hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

ぎゃーていのサンスクリット語での語感は

先程の質問で頂いた回答の一部が、ツボにはまってかなり笑い続けています。まだ眠れません。 そこで新たに質問で聞いてみたくなったので、よろしくお願いいたします。 私がはじめて般若心経を読んだ本では、ぎゃーていぎゃーていの部分は『往き往きて』と書かれていました。何年か後、別の何かで『行こう行こう』と書いてあったと思います。 最近は知らないですが、行こう行こうなのかな?と思います。 ところで私は、日本語訳と原文の英語があった場合、もちろん日本語の方が分かりやすいのですが、英語は英語で元の感触というか、日本語訳との違いを感じ、英語の方が元々伝えたかった感じをよく伝えてるだろう気がしたりします。ネイティブはまた私と違う感じで書いてるかもしれませんが、日本語訳も合ってるのに違いがある気がするって面白いなと思ったりします。ぎゃーていのサンスクリットの感じって、日本語で読んだときと違うなって思った方はおられますか? 私は『ぎゃーていぎゃーてい』と『往き往きて』では、ぎゃーていが分からなさ過ぎて違いがありません。 行こう行こう、と言ってる言葉自体が邪魔なのかな、と思いましたが、サンスクリット語を私が語学として言語を知っていたら「ぎゃーていは必要だよ!」と思ったりするのかな、と聞いてみたくなりました。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

日本の仏教の中で自分はどれかを選べません

生涯ひとりと考えるようになり、葬式や埋めてもらう時の宗教を決めておきたくなっています。そもそも誰か私の葬式を出すのかが不明ですが、子供の頃から自分はたぶん宗教というものを好きな人間だと思っています。 しかしどうも宗教‘’団体‘’、‘’組織‘’が好きでないとか合わないと感じていてどこにも属していません。 仏教への気持ちとしては、高校生くらいで般若心経を読み、「かっこいい!」と感動してたものです。 しかし自分がいいと思った面を、日本にある宗派の短い説明を読む間に、全部の宗派が持ち合わせていない気がしてきます。 他には強いて言えば慧能の言葉も「おおおかっこいい!」と感動したのですが、では禅宗かというと般若心経に私が感じた内容と違う気がしてきます。 そのうちだんだん、感動して感じたところと宗派の説明に感じる差の離れ度で考えれば、シントーの方が身近な価値観に思えてきています。 いっそ日本の仏教なしにしてシントーかなと考えはじめています。 墓考えなくていいんじゃない、でも何でも構いませんので、ご回答頂けると嬉しいです。 (大勢いると苦手なのと、たまたま話した事があるお坊さんのふたりが、ふたりとも長く関わりたくないと思ったので、どこにも行きたくなくなりました。 ひとりは不倫を勧めていて、もうひとりは座禅会だったんですが、同僚を悪く言って(私には根拠がない話に聞こえました)「あっちの座禅会より自分の方が良いですからね」と話していました。 特に不倫の人からは話を切り上げて一刻も早くここを離れなきゃと怖くもあったし、もうこれ以上お坊さん知り合いたくないわ、と思っていました。でもそういえば幼稚園が仏教だったと思い出しました。家族が冷たかった私には、その時栗をくれたお坊さんが、子供時代に会った最も情がある人だった気がします)

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

お参りの仕方について

こんばんは、毎日の生活のヒントにいつもハスノハのお話を参考にさせていただいています。 仏教には縁があまりなかったのですが、311の震災で被災し、お坊さんに親切にしていただき心が救われた事があり身近に感じるようになりました。 近所にお不動尊のお寺がありまして、そこは普段は誰もいないお寺ですが、縁日だけは開いていて、滝があってとても美しく大好きなお寺です。 そのお寺に毎日とはいかないまでも2日に1度はお参りしています。最近娘が精神的に不調をきたしてしまい、快復を願ってお参りしています。願いを込めてお酒を絶ったりしてみたりしています。 ですが、そんな事してみても関係ないような気もするし、娘は元気にならないし、お参りをしたところで、時折果てしなく虚しい事をしているような気がして、お参りをしたってなにも変化しないのかなと、単なる困った時の神頼み的な気がして、どうしようもなく涙が出てきます。 なににどう祈ればいいのかわかりません。 身近にはお坊さんも仏教徒もいません。 どのような気持ちで礼拝すればいいのかご教授いただけませんか。 仏壇には朝夕手を合わせていますがお線香を先祖にあげてるだけのような感じです

