hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「生き方・心構え」を含む問答(Q&A)一覧

父親

こんばんわ 私の父親についてです。お忙しいところすいません。私の父親は、外に弱く、うちに強い内弁慶で、外で調子がよいぶんだけ、家では外での屈託にいらだつ事が多いと思います。幼稚園の頃は、そんなことありませんでしたが、私が小学校の時は、夫婦喧嘩が絶えませんでした。コタツで寝そべりならくつろいでいたら、突然コタツの上の部分のテーブルの食べ物が、テーブルごと降ってきたり、母親が父親の風俗遊びで、攻撃していたところを見たり、私は私で、小学校の女性の先生からのビンタ(ほっぺたを両方の手の平でサンドしてバンバンと叩く)両親共働き(自営)で、ほったらかしで育ちました。家に帰ったら宿題もせずTVとゲームでした。いつも宿題忘れと忘れ物が多かったです。母親は、ストレス(店のやり方で父親と合わないながらも)で勉強しろで平手打ちや、ランドセルを学校まで掘り投げてました。私は、友達の家に、上がり込みゲームを楽しんだり、秘密基地やドッチボール、近所の上級生と遊んでました。そうするしかなかったです。家は、障子に穴が開いたり、壁がへこんだりしていました。高校入学の時は、兄弟喧嘩で止めに入った母親が下敷きになり、足が折れて入院したり、、親父は、世の中は、キツネとタヌキの狸と狐の化かし合いと言っていたこともあります。(真意は、わかりませんが、、)自営も知り合い(高校の同級生など)の口コミで来客する人ばかりでした。(公務員など)なぜなら安心の客が相手だからです。だから、私は、相手にされなかったです。父親からは、お前は、社会で通用しない、店を継ぐしかないといわれたこともあります。母親は、来店する人を相手にしていました。近所の付き合いは、人一倍で、ほとんど不機嫌なことはありません。いつも愛想よく付き合い、人のいい人といつも言われて、ほとんど頼まれごとは断らずに、後からあの人こんなこと言ってくると、困ると言ったり、はっきりと出来ないと断らずに、後から愚痴?をこぼします。今もそれだけはそうです。大家族の真ん中に生まれたせいなのか、人の気持ちなどは、よくわかっています。(よく後からあの人がこう思ってるなど言います。)病院も近所の人の助言または、知り合いの評価などで行くのをやめたり、今は、近所の人から紹介されたところに、通院しています。私からしたら、自分をもってなさすぎる父親は、理解できないです。どう思われますか?

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

死について

おはようございます(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎) 私くしも 病気がちだし 毎日仕事が苦しいし 考えたら お金はいるけれど 限られた命の中で そこまで 仕事仕事で生きていくのが 正直辛い 特に この世に執着が無かったんです。子供は って言うと 私に特に求めるものはなくて 私の姉や 私の母 父に求めているみたいなので いつ 命が尽きても 悔いはないそう思ってましたら ある日 脇あたりに シコリがあるのを見つけて 一人 癌だと思って 泣くわ ショックだわ 一気に 生きたいと思う心が 湧きました 普段 命の先がみえないから 死にたいと思うけど いざ もしかしたら って事があったら 人って やっぱり生きたくなるものです。 慌てて病院へ いったら リンパ節が腫れてるだけだと 言われ ホッとしました。ただ 寿命がきたら 受け入れるうつわを 持ってなきゃなとも 思いました。 それをふまえて 病に苦しむ方の心も 学べた気がします。とてもではないけど 生きた心地がしなかったし 記憶も ボーっと ひたすら 亡くなったらどうしよう 子供は とか考えました。 なので 私自身も 少しでも ご病気に方の苦しみに 寄り添えます様 いま剃髪をし 生きてます。 私も 皆様に寄り添いますので 皆様のご病気が一日も早く治りますよう。 病気や 老い 孤独 、、、、 生きてる限り 悩みは 尽きません お坊様方は 仏様と向き合い どう この世の闇を 照らされましょうか

