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hasunoha 問答検索結果 : 「 悟り 」
検索結果: 2103件

49日までの間、残された私達がするべき事!

父が、急死して母は毎日泣いてます。 「お父さんは自分が死んだ事に気付いてないと思うから、あっちにいけるか心配」と母は言います。 もちろん、ささやかですが葬儀を済ませ、実家には毎週、曹洞宗のお坊さんがきて下さりお経をあげて下さってます 実家へも車で片道三時間かかりますが、出来る限り私も行って、父に手を合わせ「お父さん大丈夫だからね、私達も頑張るから!」と声をかけに通っています。 父は、一瞬過ぎて、死んだ事にきづいていないのでしょうか? 私達の事は見えているのかな? 49日までに、してあげると良い事、その後出来なくなる事など何か些細な事でも、ありましたら教えて頂けたらありがたいです。 一番近くにいた父がなくなり、49日までのお互いの過ごし方やマナーなど、きっと知らない事もあるのでは、と不安です。 お花、お経、ロウソク、通常のお供え物の他に仏様が、喜んでくれる物や事もあれば、ぜひお教え下さいm(__)m いまだから、父にしてあげられる事、してはいけない事、初歩的な質問かも知れませんが、改めて教えて下さいm(__)mませ。 お忙しいところ、最後までお読み頂き感謝です ありがとうございますm(__)m よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 41
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なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。

 社会や宗教はよく、「人は人を殺してはならない」と説きます。しかし、僕はこの問いに対して自らの内に納得できる答えを出すことが未だできていません。  決して僕自身は人を殺したいとは思いませんが、僕は別に人を殺したいなら殺してもいいと思うし、殺してしまったらならそれは仕方がないと思っております。  よく、自分が殺されたくないなら人を殺すな、だから人を殺してはならない、という回答を散見します。しかし僕はこれに納得していません。その相手が憎くて「殺されてもいいから、殺してやる」と思う場合、人を殺してもいい、ということになってしまうからです。  僕は度々報道される殺人事件のニュースを見ると悲しくなってしまうのです。「なぜ人は人を殺してはならないのか。」この問いに対する真実の答えがこの世のすべての人に知れ渡れば、殺人事件や戦争などという悲しい出来事がなくなると思うし、自殺もなくなると思うのです。  僕は決して殺人を犯した人がいなくなればいいなどとは思いません。殺人を犯してしまった人も、この地球に生まれ落ちた我らが同胞であり、兄弟であり、愛すべき存在だと僕は信じているからです。  そして、僕は生きる苦しみから逃れたい、自殺したいと思っていた時期がありました。自殺も、つまるところ「人(自分)が人(自分)を殺す」という事象に当たると思っています。自殺もいけないことだと真っ向から否定してほしいのです。  僕は生きる悦びを手にし、その生きる悦びを愛しているので自殺することはないと思います。しかし、この地球上に生まれ落ちた愛すべき存在を、殺人や自殺などといった形で失うことを、僕はただただ悲しいと思うことしかできないのです。  また、自殺の方法として餓死を選んだ場合、人は生きる苦しみから解放されるのでしょうか?一般的に自殺は生きる苦しみからの逃げ、だと僕は思っています。自殺の方法として餓死を選んだ場合、それは生きる苦しみと真っ向から向き合うことだと考えています。  近い将来、自分が餓死による自殺をしてしまうのではないか、と不安になる時があります。

有り難し有り難し 32
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戦争が怖い。侵略が怖い。強い者が怖い。

