いろんな人たちの悩みや問いかけを読ませていただき、それにお答えになるお坊さまのお言葉を拝読し、「なるほど!」「イイかも!」と思ったときも、「うーん…」と思ったときも、「有り難し」ボタンを押しています。 いろんな考え方があることに「有り難し」と感じたから「有り難し」ボタンを押す。 または、悩める人たちにエールを送りたい、「そう思って悩んでいるのはあなただけじゃないですよ」「あなたは1人じゃないですよ」という気持ちを込めて、「有り難し」ボタンを押す。 いろんな生き方、考え方に感謝して、「有り難し」ボタンを押させていただいております。 なので、私のように、所謂「有り難し」と思った時以外の意味合いで「有り難し」ボタンを押す、例えば前に書いたような「エールを送りたい!」等でも「有り難し」ボタンを押すのは、アリなのかナシなのか… 決して軽い気持ちでボタンを押したりはしていません。 でも、私の想いを「有り難し」ボタンに込める押し方を、このまま継続しても良いのか、ふと疑問に思いました。 私の「有り難し」ボタンの押し方は…大丈夫なのでしょうか? 「感謝」だけでなく「エール」も「有り難し」に反映させてもよろしいでしょうか? ちょっと意味不明な質問になって、すみません。 ※不思議なことに、回答の「出だし」や「言葉遣い」で、どちらのお坊さまがお答えしているのかが、最後の回答者を見なくても、分かるようになってきました。 でも、それよりもっと不思議なことに、「答えは人それぞれ」「答えは1つじゃない」のに、辿り着く答えは1つ、「仏様の道」や「仏様の教え」であるところに不思議を感じています。
はじめまして、はるかぜと申します。 初めて質問させていただきます。 彼が僧侶です。 ただ、私は何故かお会いして居ない彼のお母さんに快く思われていないそうです。笑 一度彼のお家へ行きました。来客室で待つもお母様は面会拒否、彼の師匠にあたるお父様は会って気さくに接してくださいました。 私は会って挨拶したいのですが、会わない方がいいでしょうか。交際を否定しているようで。 どうしたらよいでしょうか。 結婚の挨拶すら拒否されそうです。 特定を恐れて少し情報が少ないですがご回答いただけたらと思います。
ありがとうございました それと、 ごめんなさい
お坊さまは、普段、どのような生活リズムで生きているのでしょうか? 特に大きな行事がなく、1日お寺さんの中で過ごす時の生活パターンはありますか? やはり、ちゃんと規則正しい生活をされているのですか? 私は、至って不規則です!笑 決まっているのは、16~18時に睡眠を取るぐらいです。 その前後、16時前にシャワー、18時以降に食事。 あとは…ほとんどが勉強時間になります…用事かない時の生活パターンですけどね。 睡眠不足に拍車がかからないよう、16~18時だけは、睡眠薬を飲んで、強制的に睡眠時間としている感じです。 お坊さまの生活リズム、とても興味があります。 私も試せるパターンがあったら、一度実践してみたいです。 お返事お待ちしております! ※勉強時間の中に、hasunohaタイムや瞑想、写経の時間が含まれまれています。
どのカテゴリーにしたら良いのか迷いましたが、質問させてください。 「一念」は、岩をも通すとか言って、良い印象があります。 何かを強く強く深く深く一筋に、寝ても覚めてもご飯を食べていても 常に念頭に置くことが出来なければ「一念」とはならない気がします。 でもそればかりで、他はどうでも良いとか、他は全く顧みないとかでは良いことでは無いですよね・・・ 一方「執着」と言うと、良い印象は無く、 こだわりが過ぎて身動きが取れないとか、怖れや邪な感じが見え隠れするような気がします・・・ でもこだわりにも、良い意味でのこだわりってありますよね。 「一念」と「執着」は、それぞれどういうことですか? 違いは何ですか? 「一念を通す」とは、具体的にどうすることですか? そして「執念」とは? 目的や目標を深く思い、諦めるという選択肢は全く無いという状態のように思いますが。 目的を果たすまで何度でも挑み続ける、みたいな。 また、「欲」ですが、 「欲」は誰でも持っていると思いますし、わたしは煩悩の塊です。 「強欲」とは、とても良くないもの、 誰かから奪ったり搾取したり、人を傷付けてでも手に入れようとすることのように思います。 「過剰な欲求」は、どこからですか? どんなことですか? 独り占め的なことは当てはまる気がします。 それから、相手の気持ちを甚だ無視した要求や押し付けみたいなこと。 大変申し訳ございませんが、 解りやすく噛み砕いてご教示頂けましたら幸いです。 もし仏教としてのそれと、社会通念上のそれに違いがあるという場合は それぞれを知りたいです。 わたしの長年の疑問です。 ご回答頂けましたら有り難く存じます。
納棺師をしております。 遺族様の悲しみに寄り添い、また故人様の最後のお支度をさせていただく尊いお仕事をしております。 と、このように書くと聞こえは良いのですが、実際の私はコミュニケーション下手で寄り添い方もよく分からない位苦手です。 遺族様の前でいつも緊張してオロオロして、自分も遺族様も疲れ果ててしまう始末です。 そもそも人と関わらなくて良いと思って選んだ業種でしたので…。 仕事柄お坊さんと接する機会があるのですか、お坊さんは落ち着いた雰囲気で所作も粛々とされていて、いつもかくありたいと思っております。 そこで質問なのですが、お坊さん達はあの落ち着いた雰囲気や話し方をどの様に身に付けられたのでしょうか。 生まれ持ったもの、幼い頃からの習慣かとは思いますが、とっくに成人した私にも出来る鍛練方法がありましたらどうかお教えいただけないでしょうか。 ここまで読んでくださりありがとうございました。 よろしくお願い致します。
懺悔文を読経したいです。 できれば仏説観普賢菩薩行法経がいいです。 初心者なので、CDと経本を探していますが みつかりません。どこで売っていますか? 具体的に教えて貰えると助かります。 よろしくお願いします。
私は、昨日まで、法華宗のお寺や霊苑で、働かせて頂きました。そこの、ご住職様が、風俗で、遊びまくり、パソコンでお金儲けばかり、している現実を知りました。僧侶は、皆様、色欲、金欲とは、縁が切れないのでしょうか?