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

苦しんで死んだ猫に今何と声をかけて良いか

猫の事で申し訳ありません。 大事にしていた猫が先日亡くなりました。 しかも苦しんで死にました。 2年ほど前に腎臓が悪くなった時は、月に5.6万かかってでも、何とか助けたくて病院に通ったり、獣医さんに教えていただき、自宅で自分で点滴をしたりしましたが、先日急激に具合が悪くなり病院ではこれ以上出来ることはないのでお家で見てあげてください。と返され、そこからはずっと側に居ました。 ただ弱っていくのを観ているだけで一週間が過ぎ、そして亡くなりました。 最後の2日程は苦しくてうめき声を上げるほどでしたが、苦しんでいるのに薬をあげることもできず、ただただ側にいることしか出来ず助けてあげることもできずにいました。 人間なら痛み止めなど何かしらできたのでは無いかと思い、亡くなった猫が可哀想で、そして申し訳ない気持ちでいっぱいです。 火葬をして骨壺に入っているその子にいつも声をかけます。 おはよう。いってきます。ただいま。おやすみ。など、でも、今までありがとう、とか天国に行ってねとか、お母ちゃんこれから頑張るよとか、大好きだよ、とか、言いたいけど、あんな苦しい思いさせておいて、何のんきなこと言ってるんだって、そんな事苦しんだ子に言えるのか?と、その子に思われるのではないかと感じて、言葉が出てきません。 確かにそうだと思います。何もしてあげられなかったから。 10年しか生きられなかった子に罪悪感でいっぱいです。 でも毎日何回も声をかけたい。 この子との思い出を幸せだった事もちゃんと思い出して話せるようにしたい。 私はどう考え方を変えていけば良いか。 何と声をかけてあげたら良いのか。 そしてこの子が成仏できるようにするにはどうしたら良いのか、お言葉をください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

他宗の御僧侶のお話を聞いて前に進みたい

物心ついた時からある宗教団体に属し現在はその対立する宗派に籍があります。 幼い頃両親が離婚し兄弟は離れ離れに。 高校生の時弟が事故死しました。 母親は離婚後外泊を繰り返しお金だけ置いて帰らない事もしばしばでした。その後再婚して弟が生まれました。母は溺愛し私も弟は可愛かったけど居心地はよくありませんでした。 父親は息子の死後すぐに再婚。一緒に暮らしていた次男は新しい環境に馴染めず辛い日々を送っていました。 両親に対しては心の底では恨みばかりでしたがいつか愛情がもらえると期待して寄り添いましたが父親はそれを望みませんでした。 母親には本当に愛されたいと願い宗教活動も一所懸命しましたが、子供と宗教の二択なら迷わず宗教を取ると言われ母親とは縁を切り信仰からも離れました。今思えば弟の供養こそすれ、母に喜んで欲しい気持ちからの活動であったと思います。 しかしこの宗派は完全な排他主義であり、謗法という名目であらゆる事を禁止し恐怖で支配して信徒をつなぎとめていた様に思われます。 親の愛情を求めても叶わず自分らしさを失いパニック障害で今は心療内科で治療を受けています。 親と信仰と縁を切ったことで今まで許されなかった神社や寺院、教会などの世界遺産を見て回りたく夫と出かけるようになりましたが頭のどこかでまだ恐怖支配から逃れられずに苦しむ事があります。 宗教に関する宗門の試験も受けた事もあり最上級の試験に合格しています。お釈迦様の事から学び始めますが試験の大半は宗門に関する事で、しまいにはお釈迦様の教えまでもが宗門の教義を説くための嘘であったというものでした。 私は勉強しながらもその理屈には心底納得できず、また他宗を信仰する事の恐ろしさから全て排除してしまう考え方を受け入れてはいませんでした。 今ではそういうものから全て解放されて自分らしく残りの人生を生きたいと切に願い、他宗の御僧侶のお考えに背中を押していただきたいと思っています。 実弟は私とも縁を切りました。彼も悩んでいたし仕方ないと思います。 幸い私にはこの決断を理解してくれた家族がおり、家庭がありこの上なく幸せです。しかし私がこの先宗門の恐怖支配から完全に解放される日は本当に来るのでしょうか? ご本尊は家にあり亡き弟の為に手を合わせはしますが返すべきかもわかりません。寺院に組織の脱退届けは出していません。 ご意見を伺えると幸いです

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 54
回答数回答 4