前回お答えいただきとても心が楽になりましたので 是非お世話になりたく投稿させていただきました。 今回もどうぞよろしくお願いいたします。 愛する娘を自死で兆候なく亡くしまだ愛してると仏壇に語りかけています。 そして娘の残した衣服、アクセサリーなど遺品がたくさん遺されて まだ涙が止まらない時があります。 娘の遺品を見るのは辛いのですが処分する気にはなりません。 私が使えるものは着用しても彼女は嫌がらないでしょうか?? 勿論彼女のお気に入りだったものはは大切にとっておきたいです。 (サイズが違うので着用できないもの多数です) 以前ニットやアクセサリーなど身に着けていましたが、 ネットでサイキック霊感のある人に依頼をしていたことがありました が娘が嫌がっているから着用しないでと言われました。 霊感の人への依存を断ち切りました、ハスノハ様の御坊様に お導きをお願いしたいと思います。 浄土真宗で娘を送りましたので救われていると信じたいですし 遺品の着用できましたら是非周りに置いたり 着用して処分するものを減らしたいです。 是非ご助言を頂けると生きていく糧にさせていただけます。 娘がいないこの世に生きていくのがとても辛いです。 どうぞよろしくお願いいたします。
お世話になっているお寺で 毎月おせがき供養の時や お彼岸等にはお塔婆をたてて頂いております 水子のお塔婆について うかがいたいのですが 水子の人数分 お塔婆の数が必要でしょうか? お寺の方に相談するのですが 私の収入が少ないのを 心配されているので はっきりとした 回答をされません なのでお塔婆1霊分の時と2霊分の時も あります。 ずっと気になっています ご回答 宜しくお願いします
それどころか、男性とお付き合いするのもどうかと思ってしまいます。 原因は思春期頃の家庭不和だと思うんですが…。 なぜあんな事を自分でもう一度繰り返さなければならないんだろうと思っています。 反面、結婚しないと幸せになれないのかな…と言う呪縛もあります。 こんな私でも幸せになれるでしょうか?
もうすぐ亡くなった息子の四十九日法要です。 今日は公立高校の合格発表でした。受験出来ていたら勉強がよく出来ていた息子が『受かったよ!』って言って笑顔で帰って来そうです。 仏壇の横の学生服がポツンと寂しそうに見えます。 こちらで今まで何度か相談に乗って頂きました。温かい言葉で励まして頂き本当に感謝しております。 辛くなった時には、何度も何度も繰り返し読んでいます。 辛さ、苦しさ、寂しさ、悔しさは癒えません。自分を責めてばかりで前に進む事の難しさを思い知らされています。 ここに同じ様に最愛の方を亡くされた方々の相談などを見ていると皆さんも辛さが癒える事が無いように感じます。 先日こちらで相談に乗って貰ったのですが、自死という亡くなり方をしたので、周りの方から『自死すると成仏出来ない』など心ない事を言われたりしたので、悩んだ挙句、どうしても息子の今が知りたかったので、高野山で修行をされた真言宗の霊視が出来る方に息子の事を相談に行って来ました。 地元では、かなり有名な方です。 私1人では自信がないので見極めて貰おうと思い主人と娘とで行って来ました。 高額の物を買わされたり高額なお布施などの詐欺まがいな人もいるし、今は、息子の事になると付け込まれる隙だらけの私ですから。 結果は『迷い仏?では無い』と言われて『まだ、暗闇の中にいる』との事で『両親が心を込めて真言をあげて成仏させてあげなさい』と言われ1日に最低108回、1週間毎に薬師如来様、観音菩薩様、勢至菩薩様、阿弥陀如来様、阿閦如来様、大日如来様、虚空蔵菩薩様の順に真言をあげなさいと教えて頂きました。 勿論、仏壇の前で真言をあげるのですが、浄土真宗の仏壇であげても構わないのでしょうか? 以前、お寺さんに気持ちを聞いて頂き『息子さんは、成仏していますよ。安心して下さい』と言われたのに私達は大変失礼な事をしていると思いますが、心ない人から『自死では成仏出来ない』と何度か言われて藁をも掴む様な気持ちで真言宗の方に頼ってしまったのですが、本当に暗闇の中にいるなら息子を救ってあげたい。絶対に救いたい。 その様な事をしても阿弥陀様は許してくれますでしょうか? 浄土真宗の私達が真言をあげても大丈夫なのでしょうか? どうか教えて下さい。 宜しくお願いします。
