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hasunoha 問答検索結果 : 「 懺悔」
検索結果: 2029件

転身してお坊さんになられた方々への疑問

初めまして、この度自分では消化できない思いが芽生えまして。 お時間のある時に疑問に答えて頂けたらと思います。 先日、身内に「お坊さん方が相談にのって下さるサイトがあるんだよ」とこのハスノハを紹介したところ、身内が「なんか脱サラして僧になった人や元プロレスラーの僧がいるんだな……」となにやら神妙な顔で呟いたなと思いきや、 「この人らって僧になる前に大なり小なり犯した罪ってどうしたんかな?」 「人の悪口を言ってしまった、ネットで誹謗中傷してしまっただの相談に説教かましてる坊主がいるけど、この坊主らは今までやってきた前職でおかしてきた罪や行いはどう折り合いつけたんだ?」 「例えば元プロレスラーならそういう職業とはいえ汚い言葉で相手に暴言吐いたり殴ったりしただろうに」 「仏の道に入るんだから前に殴った相手だとか1人1人にちゃんと謝罪したんかな?それとも仕事だから別に悪い事じゃないとか思ってんのかな?もしくは過去は過去ってことでその事は切り捨てたり忘れたりしてるのかな?仏道に入ればそういう行い全部帳消しになったつもりでいたりするんかな?」 「なんにも過去を清算してない坊主が、ここで必死な思いでどうしたら良いか相談しに来られてる方々に説教してる姿に違和感がある」 「自分の事棚に上げて説教してるんならある意味偽善者よりタチが悪い気がする」 と、そのような事を言っておりました。 私はそれを聞いた時にギョッとしたものの、確かに…とちょこっと共感するところがありました。 お坊さんになられる前の職業でいろいろあった方々がいらっしゃると思いますが、過去の自分の行いにはどのように向き合っていらっしゃるか教えて頂きたいです。とても気になります。

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僧侶の威厳と戒律

毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。 私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか? それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。 「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。 現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか? ぜひ、ご意見をお聞かせください。 ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。       私は本当に仏教に救われたと思っています。

有り難し有り難し 102
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お坊さんの戒律に関する質問です

僕は来年僧侶になる予定の高校生です。 お坊さんの戒律の現状に関して皆様の意見を教えてください。 明治以降、国の政策によってお坊さんは肉食、世帯、飲酒、その他諸々の戒律を守らなくてもよいことになりました。 そして国家の規定による持戒は戦後の信仰の自由の徹底化によって可能性はほぼ無くなりその状態は今現在も続いています。 以前こちらでも活躍されている大慈さんの配信で僧侶の肉食、世帯に関する質問をしたのですがその際に ・肉食は栄養の問題で必要だし仏教の教義としても問題ない ・世帯は無条件の良い事では無いが寺を継ぐ後継者を育てていくためにも必要 ・これらの問題は全てを解決できる答えが無いから考え続けることが大事 という様な答えを頂きました。 僕も大慈さんのお考えに感銘を受け、すぐに結論を出さすこの問題に向き合う事にしました。 しかしすぐに結論を出さないという事は問題に向き合う事に消極的になるという事では無く様々な意見、主張を聞き考え続けることだと思います。 そこでここにいらっしゃる僧侶の方々の肉食、世帯に関する意見をお聞かせください。 また、大慈さんは戒律の問題を一括りにはせず肉食と世帯を別の理由でもって語って下さいました。 確かに一つ一つ事情は異なっているので僕も個別に考えようと思います。 そこで肉食、世帯に加えて飲酒や金銭に関する問題もお伺いします。 今現在の僕の意見としては、しょうがない理由のある肉食や世帯と違い嗜好品としてのお酒やお寺を支えるため、生活するため、将来のための貯えを超えた過度な儲けと散財はある程度宗派、教団で規制してもいいんじゃないかと思うのですが皆様はどうお考えですか?

