hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 1906件

母親の納骨について

去年11月に病気で大切な母親が永眠しました。84歳でした。一周忌に墓に納骨をしようと準備していますが、母親の先祖代々のお墓のある寺に問い合わせたら、墓の管理者の許可が必要といわれました。母親は四姉妹の末っ子で長女と母親が先祖代々の名前です。長女と母親は生前あまり仲良くなかったらしいのですが、母親は代々のお墓に入るのを望んでいました。長女には何の遠慮もせんでいいよと常々言ってました。長女親族とはずっと連絡などしてこなかったのですが、墓の管理者となるとやはり長女の子供たちでしょうか。長女も生存してるのか不明です。今名古屋に住んで30年経ち、代々の墓は石川県で遠方で、数年に一度母親共々墓参りしていました。自分は40代独身で父親と姉の3人です。まだまだ一周忌経ってないので日々淋しさと悲しさは溢れた日々です。 代々の墓に普通に入れると思っていたので、今不安と一番最善はどうしたらいいか、そして、自分もおそらくこのまま独身で生きてくと自分が亡くなった後の不安、母親と同じ場所に絶対に入りたいのでどうすればいいか、、是非ともアドバイスいただけけたらと思います。 もし、先祖代々の墓に母親が入れないと母親との約束が果たせない辛さ、悲しさとか強く抱いてるので、不安です。 片足が不自由だった高齢の母親といつも一緒にいれたことが凄く幸せでした。側にいて当たり前と思ってた大切な存在だったので悲しみと淋しさもとてつもないです、、 今はまだ母親の遺影と遺骨をミニ仏壇に添えて日々お参りしています。涙が止まりません。 今後の残った自分、高齢の父親、姉の3人も絶対に母親と一緒に永遠にいたいのでその点も含めてアドバイスよろしくお願いします。。

有り難し有り難し 12
回答数回答 3

息子が自死で逝き、ショックです。

コロナで自粛生活となり 息子も、高校3年になってから 長い自粛生活に入りました。 宿題が溜まっていたからなのか 久しぶりの投稿日の朝 部屋に起こしに行ったら 首を吊って、息絶えて居ました。 遺書もなく、理由が分かりません。 最初に発見した時の表情や様子が 頭から離れず、毎日苦しいです。 最期に声をかけたのは私でした。 朝方大きな音がしたので 部屋に向かって「大丈夫?大きな音がしたけど」と尋ねたら 「大丈夫。扇風機が倒れただけ」 そう言った声は落ち着いていて 私は納得して、また眠ってしまったのです。 あの時、何故ちゃんと顔を見て 話をしなかったのか…後悔でいっぱいです。 私と話したすぐ後に 息子は自死したみたいです。 息子は、私に助けて欲しかったんじゃないだろうか… 心配かけるからとか、色々考えて 私に言えない何かがあって 私はのほほんと 息子なら大丈夫だと甘えて居たんじゃ ないだろうか… 自粛中、ほとんど部屋で過ごしていて ご飯くらいしか降りて来ない時点で 鬱じゃないかと気付かなければ いけなかったんじゃないか… 色々な事が頭を巡り、自責の念で 苦しいです。 大好き大好きと、伝えて来ました。 何をやろうが、あなたのやりたいように やったらいいと、伝えて来ました。 それが、かえって息子を 追い込んだのでしょうか…。 本当に苦しいです。

有り難し有り難し 55
回答数回答 2
2022/06/22

辛いです。自死を考えています。

主人が、 不治の病で壮絶な死を迎えたのは、 夫婦仲に問題があった私のせいだったと 息子に咎められ ある日突然、 荷物を全部まとめて、 息子は家を出て行ってしまいました。 確かに全てが順風満帆に行っていた 25年間の夫婦生活ではありませんでした。海外生活、と言う事もあり、 とてもストレスの多い日々でもあり、 それでも毎日 頑張ってやってきたつもりでした。 実は、息子は、長い浪人生活が続き、 精神的に参っていた事もありましたが、 私はそれを咎めたり、 批判したりはしなかったつもりです。 (結果にガッカリした顔は、 正直してしまったとは思いますが…) この4年間、私は 主人の介護に一所懸命尽くしました。 息子の浪人生活も 色々サポートをしてきたつもりです。 私はまだ 主人の死から立ち直ってはいません。 毎日毎日、 こうしてあげればよかった… まだ治せる方法があったのではないか… 私がやはり悪かったのではないか… と、悔やんでばかりの毎日です。 そんな最中に、 私の存在、行動全てを否定されて もう生きていく気力もなく 悔やんでばかりいます。 もういなくなりたい。 主人のところに行きたいです。 仏様は許してくだいますか? こんな私を、お迎えに来て下さいますか?