妹が生まれたときに買ってもらったひな人形についてです。 当時わたしは7歳でその雛人形は寝室に段ボールに入れてしまっておいていたのですがその雛人形で少し怖い体験をしました。もしかしたら寝ぼけていたのかもしれませんが。 それ以来トラウマで妹も人形が怖いと言いその雛人形は20年間のうちに2回ほどしか飾ったことがないです。 小さい頃住んでいた家から父の実家に引っ越した先に持っていき両親が離婚しそのままそこの家に置いてきたと思っていたら今は母方の祖母の家にあるということが最近分かりなんとなく気になってしまいます。 もう妹も成人したし私も結婚しています。 供養をしてお焚き上げをお願いしようと思うのですがいわくつき?というわけではないかもしれませんが普通にお寺に供養とお焚き上げを頼んでも良いのでしょうか? なにか祟りとかないでしょうか どうしたらよいか迷っています。
御仏前の金額の相談です。 まもなく実父の四十九日があり、法要後に会食もあります。 法要には姉の方は3人(姉と子供2人)、私は1人で出席します。 私は、姉と同じ金額を包もうと思っているのですが、それで大丈夫でしょうか? 出席人数が違うので、私は姉より少ない金額にすべきなのか、迷っています。 (ちなみに、姉も私も既婚者で姉は50歳、私は40歳です。) なお、お葬式の香典は姉も私も同じ金額を包みました。 母には相談しづらいので。 アドバイス、よろしくお願いいたします。
お世話になります。 今回は、実家の父の17回忌法事のことで相談させてください。 父は次男で、郷里から離れて家庭を持ちました。 そのためお付き合いのある寺はなく、父が亡くなった際、葬儀会社の紹介で急遽、お寺を紹介してもらいました。 初対面のお坊さんに父の戒名をお願いしたのですが、父に所縁のある漢字も使用されず、生前の人柄なども尋ねられることもなく、ただ事務的に考えて下さった印象を持ちました。 〇〇院、と父方親戚にはつけられているためそれだけを頼むと、割増料金?のような請求があったと記憶します。 その後、法事の度に実家へ来て頂きましたが、愛想のかけらもなく、ただお経をあげられて支払いを済ませると、矢のように帰られます。 会話も殆どなく冷たい対応しかないため、すっかり私たちも信頼する気持ちが薄れてしまい、今度の法事では呼ばない、と母が言い出しました。 そして、お坊さんなしで自分たちで読経して17回忌を済ませよう、と言うのです。 私が、他にお寺を探してお願いしよう。と提案しても聞いてもらえなく、兄姉も母に賛成のようです。 父に申し訳ないようで、とても気になります。 家族だけで法事するなら、せめて私だけでも何かできないかと思いますが、アドバイスいただけますか? 宗派は、浄土真宗の"お東さん"らしいです。
先月、愛猫を病気で亡くしました。 まだ二歳と数ヶ月の若い猫です。発症すると十日前後で亡くなる猫伝染性腹膜炎という病気です。 その病気についてはよく知っていて、発症した時点で覚悟しなくてはならない事も分かっています。 看病してる間も、亡くなった今も、愛猫にもっと尽くしていれば良かったと後悔ばかりです。悲しくてたまりません。お葬式もして納骨堂もお借りし、慰霊祭も参加予定です。 もう亡くなった事をこうして自分自身で納得させようとしていますが、朝起きたら愛猫が起こしに来るんじゃないか、これは夢で、実際は起きていない事なんじゃないかと、中々愛猫の死を受容出来ません。思い出しては涙が出ます。 どうしたら私は愛猫の死を受け止める事は出来るのでしょうか。 愛猫は成仏出来ますか? もう苦しくないのでしょうか。 もう二度と巡り会えませんか? 愛猫の魂がどうなったのかとても気掛かりです。
