行いについても私なりに考えさせていただいているのですが、その答えを見つけて、人や自分の死を受け入れて生きていくのはもう少し時間がかかりそうです。 先日も同じような質問で本当に申し訳ないのですが、こちらでしか相談させていただけず、またこちらにお邪魔してしまいました。 お忙しいところ、とりとめのない長文で本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 18
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姉の死と、罪悪感

初めての育児に目まぐるしく過ごしていましたが、突然姉を亡くしました。 姉は不妊治療をしており、表向きは明るく振る舞い、私の妊娠出産も祝福してくれましたが、互いに気を遣い直接会うことは避けていました。 そんな中、姉は脳卒中で倒れ、脳死判定を受け、そのまま逝ってしまいました。 1度だけ見舞いに行けましたが、もうその頃には終わりを待つのみ……という状態で 赤子を抱えた自分は何も出来ませんでした。 喪があけた今も、姉を思い出しては苦しくなり、かけられなかった言葉が溢れて止まりません。 それでも赤子は日々成長し、私を良くも悪くも振り回してくれています。 なんだかんだと、私は赤子のお陰で救われていて、幸せなのだと思います。 ですが、幸せであればある程、姉もこうして自分の子を授かりたかっただろう…… 夜泣きや癇癪を起こされても、姉だって辛くても味わいたかっただろう……と思ってしまいます。 幸せであればある程、心苦しいです。 優しく、闊達で、親孝行で、信心深く、面倒見のいい姉でした。 私よりよほど、母親に向いていたと思います。 なんで姉がいないのかわからない、そんな虚無感が度々襲いかかります。 一生、この気持ちを昇華する事は出来ない気がします。 姉に対する負い目のようなもので、幸せになる事に申し訳なさが拭いされません。 それがまた、赤子に対して申し訳なくて、親として情けないです。 姉の死は、どうしようもなかったものだ、とわかってはいるのですが、 どうすればありのまま受け入れられますか? この、罪悪感のような気持ちは、どうしたら鎮まりますか? ご鞭撻頂けると、ありがたいです。

有り難し有り難し 29
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義母の死 後悔

はじめまして。よろしくお願い致します。 義母が亡くなりました。 入院してからわずか数週間でした。 その際、自分の両親が義母に最後のお別れをできないまま義母が旅立ってしまった事に後悔しています。 私自身、義母に対して精一杯の事をしたつもりですが、両親の事を二の次に考えておりました。 入院前に義母の病状等は話したのですが、手術すれば落ち着くと医師から説明があった事や、当時義母が体調が悪く携帯に出るのが難しかった事もあり、義母に電話をするのはもう少し落ち着いてからでいいよ、と私から両親に話してしまいました。 それからすぐに危篤状態、コロナ渦で面会が難しい中、私自身は少しの時間面会できましたが、その時に両親の事は全く頭になく、面会できない子ども達にビデオ通話を繋ぐのが当時の私としては精一杯でした。 後から思い返せば、その時に同じくビデオ通話する事も、入院前に私が義母の側にいる時に両親に電話を繋ぐ事もできたと思います。 しかし、そういった事が少しは頭をよぎったものの、自分の両親はここにいる夫側の家族にとっては他人だから…という遠慮もあり、考えないようにしていたのかもしれません。 色々とバタバタしている中、自分の両親が義母をとても心配している事を分かっていながらその橋渡しをするという事に意識が向きませんでした。 病状は逐一報告していたのですが、直接話すという行為を私自身が断ち切ってしまったように思っております。 葬儀も終わり落ち着いた今、ふと後悔の念が沸き出てきてそれからは止まりません。 両親も後悔はあるでしょうが、今はそれを出さずに私や夫、子ども達を支えてくれております。 一番辛い立場の夫には話せず、私はひとりでこの気持ちを反芻し続けております。 以前、身近な人の死を経験した中で、次に何かあった時は絶対に後悔しないようにと思ったはずなのに、また同じように後悔している自分がいます。 この気持ちをどう処理したらよいのか。また、この気持ちを両親に伝えた方が良いのか、その事によって両親が逆に悩みを深めてしまうのかも…という事も考えております。特に母は私と性格が似ているため、今も同じように後悔しているのではと心配です。 とりとめのない文章で申し訳ありません。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 18
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2022/03/23

