私の実家は浄土真宗、 主人の実家は真言宗です。 主人は、長男ではありません。 私は小さいときに父を亡くしたことで、浄土真宗になじみがあり、また浄土真宗の考えかたなどに救われてきたこともあり、亡くなったときには、出来れば、夫婦ともに浄土真宗でいきたいと思ってます。(片方が嫌というわけではなく、どちらも大切には考えてます) そのことについて、主人と話をすると、 主人は、こだわりがなく、真言宗でも浄土真宗でもどちらでもよいと言ってくれてます 主人の実家の宗派ではなく、私の実家の宗派を受け継ぐことに問題はないですか? 長男だとなんとなく少し大変な感じがしますが・・・ それと、そうすることは(妻の宗派を受け継ぐこと)「改宗」にあたりますか? (私は信仰心がありますが、主人はほぼなじみがないので信仰心はないです。親の宗派が真言宗という感覚です) 宜しくお願いします
初めまして、この度自分では消化できない思いが芽生えまして。 お時間のある時に疑問に答えて頂けたらと思います。 先日、身内に「お坊さん方が相談にのって下さるサイトがあるんだよ」とこのハスノハを紹介したところ、身内が「なんか脱サラして僧になった人や元プロレスラーの僧がいるんだな……」となにやら神妙な顔で呟いたなと思いきや、 「この人らって僧になる前に大なり小なり犯した罪ってどうしたんかな?」 「人の悪口を言ってしまった、ネットで誹謗中傷してしまっただの相談に説教かましてる坊主がいるけど、この坊主らは今までやってきた前職でおかしてきた罪や行いはどう折り合いつけたんだ?」 「例えば元プロレスラーならそういう職業とはいえ汚い言葉で相手に暴言吐いたり殴ったりしただろうに」 「仏の道に入るんだから前に殴った相手だとか1人1人にちゃんと謝罪したんかな?それとも仕事だから別に悪い事じゃないとか思ってんのかな?もしくは過去は過去ってことでその事は切り捨てたり忘れたりしてるのかな?仏道に入ればそういう行い全部帳消しになったつもりでいたりするんかな?」 「なんにも過去を清算してない坊主が、ここで必死な思いでどうしたら良いか相談しに来られてる方々に説教してる姿に違和感がある」 「自分の事棚に上げて説教してるんならある意味偽善者よりタチが悪い気がする」 と、そのような事を言っておりました。 私はそれを聞いた時にギョッとしたものの、確かに…とちょこっと共感するところがありました。 お坊さんになられる前の職業でいろいろあった方々がいらっしゃると思いますが、過去の自分の行いにはどのように向き合っていらっしゃるか教えて頂きたいです。とても気になります。
はじめて質問させて頂きます。 私はお寺関係の血筋でもなく、付き合い?のあるお寺もありません。 福祉の相談関係の仕事をしており、身寄りもなく独り身で、お金も全くない、菩提寺もないかたを見送ることがあります。 そんな時、せめて私が僧侶なら小さいお葬式をあげて差し上げられるのに。と思うようになりました。 あと、現在新型コロナウイルスの関係で、福祉施設にお坊さんを呼ぶことができません。毎月みなさんとても楽しみにしており、他のことで喜んでもらおうと楽器の演奏など自分に出来ることをしますが、やっぱりお坊さんの話を聞きたい、みんなで正信偈を唱えたいようです。私が僧侶なら法話ができるのにと思うようになりました。 動機としてはハテナ?な点もあるかと思いますが、僧侶になりたいと思っています。アドバイスよろしくお願いいたします。 補足・現在、通信制の大学院で福祉を学んでおりますが、仏教の授業がひとつだけあります。その授業の時に、仏教にものすごくひかれまして、上記の思いが強くなりました。 「浄土真宗」と書かせていただいたのは、私が住んでいる地区では浄土真宗が1番多く信仰されているからです。私や主人は実家が天台宗のお寺にお墓がありますが、実家が県外でお寺との付き合い?もなく、乱暴な言い方ですがお墓があるだけといった感じです。実家の親たちもお墓参りに行くくらいで、信仰してるかどうかといえばそうではないといった状態です。
