今月 亡き父の3回忌(3周忌)のあたり月になりますが あたくし事の事情により 当日 お寺(ご住職)にお渡ししする お経代(お布施) 御膳料 などが当日お渡しすることが厳しい状態なのですが 後日 お寺様にお渡しすることは可能なのでしょうか?
職場の先輩が亡くなりました。 まだ41歳という若さでした。 職場の先輩は自分の事をいつも目をかけてくれていました。 自分が入職してから、本気で怒ってくれたり、優しく接してくれました。 通夜に行ってきます。 最後の別れに……。 もっといろんな事を話したかったです。 自分口下手だったのですが、向こうはわかってたかもしれません。 最後の別れ……何と声をかければ。 切ないです。
先日、母の一周忌を行いました。 お寺へ行きお坊さんにお経をあげてもらいました。 お坊さんがお経をあげている時「お母様の事を思い出しながら聴いて下さいね。」と言われたのですが、お経を上げる時にお経の本?を貸してくれました。 お経が始まるとその本を無心で目で追っていました。お経が終わり、気付くと母の事を思い出ていませんでした。 亡くなった母はきっと気にしてはいないと思うのですが、少しモヤモヤしています。
今日、弟に、跡取りしたのが弟だから目上の者にもてなしをするのもどうかと思う、と云う理由でお寺さんに来て頂いて読経はするが法事はしないと言われました。 そんなのは理由にならない。お供えもそれなりに包むのだから今まで母がしていたような事が出来るはずと反論しました。 まだ日も浅く年忌も続くのだからそんなに簡素化しなくても親から遺されたものもあるのだし出来るはずです。 何年も経てば子供(私達兄弟)だけで法事をする事になるでしょうが、年忌の浅いうちは伯父(叔父)叔母や親交の暑かった母の友達もお供えやお参りに来てくださると思うので、世間一般にしてほいしのですが、、、。 最近の言動で、早く煩わしい行事から離れたいという感じです。 そんなに親を弔うことが嫌なのか? と尋ねたら、 私に指図されるのが嫌だと。 私は、お供えを頂いたら粗供養を返すという事を忠告しました。この辺りでは半分返すのが一般的です。 私や兄にしていないだけなら言いません。 伯父や叔母に対して後手後手になったから、母は当日に渡せるように用意していたよ、と。(まあ、何故私達にはしないの?のニュアンスも含めていました。それなりに包んでいましたから。) 今まで母と一緒に法事の準備をしていたのは私だから、母がしていたことを伝えておこうと色々言いました。 それがそんなに口うるさく煩わしく感じたのでしょうか、、、。 もう関係を修復する気力は私にありません。 今後、私は私で母の供養や父の供養はしていこうと思います。 うちの檀家寺は50回忌で仕上げでまだこれから両親と祖母の年忌を執り行う事になりますが、あの調子だと祖母はもっと簡素化されるのでは?とも思います。 (祖母の年忌にも私は回向をするつもりです) 私が単独で供養をする場合、檀家寺が良いのか、供養を受け付けているお寺なら私のやり易い場所でも良いでしょうか? 今までもお遍路した先や高野山、所縁の深いお寺などで供養や回向を申込んできました。お経木や卒塔婆、読み上げ等、私の出来る範囲で精一杯。 そうする事で私が納得し、気が狂いそうだった心が落ち着いてきました。 お遍路も次は別格を巡ります。 お寺参りしていると早く両親に会いに行こうと思っていた気持ちが、いや、もっと私はこっちで頑張らなきゃと思えるようになりました。 お遍路の力は大きかったです。
ここ数年、親族が相次いで亡くなっています。 亡くなった大叔母は先祖代々浄土真宗本願寺派で、ご住職とも懇意になさっていました。けれど、跡継ぎの息子さんはキリスト教徒でした。 その大叔母亡き後、葬儀もお墓もキリスト教式でした。 お墓も先祖代々の墓を墓じまいし、他のお寺経営の大規模霊園にうつされました(息子さんの家はそちらが近い)。 先日亡くなった叔父は先祖代々真宗大谷派でしたが、奥様は創価学会の学会員です。 葬儀は学会形式(?)でした。 それぞれ個人が生前にどのような希望をされていたのか存じません。 けれど、亡くなった方の葬儀なのに、当人とは違う宗派での葬儀に疑問と不安があります。 葬儀というのは喪主の都合に合わせて行われるものなのでしょうか? 特に仏教徒だった大叔母がキリスト教のお墓に入っているの見ると、果たして無事に成仏できているのだろうかと不安になります。 祖母のように大変慕っていた方だけに、ずっともやもやしています。 大叔母はちゃんと成仏できているのでしょうか?