今年初めに父を亡くし2か月がたちました。 父の様態が急変した12月末から今日までは、まるで時が止ったようであり、時として目の前を時間が猛スピードで通り過ぎるという、相反する様な感覚を覚える、そんな不思議な時間が過ぎて行きました。 2月末に49日の法要を済ませ、今日お寺さんに家に来ていただきご本尊の開眼供養を営んでいただきました。 朱の蝋燭にお霊供お供え物を用意し、ご住職に読経をしていただいたわけですが、読経の最中に二度三度突然蝋燭の炎が高く燃え上がったり、風もないのにゆらゆらと炎が揺れ動いたりという不思議な体験をしました。 開眼供養に参列した叔母は、後でご先祖さまや亡くなった父が喜んでいたのではないかと話していました。 開眼供養の後、ご住職とのお話の後ご住職をはじめ参列した方々が帰られた後、また不思議な体験をしました。 父を亡くした母は、その後もそれ以外の辛い辛い出来事もあり、何事もうわの空と言った状態だったのですが、開眼供養の後父との死別後初めて前向きな内容の話を始めたのです。 その内容はお聞かせするのも恥ずかしいほどのたわいもない話なのですが、家にご本尊をお迎えしたことが母の心に変化をもたらしたのでしょうか? 父の死という私にとっても母にとっても辛く悲しい出来事が仏様とのご縁を結んでくれたのだと考えて良いのでしょうか? 何の面白みもない話ですが、父との別れという辛く悲しい出来事にあたり私を救っていただいたこのhasunohaのお坊様方に、今日こんな出来事がありましたとご報告をさせていただきたくて書き込みをさせていただきました。 また、道に迷ったときにはここに書き込みをさせていただきたく、御礼を言いたくて書き込みをさせていただました。
父のことでこのhasunohaでお坊様に様々なアドバイスをいただきました。 おかげさまでこの週末に49日の法要を営む事になっております。 さて、ここで質問と言いますか疑問に思うことがありお教えをいただきたく書き込みをさせていただきます。 実は妹夫婦のことで少し疑問に思うことがあるのです。 妹の旦那の実家は浄土真宗だと言うことです。 私どもは真言宗のお寺さんで初七日から七日ごとにご住職にお参りをしていただきました。 しかし、妹夫婦は葬儀当日の繰り上げ初七日以降、七日ごとの法要にもそのほかの日にも父の霊前にお参りをすることはありませんでした。 浄土真宗の教えでは人は臨終の際に阿弥陀如来様に救われて成仏をするという教えのようですが、その教えに従えば七日ごとの法要やその他の日にも父の霊前にお参りをすることが無くても不自然では無いのでしょうか? 周りに浄土真宗のしきたり等について相談できる人が居ないのでどうか事情をお話しくださればと思い書き込みをさせていただきました。 よろしくお願いします。
知り合って7年、交際相手のお母様が亡くなりました。お父様は三年前に亡くなっています。遠距離の期間や私の立場もあり、ご両親とは面識はありませんでした。 一般参列でご葬儀に参列しようと思いましたが、家族葬だからと言われ参列しませんでした。 ですが、四十九日には招待したいと言われ、どうして良いのかわからず、こちらに質問しました。 御親戚、御兄弟が集まる、お母様の御供養に私が出席するのは場違いだと思っています。彼は集まる機会が少ないから、私を紹介したいと言ってくれましたが、 私は立場もあり、きちんとしてから別な機会にと伝えました。お母様を偲ぶ気持ちも伝え、四十九日前にご自宅に伺う事も伝えました。 私は、四十九日に出席するべきなのでしょうか?出席することによって彼が御親戚から非難されるのではと考えてしまいます。
こんにちは。初めまして。 先日、最愛の祖父が亡くなりました。 突然の別れで心の整理がついておりません。 今まで、人の死にあまり直面したことがなく 恥ずかしながら、お葬式や四十九日法要等にどんな意味があるのかもぼんやりとしか知らず 祖父が亡くなってから自分で調べて詳しく知りました。 そこで気になったことがあります。 祖父はお葬式当日に繰り上げ初七日というものを上げて頂きました。 本来であれば、亡くなった日を含めた七日目に行うものだそうですが 今は生きている人の都合に合わせ、繰り上げるのも一般的と目にしました。 