有り難し有り難し 30
回答数回答 2
2021/08/01

お坊さんが怖い

先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。

有り難し有り難し 169
回答数回答 6
2023/11/06

人を失った時の乗り越え方を教えてください

はじめまして ここ数ヶ月で大きな出来事が続きました。 この喪失感をどうにか乗り越えたく、知識をいただけますと嬉しいです。 8月に直属の上司が精神的不調で離職しました。私は転職で入社してから数ヶ月しか経っていなかったこともあり、その上司に頼りきりでした。今は自業務と上司の業務を1.5〜2人分担当しています。業務量や慣れない業務にストレスを感じています。 8月末に父が他界しました。がん闘病の末の自死でした。父を喪った悲しみはもちろんですが、父が感じていた辛さを思うと、今も胸が締め付けられる思いです。 10月に婚約者と別れました。上記の2点で、気持ちが落ち込んでしまい、婚約者の優しさに甘え過ぎていたと思います。ここ最近、結婚準備を進めるときに、気が重そうにしていました。「一緒に住むのを先延ばしにしたい」と言われて、別れを決めました。 とにかく辛くて、毎日生活するだけで精一杯です。職場で涙が溢れそうになります。 本来ならば、私が母を慰めなければならないのに、母に気を遣わせており、情けないです。 辛い気持ちを乗り越える心の持ちよう、考え方など教えていただきたいです。 長くなってしまってすみません。

有り難し有り難し 19
回答数回答 3

何のために生きるか。

10年ほどお付き合いをしている人がいます。 彼は関東、私は四国です。 お互いに仕事が好きで、家族が好き。私自身、会社での立場もあり、また、親元を離れる事に不安もあり、何となく結婚話を延ばしてきてました。 そんな中、一昨年、子供を授かり、これがタイミングかなと。子供に気付くのが早く、もう少し経って成長が確認できてから報告しようと思い、仕事を続けていました。そうして過ごしていたところ、後輩が事故に遭い、しばらく出社できない事になりました。 その絡みで今まで以上に精神的にも肉体的にも忙しくなり、子供の状態が不安定になってしまいました。病院からはできれば数日は休みを取り、できるだけ安静にするように言われましたが、後輩が出社できないため、私まで休むと業務に支障が出ます。彼とも話し、どうするか判断は私に委ねると言われました。 まだ会社に報告する前だったし、他の後輩たちに迷惑はかけられない。けど、せっかく授かったもの。いろいろ考えましたが、私は仕事をとり、子供は初期の流産となってしまいました。 私の判断はどうだったのか。彼は子供の件を両親に伝えていたらしく、それらを思うと後悔の念が大きくなり、何がなんだか分からなくなってしまいました。そして昨年、休日を利用し四国八十八ヶ所をまわりました。 初期の流産は手の施しようがないとも言われます。しかし、私が自分自身をとっていたなら助かったかもしれない。彼も彼の家族も私を責めません。ひとりで病院に行かせたり、しんどい思いをさせてしまった。尚更、一緒になりたい気持ちが強くなったと言ってくれます。 八十八ヶ所まわり、いろんな人や物に触れ、有意義な時間を過ごせてよかったと思います。しかし未だにあの時の判断は良かったのか、迷ってしまう自分もいます。お互い歳も歳ですし、関係を続けていってもいいものか悩んでしまいます。これから何に生きるのか。答えが見えません。

有り難し有り難し 202
回答数回答 6

愛犬が昨日亡くなりました。

昨日、17年飼った愛犬が亡くなりました。 私が21歳の時、家族の反対を押し切って自分で買ってきました。 その後、結婚して引っ越しをしても犬を一緒に連れて行き、ずっと傍にいました。 11年前、私に子供が出来るとアレルギーが酷くなり、犬のお世話に子供のお世話にアレルギーとの戦いに疲れてしまい、何度か知り合いに愛犬を預けた事がありました。 しかし、愛犬は吠え続けるなどで預け先も手におえず、その度に家に戻ってきました。 私の家族と同居をしていたので、私の妹が面倒を見るという話しになり、妹の部屋で隔離状態で何年も過ごさせてしまいました。 暗い部屋で一人で何年も淋しい思いをさせてしまいました。 妹もだらしのない性格の為、小屋も汚く犬も汚い日々が数年続きました。 1年半前、年をとってしまい歩く事もままならなくなり、私のアレルギーも落ち着いてきたので、リビングに移動させ最後の1年半はずっと一緒に過ごしてきました。 ここ数ヶ月体調が悪化してからは、介護の毎日でしたが、本当に可愛くて可愛くて、放置してしまった数年間を悔やんでなりません。 亡くなる前、2,3日は私も心配で寝る事が出来ず、沢山抱っこして過ごしました。 亡くなる数時間前、もう力も残ってない中、最後の力を振り絞って何度も声をあげていました。 直ぐに抱っこしてあげると暫くして落ち着きました。 明け方まで起きて頑張ったのですが、気づくとウトウトしてしまい、朝起きるともう亡くなっていました。 亡くなる直前だったか、一度私が目を覚まし頭を撫でると瞬きをしてくれたのが最後になってしましました。 放置してしまった数年間、無責任に可愛いだけで買ってしまった事、本当に愛犬に申し訳なくてなりません。 最後の時間、一緒に過ごせた事が唯一の救いですが、本当に申し訳なくて苦しいです。 愛犬は私を恨んでたかなぁ。それでも好きでいてくれたかなぁ。 と今はただただ苦しいです。 話しを聞いて頂きたく、こちらに投稿させて頂きました。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

