(編集部より。規約により一部を変更しています) いつもお世話になっております。 感謝申し上げます。 もう一人凡夫成仏している人をみつけました。 凡夫成仏していると思われるコメントは以下の通りです。 神さまという宇宙的な意識と人とをつないでいる媒介者から「メッセージ」が発せられていのだと私は思います。 心の中に直接メッセージが伝わってくるという感覚です。 Q1.神さまと向き合うにあたって,どのような心的構えが重要なのでしょうか。 無理に礼拝を行う必要はない。 Q2.神さまはどこにいらっしゃるのでしょうか。 万物が神。この世界が神。この世の中にあるものすべてが神の顕れである。自然(宇宙)が神である。お前は神の中に生きている。お前の心の中にも神はいる。霊界も,神界も,仏界もすべては自分の心の内側にある。 Q3.偶像や神話は本当のことなのでしょうか。 神仏の偶像や神話は人間が勝手に作り上げたものである。 後世の歪曲や改竄が甚だしく,事実関係を反映しているとは限らない。人の意識が神のイメージを作り上げ,人間の行いを正当化するように神話は作り上げられた。 Q4.神社やお寺に神様や仏様はいらっしゃるのでしょうか。 神社,寺院に神仏がいるのではなく,自分の意識が映し出され神仏の働きを感じ取りやすい場所が神社や仏閣だ。本来は自分がどこにいても神仏との交信は可能である。また,神具や仏具がないと神仏を拝む気になれないのは,信仰としてはまだまだ未熟である。 Q5.神仏との交信はどうすればできるようになるのでしょうか。 意識状態を変えることで誰でも神仏意識を感じることができる。 お前たちが勝手に作り上げた偶像や逸話が神仏と一体化できない障壁である。天界,地界,人界。神仏と人,これらは本来1つである。 神が色々なものに姿を変えて現れるというのもも同じである。 Q7.罪と罰についてどう考えれば? 罰とは人間の恐怖心罪の意識が罰となって生じる。神は罰を当てない。自分で自分に罰を当てているだけ。人間の社会で悪行を積み人々から怒りや憎しみを買っているのになぜ罰が当たらないのか。善良な者の身に不幸事が襲うのはなぜだろうか。 神は全てのものへ平等に光を放つ。どんな悪人にも光は降り注ぐ。その光を遮るのは本人の意志である。
仏教ってなんですか。お答えをいただく度に分からなくなりました 私達相談者皆凡夫という意味ではなにも変わらないのに、もうひとりぼっちだと嘆く人には「私達は友達です」と言い、「友達になっていただけますか」問うと「私達は向かないんじゃない?」と仰います お坊さんにも人を選ぶ権利はありますが、同じ仏教なのに相談者に対してか分かりませんが、お坊さんによってあまりの温度差に猜疑心と言うか、混乱というか、相手を選ぶ基準というか、形容しにくいのですがよく分からなくなりました 今まで相談にお答えいただいた皆さま方へ。 私なんかの回答に、傷ついたこともありましたが、お時間と労力を割いてくださり、ありがとうございました。 さようなら
hasunohaさんの最終目標はhasunohaがなくなることとTwitterで拝見しましたが、hasunohaのお坊さんはhasunohaがなくなるまで私のお友だちになっていただけますか?
