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問答一覧
2025/06/01

娘との関係について

以前も娘との関係について相談させていただきました。 高3の娘との関係についてです。以前娘から、私のした言動で私を嫌になり、コミュニケーションを取らなくなったと言われ、謝ったのですが関係は変わらず、モヤモヤとした日々を過ごしていたのですが、あまりにも態度がひどいことが続き、そんなに許せないのか?と聞いたところ、幼少期から褒められたことがない、全て否定されてきたと言われ、自分の自己肯定感が低いのはそのせいだと思っていると言われました。要は、私と合わない、嫌いだと。 だからと言って、母親の私に変わって欲しいとも思っていない、人を変えるのは無理だから、そういう時は避けて通る方が楽。そうやって生きてきたと言っていました。 娘は小さい頃から自分の思い通りにいかないことがあると癇癪を起こすようなタイプで、夫と何度も悩みながら子育てをしてきて、AかBかの選択で親の立場からは絶対にAがいいと思うようなことも、娘がBを選べば娘の気持ちを優先し、娘に選択させるようにしてきました。ただ、こうすればいいんじゃない?というアドバイスはよくしていた記憶があるので、それを否定されたと感じていたのかもしれません。 私自身、父の暴力や、父の支配下に置かれたような家庭で育っており、母親にも助けてもらえなかったと感じていて、もちろん褒められた記憶もなく、自分が親に感じていたようなことと同じような思いを結局娘にも感じさせてしまったと思っています。 私も自分で人を褒めることが苦手だと思っているところがあり、褒める機会が少なかったのは確かだと思います。 娘にそんなつもりはなかったと言っても、娘が感じた気持ちが全てだと思いますし、弁解の余地もありません。 過去は変えられないので、これからどうするかだと思うのですが、娘が私を嫌いである以上、どうしたらいいのか悩んでいます。 もう大学生になりますし、これまでつけてしまった傷は修復できないのでしょうか?

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近所に犯罪者が住んでいます

初めまして。深刻な悩みを抱えております。どうか宜しくお願い致します。 去年、近所に住む70代の男性に私の父が刺されそうになり、逮捕されましたがすぐに釈放されました。裁判で、その男性だけは遠くへ引っ越さなくてはならず、家族に会いに来たりでこの近辺へ来るのなら被害者の許可が必要との判決が出ました。しかしその男性は、引っ越したものの平気で毎日来ており、またその家族も、謝罪もなければ弁護士からの通達(いずれは家族全員出て行かなければならないので、大体の時期を教えて欲しいという旨の手紙)も無視をしています。 その家には、同じく70代の奥さんと、娘2人とその子供1人で住んでいます。娘は離婚して戻って来ている状態です。反省をしているならまだしも、娘が同居していながら弁護士からの通達も無視をし、父親が毎日来るのを何とも思わないという状態です。 私には現在一歳半の息子がおり、どこに行くにもその家の前を通らなければなりません。しかし私は被害者の娘なので、その加害者家族の顔や家、声や洗濯物を見るだけでも怖くて、同時にどうしようもない怒りが込み上げて来ます。安心して息子を育てられる自信がありません。ようやく1人歩きをしだした息子を散歩にも連れて行けません。どうしたら良いのでしょうか。 ちなみに私が今住んでいる家を建てる際に、うるさくてすみませんという挨拶が少ないとのことで、私でなく父に包丁を持って怒鳴りに来たのですが、挨拶が少ないと言っても、月に3度くらいのペースで挨拶に行っていました。しかしある時いきなり、お酒に酔っていたようでしたが、急に殺しに来ました。怖くて怖くて、その家族の姿が見えるだけで、声が聞こえるだけで震えてしまいます。新築を建ててまだ半年です。引っ越すわけにもいきません。助けて下さい。