先日、祖父を亡くしたので通夜・告別式に親族として参列してきました。 ちなみに、うちは浄土真宗なので、できれば同じ宗派の方の回答を 希望します。 私は発達障害の為に人より神経が過敏という病気があり、普段は 頻回にトイレを気にして席を立つことがあります。 通夜は1時間ほどで済んだので、式の前に1回トイレを済ませてからは 式の終わりまで席を立つことはありませんでした。 しかし、翌日の葬儀では普段とは違う状況に緊張したのか、式前に2回ほど トイレに行ったにもかかわらず、30分ほどして読経中に無性にトイレに 行きたくなりました。 もちろん、読経中に席を立つのは失礼だろうと思って式の間しばらく がまんをしていましたが、耐え切れず後半の“親族お別れの儀”の タイミングで席を立ちました。 事前に葬儀場のスタッフさんに確認した時には「いつでも自由に立たれても 構いませんよ。」とのお返事をいただいていたのですが、やっぱりどうしても 読経中に1人だけ席を外すと周りから白い目で見られることが怖く、 なかなか行動を起こせませんでした。 自然現象である排泄や、途中で気分が悪くなったときは、読経中や 式の間でも、周りを気にせず席を立ってもいいんでしょうか? それとも、やっぱり僧侶の方は、いくら親族でも途中で席を離れられるのは 気分を害されますか? 一応、周りからのアドバイスを受けたうえで、今後は迷惑にならない席に 座ったり、タイミングを見てこっそり席を立ってみようと思っています。
こちらでの質問は二回目となります。 ありがとうございます。 去年8月28日に母が亡くなりました。 初盆は8月15日にお寺の方で行うつもりでおります。 一周忌の法要をしたいのですが、日程的にはいつ頃するのがよろしいでしょうか? 同時に初盆と一周忌法要をするのは意味が違うと思うので別の日にと考えております。 初盆の前に一周忌法要をするのか、初盆の後にする方がいいのか一般的なことを教えていただけるとありがたいです。 私どもは浄土宗となります。よろしくお願いします。
つい最近父の13回忌だったのですが 親戚も高齢になり家族のみの法要でお願いしたいとお寺に伝えたところ 「この時期はとっても忙しくて、塔婆さえたててお墓参りしていただ ければ法要と同じなので。 塔婆はちゃんと住職が前日にお経をあ げますのでそれで大丈夫です」 と奥様に言われ当日塔婆をたてお墓参りだけの13回忌になってしまったのですが・・・ そんなものなのでしょうか? 素人考えだと本殿もしくはお墓前でお経を唱えていただきお焼香をしての法要だと思うのですがこれは普通のことなのでしょうか。 13回忌までの年忌法要はすべて本殿でした。 毎年のお盆時の供養とまったく同じなのと忙しくなかったらちゃんとした法要だったのかな? とか考えてしまい気持ちがすっきりしないのと父が供養されているのか心配で質問させていただきました。
祖母の一周忌を「お別れ会」みたいな感じで考えてます。 レストランも良いけど、あえてお寺の施設をお借りして会を開くのも、趣があるかと思っています。 実際に、お寺の施設でお別れ会とかはできるものなのでしょうか? また、もしそういう経験があるお坊さんがいらしたら、どんな会になるか、教えて頂けないでしょうか? 宜しくお願いいたします。 私の家は、お寺の檀家とかにはなっていないと思います。