こんにちは。前回の『慢』についてのアドバイス有難うございました。とても参考になりました。お陰様で、慢が出たー!と気づいたら掴まず放置してみると、勝手に鎮まるようになりました。 今日教えて頂きたいことは、以下のことです。 お釈迦様は、人々が占いを生業とすることを禁じたと 或るお坊さんから聞きました。 それは本当ですか? エピソードや出典も もし可能でしたら知りたいです。 占いという不確定なもので人生左右されてしまう人もいて、可哀想に思います。 仏法を学ぶ方がはるかに良いと思っています。
1.天部様は仏教を守護する神様ですよね 日本の神道における神々と格の違いはあるのでしょうか? 2.氣の練り方でコツなどはありますか? 私は毎日気を練る練習はしているのですが、まだまだよくわかりません。
お坊さんは、普段から、体力増進のために特別なトレーニングなどされていますか。日々の修行・仕事で、それは培われますか。
はじめまして、お世話になります。 私は看護師の主任をしています。 3月から毎日コロナ対応に追われています。 自分が感染するのではないかと言う不安にかられながら、スタッフの体調、メンタルに気を配ってきました。 ですが長引くコロナの蔓延にスタッフの体調が悪くなり仕事ができなくなったり、怒り不満不安をぶつけてくるスタッフがいたりと、色々なことが起こり自分自身が疲弊してしまいました。 そんな中、般若心経に出会いました。 もともと信仰に関心がなく、宗教といえば勧誘、お布施、入信しないと悪いことが起こる的なイメージが強かったのでなんとなく避けていました。 ですが般若心経に触れ、「全ては空である」 体、感情、もの、全ては空と言う考え方に何か 安心?安らぎのような物を感じました。 難しくて、わかったような?分からないような?全然理解できていないのですが、般若心経を読むと少し心が落ち着くのです。 早く般若心経を読みたい、学びたいと焦燥にかられ近くの高野山真言宗のお寺さんで般若心経の経本をさっと買ってきました。 もっと般若心経に触れたいのですが、私は独身で家に仏壇もなく檀家にはなれません。 調べたら入信の制度はないようで、もっと般若心経や仏教の教えについて深く学び、私の中に落とし込んでいきたいのですが術がわかりません。 お寺さんのホームページに月二回の読経会があるようなのですが、このコロナ渦の中医療従事者の私がお寺で他の皆様と一緒にお経をあげる、お話を拝聴するのは難しいです。 本当はお香の香りに包まれたお寺さんで、自分と向き合いながらお経を唱えてみたいのですが。 まだまだ続くであろうコロナと向き合うために どのように般若心経やお釈迦様の教えに触れ、 お経を唱えて行ったら良いか迷っています。 読み方も分からないのでyoutubeの読経に合わせ読んでみたり、文献やyoutubeで学ぶのが精一杯です。 何か良い方法はないでしょうか?
宜しくお願い致します。 光明真言は何度も聞いたことがあったのですが 素晴らしい意味を持つ事を最近知りまして 毎日の習慣にしてお唱えしたいと思い 回数や合掌の仕方などは調べたのですが 家でお唱えする場合、こうした方がいいなど ありますでしょうか? 声にださなくとも心で呟く事も良いのでしょうか? お教えいただきたく宜しくお願い致します。 ふとした時に頭の中で流れる程、耳に付いております。
私はポジティブな性格でいつ死んでも悔いのない生き方をしてきたつもりでした。母が亡くなった後も、とてつもない大きな悲しみを感じながらも、母はきっと今頃は亡くなった祖父母たちと天国で幸せに暮らしているに違いない、私も死んだらそこに行くわけだから、これからは死ぬ事も怖くないと思っていました。 しかし、最近、仏教に興味を持ったので、少し勉強してみると、死んだ後にみんなが極楽浄土に行けるわけではなく、ほとんどの人はまた生まれ変わってしまうこと。それも、人間に生まれることは滅多にないということではないですか。そう考えると、もう母に会えないのかもと、また落ち込んでしまいました。 悩み相談の答えを読むと、亡くなった方たちは、他の亡くなった家族と幸せに暮らしているから心配ないなどと書かれていますが、それらは単なる気休めなのでしょうか?