有り難し有り難し 33
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2024/12/18

過去の過ちとこれからの生き方

閲覧いただきありがとうございます。 過去の過ちついてです。詳しい内容はプロフィールに記載し、お坊さんにのみ見れるようにしています。ここに書く勇気もなくて申し訳ないです。 この過ちについて私は、反省も、罪悪感も、罪も、一生背負い、そして二度と同じ過ちを繰り返さないよう生きていくべきだと思っています。 質問が5つあります。 1 罪の背負い方の認識が正しいかお聞きしたいです。朝起きたときから、日頃生活しているときも「自分は加害者だ」と心の中で自分に言い聞かせ、一時も忘れないよう生活しています。正直なところ、それがすごく苦しいと思ってしまいます。ですが被害者の方のほうが比べられないほど苦しかったでしょうし、この背負い方で正しいのならば、この先もそうするつもりです。 2 小学一年生のときの過ちについて。私はこの被害者の方と現在同じ学校です。クラスは違うのですが、たまにすれ違うことがあります。謝罪をするべきなのかと迷っています。やってしまったことについての謝罪はするべきだとは思いますが、当時のことを思い出させてしまうのではないか、本当は自己満足で気持ちを軽くしたいだけなのではないか、と思ってしまいます。私のこの考えは逃げているだけなのでしょうか? 3 小学二年生のときの過ちについて。私には親友がいて、その親友は、私が傷つけてしまった方のことを好きだったという話を耳にしました。このことから、私は親友の子と関わっていていいのかと考えています。そもそも、私はその子に限らず友人と接していていいのでしょうか。 4 私は本当に周りに恵まれていて、母に今度プレゼントを買ってもらう話をされました。ですが、最低な過ちを犯した私がそんなことをしてもらっていいのでしょうか。両親に優しくされればされるほど申し訳なく、苦しいのです。どうしてこんな優しい人たちから私が生まれてきてしまったのかと思います。この気持ちをどうすればいいのでしょうか。 5 自分のしたことは許されないと自覚しているのに、「反省していない人よりマシだ」と思ってしまう私がいます。結局は自分のことしか考えられていない私が大嫌いです。この考え方は、どうしたら変えられるでしょうか 長文でごめんなさい。こういう文を書く機会が少なく、言葉遣いがおかしなところがあるかもしれません。

有り難し有り難し 21
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2025/04/08

妻の妊娠の発覚、不安と後悔してしまう

最近、妻の妊娠が発覚しました。妊娠初期の段階ですが、妊娠の報を聞いた瞬間から急に様々な不安や後悔が浮かび上がり押しつぶされたような気持ちです。不安と後悔の内容は以下に箇条書きさせていただきます。私のこれまでの行いはとても聖人君子と言えるものではないので、非科学的ですが妻やお腹の子供に報いや祟りが降りかからないか不安です。これから、贖罪ではないですがこれまでの行動を反省するには、どのように報いて生活していけばいいでしょうか? 祟りという表現を使ってしまいますが、これは私自身の現在や過去の言動がまわりまわって私自身や妻や子に影響を与えるのではないかと考えてしまうからです。 <不安、後悔> ・生まれてくる子供が障がい等なく生まれてくることを望んでしまう。 ⇒障がいがある人やその親御さん達に凄く失礼な感情ではないか、自己嫌悪をしてしまいます。 ・出生前診断をすると夫婦で話し合い決断したが、つい気持ちが揺らぐ。 ⇒もし障害があると分かった時に決断できるか、そもそも診断を受けることが自然の摂理に反することではないかと思い、子どもに何か祟らないか不安です。 ・妻の妊娠が発覚するまでに、何度か夜のお店に行ってしまった。 ⇒妻への申し訳なさと、これも子どもになにか祟りや影響しないか。今後、どのように償えばいいのでしょうか? ・私自身が子どもの頃に、障がいがある方に嫌悪感や馬鹿にする気持ちがあった。 ⇒今ではとても後悔し猛省しているが、障がいを持つ人の形態などを気持ち悪いと思ってしまった。 ・妊娠が発覚後、思い出したように実家の仏壇やお墓、神社にお参りをしているが、こういった行為自体が自分がいかに浅ましいのかと考えて嫌悪してしまいます。⇒普段は命日や彼岸、お盆や正月ぐらいしか禄に参らないのにこういった不安がある時だけ何かに縋るようにお参りしてしまう自分がとても利己的で刹那的に思えて嫌いになってしまいます。 冗長な文章ですが、結論としては過去や現在の行動が妻や子どもに祟りや報いとして降りかからないか不安でそれを解消するにはどうしたらいいかを相談したいと考えております。

