不安です。 最近のことを考えて不安になってしまってます。 私は遠距離の彼氏がいます。私は秋田で彼は仙台です。彼氏は大学四年生で、大学院に進みます。 私は社会人2年目です。私はいずれ彼の地元の仙台へ転職しようと考えています。 しかし、彼氏が大学院に進み、専門分野での就職を考えているので、地元はもちろん第1候補にするが、他県へ就職するかもしれないと言われました。 私は、年上であり、私の人生もそろそろ考えて欲しい、遠距離はもう嫌だと、地元で就職して欲しいとわがままを言ってしまいました、 彼はそうだよなとその時は納得しこの話は終わりました。 親に仙台には私の兄も友達も居て、以前から私が仙台で働きたいと言ってたのでそれはいいが、彼が他県へ行った時結婚もしてないのについてくはリスクがあるからやめた方がいいと言われました。 親の言うことを聞かなければいいと思いますが、親の言うことは最もですし、早く結婚したらいいといいますが、彼が社会人1年目で結婚もなかなか大変だと思いますし、と色々考えてしまいます。 私もまだ社会人2年目で3年は頑張りたく、まだ転職活動もしておらず(仕事が忙しいという言い訳になってしまいますが)、仙台に引っ越すとか諸々時間もかかりそうです。 別れるのもあるのでは?と思いますが、今のところまだ考えれません。 まだ彼が大学院の試験を受けて合否も出てないのにまだ分からない未来のことを考えてしまってます。(元からの性格もある) 言いたいことかバラバラになってしまってすみません。このネガティブな考え方を辞めたいです。未来のことについて考えるのは悪いことではないといいますが、私は考えすぎてしまうのでやめたいです。このモヤモヤをどうすればいいでしょう。 誰かに相談するとかはできません。考え方を変えたいです。 人生なるようになるさ!と思いたいです。なるとかなりますかね、 不安で仕方ないです。
今年の3月に主人が『浸潤性粘膜性肺腺癌』と診断されました。合う薬が見つからず、唯一の抗がん剤での治療がはじめられました。 はじめは元気にしていた主人も、回数を重ねてきて、とうとう脱毛がはじまり、胸焼けや食欲不振など、今までより強い副作用に悩まされはじめました。体のだるさもひどいようでずっと横になっています。先ほど寝ている主人の様子を見にいったら、涙を流しながら、「やっぱりそんなに簡単な病気ではなかった。せめて5年は生きたいと思ってるけど、、、」「家のローンのことや保険のこと、頼んだよ」などと言うのです。思わず私も泣いてしまいました。そして、「辛いね、、、一緒にいるから一緒に生きていこう」というしかありませんでした。 明日から職場復帰の予定でしたが、その前日に体調が悪くなったことも、本人のなかでとても悲しい気持ちになったのではないかと思います。 いつもはつらつとしている主人が、こんなに弱気になってしまうとは、、、ガンという病気のおそろしさを目の当たりにして、私も戸惑い、そして、この人と一緒にいられなくなるのでは、という恐怖も感じています。 とても辛い悲しい思いをしている主人をどう支えてあげればいいのだろうか、そして私自身もどう心持ちをしていけばいいのだろうかと悩んでいます。
こんばんわ。 一つ前の質問で寺に一年修行に行くといったものです。 結局そこのお寺には親の許可がなければ 修行できなかったため、急に許可をもらえなくなってしまい断念することになってしまいました。親の宗教のせいで成長の場を無くしたため、私はその宗教をやめようと思います。何年も前から辞めたいと思っていましたが。 仕事を辞め、お寺でいろんなことを学んでから自分に合う仕事、体系を決めようと思っていたため、手持ち無沙汰で何から始めて良いか分かりません。とりあえず宗教やめて、ハローワークに来週から行こうかなとおもっていますが、なんというか思いがけない結果になってしまったので自分にも親にもガッカリしています。 このままだとダラダラして時間だけ無駄にしてしまうような気がするのですが、何を私は学べばいいですか。このまま前と、同じ職種についても意味ないような気がして社交性がないので人と関わる仕事を探したほうがいいのかなと頭だけでは色々考えてしまいます。
自分ってなんにもできないし、迷惑かけてばかりな存在。。。いっその事自殺したほうがもう迷惑かけんくていいと思うんよ…どうして自分はほかの人みたいに普通に生きることができないんだろう