日頃から仏様に対して酷いことを思ったり考えたりしてしまいます。 本当はもっと感謝をしたいし、反省すべきなのに、それも上手くできません。 今日はお彼岸のお参りに行きましたが、仏像をみて酷いことを考えてしまいました。 お参りに行く資格などないはずなのに、 お彼岸だから行かなければという考えにとらわれてしまっているようです。 汚い心はどうすれば綺麗になるのでしょうか。
以前に「近所の地蔵尊」について質問した者ですが、いつも寺社仏閣や道端の仏様(地蔵尊)にお参りした時に、「見守ってくれてありがとうございます。一日一日元気に過ごせる事に感謝します」と小声で般若心経と舎利礼文・普回向・回向文を読んでるのですが、仏様や神様失礼は無いでしょうか?
長文を失礼いたします。 私の母が亡くなった折、私の父が私の母の永代供養のお願いのためにお寺へ出向いた折、私からいくつか住職に質問をいたしました。 「私、葬儀社の方にかなりお世話になりまして、で、その方たちは亡くなった方に対して一礼を欠かさず、敬意を尽くしているようにみられました。 私はお経の意味などはわかりませんが、この一連の(お経をあげる式の)動作中に、何かそうした「敬意を表す」ような行動は含まれるのでしょうか」 といった内容のものです。その住職の言動などに、どこか投げやりっぽい感じを受けましたもので。 住職の回答ですが、端的に「お経をあげることがこうした敬意になります」というものでしたが、なんとなく私は納得できませんでした。 続けてあげていただいたお経の意味をおたずねして、それについても説明していただきました。 「納得いただけましたか」という問いに対して、私は「あとは個人個人のとらえ方になってくると思います」みたいなことを言ったと思います。 その直後にご住職が激高しまして・・・。 「お前、俺のあげるお経より葬儀社の人間のほうが礼を尽くしてるっていうのか、そうなら全部葬儀社の人間に供養してもらえ!」 「俺の方が(葬儀社より)上にきまってるだろ!」 「こっちは商売でやってるんじゃないんだ!お前がそんな態度なら金は返す、そのかわりこの戒名は返してもらう」 「●●(父の名前)とのご縁もあって、特別に永代供養という形をとったが、こんな態度をとられるとは思わなかった」 私も「それは違う」「誤解だ」と色々言いましたが、聞き入れようとはされなかったように見受けられます。 最終的には「お前の言うとおり誠意なんてのは個人個人のとらえ方だろうから、それならお前が納得する寺を探せ!」と怒鳴った後、住職は席を立って退席されてしまいました。 私自身「お経なんて何の役に立つのか」といった気持ちがありましたし、そうした気持ちを見透かされていたのかもしれません。 それにこうした質問は「場」にそぐわないものでしょうし、私のような気持ちを持つ人と接する場合、かなり不愉快であっただろうとも思います。 しかし、あそこまで面罵されるとは思いませんで・・・。 二人で平謝りしたことでとりなしを得ましたが、個人的には今後の事も考えています。ほかの方のどんな見解でも聞きたいです。よろしくお願いいたします。
1、これまで出会ったデキル人達は、在家も出家も 男性も女性も 総じてプライドの煩悩も強かった気がします。他を見下している人も多かったです。攻撃的な性格の人も多かったです。 有能、優秀で、実績もあり、容姿も優れ、尚且つプライドの煩悩もない、もしくは平均よりだいぶ少ない人物を ご存知のかたいましたら、ぜひ教えてほしいです。こっそり尊敬してお手本にします。 2、読み物を読む限りは、お釈迦様はプライドが高いように感じられるのですが、皆さんはいかがお感じですか? 実際にはお釈迦様は無上の悟りを得ておられるということは、プライドの煩悩も皆無ですよね? プライドが高いかのように描かれているのは書き手の技量不足によるものですか? 3、プライドの煩悩を弱め、最終的には消すための具体的方法をご存知のかた居ましたら、教えてほしいです。 また、実際にプライドを弱めることに成功した体験者のかたいましたら、ぜひ体験談や修行方法を教わりたいです。私も修行に励みたいです。毎日の八正道の実践は正直難しいなぁと感じていますが、難しいなりに心がけてはいます。私は怠け者なので、正精進するだけでも、プラスの効果を感じております。アドバイスくださったお坊さん、有り難うございました。