有り難し有り難し 3
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2025/04/15

世界と未来が恐ろしい

今はそれなりに平和に生きています。衣食住に困ってもいないし、まだ戦争に巻き込まれているわけでもないと思いたい。世界的に見ればものすごく贅沢な生活をしていると感じています。だからこそ、この生活が終わることを恐ろしく感じ、また、今の生活を続けることに罪悪感もあります。 人間でも、自然界でも、未だに殺生は行われ続けています。私も肉や魚を食べることだってありますし、コーヒーやチョコレートを口にすることだってあります。けれど、これ自体が何かへの加害、搾取であることも事実です。電気や水を使うことは自然破壊に繋がります。けれど、この生活を誰かに明け渡せと言われても拒否してしまう浅ましさがあります。 今の生活は何の根拠も無しに何故か成立している宙ぶらりんなもので、ちょっとした間違いで崩れ去ってしまいます。そして、世界的に見ればそのバランスは日に日に悪くなっているように思います。終わるかもしれない生活、何かを傷つける生活を続けるのが怖いというのに、どうしても、今の生活が続くことを望んでしまいます。 安心して生きていたいだけだけど、自然界で天寿を全うできる生き物は少数派なのだろうという現実、解決策が見つからず悪い方へとばかり進む人間社会、オカルトな視点から破滅的根拠ばかりが積み重なる7月5日(都市伝説、占星術、仏滅)。これらが重なり、今になって自分の命と生活を惜しんでしまいます。 生物の命や感覚や自我を作り出しているのは、脳味噌や神経などの生体反応でしかありません。つまり、例え死んでもまた物質世界のどこかに生まれてしまいます。それが恐ろしい。死よりも、死に至る苦痛が恐ろしいのです。 要約すると「未来が怖い」ということになるのでしょうか。全てを忘れて自分の生活に集中していれば心は楽ですが、それは正しいことではないように感じられる。かといって、自分の全てを投げ打って他者の為にだけ生きる正しさを実行する勇気もない。そして、いつかはどう足掻いても残酷な流れの中に放り込まれる。それはこの命のうちかもしれないし、この命が終わってからかもしれない。けれど、いつか必ずそれは起こる。極楽浄土が本当にあればいいけれど、人間が発生する前、恐竜の時代にも極楽浄土はあったのでしょうか。 とりとめのない文章になってしまい申し訳ありません。解決策などないことも知っています。世界は信じるに値しますか?その根拠は?

有り難し有り難し 22
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Jアラートの朝に

自分の預かり知らぬところで、生きていいいのちと奪っていいいのちの選別が行われる。少し不快になったら「死ね」と言う人々が多い小中高時代でした。故に、生きる権利は簡単に奪われるものであるもののように思います。 実際に「不快だから殺す」が個人レベルではなく国家レベルで行われる可能性があり、それがもうすぐそこまで来ていること、発射ボタンひとつで何の心構えもできないまま全てが終わることを感じた今朝、不安と恐怖に耐え切れず、書き込ませて頂きます。 物理的要因で人間は簡単に終わらされます。凄惨な死は避けられず、成す術もない。自分はあまりに無力で、何をしたって意味がないと自暴自棄になりそうです。楽観はあてになりません。苦しみと凄惨な死があるだけです。何かを信じるのも怖いです。 自分について上手くいくイメージができないことと社会的な問題が解決する見込みが得られないことで、人生に希望を持てずにいます。意欲は薄れ、渦巻く感情を持て余し、生きていけないのに生きていようとします。 物理的問題は高潔な精神でどうにかできるものではないのです。「全てが自分の思い通りになるなら何がしたい」と考えた結論は、「存在していたくない、あらゆる感覚を捨て、物理的世界から完全に解放されたい」でした。 「みんな辛いのに頑張って生きている、辛いことを我慢して適応しなければ生きていけない」 ただ吐き出したいだけ、甘えたいだけなのだと思います。本当は他人の言葉を聞き入れる余裕もなく、それだけで死にたい、死ななければならないような気になります。 駄目でした。やはり生きることが難しいです。