これまで自分の祖父母四人、夫側の祖父母三人、自分の父親を亡くし、葬儀に出ています。 しかしいずれの葬儀でも悲しみが全くなく、葬儀中ずっと「疲れた、早く帰りたい」という感情しかありませんでした。 死後何年経っても悲しみは訪れません。 いとこたちは号泣しているのですが、思い出がない人が死んで何が悲しいのかわかりません。 祖父母とは同居していませんでした(いとこも)し、年に一度会えば多い方。 父親とは流石に同居していましたが、朝六時に家を出て夜12時にならないと帰ってこない父親には「お金を持ってくる人」という思いでしかありません。 もちろん私のために働いてくれていたのは理解していますが、思い出がないことにかわりはありません。 人は、思い出がない相手でも血縁者がしねば悲しいと思うものなのでしょうか。 思えない私は何かを間違っているのでしょうか。 子供を持てば気持ちが変わる、という回答はご遠慮いただければと思います。 (生まれてから一度も子供を欲しいと思ったことがありません。10年以上ピルを飲んでますので子供を生むことは一生ありえません。産むくらいなら死んだほうがマシです。)
神道の50日祭があります。 自宅で宮司さんがご祈祷後食事をするそうです。 今回は私一人で出席します。 実の兄妹の場合、どの位包めばいいのでしょうか? よろしくお願いいたします。
今年の1月に父を亡くしました。 来月に49日を迎えるのですが、納骨の事や位牌なども用意できていません。 父が生活保護だったため、私が葬儀で喪主を努めましたが、周りの父の友人 のフォローで葬儀までは終わりました。 葬式で香典もいただいたのですが、父の友人方は香典返しは要らないとおっしゃっれるのですがマナー的にもどうして良いのか分かりません。 私に経済的余裕がないのを知っているからだと思います。 どうしたらよいでしょうか。
すごく素朴な疑問がでてきたので質問させてください。 人が亡くなって葬儀をする際、火葬前に棺の中にその人にとっての思い出の品だったり写真だったりを入れることがあると思います。 こういうときに入れるものって、亡くなられた方にとってどういったものだと嬉しいものなのでしょうか? もし私自身のことと考えると、家族の写真ももちろんなのですが、好きな歌手のCDとかグッズとかが入っていたら嬉しいな、と思っています。 お坊さん自身の経験とか、様々な視点から意見を聞かせていただけたらと思います。 よろしくお願いします。
いつもお世話になってます。 私の家は代々仏教を信仰しており、浄土宗だったと記憶しています(法事などで呼ぶお坊さんがそういうお寺だったはずで…)。 そして、私の父方の祖父が、お寺、という形でしっかりとした場所を持っている訳では無いのですが、僧侶の資格を持っており、資格をとる際には天台宗で学んでいます。 私を含め同居する家族などが、命ある人間ですから、いずれは亡くなることもあるかと思うのですが、こういった時って、浄土宗と天台宗と、どちらの宗派に則って葬儀などは行うべきなのでしょうか? また、そもそも宗派によって葬儀などの際のお経などや葬儀の方法など何か違いがあるものなのでしょうか? ふと疑問に思ったので質問させていただきました。 よろしければご回答よろしくお願いします。
こんにちは。 お寺の奥さまとお付き合いがあるのですが、住職である旦那様の一周忌の法要に、何か気持ちをと思うのですが、肺ガンで亡くなられた為、御線香やお花は控えてると伺っています。 いつも奥さまに食事をご馳走になったり、プレゼントを頂いたり大変お世話になっています。 お寺の方ですし、御仏前もどうしたらいいでしょうか。 宜しくお願い致します。
あるお葬式でのお経(あるいはお経の前後に読まれるもの)について、気になることがあったので教えて下さい。 正確には覚えていないのですが、お経(あるいはお経の前後に読まれるもの)の中で、鴨長明の方丈記の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。〜〜」に似た言葉があったように思います。 とても印象的だったのですが、あれは本当に方丈記の一節だったのでしょうか? だとしたら、どうしてその言葉が取り入れられるようになったのでしょうか? とっても気になって気になって仕方がないので、是非教えていただきたいです!! よろしくお願いいたします!!
