真言密教からみた障害者の立場
いつもお世話になっております。
まずは先に、お詫びとお願いを申し上げます。
この質問の題名および趣旨が私の見当違いであった場合は、平にご容赦くださいますようお願い申し上げます。
ご縁を新たにして以来、今のところは具合が順調に落ち着いております。ですが、あらたなお寺も件の寺と同じ新義真言宗の寺院です。
件の寺では、しゃべり好きのおじいちゃんが若いお客様に一生懸命お寺のルーツや住職さんの経歴を聞かせてあげていたのをカウンターの寺務員さんが集団でにらみつけていたり、
祈祷の後のお話でお坊さんが「ちょっと指導を受けただけで退職や中退してしまうような弱いお子さんに育ててはだめですよ…」などと言っておられたり…
そこで、ご質問させていただきます。
真言密教、おもに新義真言宗では自分で覚りを開く能力のない障害者や病人、そしていわゆる「弱い人」は、
救済や極楽往生の対象ではないのでしょうか。地獄や畜生道、餓鬼道などに落ちてしまってもかまうな、という教えなのでしょうか。
私は平日の昼間に出歩くなど頻繁なので、次のお寺様とご縁が切れてしまったり、大好きな仏さまと疎遠になってしまうのは悲しいです。
私たちは、真言宗さんにお参りしても本当にいいんですか?
見当違いな質問だったら大変申し訳ございません。
これからも様々な仏様とのご縁を大切にしていきたいので、
どうかご教授願います。

有り難し 12

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