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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

いつかその日が来た時に

いつもこちらではお世話になっております。 沢山の教えの中に日々気づきを頂いております。 ありがとうございます。 今日相談させていただきたいのは、檀家というお寺との関わりに関してです。 以前にも相談したことがあるのですが、私には歳の近い親戚が突然死したこともあり、不安症なところがあり、発作的に「家族の死」を考えて落ち込みます。 ですが、従姉妹の死が「その時が来たら、自分が見送られる側じゃなくて、見送る側だったことを見つめるんだよ」「あなたがこっちにきたら私も、祖父母も、みんないるから、会えるから寂しくないからね」と、教えてくれているようで、時間を要しながらも、今目の前にいる家族を大事にしよう。と、顔を上げることが出来ています。 そして、いつも思うのが、 わたしには今恋人も、自分の家族もいないので、いつか一人になった時に、誰にもこの悲しみを言えずに悲しみから抜け出せずに潰れていくのではないかということにも不安の要素があるのだと気付きました。 そこで思ったのが、 自分が日頃から関わっているお寺があれば、日頃からもっと仏教に触れることはもちろんですし、葬儀でお経をあげていただくことになっても、知っているお寺の方でしたら気持ちが落ち着きますし、法名の相談もできるかもしれません。 何より一人で辛い時には説法を聞きに行けたりして、孤独ではない、自分が生きているのは今であるということを感じる時間を持つことができるのではないかと思いました。 ですが、我が家は既に地域の納骨堂を用意しており、お墓のことを含めて檀家にというのは難しく思います。 更にお寺によるかと思いますが、お金もだいぶ掛かると聞きます(収入はそんなに高くないので) この場合、檀家になったり、馴染みのお寺を見つけることは難しいことなのでしょうか。 もちろん一番大事なのは場所ではなく、気持ちだというのはわかっているのですが、未熟者ゆえ、このように考えてしまいます。

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私の仏教の修行に対する不安

拙い日本語をお許しください。私は外国人です。私は30年ほど前から仏教に興味を持っています。しばらく前に、正式に真言宗の在家信者になりました。私は高度な密教の儀式を実践する資格を持っていませんし、僧侶でもありません。しかし、平信徒には毎日の勤行の儀式があります。私は様々な真言や祈り、般若心経などを唱えることを求められています。 私は、善良で勤勉な在家仏教徒になりたいと思っています。近年、私は法然上人、親鸞聖人、浄土についてよく読んでいます。これは私を強く感動させました。私は心の中で、ただ弥陀仏に身を委ね、念仏に頼るべきだと思うようになりました。在家信者として仏教に貢献していますが、自分は弱くて罪深いと感じています。私のような者には、シンプルな修行や念仏の方が適しているようです。 真言宗の方のご機嫌を損ねないようにしたいと思います。真言宗在家信者として修行する機会を与えられたことには深く感謝しています。 しかし、毎日の勤行の儀式については疑問と倦怠感を感じています。この修行をやめて、ただ念仏を唱えることはできないのでしょうか?それとも、一生、毎日、真言宗の勤行の儀式を続けなければならないのでしょうか?最終的には、個人的な感情に関わらず、必要なことは何でもしたいと思っています。しかし、私の気持ちは強力です。不安と恐怖を感じているので助けてください。

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できる範囲での仏教でいいのか

短期間に多くの質問をして申し訳ありません。 hasunohaに出会って、自分の心と 向き合うための知恵や方法を少しずつですが知ることができました。 特に死生観や生きる意味については お経にしめされている教えや、hasunohaでの問答で 少しずつ道が見えてきたような気がして、 仏教の教えや考え方を取り入れて生活したいと 考えるようになりました。 そこで自分は、書籍などで仏教の作法やお経を調べて 実践しやすいものを生活に取り入れてみたのですが 家が檀家ではないし、近所にお寺が少ないので 自分がしていることが仏教的によいのかがわからなくて、 自分が読んだ本についても、今までの学の範囲内で 意味を考えているかもしれないので もしかしたら解釈が違ってしまっているかも、と不安です。 生兵法は大怪我のもと、のように 檀家でない人、制式に入信していない中途半端な人 が仏教の教えや作法などを生活の中に取り入れても 効果はないのでしょうか? 信仰はどこから有効なものなのでしょうか? また、今後自分がどうしていくべきか (どのように仏教と付き合い 生活の中に生かしていくべきか) を教えてください。 この質問が、今の仏教に対する冒涜のようになってしまっていたら 申し訳ありません。 乱文失礼しました。 追伸 今自分がしていること 寝る前に念仏を唱えて、阿弥陀さまにその日のことや 次の日のことについてご報告させていただくこと。 同じように空いた時間に念仏を唱えること。 お経や教えを心に留めて日常生活をすること。