姉が亡くなりました。義兄の姉の言動に納得いきません。 入院先の病院で亡くなり病院から自宅へ帰る際に、車に同乗できる人数が2人だけなので義兄と、母の代わり(父は他界しており、母は足が不自由な為に動ける私がいいだろうということで)に私が同乗しました。 病院が200キロ以上離れた場所にあった事と、深夜の移送になった為、他の車で同行することもできずに、今回二人だけが迎えに行く事になりました。 仲が良かった二人だけの姉妹で私にとっては可愛い妹でしてので、1分でも1秒でも早く会いたかったのです。 義兄は、母が「一緒に行ってもいいでしょうか?」と言ったらお願いしますと言ったので向かう準備をしたら、二人しか乗れないとの事で私が行く事にしたのですが、このことで、義兄の姉は私ではなく嫁ぎ先の長である義父が同乗するべきだと言ったり、葬儀社との打ち合わせの際には、○○家の事なんだから私と母は同席してもらわなくて結構です、別宅で休んでいてくださいと言ったり、義兄が、葬儀の内容で、まず私と母に意見を求めた際には、順番が違う、お父さん(義父)を優先するべきだと言ったりしました。 入院中から何かの決断の際には母は、嫁がせた娘なので義兄にお任せしますと言って、出しゃばった事はせずに我慢していました。 私も嫁いでますので、実姉として接してきましたが、義弟の姉も嫁いでいて○○家の人では無いはずです。 姉が嫁いで5年、母も私も立場をわきまえていますが、実の娘と、実の姉を突然失った哀しみを蔑ろにされたようでやりきれません。 病院から帰る際は、私は迎えに行ったのは間違いだったのでしょうか。嫁ぎ先に任せなければならなかったのでしょうか?
このようなサイトがあることを初めて知りました、お世話になります。 老齢の父の葬儀を以前からの母の言葉に従い、浄土真宗で執り行いました。 しかしその後の母の話がどうにも不審で調べ直したところ、真言宗の可能性があります。 分かっている、決まっているのは以下の点です。 この場合、今からでもお寺に相談して変更すべきでしょうか。 ・父は実家から遠くに引っ越した家族のため、菩提寺は近隣には無い。 ・永代供養をお願いする予定で、墓地もない。 ・母には何度か確認したが、毎回「浄土真宗」と答えていた。父は答えられる状態ではなかった。 ・四十九日法要はまだ済ませていないが、浄土真宗のお寺にお願いする手筈。 ・母は「南無大師遍照金剛」と唱えていたらしい(これを聞いて不審に思った) ・家に弘法大師空海(真言宗)の小さな写真があり、近隣の寺による真言宗の簡易経本を発見した。 ・父の親族は遠方のため葬儀に来なかったが、法要に来る可能性はある。 母が気に病みそうなので、出来れば安心させてあげたいところです。 ご指導のほど、よろしくお願いします。
尊敬していた方が亡くなり、お通夜に行ってきました。 地域にとっても貢献したお爺ちゃん医師で亡くなるまで現役でやってた方でした。 お通夜の際、下世話な話になってしまいしますが、とっても大きな葬儀で、お坊さんも3人で拝んでました。 一般的に一人のお坊さんが拝むのと、3人のお坊さんがお坊さんが拝むのは、どぅ違うのでしょうか。 例えば、3人のお坊さんが拝んだ方が、故人が成仏しやすいとか、三途の川を楽に渡れるとか、、、
先日、主人の母が亡くなりました。母は、主人の父とは離婚してます。 葬儀日時の都合で初七日まで日蓮宗のお坊さんに戒名なしでお願いし、それ以降は主人の祖父の代から続く神道ですると、主人は言ってますが、途中での宗派の変更は可能なのでしょうか? よろしくお願いいたします。