 初めて質問いたします。  恐怖に打ち勝つお智慧を、授けて頂けたら嬉しいです。     先日、ロシア軍がウクライナに侵攻を始めました。 (ご回答をいただく頃には決着がついてしまっているかもしれませんが、何卒ご回答をお願い致します。)  成人してから初めての、しかも先進国同士の大きな戦争に激しく動揺しています。両国共に言い分があり、外交上の話し合いで解決できず、政治外交手段としての戦争というのも、大人ですからわかっております。  (本で読んだり、話で聞いて)私は子供の頃から戦争が本当に恐ろしく、家族や自らが無事であるようにずっとお祈りをして生きてきました。大きくなってからは、正しく怖がれるように、軍事や外交の勉強もしました。  それでもやはり今回の侵攻は恐ろしく、ネットには次々と悲惨な報が上がって来ています。現地の方が苦しんでいるニュースに接し、私は居ても立っても居られないほど苦しく、恐ろしいです。そんな中、ウクライナは弱いから攻められた、日本も核武装しないと攻め込まれる、ロシアに舐められたらいけない、という意見も散見されます。  勝てば官軍という言葉があり、この世の中で強さ(暴力?権力?)が何よりも強いことはわかっています。ただ、どうにも腑に落ちないのです。  一般庶民がどんなに努力してもプーチン氏のような絶対的な強者にはなれないでしょうし、国の武力も米露レベルに追いつける小国はそうそうないでしょう。  実力主義の残酷な世界の中で、私のような弱い者は強者大国に震えながら生きていくしかないのでしょうか。お釈迦様が修行されていた頃のインド地域はもっと過酷な状況だったと思います。歴史の中の戦争よりもマシだと思いながら、諦めて生きていくしかないのでしょうか。  開戦の報に接し、同じように怯えている方も多くいらっしゃると思います。  どうか、この恐怖へのアドバイスを頂けますととても助かります。  どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 58
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密教における欲、怒りについて。

昔、私が学生だった頃、大学でインド哲学を学んだ人から、こう教えられました。「初期仏教では人に属する欲は全て良くないものと全否定されるが、時代が経てだんだんと欲は肯定されていって、仏教の最終段階である密教では「セックスは菩薩の境地だ!」と教えられるのですよ。そうやって密教では性も含めあらゆる欲が全肯定されるに至るのです!」と。 また同時に、弘法大師を信奉するある僧侶の方が「日本人は怒れないないからダメなんだ!」と仰り、その言葉を持って、先の人からは「(人に対して社会に対して)もっと怒れ!怒れ!」と、私は言われ続けました。 私は{密教では怒りの感情も人間に属する<聖なる属性>として肯定されるのか。。}と思い、それからというもの、私は何かと「怒り」を持って親や世間の人たちに接し、それが故に大きな軋轢を家族や人々との間に作ってきました。 今はそのようなことすべてを後悔しています。 私も老齢を迎えつつある今、お釈迦様の言葉や弘法大師の「四恩十善の教え」を知るなかで、実際のところ、密教では「欲」や「怒り」はどのように扱われるのだろうという疑問が頭から離れません。 彼らが言ったように、欲や怒りは密教では「善きもの」なのでしょうか? そのように肯定されるものなのでしょうか。 お釈迦様の教と密教はそれほど違うものなのでしょうか。 どうぞお教下さい。

有り難し有り難し 56
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この世からきれいに消えたい

 同じような悩みはたくさん寄せられていますし、わざわざ質問するのもどうかと思ったのですが、アカウント登録してしまいました。 自分はとにかく面倒くさがりです。 この世で起こっている出来事は絵物語のようです。 わざわざ苦労してまで生き続けるのはやはりナンセンスです。 断食や息止めも試しましたが長く続きません。 いっそ不食者になりたいです。 断食のコツも知りたいです。 片付けも遺書も中途半端になってしまいました。 人とかかわるのもやめれたらいいんですが、そこまで徹底できていません。 創作が好きではありますが、同じようなことがぐるぐると巻き起こっている世界でわざわざ物語やら何やらを創造するのもな……と虚無感が起こります。何か物凄い情熱でもあればよかったのかも、と考えましたが、あったらあったで気分が悪そうです。 前のめりだったときに出家しようかとお坊さんに問い合わせたことがありましたが、実際の差別だとかの話を聞いてやっぱり違うと思いました。  生かされているだとか感謝の気持ちが大事とはよく聞きますし、そんな心構えの方がまともなんでしょうが、私は自分の意思と関係なくなんかよくわからないままに生まれさせられたのだと思います。もし生まれる前の世界があるとすれば私は生まれたくないと言ってどこかに隠れるはずだからです。 どうにかして今生ですべてを断ち切れたらいいなと思います。 この世からきれいに消えれたら幸せです。 生きながら無の境地に達するとどうなるんですかね。 どんな仕事でももくもくとこなすのでしょうか。 はたまた大勢の人を救うような活動でもするんでしょうか。  心境を述べているだけですが、何かコメントをいただけると参考になります。

有り難し有り難し 49
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「負の感情」の対処法(コツ)についてお教え願います