私は、現在結婚しているのですが、天台宗の尼になりたいと考えています。 元々父が存命の頃から(父と仏教はゆかりはありません)いつか出家して、仏教を真剣に勉強したいと考えていました。 しかし、「実際どうすれば出家できるのか」「結婚しているけど出家していいのか」分かりません。 ですので、宜しければご教示ください。
観音経25は、どんなお経ですか? また、どんな功徳がありますか? お坊さん教えてください
久しぶりの質問になります。ほんとにハスノハにはお世話になっています。 以前にも同じような質問をしてしまいましたが、お坊さん方は神様や仏様、ご先祖様に守られているなぁと感じることはありますか?(良い方向に導いてくださっている等) 私は最近、守られているなぁと気づくことができています。本当にありがたいことだと思い、毎日感謝しています。
お坊さまがヘイトスピーチをしたことで世間はワアワア言っているけど ヘイトスピーチするほとんどがお坊さま以外の方々であり ヘイトスピーチは決して良くないものだけど そのことをそのお坊さまが私たちに気付かせてくれたのだから そちらの方が大切であり取り上げられるべき事柄なはず 言ってはいないし書いてもいけない けど思ってもいけない けど一度も人を悪く言ったり蔑んだりしたことのない そんなピュアな人なんていないはず そもそも人がピュアな訳ないのだから ヘイトスピーチしたお坊さまから学ぶことはたくさんある バカにしたり見下すなんてとんでもない ただお坊さまだって人間なのだから 間違うこともあるし 批判されるべき時もある 人を羨んだり憎んだりしても ただただ言葉にしてないだけ 言ってないだけ書いてないだけ そういう真に仏さまのような人がいるなら それこそ仏さまであり 人間ではない どんなかたちでもいい どんな捉え方でもいい 今一度自らを見直し 正し いかに生きていくかを見直す 良い機会と捉えて これからやり直していく そのお坊さまと自分自身とを どちらも見守っていきたいものである 私も人間なので 正しいことを言えるとは思えないけど 私は今回のお坊さまからは 学ぶべきことがたくさんあったと信じる もし私が同じような過ちをおかしたなら やはり裁くだけでなく教訓としてもらいたい ところで今回批判ばかりされている方々 あなたたちはそんなに美しい心を持って生きていると言えますか? そんなに美しい人間なのでしょうか? 自らを見つめ直し考え直す機会とは思えませんか? そのお坊さまは誰かを特定しようとネット上を奔走されている方々 あなたたちがしていることは 全然美しくないですよ 怒りに満ち溢れるほどに どんどん心が荒んでいっていることに そろそろ気づきましょう ヘイトスピーチしたお坊さまを 批判するか 学び考え直す機会とするか どちらをあなたは選びますか? お坊さま方へ やはり人間は人間です お坊さまも人間だってことを 忘れている?気づけない?人たちに いかにお坊さまが人間であり 今回のことで何を学ぶ機会としたらいいのか 私や皆さまに教えていただけると有り難いです
今から書くことは、特に深い悩み事ではなく、もし気が向いたらお付き合い頂けると幸いです。 沢木耕太郎の『深夜特急』を、割と最近読み終わりました。 この話は、1970年代に当時26歳の青年沢木耕太郎が香港からロンドンまでをバックパッカーとして旅するノンフィクションです。何度も読み返していますが、読む度に新しい発見のある、面白い本です。 その中で、また一つ発見がありました。 確か4巻の中盤あたり、沢木は西洋人に「禅とは何か?」と尋ねられます。さあ、困った青年沢木。色々知識を披露しますが、相手は納得してくれません。彼が知りたいのは禅の本質なのでしょう。 最終的に沢木がひねり出した答えは、”Being on the road”でした。相手は「ほぅ」と感心したようです。 「あ、何かカッコいい答え方」と、私も思いました。 ところが。ネット上では批判もあるようです…。 なので、自分ならどう答えるか少し試してみることにしました。 禅とは鎌倉時代に興った鎌倉仏教の一つ。曹洞宗と臨済宗があり、当時身分の低かった武士たちに向けて分かりやすくしたもの。建物はシンプルで武士好み。仏像は写実的で武士好み。阿吽の像は筋肉ムキムキ。 あと何だろう、朝早くから坐禅をして、ウトウトし始める不心得者がいると、後ろから木の棒でポカリとやられるのを、ドラマかマンガで見たような…。 ダメです。本質に迫るどころか周縁をくるくる回って終わってしまいました。しかもあやふやな知識で。 因みにWikipediaも見ましたが、あの日本語は私には解読不能でした。増して外国の人に噛み砕いて説明するなんて絶望的です。 そこで、専門家の人だったらどんな風に答えるのだろうと興味を持ちました。 外国人だけでなく、私のようなあまり知識のない人に「禅って何ですか?」と聞かれたら、何と答えますか?