『私は「おじいちゃん」!?』で、下関の「おじいちゃん」の話をしたので、今度は「おばあちゃん」の話をしたいと思います。 只今、92歳のおばあちゃん。 『おばあちゃんたるもの』孫(私)の前では絶対人の悪口はいわない。 『おばあちゃんの自慢』まだ自分でトイレに行けること。 『おばあちゃんの口癖』①病院に行くと、いつも医療費が数百円なので、受付で「全国の皆さんのお陰です!」と言って帰ること。②「成るようにしか成らないんじゃけん、文句ば~っかり言っててもしゃぁないけん、笑っていようやぁね~」と前向きなことを言うこと。③食べることが好きで「旨いもんがくえりゃあいい」ばかり言うこと。④ほとんど眠っているので、起きてきたら「アハハ、トラスちゃんかね、まだ生きちょるよ!カツカツ生きちょる!また死なれんじゃった!」と笑い飛ばすこと。⑤夏でも「何でじゃろかぁ?冬はねぇ、足が冷えるんよぅ!」とすごく真剣に、真顔で言うこと。 『おばあちゃんの意地』娘(母)の話をするとき、普段「◯◯ちゃんは…」と呼んでいるのに、孫(私)の前で娘の話をするとき、絶対「(あんたの)お母さんは…」と言うこと。そして、自分のことを普段「お母さんは…」と言っているのに、孫(私)の前では「ばあちゃんは…」と言うこと。 おばあちゃんはスゴい!私が誕生日プレゼントを渡した時もそう。おばあちゃんの目が見難くなり、よくコップをひっくり返すからと、下へ行くほど幅が広くなるマグカップをあげたら、箱を開けた瞬間、「ぅわ~!末広がりじゃ~!」と満面の笑み!極めつけの言葉は「お骨(骨壺)に持ってはいろ~!」と言って喜んでくれたのです。 そんな素敵なおばあちゃんですが、私が物心ついた頃から、それこそず~っと言われ言い続けている言葉があります。それが、タイトルの『私の日課は謎の言葉』です。おばあちゃんの家に行くと、まず最初に言われます。意味でなく、発音が呪文みたいで、何と言ってるのか分かりません。 では、まいります…『ほれ「マンマンチャー」してきぃ!』。 「マンマンチャー」なのか「マンマンチャン」なのか「マンマンチャ」なのか。そもそも、手をあわせてご先祖様に心から感謝やお祈り等々をしておいで!というようなことを、何故「マンマンチャー」?と言うのか、本当のところ分かっていません。一体、何と言っているのでしょうか?
最近 御寺の所属団体に入講しました。 御寺の信徒の 地区担当の方が 他宗や 御寺に義理を欠き 不敬をしたという謗法の罰ばかりを説き、御供養の素晴らしさを 説いてくださいますが 正直 御供養=御布施 に 疑問が でてきました。 法施をしていただき 御布施をさせていただくのは わかるのですが 罰を御供養させていただくことで 消えるとは 思えません。 御寺は お金はかかりません とか 御供養はお気持ちです とか 御供養は 真心からしましょう とか 言われてます。 罰ばかりを 説き 人の不幸を 現象だと 説き 御供養を勧めるのが 仏教で 日蓮聖人の教えなのですか?