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

自分の気持ちに正直になるには

近く、少し関係が微妙な友人の誕生日があります。 特に喧嘩をした訳ではなく、あまり連絡を取らず少し疎遠になってしまっているのと、相手の行動や言動にこちらが一方的に嫌に感じているというものです。 私とその子の共通の友人Aがいて、(Aも友人とは疎遠)Aと私は仲が良いので何となく「誕生日どうする?」などと話しました。 私が誕生日だった時、友人は誕生会を開いてくれたからです。 しかし、Aも友人に対して少し嫌悪感を抱いており、私もAも「あまり親密に関わりたい相手ではない、今回何かあげたりするとまた前のように都合よく使い出したりするのではないか」という結果になり、何回か話し、何もしなくていいのではないかという判断をしました。 しかしそう判断した後もどうしても頭の中に誕生日どうするのか?ということが度々思い浮かびます。 Aそれ以降は話を出さないので、完全に終わったことだと思っているのか、私と同じように頭の中では考えているのか、分かりません。 頭の中に思い浮かぶという事は、誕生日を祝う気が1ミリでもあるということなのでしょうか? しかし、これから親密に関わりたくはないから何かしたりするほどではないのではという気持ちもあります。 自分の気持ちが分かりません。 日常の中で、こういう事で悩むことがたまにあります。 こう思ってると自分に思い込ませて、でも本当は逆の事を思っていた。という事です。 煩悩のようなものなのでしょうか? どうしたら素直な考えを示すことができますでしょうか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

今後の生活についての不安

お世話になっております。 いろいろな不安はこれまで解決を図ってきたのですが、今後の生活についての不安が解決できないので相談します。 今、病気休職中で、腹部の不快感がありますが、一番ひどい時は、 精神面では、落ち込み、希死念慮、 身体面では、めまい、耳鳴り、頭痛、腹痛、息苦しさ、胸の痛みなど、ありとあらゆる不調がありました。 読書をしたり、デイケアに行ったりして、専門家の助けを借りながら、良くなっています。先月は、原因不明の小腸閉塞になって、入院しました。 今年に入って、神棚を置き、日々の感謝の気持ちと意気込みを伝えています。 そうしているからか、入院中は、都合で家族は病院には来れず、看護師さんの助けを借りながら、洗濯など身の回りのものは基本的に自分でやっていたにも関わらず、悲観的な気持ちにはなりませんでした。他の入院患者を見て、自分は腸が詰まっただけでましだとさえ思いました。 死に関しては、死に方によって程度の差はありますが、どんな死に方も不徳をおかすと考えるようになったので、死にたいと思うことはなくなりました。徳と不徳の合計が0になればいいなとおもっているのですが、今のところ、不徳ばかり積んでいるように感じます。 原因不明の腹痛を抱えながら、激務の環境に戻れるのか、転職するにしても採用されるのか不安です。腹痛以外、健康になったと思うので、働きたい気持ちもありますが、再休職してしまいそうです。 自分が必要で無理なく管理できるものと衣食住、年を取って働けなくなったときの必要経費があれば十分だと思うようになったので、贅沢は言いません。ただ、自分で動ける以上、公的な保証をできるだけ受けず、社会に貢献して食費や自分をメンテナンスする費用を稼ぎたいと思っています。今は、頼らざるを得ないのですが。 健康と労働をどのように気持ちの整理をつけていけばいいか、アドバイスいただければと思います。

有り難し有り難し 6
回答数回答 2

死にたい。

以前、ここで相談させていただいた者です。 あれから夫婦関係の修復に努めてますが改善の兆しが見えません。 まだ、別居とかしてないんですがほとんど会話も無い状況です。 カウンセラーの方にも相談してますが、今は辛抱我慢の時だと言われてます。 でも、毎日が辛く死にたくなるんです。 幸せだった頃を思い出し、あの頃には戻れないと思うと絶望感に襲われます。 離婚しない理由は子供たちと離れたくないし妻を愛してるんですが、正直1人になるのが怖いんです。 これから先何十年も一緒に居るつもりだったのに1人になると考えると死んだ方がましだと思ってしまいます。 いっそのこと、離婚届・退職届置いて海外に失踪してそのまま死んでしまいたいくらいです。 そんなことをしょっちゅう考えてます。 本当に毎日が辛く希望が持てず生きる意味がわかりません。 死んで楽になりたい。 本当にそう思う毎日です。 死ぬのは良くない。 当たり前に皆言います。 でも、誰一人助けれる人は居ないと思います。 死にたいと思う人の気持ちは夢・希望がある人には理解出来ないと思います。 毎日の葛藤してますが答えは出ません。 どうか助けていただけないでしょうか。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 71
回答数回答 4

生きるとは?