ですが、四十九日の意味合いを調べた中で 七日ごとの節目に中陰で故人の裁判を行い 最終的な四十九日の日に故人がどの道へ進むかが決まり、かつ天に召されると書いてあり (四十九日法要で残された側がお経を読むことで、万が一、故人に罪があっても軽くなるので四十九日法要は大切ともありました) その場合、繰り上げ初七日をしたので 数えの四十九日ではなく、7日早く裁判があったり 天に召されるのが早くなったりということになるのでしょうか? もしそうであれば 今まで、自分自身が仏教の教えを忠実としてなかったのにおかしいかもしれませんが 大好きな祖父が少しでも天国で穏やかに暮らせるように 定められた日付を守り、お経を上げ、見送って上げたいのです。 言葉が拙くて申し訳ないのですが ご教示頂けますと幸いです。
はじめまして。50代の母です。 去年の夏、自宅の自室で娘が首を主人のベルトで首を吊り、ほかの部屋に家族がいる中、ひっそりと静かに亡くなりました。 まだ中学生でした。 当日の朝も普段通りでした。 私に冗談を言ったりしていました。 学校でいじめられていたわけでもなかったようです。 確かにわたし達の夫婦仲が良くない時期があったり、成績が下がったり、友人関係に悩んだ時期もありました。 思春期特有の反抗もありました。 でも全然気づく事が出来ませんでした。母親なのに… 同じ家の中にいたので、あと10分早く見つけてあげれば助かったかもしれません。 自殺は心の病と言われる方や、人にはタイマーが付いていて時が来れば何らかの理由で亡くなってしまうなどの説があったりするようですが、娘が自死を決意した一番の理由が何だったのか知りたいです。 娘に問いかけても答えてはくれません。 主人や兄弟にもわかりません。 あの子は今、幸せでいるのでしょうか。 私があの子にこれからしてやれることは何でしょうか。 もちろん精一杯の供養はするつもりです。 家にいて泣いてばかりではいけないと、外出しますが、何を見ても、何を食べても、何も感じません。 親として、生きてる間に幸せにしてやれなかった事が不甲斐なく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 あの子が悲しむかもしれませんが、一生元気にはなれないと思います。ただの抜け殻で後追いする決意にもなれず、カウンセリングや心療内科に行くつもりにもなりません。 ただ、寿命が来るまで生きるしかありません。 私がこんな状態ではあの子は成仏出来ないのでしょうか。作り笑いをしていればいいですか? 頭が整理出来ず、乱文で申し訳ありません。
義父の四十九日法要を自宅で家族だけで行うことになりました。 義理の姉たちも主人も自宅で家族だけなのだから普段着で良いと言うのですが、私は喪服で正式に見送りたいと思っています。 義父は本州の出身で北海道に親戚はおらず、これまでの法事法要は義母方の身内だけのためか普段着で行っていました。 私方の法事法要は喪服を着るのが当たり前でしたので、嫁いで来た時は驚きましたが、それぞれのやり方があるのだからと従ってきました。 ですが、自分の親の四十九日法要を普段着で行うというのはどうしても納得がいきません。 義理の姉たちも主人も義母方の法事法要しか知りませんので、家族だけなら普段着で良いと思っています。 主人は私方の法事法要に出席していますし、自分の父親を見送るための法要に普段着はおかしいと話しましたところ納得してくれました。 義理の姉達にも喪服での出席をお願いしたいのですが、どうしたら角を立てずに話すことができますか? 3月2日に四十九日法要を行いますので、できましたら早急にご回答いただければ幸いです。 よろしくお願い致します。