祖母に続き祖父を亡くしました

祖母を亡くしてから半年で祖父を亡くしました。その気持ちに整理がつきません。 祖父は最愛の祖母を亡くした後、体が弱り入院しましたが、コロナ禍で見舞いもできず、危篤の際に短い時間に1人ずつ面会できただけでした。 病院近くにホテルも取って駆けつけられるようにしていたのに、情けない事に亡くなる瞬間には間に合いませんでした。 初孫で本当に可愛がってくれたのに、こんなに突然二人とも亡くしてしまうなんて。特に祖父は、こんなに寂しい最期になってしまったのが悲しくて、申し訳なくて仕方ありません。 ただ、祖父母共にコロナなどの病死ではなく老衰だったので、天寿をまっとうしたのは幸いだったと自分を慰めていました。 そんな中「マスクを外そう」「コロナはデマ」と駅前演説をしている人達を目の当たりにしてしまいました。 それを引き金に、 「コロナ禍さえなければ、もっと祖父母に会いに行けたのに」 「入院した祖父をお見舞いに行けたのに」 「危篤になった祖父の手をずっと握っていれたのに」 「今際の際に独りにせずにいられたのに」 という気持ちがずっと頭で渦巻いています。 コロナはしかたない。感染対策の面会制限はしかたない。寿命はしかたない。 それで抑えていた後悔ややるせなさが、先述した活動・主張をする人達への怒り、腹立たしさとなって噴出してきます。 陰謀論やら何やら面白おかしく騒ぐ人達に向かって「じゃあ何ですか、私が祖父とこんな別れ方をしなきゃいけなかったのは、あなた方が面白おかしく言ってるデマや陰謀論やらのせいですか、こんな思いをしてる人も居るのに騒いで楽しいですか」と喚きたくなります。 そんな事あるわけないのに「こんな考えの人がいなければコロナはもっと早く終息していたかもしれないのに」と考えてしまいます。 いやそもそも、コロナなんて関係なく、もっと私が孝行していれば良かった。そうすれば幾分か気持ちもマシだったかもしれません。 これは八つ当たり過ぎないのだと思います。 ただ、 祖父の四十九日を心穏やかに迎えるために、 祖父母を偲ぶ際にこんな恨みのような気持ちを持ち出さないように、 この怒りを落ち着ける方法など、何かご教授いただけたら幸いです。 ここまでご覧いただきありがとうございました。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

昔、体験した不可解な体験について

私が霊の存在を信じる原因になった小学生の頃にUSJ近くのとあるホテルで体験した不可解な体験です。 私は家族旅行でそこに泊まる事になったのですが深夜に目が覚めました。私はふと、浴室の方の明かりが点いていたのが気になりました。 浴室には誰かが入っているようでシャワーの音がしていたのです。その時は母親が入っていると思いました。しかし、横を見ると両親は寝ていました。 私はその時点で怖かったのですが浴室から目が離せませんでした。しばらくすると、浴室の扉が開き中からバスローブ?を身にまとった女性が出てきました。女性はゆっくりと私達の寝ている部屋へと入ってきます。まだ幼かった私はその女性を(あれはお母さんだ。あれはお母さんだ)と頭の中で必死に唱えて現実逃避をしました。しかしその女性は私のベットの後部まで来たので私は目を瞑りました。 でも、やはり気になるものでして目を開けてしまったんです。その女性はもう、私の枕元に立っていました。 もうそこまで来ると目線をそらせませんでした。そして、女性はゆっくりと前屈みになって私の顔を覗き込んできたのです。その女性の顔は母親の顔ではなく目の部分はポッカリと穴が開いたように真っ暗で見えませんでした。 そこで、私の意識は無くなり翌朝、目が覚め母親に夜に風呂に入っていたかと質問しましたが答えはNOでした。 この一件後私は霊の存在を信じるようになったのですが今でもこの体験は私の頭から離れません・・・。 私を覗き込んできた時の女性の顔は今でも鮮明に思い出せます。 一言でこの体験を言い表すなら恐怖です。 霊の存在を信じさせてくれた面では今思えば体験できて良かったと思ってはいますがやはり怖いです。 そこでお坊さんの皆様にお聞きしたいです。 この女性は何故、私の目の前に現れたのでしょうか・・・? 何かがしたかったのか?何か伝えたかった事があったのでしょうか?この体験自体なぜ体験したのか今だに分からず考えてしまうのです。 どうかお坊さんのお考えを教えてください。