有り難し有り難し 34
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合掌の意味

職場で、感謝の気持ちを込めて手を合わせて 「ありがとうございます」 を伝えていたところ、 私、仏様じゃないんだけど!!! と二人の方に別々に注意されてしまいました。 勿論、誤解されてまでその方たちに行おうとは思いませんが、 一般的にその様な合掌は正しくないのでしょうか。 インターネットで検索しても、 外国の人が間違ってしてしまっているおかしな日本の文化だ! 若い人がするのを見るとイラっとする! 等あまりよく思われていないようです。 私にとっては、お寺さんやお墓、仏様で手を合わせることも、 いつもご先祖様や私たちを守ってくれている仏様やご先祖様達へ感謝と尊敬の気持ちで行なっていましたし、 ご飯のいただきますの合掌も、 食材や食卓に並ぶまでの多くの人たち、 食事を頂けるということへの感謝と尊敬の念を込めてすると教わり、 そうした気持ちで手を合わせてきました。 お坊様の丁寧なお辞儀と手を合わせたありがとうございます、の仕草が暖かさを感じ好きだったこともあります。 いつの頃からか、 ありがとう感謝します、有難いことです。 を伝えるジェスチャーとして、度々使っていたため、 ちょっとショックでした。 合掌のそのような使い方は正しくないのでしょうか? お坊様のそうした合掌とはまた違ったものなのでしょうか? 本来、合掌の意味とはどんなことなのでしょうか?

有り難し有り難し 55
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不倫10年 相談することすら迷います

私は独身です。相手が3人のお子様がいて、会社でも重要な位置にいます。始まりはごく普通でした。10年も今続いてしまっています。 何十回自分から別れを告げ、寂しいけど頑張ろうと思ってひとりになり、少ししたら連絡があります。彼の弱った時に。それを無視しなきゃいけないのはけど、助けることを名目に私が結局好きで連絡を受けてしまう。その繰り返しです。 彼は奥様のことや家庭のことは話しません。 この10年、始めの5年は一緒になりたい、結婚しよう、奥様とも離婚話はされたみたいです。 でもここ5年はそのようなことはないです。 先の話をすると先のことはわからない。 連絡してごめん、です。 家庭があって仕事でも重要な位置があって、そのストレスの癒しを私に求めてるだけで、不倫の典型的なところだとわかっています。 子供2回おろしました。彼は産んでいいと言ったけど、産んで万が一表沙汰になったら彼の立場が。。 そして彼の3番目の子供さんは昨年生まれたばかり。奥様とそういうことがあることに、わかってたはずなのにショックでその時も離れました。 都合のいい女なのも、連絡無視すればいいのもわかってて。。いやわかってるつもりなだけですよね?自分を大切にできていないんですよね。 身体だけが、目当てやろとも思ってますが、 それを伝えてもそう思われても仕方ないけど愛をこうしてしか伝えられないと。 本当に彼の家族も子供も傷つけて自分も傷ついて 彼のことも本当の愛があるなら彼のことを思って離れることも、結局自分が可愛くてできない弱さと。 10年。愛しているのは確かです そしてもう35さい。自分の人生の不安もあります。 彼の子供だけ欲しいと思うこともあります。 最低ですね。 彼の家族のことも申し訳ないとは心から思いますが、本当の意味で思えてないから続けてるんですよね、私。 自業自得で最低なわたしで、悲劇のヒロインになってるだけかもしれない私ですが、 自分の人生の責任は自分でとらなきゃいけないので、言葉にするのは難しいのですが、 どのような心持ちでいてどのように整理すればいいのかアドバイスいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 1061
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