先月からお世話になっております。 きなこです。 先程ペットの愛猫が亡くなりました。まだ1歳でした。死因は貧血です。 実は同じ症状で7月から10匹亡くなっています。 私の家は多頭飼いですが、感染症とは違うみたいで原因はわからないそうです。 経済的にも余裕は無いのですが何匹か輸血もしましたが、皆亡くなりました。 病院の先生から経済的にも負担になるので、家で看取ればどうですか?と言われていたのに、もしかしたらと思い輸血して1匹で死なせてしまって後悔。 なので、全く同じ症状なので今回は家で看取りましたが、もっと経済的余裕があればとか、この子は輸血したら助かったかもとか、また後悔です。 後悔ばかりしてる私に、動物病院の患者さんが、もっと苦しむ事を言ってきました。 それは「猫は死ぬとき飼い主の不幸をしょえるだけ背負って逝く。人間の不幸は大きく重いので、足元がヨロヨロしながら進む。飼い主が悲しむと前に進めず立ち往生。」(まだ続きがあります。その方もネット上で見たそうです。 内容はあってますが、元のとは言葉が違うかもしれないです) 私は仏教徒です。何か文献で見ましたが仏教では、自分の不幸(悪いこと)は自分の行いが還ってきてる(因果応報)と書かれてました。 私の不幸(良くない事)は自分自身が引き起こしたのに、それを猫達が小さな肩に乗せて旅立つのは申し訳なさすぎです。 実際はどうかわかりません。そんな事無い!と言われるかもですが、猫達が何匹も亡くなって精神的に苦しい人には心に突き刺さる話でした。 私は愛猫達には幸せだけをもって旅立ってほしいです。 私に因果応報で還ってきた不幸の身代わりになってほしくないです。 病気の原因もわからないし、もしかしたら愛猫が3日に渡って1匹づつ亡くなった事や1ヶ月ちょっとで10匹亡くなった事が、私への因果応報ではないかと考え、ダメすぎる自分自身が嫌になります。 生きる必要ある?と最近よく思います。 読みづらく、乱雑な文面で申し訳ございません。
今までいくつかの相談にお答えいただき有難うございました 唐突ですが、私は愚痴やモヤモヤは誰かに聞いてもらうとそれだけでも満足してスッキリするタイプなのですが、お坊さんにとって愚痴ってやはり迷惑ですか? 正直な話、hasunohaさんしかお話を聞いてくださる相手がいないのですが... リアルやSNSでは、ネガティブを控えてるもので... もしご迷惑でしたら、この手の愚痴はhasunohaさんでも控えようと思います
過去にDV・モラハラ・裏切り・暴力・音信不通等で色々な経験をしてきました。 だからこそ人を傷つける事が出来ず人の気持ちを考えて(考え過ぎて)しまい困っていたりすると何かしてあげたいと思ったりしてしまいます。 いざ私が逆に頼るような行動を取ると皆スルーし、付き合っている人には連絡を無視される状態になります…。 見返りを求めない、相手にしない、去る者は追わず…そう頭では思っていても悲しさや悔しさ等、負の感情が出てきてしまい苦しくなります。 お坊さんは修行しているので常にプラス思考だと思いますが… 私と同じように、頭では見返りを求めずに良い事をしていても何かあった時に悲観的になって苦しくなる。 という経験をした方はいるのでしょうか…?時には発狂したくなる時は無いのでしょうか? 悲観的な感情や、ぶつけどころが無い場合どのように自分の心を平穏な状態に持っていくのでしょうか? 可能でしたら色々なお坊さんのアドバイスをお聞きできたら助かります。 よろしくお願いいたします。
お坊さんこんにちは。 仏教のことで気になっていることを教えて下さい。 僧侶だった知人いわく、「人を呪う経が存在する。しかし、その経を使うと人を呪わば穴2つ..のことわざと同じで、自分に返ってくるから気軽に使っていいものではない」とのことでした。 知人は他界しており、その後気になってネットで調べてもそれらしい答えは得られず..。 知人は私よりも年上でしたので、この話を教訓的意味で教えたのか、呪経が実在するのか....、この話の真意が未だにわかりません。 人を呪うお経は本当にあるのでしようか..?