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読経

昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。

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いまさら応援出来ない

宜しくお願い致します。 夫を応援したいのに逆に問い詰めてしまいました。 私はどう考え、どう対応するのが良いでしょうか? 結婚してから義両親に悩まされ続けて来ました。 酷い事を言われるのは日常茶飯事で中でもお金の問題は大きく、夫の名前でローンをいくつも組まされました。 私は訳が分からず夫と度々喧嘩になりましたが、何故怒るのか理解出来ない様子で、俺の親が信用出来ないのか?と言われ絶望しました。 月日が経ち、予想通りローンの返済は滞り義親からは謝罪の言葉もありません。 そんな中親身に私達の現状と向き合ってアドバイスして下さる方を得る事が出来、夫もようやく目が覚めたようで、現状からの脱却に向けて夫自ら義親と真っ向勝負中です。 夫も今まですまなかったと、家族に頼まれたら断らないものだと思っていたと毎日謝って来ます。 それが義親の躾だったのでしょうね。 そこで私は本来なら夫の味方であるべきだと思っています。 夫も自分の親のやり方にガッカリ し、怒り、悲しみ、残された借金の返済に追われて疲れ果てて居ても家では明るくしようと気を使ってくれているのも知っています。 だけど、何故?何故こんなに長い間気が付いてくれなかったの?私の意見は聞けなくて、何故アドバイスして下さってる方の話なら聞き入れられるの?と過去の苛立ちが私を包んでいます。 今頑張ろうとしている人にこんな気持ちをぶつけてやる気を落とす様な事をするのは良く無いと分かっていながら抑えられず、夫にキツい言葉を投げかけてしまいました。 今なら私の気持ちが分かるの?なら聞いてよ!と今までの出来事が頭の中に押し寄せて来ている感じです。 どの様な気持ちをもって夫と接して行けば良いかアドバイスお願い致します。

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2024/01/27

夫に嘘をつかれた

夫は代四週目の土曜日は、午前中だけ仕事があり、夕食は、自分の好きな物を買ってきてと、頼んでいます。夕食代は、私が払っています。今日は、冷凍食品のラーメンを買ってきたと言うのです。でいくらだった?と聞くと250円と言うのです。で私夫が流しの中に捨てあったレシートを見つけてしまったのです。でそこには、ラーメン228円と書いてあったのです。で夫にもう一度いくらだった?と聞くと250円と言うのです。差額22円です。夫に嘘をつかれました。まぁ私が夫が捨てあったレシートを見つけてしまった事は、内緒にしてしまいますが、私は、差額の問題ではありません。夫に嘘をつかれた事に、ショックをえけ、信頼を無くしてしまいました。千円札しかなかったでお釣りある?と聞いたら、細かいのがないと言われたので、じゃ明日渡すねと伝えたのですが、このままレシートと一緒に228円を渡すべきか、レシートと一緒に250円を渡すべきか、レシートなしで228円を渡すべきか、レシートなしで250円を渡すべきか、どうしたらいいのでしょうか?夫は結構言い訳がとても上手いので、上手く交わしていくのではないかと思うのですが、私としては、こんな小さな嘘をつかれたと言う事は、他にも色々と嘘をつかれているのかと思うと、夫に対しての信頼がなくなってしまいます。どうしたらいいのでしょうか?

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浮世(憂き世)

 昭和初期の演歌というか流行歌の歌詞には浮世(または憂き世)と言う言葉が頻繫に使われました。  輪廻転生が真実となれば、この言葉は重要な意味を持ちます。  輪廻転生即ち心が永久に生き続けるということは、この世に死がある限り心は現世と来世(後生)の二つの環境を持つことになります。  到達が極めて困難な涅槃に依る智慧の完成を除けば、心は二つの環境のどちらが真実の住処であるかと言うことを考える必要があります。  当然死を伴う現世より来世が真実であることは明確です。  そこで現世に憂き世と言う言葉が使われるのだろうと思います。  現実に現世を生きることは大変です。  空気と水は兎も角、食料は殺生を伴うものが大部分です。  五戒にある如く殺生は悪の根源です。悪人でなければ生きることはできません。  しかし生きる為の必要悪ですから、ここから弱肉強食の世界が広がります。  現在の世界情勢の表れもこれが根源でしょう。  死ねば殺生は無くなりますが、心がそのままでは、再び転生が繰り返され、殺生を余儀なくされます。  現世では来世に留まるべく心の修行が必要になります。  これが仏教ではないでしょうか?

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