いつもお世話になっております。 今週も、新しい経験ができ、新たな自分を見つけることができ、ありがたいなあと感じています。その中で、「なぜ生きるのか」についてある考えに至りました。 生きている理由は、ご先祖様からの課題を解決するためだと考えます。これは、兄弟間でも異なるのではないかと思います。課題解決のために、身体と能力を与えられたと考えます。解決方法は、行動実験してみて、五感で自分がどう感じるかということを実証することだと思います。自分の内面を見つめることだと思います。 例えば、坐禅、書道、神社参拝、寺院参拝、コーラス参加、仕事をする、家事をする、テニスをする、など日常生活すべてを行動実験にすることができるのではないかと思います。この行動実験が修行なのかと思います。 だから、いろいろなことをやってみるというのは大事なことで、これが自分に与えられた課題を解決していく近道だと思います。 とはいっても、課題が何なのかと認識したり、五感を使いこなしたりというのは、自分のことなのに難しいですよね。これらがよくわからないから、苦しむのかなと思います。 生きるとはどのように考えますか?

有り難し有り難し 35
回答数回答 2

自己愛性人格障害

私は自己愛性人格障害です。 アダルトチルドレンにも当てはまるか、アスペルガーか?色々調べましたが 自己愛性人格障害が1番あてはまります。 私のものの考え方全てがこの考え方です。 本を読んで治そうとしましたが なかなか理解できずに人間関係に苦しみ続けています。どうしても嘘をついたり、自分中心の考えになり、恋愛も一瞬で愛想つかされます。あなたには心がない と 「普通の人の常識は 相手と仲良くなりたいから、親切にしたり、喜んでもらったり、自分のことを知って欲しくて 打ち明けたりする。 しかし自己愛性人格障害の人は 相手を自分の魅力で惹きつけようとする」 という記事を読みハッとしました!!! 人間関係とはそういうことだったか…と だから助けたり助けられたりができるのかと 例えば、私は助けてもらうことしか考えていなくて、そうしない人は冷たい人だと思う傾向があるようです ならば常識はどうするのか? わかりやすく普通の人の常識を教えて頂けないでしょうか? こういう傾向があるので、変えましょうね、という言い方は今まで色んな人に言われたり 本でも読みましたが、自分が1番正しいので理解できていないようです 普通の人の考え方を見習います 価値観を変えたいです よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 31
回答数回答 1

人間が変わるのは不可能なことなのでしょうか?

 私は10代~20代前半にかけてかなり自由奔放に生きて参りました。それ故、当然多くの人を傷つけてきたのですが、ここ数年その過ちにようやく気がつきました。    今までしてしまったことは無かったことにはできないけれど、気づいた時点で改めねばと思い、それからはなるべく他人優位で物事を見、考えるようにし、どれだけ魅力的であっても道理に反することには踏み込まないようにする生活をおくることにしました。(こんなこと、20代の半ばにして気がつくこと自体お恥ずかしいのですが)  「他人の立場に立って」物事を勘案していると、どれくらい相手に譲歩するのが適当なのか分からず、時には良くない人につけ込まれることもありました。  しかし、それは今まで私が他人にしてきたことの報いであり、塩梅が不慣れなのもこれまでそういうことをしてこなかった代償だと思いました。なので、被害者のような顔をするのはおかしいと思い、受け入れねばと思いました。現在も、一見自分にとって理不尽に思えるできごとも、そのように考え、受け止めております。  そんな中、先日知人(昔の私をよく知る男性、過去の私の振るまいが目障りでもあったしとても好きだったと言われました)に「今更可愛い子ぶるな、お前の人生は一生汚いままだ」と言われました。  この人はただ雑談をする程度の仲で、特に何かひどいことをしてしまった覚えはないのですが、私が変わってしまったのがおもしろくなかったようです。  そこでお聞きしたいのですが、過ちに気づき、上記のようなスタンスで日々をおくっていても、全て無駄なのでしょうか。 「お前はそんなキレイな人間じゃない」という彼の言葉通り、クズは一生クズのままなのでしょうか。  やってしまったことは精算できないし、自分のこれからの姿勢が報われないにしろ、少しでも品行の整った人間でありたいと思ってしまいます。 (ちなみに上記の出来事は、件の彼が婚約者がいるにも関わらず、一緒にハプニングバーへ行こうと誘ってきたので、軽率じゃないか?とお断りしたところ「過去のお前はもっと面白いヤツだったじゃないか」と、こんなふうに言われました。)  お坊様のお考えをお聞かせくださいますと助かります。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2