こんにちは。一年前に仏教を知り、以来本を読むなどして、勉強をしております。そこで、とある疑問があります。 自分は写真を撮ることが趣味です。思い出の場所、大切な人物を写真に残していきたいのですが、仏教だと過去への囚われ、執着になってしまい悪いことになってしまうのでしょうか? また、お釈迦様は現在の趣味をどのような扱いにするだろうか?というのが疑問です。 ご回答いただければと思います。
きっとそのお坊様なりのポリシーのようなものかなと思いますが、最近キツイ物言いがヒートアップしているなあと感じています。 ハスノハの趣旨と合わないのでは…。
いつもお世話になっております。 色んな人の話を聞いて思うの ですが、「この世は苦である」 と説きながらも、「他者は大切 に」「信頼も大事」という教えも あり、少々理解が難しいです。 つまり、 「私もみんなも苦の中で生きる からこそ、相手にはやさしく、 信頼して、また、時には頼る ことも必要」 ということでしょうか? また、そう言われている中でも 「縁なき衆生は度し難し」など という法語もあり、???と といった感じです。 私自身も、まわりから 「縁なき衆生」と思われていない か不安です。 私自身の実体験と照合して 考えたりもしますが、理解が なかなか難しいのが実情です。 少しでも理解ができれば、より 楽に生きられるのでしょうが… お知恵を拝借したく存じます。
私は以前ここで相談した時に色々なお坊さんが大丈夫たよとか今後どうすればとかそうゆうのを教えていただきました。 そして私はお坊さんってどうやったらなれるんだろうそう思いました。 大変な修行とかってありますか? 私は人の役に立ちたいです。 内容にも寄りますが、将来の夢の一つとして見ています。 現在小学六年生女子です。 回答お願いします 。
もうすぐ母の四十九日を迎えます。 仏教では亡くなってから四十九日まではこの世に魂が居て、四十九日を過ぎると魂はあの世(浄土?)へ行くと聞いた事があります。 四十九日までは母の魂がまだ家にいると思い、遺影に話しかけたり母が好きな食べ物や飲み物(コーヒー等)を毎日供えています。しかし四十九日を過ぎ母の魂があの世へ行ってしまうのであれば、今までのように話しかけたりお供えしても母に伝わるものでしょうか? 四十九日で母が近くからいなくなるのかなぁと考えると寂しい気分にもなります。
伊豆諸島に住んでまして、当家に代々伝わる日蓮上人のお弟子さんが残してくれた巻物が数点あります。 それは開けずの守り「家に何かあった時に開けなさい」とした物で、代々当主である長男しか見てはいけないものだとされています。1月16日と8月16日にのみ家の仏壇でご開帳し、お経を上げています。先代が興味本位で開けた時に体調を崩したなどの逸話もあるほどでして… 島の日蓮宗のお寺の和尚さんから、中身が見たいと言われ、久遠寺から数名僧侶を招き、お経を上げながらご開帳した時に、正式に日蓮宗のものだと言われました。 保管は桐の箱と和紙で保管していますが、古いものなのでボロボロになっており、今後の保管にも差し支えるため「補習」を考えているのですが、普通の巻物では無いため、僧侶では無い方に見せてもいいのか、由緒あるものをネットで見つけた補習屋さんで補習していいものか悩んでいます。
タイトルとは違いますがどの宗派の方でもokです。阿弥陀如来と観音菩薩、勢至菩薩、釈迦如来、文殊菩薩。以上五柱の真言の漢字表記を教えてください