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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

お坊さんの飲酒はおかしくないですか?

お坊さんがお酒を飲むのはおかしくないですか? もちろん付き合いで飲まなければいけないという状況があると思いますのでそこはしょうがないと思います。 しかしお坊さんが"自発的にお酒を飲む"ということに疑問があります。 お酒(アルコール)って合法なだけで厳密に言うまでもなく精神に作用するドラッグの側面は切り離せませんよね? 過去にアメリカで規制しようとしても辞められない人が多すぎて断念したほどには依存性の強いドラッグだと思います。 飲めばリラックスし気分が高揚し嫌な出来事があっても忘れられる作用がある。 僕はお坊さんは心の専門家で苦しみからの開放を求め実践するプロフェッショナルだと思っています。 それでも飲むということは仏教では解決できない、お酒を飲まなければ消せない苦しみもあるということなのでしょうか? 酒に飲まれなければ良いという問題なのでしょうか? 体がお酒に強く酔ってる自覚がないならオッケーってことなんでしょうか? 酔う為ではなく味を楽しむ為に飲むという事を言う人もいると思いますが、なら美味しく味付けされた脱法ドラッグを少量なら使ってもいいんでしょうか? 今はノンアルコール系もあるのにわざわざアルコール入りを飲むってことは酔う為にお酒を飲んでるとしか思えないのです。 執着から離れ、事実に親しむお坊さんがなぜわざわざ事実を歪める作用のあるお酒を飲むのかわからないのです。 僕はお酒は飲みませんが嫌なことやストレスが強い出来事があると以前より頻度は減りましたが抗不安薬を使ってしまう事があります。 抗不安薬はリラックスし嫌なことが気にならなくなるお酒と似たような効果があります。 それが嫌でどうにかやめる方法はないかと仏教に興味を持ちだしたのにお酒は飲まれなければ飲んで良いとか言われると薬と変わんねーじゃん!と思ってしまいます。 嫌な時ではなく平時に飲むのですと言われればより悪いじゃん!って思います。 誤解して欲しくないのはお坊さんなら戒律を厳密に守れ!と批判している訳ではなくプロのお坊さんですら酒を克服できないなら僕が薬を完全に克服できるわけがないことが確定してしまうので仏教に対して失望してしまうのが嫌なのです。 お酒を飲むお坊さん、気を悪くさせてしまっていたら本当にごめんなさい。

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宗派の戒律を守らなくてもいいですか?

夫が急死しました。 50歳前とまだ若かったため、葬儀や宗教のことなどあまりよく話あわないままでした。 葬儀に際して、夫の兄弟が宗派のお寺に連絡をとってくれて無事に葬儀は済みましたが、その後の法要をお願いするにあたり妻である私に入信するように言われ、夫の供養のためにと思い入信しました。 (結婚した当初に宗派の話はでましたが、戒律が厳しいので無理に入信しなくてもいいと夫に言われ、その時は入信しませんでした) 夫自身も特に熱心な信者ではなかったため(お寺には行かなくても、墓参りなどはまめに行き先祖供養には熱心でした)私もあまり夫の信心する宗派のことをよく知らないままでいました。 しかし葬儀を行い、その後の供養のことなど確認すると、他の宗派に比べて色々と違うことがあり戸惑うばかりです。 そもそも私自身にその宗派の教義に心打たれての入信ではないから、その決まりごとの多さがなんだか狭量な気がして仏様とはもっと心が広いものではないのかとなんだか悲しくなってしまいます。 とはいえ、若くして亡くなった夫のためにきちんと供養はしてあげたいとう思いも強いです。 四十九日も近づき、仮祭壇を返却する日ももうすぐです。 色々用意しなければいけばいのに、仏壇がその宗派専用のものでなければいけないとか、位牌はおかないとかの決まりごとがいちいち気になって気持ちが滅入ります。 供養は残されたものの気持ちなのだから、私の好きにしたらいいんだという思いと夫をきちんと供養してあげたいという気持ちがせめぎあって夜も眠れません。 どうしてもっと一般的な宗派を信心してくれなかったのかと今は亡き、夫の両親をうらめしく思う気持ちさえわいてきます。 熱心でなかったとしても夫が入信していた宗派の戒律を守り、そのしきたりに則って供養するのが正しいことでしょうか。 それとも戒律に違反しても私がこんなふうにしたい、というやり方で供養してもいいのでしょうか。 何卒ご教示ください。

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真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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お地蔵様。