いつもありがとうございます。 長年、実家の宗教について悩んできて、思い切ってこちらでご相談させていただきます。 父母、そして母方の一族(母方の祖父母や伯父、叔母たち)は、ある仏教の熱心な信者として生きてきて、私も幼い頃から信仰するのが当たり前という環境でした。真面目な宗派だとは思いますし、基本的に一族は情が深い方なのではないかと思います。親や親戚からは、祖先や親を大事にしなさい、信仰すればご利益がある、信仰心が薄かったり感謝の気持ちがないとバチが当たる、本物の宗教はこれだけである、などと毎日のように言われて育ちました。しかしながら、周囲の大人たちは、私にとってはあまり信頼感の持てる人たちではありませんでした。なぜなら、当時同居していた母の妹が機嫌を損ねると手が付けられないほどの暴言をはいて暴れる人で、それを目の当たりにしながらも、父母や親戚は何も改善しようとしなかったからです。あの人は変わっているから仕方がない、静かになるまで我慢しているのが一番だ、ご信仰をしていれば徐々に状況は良くなる、と言っていましたが、小さかった私や兄弟には苦しい時間でした。信仰しているのに何でこんな目に合うのかと時々母に文句を言っても、「感謝の気持ちが足りない」と言って怒られるだけでした。祖先だけでなく、子どもももっと大事にしてほしかった。 結局叔母は変わることはなく、私は結婚して実家を出てからも、ずっと父母や親戚に対しては複雑な思いがありました。でも、皆にかわいがってもらったという記憶もたくさんあるので、父母には尽くしてきた方だと思うし、叔母の老後のケアもしています。 自分も60代になった今、若い頃には考えられなかった悩みや不安をかかえ、何かにすがりたいという思いが強くなってきました。でも、小さい頃の心の傷から、母の一族と同じ信仰は持ちたくないという気持ちになってしまいます。その一方で、母の一族を批判したり、他の宗教を心の支えにしたいなどと言ったら、バチが当たるのではないかという恐怖感もあります。これからどのような心構えで生きて行けばいいのか、お坊様にご指南をいただけたらと思います。
ラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の非二元論の基本原理「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない(仏陀がオリジナルの言葉、無我)」「神の意志でないかぎり、何ごとも起こらない。起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)」は、心の平和のための教えです。 以下は、反省と後悔について、Gemini(生成AI)の回答です。 「起こることすべては神の意志(自然の法則、運命)であり、行為者はいないのだから、起きたことについて『自分がどうにかできたはずだ』と悩んだり悔やんだり(クヨクヨ、後悔)するのは道理に合わない。しかし、現実世界で生きていく上で、起こったことから学び、次に活かす(反省する)ことは有益である。」という読み解きが可能です。
介護の仕事をしているのですが、田舎の方に越してから新しい職場で戸惑っています。 文句を言いながらも、的確にためになる話をして教えてくれる方、 気は強く、口調もきついが、注意して接するように教えてくれる人、 口が軽く、噂好きですが、できていないところをよりアドバイスをくれる方、 こちらの都合に合わせて、気にかけて行動してくれる方 など今まで都会で暮らしていたのですが、薄い関係で仕事していたので、田舎の方にきてから 人間と深く関わることに戸惑っています。 気にする性格であるので、どうしてそこまでしてくれるのか考え、落ち込みます。 苦しいに近い状況をどうすればよくなるでしょうか。
以前も似たような質問をしたことがあるのですが、見たくないはずなのに気になって見てしまうということが多々あります。 X(Twitter)のトレンドで不祥事やスキャンダルに関連するいる言葉が上がっていたり、掲示板で荒れているスレを見かけたときや、テレビで苦手な話題が出たときに、「嫌な気分になるから離れておこう」と思っても、つい気になってそのまま見てしまうことがあります。すぐに離れても、その後「どんなことが書かれているんだろう」「なんて言われているんだろう」と思い、ソワソワして結局戻って見てしまうこともあります。 「好きなものが批判されていないか、どんな言葉が掛けれているのか不安になる」反対に、「嫌いなものが批判されていたら嬉しい」といった気持ちが理由で、「怖いもの見たさ」と言ってしまえばそれまでかもしれません。 元々何か気になったら、すぐに調べたり、確認したりするタイプです。そのおかげで好奇心が満たされたり、好きなものに関する知識や理解を深められたりすることが多いですが、悪口や批判まで気にしたくはありません。 ハスノハで頂いたアドバイスのおかげで、たまたま目にしてしまった誹謗中傷や悪意に心が乱されることは少なくなりました。しかし、そういった言葉に自ら近づいてしまう、気になってしまう自分がいます。 どうすれば荒れている話題や、悪意のある言葉に関心を持たないようになるでしょうか。