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住職の方から傷付くことを言われました

初めまして。 お寺のこと、お坊さんのこと、あまり詳しくないため的外れなことを書いていたら申し訳ございません。 今年の1月に祖父が亡くなりました。 百か日法要の際、親族が集まる中、元気にハキハキとお坊さんはこう仰いました。 「いやー妹さんは美人でスラッとしてる!お姉さんはー…残念だけども!」 この言葉を聞いた時、私は呆気に取られてしまいました。 ただ目の前のお坊さんは楽しそうにそう仰っていたので、つい愛想笑いで返してしまいました。 私は間違いなく怒るべきでした。 その場の雰囲気に流されて愛想笑いをしてしまったため、お坊さんもそれが悪いことと分からず今後も同じことを繰り返すのだと思います。 残念と言われた事がずっと頭から離れません。 かといって綺麗になるため頑張ろう!と思っても、次にそのお坊さんに会った時「自分の一言で変わった」と思わせるのも癪です。 次は一周忌でそのお坊さんと会うことになります。 また見た目をからかわれるかと思うと、行きたくないと心から思います。 またそ思ってしまうことを祖父に対して申し訳なくも思います。 こういうお坊さんにお灸を据えるにはビシッと言うしかないですよね。 ただ今後付き合っていく親族に対してお坊さんからのあたりが強くなっても困るし…でも私は傷付いたし…と考えがまとまりません。 私一人が我慢し続ければ丸く収まるのだなという考えに悲しくもなります。 私はどうしたら良いのでしょうか。

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聖天信仰におけるご真言について

聖天様を信仰しております。 毎日、聖天様のご真言千反をお唱えしております。 聖天様は自宅に仏像をお祀りすることは絶対にいけない(十一面様も軽くお祀りすることもよくない)と聞いております。 聖天行者様以外が、聖天様のお姿を見ることはよくないとも聞いており、ネット等にある仏像や仏画等も見ることはよくないとも聞いております。 毎日聖天様のご真言を唱える上で、仏像も画像等も意識におかず、お札のみに対して、聖天様をどのように意識して真言を唱え続ければ良いのか、どのように聖天様に意識を繋げていけば良いか、どうしても体感的にわかりません。 どのようにすれば良いのでしょうか? また、ご真言も含めお経も、本来は阿闍梨様にお授け頂いた上でないと、密教として越法罪になると聞きます やはり、ご真言を知っていたとしても、正式に阿闍梨様にお授け頂くべきでしょうか? もうひとつ、事情があり、ふたつのお寺の聖天様のお札をお祀りしているのですが、やはり、別々にご真言をお唱えした方が良いものでしょうか(おひとつは単身の聖天様、おひとつは双身の聖天様、また、おひとつの本地は十一面様、おひとつの本地は千手様になります) 以上、長々となりましたが、ご指導のほどどうぞ宜しくお願い致します

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父は今、私の傍にいるのでしょうか?

2ヶ月前に父が亡くなりました。 自分が7歳のときに両親は離婚しております。 原因は父にありましたが、離婚後も家族で会ったりお出かけしたりしていたので、仲は良好でした。 当時はいつもまた一緒に暮らせないのかと、願っておりました。 大学に進学する際、近くに1人で住んでいた父の元で2人で暮らすことになりました。 嬉しかったのですが正直どう接したら良いのか分からず、戸惑い、距離を置いてしまいました。 しかし大学で馴染めず精神病にかかり、莫大な学費を父親が全て払ってくれたにも関わらず、僅か1年で中退しました。 その間もずっと、休学費用、生活費、病院費等全て父が負担してくれていました。 その後引っ越して一人暮らしするようになり、父と会う機会も少なくなりましたが、 父はいつも心配してくれていて、少なくない金額を振り込んでくれていました。 総額にしたら、結構な金額になると思います。 普通のサラリーマンだったのにです。 その父が1年半前くらいに家族で会った際 「癌が見つかった」と話しました。 私は心のどこかで「まだ大丈夫」「いつか治る」と思っていました。 或いは受け入れられなかったのかもしれません。 癌と聞いて、もっと会いに行ったり連絡をすれば良かったのに、 私はたまに 大丈夫?と連絡する程度で、特別なことはなにもしていませんでした。 そして数ヶ月前に複数箇所へ癌が転移。 2ヶ月前に亡くなりました。あっという間でした。 家族で最期を見届けることができたことは幸いでしたが、未だに後悔しかありません。 なぜもっと大学で頑張れなかったのか。 もっと仲良くしておけば良かった。 癌と分かってから、もっと会いに行けば良かった。 お金ばかりかけてしまって、謝りたい。 1番謝りたいことは、 父が亡くなったあとに知ったのですが、父は私が父のことを嫌っていると思っていたようなのです。 会って、その誤解を解きたいです。 葬儀の夜、父の遺品のネクタイで首を吊ったのですが、怖くて死ぬこともできませんでした。 そのとき、暑い夜だったのに異常に寒くなったので、もしかしたら父が傍にいたのかもしれません。 父に会いたいです。 会って今までありがとう、本当は大好きだったと伝えたいです。 父は、いまわたしの傍にいてくれているのでしょうか? まとまらず、長文で申し訳ありません。

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