いつもお世話になりありがとうございます 私がずっと執着し依存しようとしていた心理カウンセラーのメルマガ配信を年明けに解除しました PCやスマホの”お気に入り”に入れていたブログやサイトも消去しました 心理カウンセラーの高額な「じぶん開発プログラム」なるモノは期限付きで特典を付けて、「自分が変わるのは今ですよ!」と購入を煽っていて、年末3日間は日に3度もメールが配信されてきました 特典付きの期限は、12月31日23時59分59秒… 前回質問した後よく考えて、このプログラムについては「受けない」と決めました 主人やhasunohaのお坊様方のお蔭です この案内については、期限が切れたら相手はどう出てくるのかなと思って解除せずいた処、購入を勧める文面の中に、 「迷っている人は連絡ください、私がどうにかします!(笑)」 という一文があり、とても違和感を持ちました hasunohaでたくさんのお坊様のお言葉を頂き、「あなたはあなたのままで良い」と言い切ってくださった方がお一人ではなかった事や、現実に目の前に居る主人や友人が客観的に「それはおかしいよ」と言い続けてくれた事により、なんとか抜け出せたのだと思います 混乱の真っ只中に居た9ヶ月間は、身体にも変調を来し頭の中は「潜在意識」という言葉でいっぱいになって、他の事は考えられないような状態になってしまっていました そこから引っ張り出してくださったお坊様方、主人、友人には心から感謝しております あとは、長期間ネガティブにどっぷり浸かっていたので、過去の”ネガ”も含めてこびり付いた”負の記憶”を「過去のモノ」として受け流すコツがあれば教えて頂きたいです 過去のQ&Aを拝見すると、「あるがままを受け入れる」事なんだろうと思いましたが、どのように心掛けると「あるがまま」を受け入れる事が出来るのでしょうか? 「善と悪」とか「100と0」というような偏った見方をしない事、というお言葉も頂きました 私は、「白か黒か」というタイプのようで、「こうだ!」と決め付け易く、更に「負の感情」が出易い性質だと思いますので、それを改めて心穏やかに過ごしたいと思っています 今の自分の性格ではとても疲れるので… 「あるがままを受け入れるコツ」「出来事や人物の見方のコツ」「俯瞰的に見るコツ」等を教えて頂けないでしょうか?

有り難し有り難し 90
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仏教と神道

 こんばんは。先日は私の質問に真摯にご回答下さりまして、誠にありがとうございました。こちらで質問させていただいて、お坊さま方の回答から今後の生活のヒントになることを沢山学ぶことができました。本日は、さらに質問したいことがございますので、ご迷惑かとは存じますがご回答頂けますと幸いです。  私は、仏教について勉強していく中で、日本では仏教と神道が結びついて独自の文化を形成してきたということを学びました。それは、ヨーロッパのような激しい宗教対立ではなく、大乗仏教の柔軟な教えがあったがゆえに土着の信仰を包摂できた結果生まれたものであり、世界の中でも珍しい信仰体系であると思います。  しかし、仏教の教えと神道の教えは相容れない所があるようにも思い、そこが自分の中で考えの整理がつかない点でもあります。例えば、先祖崇拝はもともと仏教の教えには無かったと学びましたし、神道の荒魂・和魂といった概念も仏教の教えとは異なるもののように感じます。この両者の教えの違いをお坊さまはどう整理されているのでしょうか。  なぜ、このようなことを申し上げたかと言いますと、私の実家の信仰と上記の問題が関連しているためです。私の実家の宗旨は浄土真宗なのですが、仏壇の他に神棚もありますし、両親は仏壇の他にも調理場や庭石などにお供えをしています。また、お寺にも神社にもお参りに行きますし、お墓へもお参りに行きます。これまではこれらを当たり前のこととして受け取っていたのですが、仏教を勉強していくうちにこれらの習俗に対して疑問が湧いてきてしまいました。  浄土真宗を信仰する家庭では、神棚は基本的には置かないと伺っております。また、死んだら即成仏という考え方であるため、位牌も必要ないと聞いております。しかし、私の実家には神棚もありますし、黒塗りの位牌もあります。この両者の間の矛盾をどう整理すれば良いのでしょうか。菩提寺の住職様に質問はしてみたのですが、曖昧な答えで納得のいくものではありませんでした。私は、人生を生きていく上で道標となるものを得たいと思い、仏教の勉強をしてきたのですが、現実の生活に活かせるように整理しようとすると、矛盾点が多く悩みはむしろ以前に比べて増えてしまっているような気がします。  お忙しいと思いますが、お坊さま方のご意見を伺えましたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 47
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