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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

49日までの間、残された私達がするべき事!

父が、急死して母は毎日泣いてます。 「お父さんは自分が死んだ事に気付いてないと思うから、あっちにいけるか心配」と母は言います。 もちろん、ささやかですが葬儀を済ませ、実家には毎週、曹洞宗のお坊さんがきて下さりお経をあげて下さってます 実家へも車で片道三時間かかりますが、出来る限り私も行って、父に手を合わせ「お父さん大丈夫だからね、私達も頑張るから!」と声をかけに通っています。 父は、一瞬過ぎて、死んだ事にきづいていないのでしょうか? 私達の事は見えているのかな? 49日までに、してあげると良い事、その後出来なくなる事など何か些細な事でも、ありましたら教えて頂けたらありがたいです。 一番近くにいた父がなくなり、49日までのお互いの過ごし方やマナーなど、きっと知らない事もあるのでは、と不安です。 お花、お経、ロウソク、通常のお供え物の他に仏様が、喜んでくれる物や事もあれば、ぜひお教え下さいm(__)m いまだから、父にしてあげられる事、してはいけない事、初歩的な質問かも知れませんが、改めて教えて下さいm(__)mませ。 お忙しいところ、最後までお読み頂き感謝です ありがとうございますm(__)m よろしくお願い致します。

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出家するということ

こんにちは。今日は出家するということの意味について質問いたします。 俗世間は修行の場であるとつくづく思います。この数週間、こちらは夏休みということもあり、毎日仏教について学んだり瞑想したり、とても大きな生きる知恵を得ています。もちろん、知れば知るほど自らの至らなさや愚かさにビックリがっかりして足踏みすることも有ります、仏教初心者ですが残りの人生かけて努力するつもりでおります。 そこで質問です。俗世間は生きてゆく上で避けられない修行の場です。 ですが、出家するということはこの俗的な苦しみを出来るだけ避けて清らかな心にする、悟りに最適の場所を選ぶ、そういうことなのでしょうか。 出家できる環境の人もいればそうでない人もおります。 学校に例えますと、ある専門学校があるとします。そこにいくと専門職につく最適な近道になるわけです。 ところが、学校に行きたいけど状況が整わず行けない人もいます。学校になど行かなくても通信教育を受けたり、別の道は沢山あるでしょうけど、指針がしっかりないのです。 それに、こういう状況を、まあ縁だからしょうがないだろうととることもできるかもしれません。(今世はそういう時でないとか) 出家しないと得られないこととはなんですか? また、出家する人としない人の違いはなんでしょうか? お坊さんがたが、なぜ出家なさって生涯にわたってお釈迦様の教えに忠実に生きて世の中の人々の役に立とうと考えられたのか、ご自身の経験などを教えていただけると幸いです。 子供が三人おりますし、修行のみならず毎日はたくさんの喜びと幸せに満ちていますので、何もほかの人生を望んでいるわけではないのですが、出家されてお寺に従事されておられることが理想的だなあ、とちょっと思ってしまうのです。それは現在に不満があるからなではなく、仏教の生き方がまさに真の道だなあと思うからです。 回答お願いいたします。

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宗派の違い

何度も質問させていただいております。 毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。 さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

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法要の際に法話をしていただけない

主人が亡くなり2年が過ぎました。 それまでお寺とはご縁が無かった上、いきなりの事で選択する余裕など無かった為、紹介されたお寺の檀家となりました。 葬儀を引き受けていただく際に檀家になる事が条件で、断れない状況でした。 今まで親戚や知人の葬儀に参列した事が何度もあり、通や・葬儀・初七日法要・初盆など、必ずお経の後、ひと言ふた事有難いお話をしてくださり、心が和んだものでした。 しかしながら、主人の通やから、三回忌法要まで、一度も法話らしきものがなく、お経が終わるとサッサと帰られます。 私ひとりの時は構わないのですが、沢山参列してもらった時には、違和感を感じております。 40代のご住職なので、お若いわけではありませんし、お布施も少し大目にしているつもりです。 臨済宗ですが、全く法話をしない宗派があるのでしょうか。 また先日の三回忌に、数珠なしでお経を唱えておられる事に気付きました。 大事な法要ですのに、ショックです。 聞くのは遠慮しましたが、きちんと供養になったのか心配です。 今までの立ち振る舞いや葬儀社からの印象など、仏に仕えている立派なイメージがなく、尊敬できません。 主人にも申し訳なく、檀家をやめたいくらいですが、簡単にいかないでしょうし悩んでおります。

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墓地に入り罰が当たりませんか?六地蔵様によだれ掛けは?

家族でtvで紹介された山奥のイベントエリアへの帰りに 駐車場行く手前に細い道があり、何故か導かれるように自然と足が運び着いた所が、山の一角にある集団墓地でした。 古い土に埋もれていたお墓も沢山あり、ちゃんとした墓石もあるのですが、あまりお参りに来られていない様で、とっても寂しくむなしい感じがいたしました。 幼児の子供たちがお墓を回ったり私も見守りをしていた所、お墓の仏さまが歓迎するように?蝶が沢山急に舞い上がり飛んでいました。 家族で合掌して、帰りました。 ふと墓地の入口にあまり目立たない所に六地蔵様がいらっしゃいました。 ですが裸状態で夏は暑かろう。冬は寒かろう。。ふと思いました。そこで質問ですが、土地柄も関係ない一般人ですが、勝手によだれ掛けをや御帽子をしてもかまいませんか? その土地の管理の人にお伺いをしないといけませんか? (山の林の中の一角なので管理の人を探すのは難しいと思います。) 検索をしたらこのような内容意見もありました➡【その土地の信仰対象ですから、地域ごとにどういった風習や伝統があるか判りません。ですからそうした事を良く知らない者が、御体を洗ったり、傘や前掛けを変えたりなど、直接手を触れて何かをするのは絶対にタブーです。そこにどんな意味が込められているか分からないからです。】と言う意見もありましたのでどうかなと悩んでいます。 去年からずっとその集団墓地や六地蔵様が気になって仕方がないのです。何か私に訴えているように感じて。。 主観的ですが、山の林の中の一角の一つのコロニーみたいなひっそりと佇んだ、あまり出入りの少ない手入れもされていない色々な種類の集団のお墓を見て、なんだか寂しさや侘しさ言葉では言い表せれない「私達に気付いて!」と言われているような複雑な感じに成りました。 それってどういう事ですか?私の思い込みでしょうか? 身内でもない私達が、そういう墓地に子供達と入って失礼ではなかったですか?それも気になりました。 そして、六地蔵様によだれ掛けをしたら、共同墓地の仏様に恨まれますか? 罰が当たりますか? どうぞ、教えて下さい。 長文失礼致しました。

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