家族葬後の供養の仕方

2ヶ月前に、妹が自宅で自死しました。遺書に葬儀をしないでとあり、義弟の意向とコロナ禍ということもあり、両方の両親と義弟、姪、甥、私の夫、私のみの家族葬で送りました。 義弟のご両親に宗派を聞いたのですが、よく分からないようで… 義弟のご両親は他県在住で、本家ではないのでお墓を持っておりません。 義弟も宗教や宗派がよく分からないとのことで、急なことでもあったので家族葬にしたのですが、お坊さんに来て頂くこともなく葬儀を終えたので、初七日や49日法要など何もしておりません。 お骨は、義弟の家にありますが戒名が無いためお位牌もありません。 妹は嫁いだ身ですから、私の両親や私は宗派や供養の仕方について、なかなか意見を言い出せずにおりますが、ずっと違和感を感じるとともに、妹が成仏しないのではと悩んでおります。 自死したうえに、読経も戒名も法要も無しでは成仏できないのでしょうか? 妹が成仏できずに彷徨っているのではと思うと…私の両親も私も心が落ち着かず、悲しみが増すばかりです。 義弟も、気持ちがまだ落ち着かず妹の死を受け入れられないこともあり、今後の供養方もきちんと決められてないようですが…義弟の相談にはのるつもりです。 今後、どのように供養していけばよろしいのでしょうか? 義弟の家の近くのお寺を探して相談するべきか、他県在住の義弟の両親の家の近くのお寺に相談するべきでしょうか? ご意見、ご見解をよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 30
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父が孤独死して後悔

父が先日孤独死して喪失感と後悔です。 私の家は小さい頃に母が亡くなり父子家庭で幼い頃は祖母に家事をやってもらっていた環境でした。 思春期になると父と距離感が出てきて、同じ家にいても話を頻繁にするような家族ではなかったです。 独立して家を出ると年に1回会うか会わないか、lineをするかしないかになっていました。 あまり父に会わなくても平気で自分の生活を優先させていました。 また母が死んだ時にあまり声をかけてくれなかった父に対して不満を持ってもいました。 あまり母の死んだ時の話など深い話もしたことがなく、いつかその時の私の思いを言いたいと思いながら先延ばしにしてました。 最初、弟が父と住んでいたのですが、ここ最近で一人暮らしになり、また体調も悪くなっているようでしたが、弟が頻繁に家まで行ってくれていました。 以前急に父の携帯に電話が通じず弟が見に行ってくれたら、体調が悪くて電話に出なかったことがあり、先日も同じケースかなと思っていたら、亡くなって1ヶ月ぐらい経って腐敗も始まった状態で見つかりました。 後から分かりましたが持病のある父が病院に行くことも辞めていたようでした。 こんな状態で1人で亡くなった父への申し訳なさと、もっと何かできたんではないかないう後悔で押しつぶされそうです。 父との写真やlineを見返してもう会えないんだと思うと喪失感でいっぱいです。 今更ですがもっと話したかった親孝行すれば良かったという思いと もしかしたら私が電話したり、家に行って話したりしたら、父は生きていたのかもしれないと自分を責めてしまいます。 体調が悪くもしかしたら鬱っぽいと聞いていたのに何もできませんでした。 また母も亡くし、次は父も亡くなり、こんな辛い思いもして人間はなぜ生きていくのだろうとも考えてしまいます。 つらつらと書いてしまいましたが、どうやって受け止めていけばいいか、アドバイス頂けると幸いです。

有り難し有り難し 8
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2022/07/25

弟の死その4

弟がなくなってから3か月が経過しました。事務手続きもほぼ終わり、なんとなく弟の死を受け入れることができそうです。 母には悲しみに集中してもらい、私は慣れない手続きに奔走した3か月でした。 時々悲しみむなしさ、やるせなさが襲ってきます。 涙で浄化はしていますが、どうすることもできません。 私は結婚して30年経つのですが、結婚以来、弟と積極的に会うことはなく、弟との思い出は子供時代のことばかり。 家庭の事情で弟と二人で過ごすことが多く、まだ子供同士だったので、けんかをしたりあまりいい姉ではなかったことが悔やまれます。 大人になってからの弟のことは、弟と仲の良かった方から聞くしかありませんでした。とてもやさしく、人に好かれ、人望のある男と知りました。 それに比べ、(弟と自分を比べることに意味はありませんが。。。)私ときたら人望もなく、決して自慢できる生き方をしてきませんでした。 弟に誇れる生き方をしたい。今はそう思っています。 悩みというよりも決意表明をさせていただくまた投稿してしまいました。 いつもそっと寄り添ってくださりありがとうございます。 こちらでは素直な心で本音をいうことができる私の安らぎの場所です。