そのテの大学へ行くなり、 しっかり手順を踏めば一般家庭出身でもなれない事はなのでしょうか? 僧侶でも構わないのですが、お給料が少ないとのこと。正直、お金要りませんけど、親孝行したい・・・仕送りしたい・・・
自律神経失調症、不安障害をかかえております。内科的には特に問題はないのですが、様々な心身の症状に悩まされております。規則正しい生活や食事に気を配っており医師の指示に従って服薬治療中ですが、コロナ禍と在宅勤務という生活スタイルの変化にまだ対応できていないのだと思います。 10年強前に両親を病気で亡くしましたが、両親の闘病中に般若心経と出会い、関連する書物も何冊も読みました。これらを読むことで当時は少し救われた感じがしました。 何かにすがりたくて、最近もまた読み始めておりますが、辛い症状に気がとられて、当時と比べてなかなか頭に入ってこないようです。 仏教の面からメンタルの疾患はどのようにとらえるのでしょうか。心がけについてアドバイスを頂きたく存じます。
以前とても丁寧なアドバイスを頂き、少しずつ前向きな気持ちで過ごせるようになりました。 ありがとうございます。 先日身内の初七日後にお坊さんの説法を聞き、心が洗われ元気を貰えました。 あ~もっと聞きたいなと。 どうしたら説法が聞く事が出来るか教えて頂きたいです。 検索しましたが今一つ方法が解りませんでした。 よろしくお願いいたします。
以前、西遊記を読んだ時、「羯諦さん達が守ってくれる」という表現があったという思うのですが、羯諦という仏様はいらっしゃるのでしょうか? 色々調べても分からないので質問しました。
お坊さんたちはお釈迦様の教えが 全て正しいものだと思いますか? あまり詳しいわけではないのですが 仏教はかなり女性蔑視的な 宗教のように思えます。 世尊、長老に告げて曰く、女人に九つの悪法あり。云何が九つと為すや。一に女人は臭穢にして不浄なり。二に女人は悪口す。三に女人は反復なし。四に女人は嫉妬す。五に女人は慳嫉なり。六に女人は多く遊行を喜ぶ。七に女人は瞋恚多し。八に女人は妄語多し。九に女人は言うところ軽挙なり。 この一節を知った時 私は女性ですし、 お釈迦様がこんなことを言うのかと かなりショックでした。 変成男子なんて言葉もありますよね。 仏教の専門家とも言える お坊さんたちはどう考えているのか 気になります。
先日のご回答、ありがとうございました。 お陰様で、今の生活を充実させて楽しく暮らせています。 次の質問をお願い致します。 私は仏教が好きですが、ひとつ、モヤっとしていることがあります。 それは、仏になることを目指さなければいけないのか?!という点です。 悟ってしまったら楽しく無いんじゃないかなぁ?と今の私は思ってしまうんです。たとえば、素敵な異性に素敵だと思われたい欲、仲良くしたい欲、 そういうのも無くなるだろうなと。 現状は、そういう明るい欲が、生きている中での楽しみや張り合いになってる気がします。 そのようなわけで、仏教に興味持っていながら申し訳ないのですが、如来になるのを目指すということにコミットできていません。うやむやにしたまま、仏教ライフ送っています。 私が用いている勤行用の作法本に発菩提心真言も載っているので唱えていますが、 菩提心を本心から起こせていないのに 唱えてて良いのかな?とも思います。害はないのではと思うので、そのまま唱えていますが。 さんまや戒も唱えています。 如来を目指す決心はついてないよ、、だけどおつとめは好きだからするよ、という私に 何かアドバイスやヒントがありましたら、ご回答お願い致します。
真言宗の僧侶になりたいと強く思っている方がおります。 元々幼い頃から仏の道に触れ、家に神棚があり御大師さまなどを祀っていたり、お経を唱えたりなどされている方です。 ですが、身体の一部に刺青(獅子)が入っているため僧侶になれないのではないかと、心配しております。 刺青があっても本気で仏道を進みたいと思っていれば師を取らせて頂き、仏道を学び僧侶になることは可能なのでしょうか? 回答よろしくお願い致します。