私は31歳独身で、非正規労働者です。彼氏もいません。5年前からメンタルクリニックに通っています。周りや妹が結婚して羨ましいです。勉強頑張って、いつも人に親切にして、仕事からも逃げず生きてきましたが、報われなさに絶望しています。この生活がこの先何十年も続くなんて耐えられません。罰当たりなことと理解していますが、はやく人生を投げ出したいです。親と妹を遺族にしたくない一心で踏みとどまっています。一体私の何が悪かったのでしょうか。考えすぎと言われますが、この人生をもっと良くするために手を尽くしたく考えるしかないのです。どういった心持ちで生きていけばいいのでしょうか?そしていつか救われる時がくるのでしょうか? こんな質問で申し訳ありません。どうかもう少し生きていくための考え方をご教授願えますでしょうか。
以前こちらに質問させて頂きました。 お久しぶりです。 家を飛び出して、1人の時間を得て、 涙が止まらず、なにもかも悲嘆的に考えて精神が崩れていたあの頃に比べればかなり落ち着いてきました。 ですが、 心の不調が悪いまま寝て朝起きた時 PMSでホルモンバランスを崩している時 アニメ、ドラマなどで身近な人の死、惨たらしい死が描かれたものをみた時 嫌なことが起きたわけでもないのに、鳩尾のあたりがきゅっと苦しくなり 楽になりたい消えたいと思考が引きずられていくことがあります。 暇な時間があるから考えてしまうのだ、と 歌詞をノートに書き写してみたり、お仕事に集中してみたり、友達と会ったりしてみますが それらが終わると負の感情が戻ってきます。 変に気の逸らしかたを考えるから長引くのか 答えが見つかりません。 負の感情を落ち着かせるアイディアをいただけませんか? よろしくお願いいたします。
僕は過去にたくさんの犯罪を犯しました。 今はもう犯さないと思って生きていますが、時々生きるのが辛すぎる日もあります。本当にあの時なんであんなことしたんだろうと思ってしまいます。被害者の方達には申し訳ない気持ちでいっぱいです。これからは肝に銘じて生きていきます。 あと南海トラフが怖くて毎日怯えてしまいます。考えたくなくても地震が来た時の時を考えてしまいとても怖いです。もう死んでしまうのではないかと思ってしまいます。これからどうして生きていけばいいでしょうか。こんな自分ですが、励ましのお言葉をいただけると幸いです。お願い致します。
プロフィールにある通り、最近過去のことを思い出して気持ちが不安定になります。今まで苦しいことしか見えなかったけれど、自分は何をしたか、それを考えた時、主に小学生の時の自分がいい加減な人間だったことに気がつきました。自己分析が出来ず、自分が何を気をつけるべきなのか、改善点は何か、そういったことを一切考えていませんでした。 たくさんの人に迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまいました。そのことに気がついて、今すぐ謝りたいと思ったけれど、相談した人たちからのアドバイスもあり、やめました。悪化してしまうかもしれないし、何より彼らにとっては、何年も付き合いの無かった不登校だった人間から、急に人を介して連絡が来ても迷惑なだけだろうと思いました。 されたことは今でも苦しいけれど、正直なところ許しています。自分もたくさんの過ちを犯している。それを実感してから、尚更そう思いました。でも、自分のしたことは自分で許せません。 こうやって気がついて、反省できただけ良かったと思います。やるべきことはたくさんあるし、今を大事にしていかなければいけないことも分かっているつもりです。 でも、やはり気持ちの切り替えが出来ず、どうにも出来ないことなのに、引きずってしまうことがあります。どうしたら上手く気持ちを切り替えられるでしょうか。 わかりにくかったらごめんなさい。
インドパキスタン間の軍事衝突が始まりました。核保有国である両国の対立激化により、この世界が死の星になる可能性が更に大きくなりました。ロシアウクライナ戦争もガザ地区の虐殺も止まらず、ここがもう人間の限界です。正義なき暴力が世界を支配する時代に逆戻りしてしまいました。もう未来はありません。 日本は平和ボケしたまま米中露に侵略されて分割統治されます。日本人の大半は虐殺されます。私達に未来はありません。人間に未来はありません。 極楽浄土もないので、殺された後は過酷な生存競争の中に生み出されます。死と虐殺しかこの世界には残りません。 馬鹿馬鹿しいと思うなら今の国際情勢と人間の本能を見てください。世界最大の軍事力を持っている米国が自国第一主義、覇権主義に走っていることで、人間の欲望の蓋は完全に外れてしまいました。奪い合いの世界です。 未来なんてない。平和な世界なんてもう妄想の産物でしかありません。どうしてこんな世界になった。どうしてこんな世界に生まれてしまった。
もともとプラス思考で、何か良いことがあったら、絶対上手くいくと思い込んでしまいます。きっと上手く行くと明るすぎる展望を期待してしまい、ほとんど上手く行かないことが起こり、死にたいとか思ってしまいます。就職試験も、きっと上手く行くと年齢制限まで、受け続け、婚期が遅れてしまったし、結婚相談所に行っても、一喜一憂してて、しんどいです。これから抜け出すにはどうしたら良いですか?