有り難し有り難し 8
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愛犬の死をつぐないたいです

先日、愛犬を自宅で家族と看取りました。 13歳の小さなかわいい子、うーたんといいます。 土曜日に異変を感じ、その後容態が急変し、月曜日の朝に息を引き取りました。 脳腫瘍でした。 土曜日曜と連日で病院に行ったものの、病名の候補をいくつか告げられ、はっきりとした診断はありませんでした。つらい検査だけで、大変なストレスだったことと思います。ふらふらする足元で階段から踏みはずすこともありました。自分のせいで、死期を早めてしまったに違いありません。 あのとき病院に行かなければ、あのときゆっくり寝せておけば、、あのときちゃんと見ていれば、、あのとき獣医さんが、、あのとき、、あのとき、、と後悔と懺悔ばかりです。 私に出会わなければもっと幸せだったのではないだろうかと、出会ったことさえも否定してしまいます。 小さな命をまもることを心に、これまで大切に大切に育ててきましたが、最後の最後で取り返しのつかない、命にかかわる過ちをおかしました。 あんなに優しくて愛のかたまりだった子が、なぜあんなに急に苦しい死となってしまったか。 自分のせいで。自分が性急に病院に行ったりしたから。あんなに病院が嫌いな子だったのに。もっと冷静にうーたんの気持ちだけを考えて行動したらよかった。 悪夢のように土日のことが繰り返し繰り返しループし、自分の人生があの2日間だけになったようです。このループが、脳腫瘍による旋回の症状と重なります。 悲しみを癒すとか乗り越えるなんて、そんなおこがましいことは考えていません。 うーたんにとって一番よいことを教えていただけますでしょうか。 お話を聞いてくださってありがとうございます。

有り難し有り難し 25
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2022/11/03

死、別れ、時が流れていくことが怖い

死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。

有り難し有り難し 15
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母の死と後悔

はじめまして。 苦しくてこちらのホームページにたどり着きました。 昨日、病院に長期入院中の母が亡くなりました。 血流が悪くなる病気で、1年ほど前から痛みが酷くなり、足指から壊疽が始まり、痛みのために1人では何もできなくなった時点で大学病院に入院。足指を切断しました。手術後、今度は肺気腫が悪化、肺炎を起こし、何度かは覚悟を、と言われながらも、なんとか持ちなおし、病院を転々としながら半年が経ちました。 術後の傷口は塞がら無いまま、痛みも続く中、リハビリも無理で、ほぼ寝たきりになったため、家に帰りたがる母を我慢させて、入院を続けさせました。 コロナのせいで、半年間で会えたのは、手術時や転院の際の5回のみ。最初のうちは携帯を使えていましたが、だんだんと通話も無くなり、会話もほぼなくなりました。 結果的には痛みと孤独に耐えさせて、ひとりぼっちで、旅立たせてしまったのです。 最善は何かと探り続けていましたが、コロナの規制が厳しく、私の判断が鈍っていたのかもしれません。 病院にいることが母にとって最善だったと、今になって思うことが出来なくなり、一人で旅立ってしまった母が、かわいそうで、悲しくて、心が潰れてしまいそうです。家に連れて帰り、在宅看護を検討できなかったか、入れる施設は必死に探したものの、在宅は無理だと最初から諦めた自分に一生後悔をすると思います。 もっと母と一緒に居てあげたかった。母とおしゃべりしたかった。 自分の家族の前では明るく振る舞うため、心と身体が分離していく感覚が恐ろしく感じています。 どうやって心を保っていけばいいでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 70
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主人の死の意味