はじめまして。 どうぞよろしくお願い致します。 わたしの守り本尊さまは阿弥陀如来さまです。 当家のご本尊さまは釈迦如来さまです。 他にも、好きな仏様(如来・菩薩・明王・天部にそれぞれ)が沢山います。 わたしは煩悩の塊なので、祈りの数だけの数の仏様に毎日お祈りしています。 阿弥陀さまお釈迦さま含め、20の仏様に毎日ご挨拶とお祈りをしています。 先日、お友達と話をしていて、 『ひとりの仏様に決めてお祈りするべき、何人もなんて良くない』 と言われました。 わたしは良くないことをしていたのでしょうか・・・ その場合、いったいどうやって謝れば良いのでしょうか・・・ 周りに聞いても、 『観光で行った寺社では祈る・何て言う神様仏様かは気にしたことはない』とか、 『仏壇かお墓またはお葬式以外では手を合わせることがないから・・・』等の 意見が多くて、判断できません・・・ ご教示頂けましたら有り難く存じます。
自分の苦悩を見つめてみると、大概、煩悩や愛情飢餓といったところに辿り着く気がしてます。 もう、いっそのこと、それらに強くなるために、自分も僧侶になりたいと思うようになりました。 ただし、お金もなければ、修行などは出来ない精神病状です。せいぜい勉強くらいしか出来ません。また、就労はしたいと思っています。 こんな自分でも、僧侶になる方法はありますか?ありましたら教えて下さい。自分でも少し調べはしましたが良くわかりませんでした。
在家得度と出家得度の違いを教えて下さい。
こんにちは。見ていただきありがとうございます。 色々ここで質問させて頂きましたが、私は人に助けを求めるのが苦手なのかなと思うに至りました。 思えば、自分の不安な心などは決して出さないようにしていました。 なので、ここでその練習をさせて欲しいです。 ただの勘違いのような不安や、完全な自己責任のような質問をするとかもしれませんが、大丈夫ですか?
いつもお世話になっております。 先般、般若理趣経について質問し、その後 色々リサーチしました。 「欲を捨てられないのは生き物として 当たり前。ならばいっそ、その小さな 我欲を大きな一切衆生へ向けた大きな欲 へと昇華せよ」との教えについて、 少々気になった点があります。 いわゆる、「ぐ犯者」「犯罪者」。 または言っても聞く耳を持とうとしない、 「縁なき衆生」にも根気よく優しく接しろ ということですか? 実際、 「それやめた方がいいですよ?」 と優しく注意したところ逆ギレされて 公開処刑に遭ったこと、 謂れのない、かつ意味不明な悪意を 向けられたこともあります。……お寺で。 日常でも実際に騙されたり害を加えられた ことも何度もあります。 このように、 相手が「縁なき衆生は度し難し」のまさに それだった状況に何度も遭遇している 私としては、かなり危険かつ困難な事だと 思います。 ご意見賜りたく存じます。 よろしくお願いいたします。
こんにちは。初めてご質問させていただきます。 いつも皆様の問いに優しく、時には厳しくご回答されているのを拝見し、自分の身に置き換えてお考えを吸収させていただいています。いつも貴重なお言葉ありがとうございます。 さてご質問の方なのですが、道に咲いているよく目にする花や、お花屋さんに置かれている珍しい花など色々ありますが、先生方はどのような花がお好きでしょうか?理由なども添えてお聞かせいただけたら嬉しいです。 ちなみに私はと言いますと、梅雨の時期、雨の中に咲くアガパンサスの少し紫がかった青い色、繊細な形や、秋始めに漂う甘い金木犀の香りが大好きです。 空いた時間、気分転換にでもご回答いただけましたら嬉しいです。色々なお応えをいただけますのを楽しみにしています。
僕は曹洞宗の僧侶に将来なります。質問です。曹洞宗の得度式の手順を教えて下さい。後、得度式で頭を剃るんですか?それとも自分で事前に剃るんですか?福島の寺で得度し、永平寺に修行に行きます。何ミリにするんですか?
いつもお世話になっております。 インターネット等で仏教に関する情報を収集していると、 「理趣経は民間人が読んじゃダメ」 「絶対的門外不出」 「理趣経加行を受けてから」 といった趣旨の記述が目立ちます。 「17清浄句が極めて誤解を生じやすい表現であるため」 とのことでした。 * ですが、私の祈願寺では護摩修行の際に読誦、 また護摩用に貸し出し、販売されている経典に、 勧請部、序章、初段、百字偈、17段(金剛手若有聞此〜)、 流通部の順に載っています。 そして信徒に向け、一緒に他の経典と並び修行中に読むことを 奨励しています。 * 私これを含めお経を読むにあたって漢文をかじり、 ほんの少しですが読み下すことができます。 たしかに、非常に「強烈」な意味でした。 これは誤解して魔境に陥る人も出るわけだと思いました。 ですが、あのお釈迦様や大日如来様がそのような軽率な 発言をするはずがありません。 * 長年の引っ掛かりです。ご意見お待ちしております。
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。 ここのサイトで仏教を知り、諸行無常、諸法無我や、執着しないことなどを知り、これは素晴らしいものだと感動しました。 実際にこの思想で生活すると、毎日が濃い1日となっているように感じられ、とても嬉しいです。 ですが、本当に苦しい時に、これらの教えが思い出せなかったり、気づかないうちに執着してしまったりするのがとても不安です。 仏教の心を忘れないために、何か私にもできることがあれば教えてください。
こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。