先日、悪いことが続いている、悪い方位に引っ越してしまったせいだ、何を信じて生活していけばよいのでしょうか、と質問させていただきました。そして現実を受け止め心を鍛えて乗り越えることをお坊さま方からアドバイスいただきました。 私の心の持ちようとして、上記の質問と関連があるかもしれないので、また質問させてください。 2年前、祖母の葬儀に参列した後、火葬したお骨を拾うことより、当時一歳だった息子を自宅で昼寝させることを優先してしまったことをとても後悔しています。 祖母とは私が結婚して家を出るまで同居していたため、幼い頃は特に、共働きだった両親に代わり、育ててもらいました。結婚してもすぐ近くに住んでおり、毎日のように顔は合わせていました。 当時から私は子どもの睡眠を特に重要視していました。発育に絶対的に大事だと思っているからです。でも、今考えると、なぜ祖母の人生最期のそんな大事なときにすら息子の昼寝を優先してしまったのか。よく考えれば1日くらいきちんと昼寝させなくても良かったのに。 そしてその後悔をし始めたのは、下に生まれた娘が、呼吸の病気でよく眠れないからなのです。なぜ私が一番大事にしている睡眠に関わることで娘に病気が出てしまったのか。原因を考えると、祖母のお骨のことを思い出しました。大変なことをしてしまったと罪悪感でいっぱいです。 祖母のお墓は現在住んでいる自宅のすぐ近くなので、子どもの散歩がてらできるだけ立ち寄るようにしてはいます。 祖母に悪いことをしてしまった、娘に病気が出たのはそのせいではないか、と思っています。もう取り返しはつきません。祖母へ謝罪の気持ちを伝えるにはどのようにしたらよいのでしょうか。
主人は新興宗教でした。私は浄土真宗です。 両親は、離婚し、私の姉も離婚しています。 主人は私の苗字になっていますが、墓は、主人の父のところに入っています。(○○家、とは入ってません) 葬式?は新興宗教のやり方でして、その後の供養は私はその会には行きたくないので行かず、特にお経もあげていません。毎日の線香、お水、毎月の墓参りはしてます。仏壇は返して新しく買ったけど、本尊?はその宗教のものです。夫の一家は(おそらくかなり前から)新興宗教であり、その会?には行っているとの事。 先日、和尚さんのお悩み相談会(モールのイベント)で、『新興宗教で主人方が続いているなら、主人の家の先祖供養が出来ていない。元の宗派を探して、先祖供養をしてもらうほうがいい。ご主人の思いを大切にしたのだろうが、新興宗教では供養できない。墓も名前が変わっているのに、その墓に入るのはおかしい。両親の両親からのいざこざや離婚のこともあり、因縁がある。このままでは、子供で家が断絶してしまう。仏壇も変えて(私の名前に変わっているのだから)浄土真宗のご本尊様をまつるべきで、浄土真宗で供養してもらうべき。』 というような事を言われました。 私は主人に対して懺悔の気持ちが強くあり、主人が信じたことを大切にしたいと思います。が、私は新興宗教を信じる気にはなれません。 形ある、供養をしたい気持ちもありますが、新興宗教では、できません。私は信者ではないので。(母方父方共に、しっかりと色々としていたのを見てたのもある) お墓は、義母が亡くなったら、その2人は新興宗教のお墓に入れるつもりです。 法要、墓、仏壇、日々の供養、私はどうしたらいいのでしょうか。 主人が、一番望む事をできる範囲でしたつもりでしたがどうしたら、一番いいのでしょうか。子どもに何かあるのは困ります。 どうぞよきアドバイスをお願い致します。
昨年末に出産をしましたが、 友人のお父様が年明けにお亡くなりになられました。 友人はまだ忌中になるのかなと思いますが、 先日友人から連絡があり、赤ちゃんに会いに家に来てくれて、御祝いもいただきました。 友人は対面の時間をすごく喜んでくれて、 私もありがたい気持ちで、その時間を過ごしました。 ですが、後々になって、友人は忌中だったことを思い出しました! そんな大切な時期に、御祝いさせてしまって申し訳ない気持ちと、 ネット検索で、忌中は穢れがあるので他人の家に行ってはならぬという記載を目にして、 友人の温かい気持ちも、私のありがとうと思った気持ちも、いけないことだったのかな、と不安になりました。 どうしたら、良いでしょうか。 友人のおうちは、仏教で曹洞宗のおうちです。