こんばんは。 プロフィールにも書かせて頂いたのですが、幼い頃より祖父の隣で読経したりお墓参りやお供えをしたりしていました。 結婚し子供にも恵まれ、祖父が亡くなってしまったこともあり、なんとなく仏教というものと疎遠になっていたのですが、最近になりまた仏教に関心が出てきて、子供の頃なんとなく諳じていたお経の意味やその他諸々を勉強するようになりました。 まだ子供が2人とも小さいこともあり、毎日のお勤めまではなかなか継続して出来そうもないのですが、いずれは祖父のように、ご先祖様や子や人の為を思いながらお経をあげられるようになりたいと思っています。 さてご相談なのですが、無知なのでこれが仏教となにか関わっているのかさえわからなかったのでこのカテゴリーにさせていただきました。 もういつ頃から始めたのかは覚えていないのですが、多分小さい頃から祖父と墓地に並ぶお地蔵様に手を合わせたりしていて、その癖?なのか道にいるいわゆる事故等で亡くなられた方のためにあるお地蔵様にも手を合わせています。 これは結婚してからも子供が産まれてからも、祖父が亡くなってからも続いています。 運転中にも目には入ると、片手ですが手を合わせる真似みたいにして軽くお辞儀をしていて、毎回通る道なんかは、もうすぐあのお地蔵さんのところだな、と覚えてしまいました。 自分的には、もうこんなに毎回手を合わせなくても…と思ったこともあるのですが、一度やりだすと途中で投げ出すみたいで結局続けています。 しかし人に聞いたのですが、事故で亡くなられた方のお地蔵様に手を合わせたりしていると悪い?霊が寄ってきたり、なにか障りが出るんじゃないかと言われてしまい、どうすればよいのだろうかと思案しています。 この一連のわたしの行動は、仏教的にはどうなのでしょうか。 あまりしないほうが良いのであればやめようと思いますし、大丈夫なのであれば続けていこうと思います。 それとも仏教には関係ないのでしょうか。 ちなみに祖父はお寺に建つ石の柱?みたいな所にも名前が載るほど熱心な真言宗の檀家さんで、亡くなった時はお坊さんが泣いてくださるほどでした。 なのでわたしも他の宗派に触れたことはないですが、偏見や拒絶等はございませんので、是非多角的に教えて頂きたいと思います。 稚拙な文章を長々と失礼いたしました。

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戒名と法名について

父が亡くなり、戒名と法名についてのご相談です。 4年前に兄を亡くし、現在は父の故郷に父が購入した浄土真宗の納骨堂にお骨を納めております。 そして、そちらのお寺さんで法名をいただいております。 つい最近、父が亡くなりました。 父は我が家に近い納骨堂を私が購入し、納骨する予定です。 父が生前、娘の近くが良い…と言っていた為、つい最近、我が家に近い納骨堂を購入したばかりでした。 こちらの納骨堂は宗派問わずですが、管理をされているお寺さんが真言宗です。 葬儀の際は家族葬にした為、葬儀屋さんに手配していただいた真言宗のお坊さまに火葬場でお経を読んでいただき、戒名や法名はいただきませんでした。 やはり戒名や法名は今後、いただいた方がよろしいでしょうか? 四十九日法要の後、納骨する予定です。 その際に、納骨堂を管理しているお寺のお坊さまに四十九日開眼納骨法要をしていただこうと考えております。 そこで戒名をいただくか…。 俗名のままにするか迷っています。 いずれ兄のお骨も分骨して、こちらの納骨堂へも持ってきたいと考えています。 その場合、法名の入った過去帳を入れても良いものでしょうか? 過去帳には私の祖父母の名前も入っています。 それとも、兄も分骨の際に戒名をまたいただいた方がよろしいのでしょうか? 何が良い方法なのかご教示いただけると幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。

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人間関係の不安と僧侶の仕事

相談を開いていただき、ありがとうございます。 初めて質問させて頂く者です。 私は真言宗の僧侶になりたいと考えていますが、すでに年齢も40歳を超えています。 背景は、地方におり、経済的に豊かではなく、働かずに4年大学に入学し直すのは難しい状態です。 信仰は、親族の友人から親が紹介を受け、師僧について幼い頃から滝行や読経を行ってきましたが、出家を決意した時に師が僧侶ではなく拝み屋さんであることがわかり、師僧を探し直す必要が生じました。 師が生活のために行っていたことを鑑みると、仮に僧侶になれた後、中途からお仕事はあるのでしょうか。 また、真言宗の信仰でいつも人間関係に悩んでいました。 具体的には、幼い頃から信仰のために寺や札所に行く機会が多々ありましたが、常に師の周りにいる弟子や信者の女性に所謂ヤンキー風の方が多く、また非常に上から目線でいかに自分の霊感が強いか自慢され、静かにお参りし穏やかに帰れたことがないのです。 行に参加し、心清らかに静かに内観する中で、修行より女性のアルバイトや見習いから受けるからかい、いじめが辛いと思いました。 強く申し上げておきますが、あくまで尼僧の方を除いての話だと思ってください。 なぜ真言宗の僧侶以外の女性の方々に、所謂ヤンキー風で霊感自慢をする方が多いのでしょうか。 私は静かなため常に絡まれやすく、大変悩みであります。 不思議に感じて質問させて頂きました。

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