主人が医療ミスにより亡くなりました。 私の唯一の愛する人でした。 私は幼い頃から家族に恵まれていなく、父の借金で本当にテレビで見るような借金取りに追われ隠れて暮らしていました。6才の頃に離婚し父と離れましたが、母もアルコール依存症で育児放棄。小学生の頃は祖母にほとんど育てて貰いました。 親の愛情は感じませんでしたが、母の鬱病やてんかんなどの病があったので、一緒に暮らしていました。 その間、幼い頃から祖母に教えて貰った『いつも仏様は見てる。いざというときは助けてくれるから』の言葉を信じて、墓の掃除や供養、母が亡くなっても祖母が亡くなっても尽くしてきたつもりです。 『いつも見守ってくださりありがとうございます』と手を合わせてきていました。 やがて私にも愛する人ができ、子供が出来てやっと家族が持てました。やっと心を落ち着かせて愛情を感じることが出来たのに、夫を医療ミスで亡くなりました。 どうして仏様はこんな事をしたんでしょう。 私には、愛する人を持つなと言っているんでしょうか? ひとりで生きていきなさい。と言っているんでしょうか? 祖母の言葉を信じ、困っている方がいたら手を差し伸べたり、寄付もしてきました。私の出来ることはなるべくしてきたつもりです。 何もかも私の願いを叶えてほしいとは思っていません。 ただ唯一の私の大事な家族だけは失いたくなかったです。そんな願いもきいてくれないんでしょうか? 小さい頃から辛い思い、寂しい思いをしてきましたが我慢してきました。自分で家族を作る為に。それを失った私はこれからどうしたらいいのかわかりません。 信頼していた仏様を信じることが出来なくなりました。また、亡くなった母や祖母にも『あんなに尽くしてきたのに、どうして助けてくれなかった!」という思いも消えなくつらいです。

有り難し有り難し 20
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母の死、今後の生き方について

昨年の9月に母が病で亡くなりました。 少しずつ元の生活に戻り、笑うことも増えてきましたが、まだふとした時にどうしようもない悲しみと孤独感に耐えられなくなり、涙が止まりません。 そんな中で、今後の実家のことについても悩んでおります。 元々は両親と私、母方の祖父母•叔母(三女)、愛犬と住んでおり、二世帯での生活でした。 しかし祖父が亡くなり、母まで亡くなり 私は母の病気が見つかる少し前に実家を出てしまった為、今は父と祖母と叔母しか住んでおりません。 愛犬のお世話と祖母の負担を減らすために 、平日は毎日叔母(次女)が来てくれていますが、叔母にも叔母の生活があるし、いつまでも甘えていられないと思っています。 ならば、私が実家に戻ることが最善だろうと分かってはいるのですが、仕事を続けていては結局日中家をあけてしまうので、実家に戻るのであれば仕事もやめ、長年交際している彼とも別れなければいけません。 (元々婿に入って欲しいという話はしていましたが、彼の事情もありそれは厳しいと言われました。) 家族のために、と思う気持ちと 自分の人生とは、と思う気持ちの葛藤です。 父のこと、祖母のこと、摂食障害の叔母のこと、色々考えてしまい、どうすればいいのかわからなくなってしまいました。 母が「自分のせいで」って思わないようにしっかりしなければいけないのに 「母がいれば」と思ってしまいます。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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父の死と死後の世界について

最愛の父が他界してから、死後の世界について考えています。 父は愛妻家かつ子煩悩で、死の3日前まで母と私に「大好きだよ」と言っていました。 大食漢で行動的な人でしたが、病のせいで食事も運動もままならない中、愚痴ひとつ言わずいつも笑っているような人でした。 死後の世界があるのなら、痛みからも苦しみからも解放されて、好きなものをたくさん食べて、好きなことをたくさんしているのだと思えます。 死後の世界がないのなら、大好きだった父は何処にもいないのなら、二度と会えないのなら、私も死にたいと考えています。 大学一年生の頃、仏教の講義が必修科目でした。 18歳だった私は宗教や死後の世界は生きてる人間のためにあるもので、死んだら無になると考えていました。 今になって死後の世界があって欲しいと強く思うのですが、長年否定していたものを肯定するのは都合の良い話に思え、抵抗があります。 祖父が亡くなった時は季節外れの蝶が部屋に舞い込んできたり、替えたばかりの蛍光灯が明滅したりと不思議な出来事があり、もしかしたら…と思える時もありました。 ですが「ずっと側にいるよ」と言った父の存在を感じることはなく、消えて何も無くなったように思えてしまい、胸が苦しくなります。 長文かつ乱文で申し訳ありません。 どのような心持ちで過ごせばいいのか、ご教示願います。

有り難し有り難し 31
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