お世話になっています。 相談に乗っていただき、心の悩みのところどころが回復しています。ありがとうございます。少しだけ、また課題に当たりご質問させていただきたく思います。 最近、仕事の後に勉強をしています。気づけば仕事と勉強で1日が終わっています。どちらも楽しいのですが、楽しいというよりは義務感のような、でも自分を支えるものという認識で微々たる成長のために毎日取り組んでいます。ですが、ふと、気づいたらもう5月です。仕事と勉強はやりましたが、遊びや自分が楽しいと思うことがよくわかりません。遊びをする時、少し高いハードルを感じます。おしゃれなども罪悪感を感じ、存分に楽しめたことがありません。人生はバランスだとおっしゃる方がいましたが、楽しさもきっと必要なことだと思います。でも楽しさを優先すると自分が成長しない気がしてしまいます。楽しいを欲している感情と人生の焦りがぐるぐると混ざって、気づいたら一年終わってしまうんじゃないかと思っています。 もっと力を抜いて、人間らしく、楽しく生きていきたいです。ご教授願えますと幸いです。
一年程前から友人がスピリチュアルに傾倒し始め、私自身のメンタルに支障をきたしています。 最初は紹介された占い師に占ってもらったら当たっていた!程度の話だったので近況として聞いていましたが、ここ一年くらいは“いついつに災害が起きる“ “去年生まれた子供はその災害からお母さんを助けに来た“、しまいには根拠不明の“○○(私のこと)は結婚できない“など吹き込んできます。 そう話す本人も子供はおらず、その理論でいくと助からないのに何を言ってるのか?と思います。 私自身、昔からそういった予言やネガティブなニュースや情報が凄く苦手で、一回見るとなかなか頭から離れず、“本当に起きちゃうのかな…“と不安になり、先述のことを言われて以降ずっと怯えています。何をするにしてもそのことが頭をよぎります。 気にしなければ良いのですが、なかなか頭から離れません。どうすれば気にせず楽に過ごせるのでしょうか?
メンタルや体調のちょっとした変化で心が不安定になります。そのことにとらわれてしまい、何もできなくなります。体調不良になると、最悪な結末しか想像できず何もできなくなってしまいます。 私にはまだ手のかかる子供がいます。 とても可愛くて大事です。 離れたくありません。 また、メンタルも体調も万全なお母さんだったら、もっとこの子は幸せだろうなと自分を責めるモードに入ってしまいます。 どうして気持ちを切り替えたらいいでしょうか?
夫が数年前から登山にはまり、月に何度も登りに行きます。ストレス解消ならと黙認していましたが、中学生の息子を誘って行くようになり、遭難が心配です。教育費で貯金が思うようにできないこともあり、経済面でも控えてもらいたい。けれどそれを話すと「決まった金額は家に入れているのだから良いじゃないか」と怒り出し、機嫌が悪くなります。思春期の息子が着いてきてくれるものだから嬉しくて仕方ない気持ちは理解できます。私は持病があり登山ができないので、私だけのけ者のような気持ちにもなります。趣味に夢中な夫にどうすれば伝わるのでしょうか?
こんにちは。いつもお世話になっております。 自分を振り返った時、私は過去に関わってきた人ほとんどに、とても本人には言えないようなことを、なんでも話せる親友や同居している父親に話す節があったことに気づきました。 すごく後悔しました。私は学生時代のほとんどを引きこもりとして過ごしてきたので、大人になってから人間関係に触れ、間違いに気づきました。 最近になって、人との関わり方をちゃんと知る機会があり、今までの自分の言動を振り返っては、後悔することばかりでした。 私は関わってきた人達に対して、本当に信用を無くす事ばかりしてきたと思います。 誓って言えるのは、攻撃的な言葉は使ったことが無いです。 罪悪感に駆られて、迷惑をかけてしまった方達に、「あの時の私はこうゆう悪いところがあったよね。ごめんね。」と簡易的ですが謝罪と感謝の気持ちを伝えました。 これから悪口や愚痴を言わないように気をつけたいと思っているのですが、今から自分を正すことは償いになるでしょうか。 もう遅いでしょうか。 アドバイスがあればいただきたいです。
40代独身女です。毒親持ちです。支配、過干渉、過保護、暴力の下に育ちました。 今は一人暮らししてますが、ある日親から 「大事にしすぎたから婚期を逃しちゃったね」 ボソッと呟かれ、唖然としました。気が変になりそうでした。 ああ本当にクソ親なんだなと思いました。両親共に私が楽しそうにすると面白くないようでした。親戚から「キレイになったね」と褒められると、母親は睨みつけ、父親は親戚の前で悪口を言いふらしました。 もうわたしは一生幸せになってはいけないという感覚が消えません。 わたしはだめだ、わたしはだめだという思いが常にあります。