有り難し有り難し 49
回答数回答 3
2023/06/23

自殺した職場の人が忘れられない

私は半年前某神社の巫女をしておりました。入社当時は、崇敬神社に奉職できたことを心の底から喜んでいたのですが入ってみるとそこは、新人いじめ、パワハラ、セクハラの連続の場所でした。毎日先輩と揉めながら生きていた中で、同じ境遇にいた1人の神職さんと仲良くなり2人きりになった時にはとても仲良く、くだらないことばかり話していました。私にとって唯一の息抜きでした。 でもある日先輩の巫女から「あんな風に親しく話してたら2人とも恋人って思われるし、皆あんたらが出来てるんじゃないかって噂してるよ、もうちょっと職場なんだから分別持ったら?」と言われ、臆病な私は以前より彼と話すことをやめました。 月を増す毎に彼の言動が暗く、鬱みたいになり、またそれを見て皆悪口を言うという構造になりました。私はそんな彼に何も言葉をかけませんでした。みんなと同じで無視していました。昨年の11月のお休みの日に神社から電話がかかってきました。上司の第一声が「○○くんが(その神職さん)亡くなりました。自殺です。」でした。 その時のあまりにも冷静で淡々とした声が忘れられません。 次の日職場に行くと皆笑ってました。 誰1人喪にふくすような気配はなく、皆いつも通り仕事をして、冗談を言い、楽しそうに何も無かったかのように生きてました。その無くなった方をいじめてた張本人も私に冗談を言って笑わかせに来たりしていました。私はその光景が気色悪くて、トイレに行って吐きました。その後仕事が出来る気力がなかったので早退をして実家に帰りました。精神錯乱状態になり、そこからは職場に1度も戻らずそのまま退職しました。私は彼のことが忘れられません。彼の死を教訓にして生きるということもできません。彼の笑顔や立ち姿、雑談していた時の声全部忘れられません。どうして私はあんなバカ達の言うこと聞いて彼を無視してしまったんだろう。どうして神様は彼の命を奪ったんだろう。どうして皆自分の罪を認識できないんだろう。どうして彼が勝手に死にたくて死んだなんて言えるんだろう。私は彼は自殺じゃなくて、私含めて職場の皆で殺したと思っています。本当にごめんなさい。どうやって償えばいいの? そもそも償う資格なんてあるの?毎日自分で考えては泣いています。どうしたらいいでしょうか。神様に対しての信仰心や諸々揺れ動いている自分も嫌いです。 私に生きる資格なんてあるんでしょうか。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

母の死と後悔

はじめまして。 苦しくてこちらのホームページにたどり着きました。 昨日、病院に長期入院中の母が亡くなりました。 血流が悪くなる病気で、1年ほど前から痛みが酷くなり、足指から壊疽が始まり、痛みのために1人では何もできなくなった時点で大学病院に入院。足指を切断しました。手術後、今度は肺気腫が悪化、肺炎を起こし、何度かは覚悟を、と言われながらも、なんとか持ちなおし、病院を転々としながら半年が経ちました。 術後の傷口は塞がら無いまま、痛みも続く中、リハビリも無理で、ほぼ寝たきりになったため、家に帰りたがる母を我慢させて、入院を続けさせました。 コロナのせいで、半年間で会えたのは、手術時や転院の際の5回のみ。最初のうちは携帯を使えていましたが、だんだんと通話も無くなり、会話もほぼなくなりました。 結果的には痛みと孤独に耐えさせて、ひとりぼっちで、旅立たせてしまったのです。 最善は何かと探り続けていましたが、コロナの規制が厳しく、私の判断が鈍っていたのかもしれません。 病院にいることが母にとって最善だったと、今になって思うことが出来なくなり、一人で旅立ってしまった母が、かわいそうで、悲しくて、心が潰れてしまいそうです。家に連れて帰り、在宅看護を検討できなかったか、入れる施設は必死に探したものの、在宅は無理だと最初から諦めた自分に一生後悔をすると思います。 もっと母と一緒に居てあげたかった。母とおしゃべりしたかった。 自分の家族の前では明るく振る舞うため、心と身体が分離していく感覚が恐ろしく感じています。 どうやって心を保っていけばいいでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 70
回答数回答 2

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