我が家は真言宗智山派です。 私自身、毎朝においてご先祖供養として開経偈から普回向まで唱えています。 ①我が家の墓前において、お彼岸やお盆などにおりんを鳴らして般若心経のみを唱えることはご先祖様や隣接のお墓に対して問題ありませんでしょうか。 ②親類縁者などの墓前で、上記と同様のことをすることは問題ありませんでしょうか。 ③違う宗派の場合がありますが、その場合も般若心経を唱えて問題ありませんでしょうか。 同じ質問が過去にありましたら、同じ質問で申し訳ございません。 お忙しいところお手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
おはようございます! お暇な時に教えていただけると嬉しいです。 潰れたり移転したりしたお寺にあったお墓、あるいは存続している古いお寺にあるお墓でも、もう面倒をみている子孫がいないかもしれないような古いお墓はどうなるのでしょうか。 私の片親の曽祖父と曾祖母は山形県に昔から住んでいたという地元の人だったのですが、娘達(そのうち一人は私のお祖母ちゃん)がみな遠方に嫁いでしまった後、どうなったかわからないんです。祖母も滅多に帰省できなかったみたいで、そちらの家族とは疎遠になり、そのうちに祖母も当時を知る血縁者もみな亡くなってしまいました。 曽祖父・曾祖母が住んでいたらしい地名がわかったのでグーグルしてみたら、村が統合されて今は市になったらしく正確な住所はわからないし、更に、昔大火事があって市役所の書類など焼失したとか。 曽祖父と曾祖母の菩提寺も宗派もわからなくて、彼らがお世話になっていたお寺そのものが今あるかどうかもわからないという状態です.....。 墓石の状態にこだわったり、今から何が何でもお墓を探し出して供養しなきゃ!と思っているわけではないのですが、お墓がどうなったのか気になって質問いたしました。 一度も会ったことがなかった東北の曽祖父と曾祖母ですが、血のつながりを感じます。寒い天気だと落ち着くというか居心地が良いんです。亡くなった肉親は天国にいると考えると私は安心できるのでそういう考えもありだと思っていましたが、上に上がったというよりはみんなつながって私の中で生きているのかもしれませんね。
こちらで、質問及び皆様の回答など 拝読させていただきまして心のモヤモヤが 少しづつ晴れてきます。 この度もよろしくお願いします。 今回は先祖供養について、質問させてください。 私は母が未婚の母のため、実家とは疎遠になり、母の実家ももちろん実の父の先祖の墓参りをした事がありません。 私自身、結婚は出来ましたが、夫とは 一度離婚をして再び同居をしています。 その夫は現在、癌で闘病中です。 最近は病状が、さらに悪化している為 色々 先の事を考える毎日です。 近所のお寺の住職にお伺いという占いで度重なる不幸について、占っていただいた所、両家の〇日と〇日の先祖の供養がされていないとの事で、祈祷済みの御札をいただき神棚に入れ、毎日お参りしています。 離婚の際も姑との折り合いも元々悪い事もあり、夫の実家のお墓参りなど当然今後も出来ません。 宗派なども分かりませんが、許される事なら 夫と、私は現在の住まいから通いやすい場所にお墓を、立てたいと思います。 姑は現在も健在なので、もし夫のが先に亡くなった場合は骨を分けてもらうなどの話はしてもいいものでしょうか? 話し方としては、子供が通いやすいという理由で言ってもいいものでしょうか? 先祖供養とは、9月のお彼岸の時期に、お寺で合同供養祭などで、両家の名前を読み上げてもらうだけで、少しは気持ちが届いているのてしょうか? 聞きたい事がたくさんあって、話にまとまりがなく申し訳ありません。 私は自分の母の墓の用意と夫と自分の墓の用意を、して子供達の未来が 少しでもよくなるように、命の限りつくしたいと常々思っています。 子供の幸せを願うのは、親の使命だと思っているので、 出来る限り、私達が、被ってきた不幸を 絶ち、子供達には 世間並みの、幸せを歩んでもらいたいと思います。 思いが、強いばかりで何から手をつけていいか分からず、今回もこちらを頼りにさせていただきます。 長文で大変失礼しました。 どうかよろしくお願いします。