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hasunoha 問答検索結果 : 「�%9」
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生の強制を信奉できない

以前自殺願望について何度も相談させて頂いたものです。何度もお手数をお掛けして申し訳ありませんが、またご相談の程宜しくお願いいたします。 私は、皆さんとの対話の末に何とか生きる目的を導き、少しずつ自らの存在と自身が存在する世界を祝福できるようになりました。ですが、自身の中で解決していない問題があります。 生の強制と自殺についてです。 私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのですが、その立場故に生存を無条件に強制する人たちに対して今でも強い忌避感を覚えてしまうことに悩んでいます。 私は、ハスノハ以外でも両親や友人、教授に自殺願望の悩みを打ち明けたのですが、その誰もに私に対して「死ぬな」という事を前提に説得されました。 私が、生活に不満はないがやることがなくなり、これ以上生命に執着したくないという事を打ち明けたとしても、その発想自体を幻想と一蹴され頑なに生を強制されました。 説得者の言葉からは、現実の私ではなく、説得者のイメージとしての私や、先程述べた死生観を見ているような見当違いを感じ、それ以来人を信頼できなくなっています。 断っておきますが、この方々が悪い人間とは思っていません。むしろ、自己の想像の範疇で私を助けようとしてくれる善人だと思います。しかし、それ故に彼らが生きるという事を無自覚に狂信している事実に深い断絶を感じます。この世のどんな渓谷よりも深い絶望的な断絶の向こう側に、ひとりぼっちで取り残されたような感じです。 私は、彼らのように生を肯定すること自体は問題ないと思っているのですが、生に取り憑かれ、挙句他者にそれを強制する傲慢さを拒絶せずにはいられません。 生きたいと決心した人が快く生き、死にたいと決心した人が悔いなく死ねる。そんな世のあり方を私は望んでいますが、この考え方に取り憑かれた私もまた傲慢なのでしょうか。 そもそも、仏教の教えを信じる時点で私は傲慢だったのでしょうか。

有り難し有り難し 22
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母が54歳で亡くなりました、つらいです

3/6に母を亡くしました。酒を飲み吐いたものを詰まらせての窒息死、前日にはメールをして、亡くなる5日前には電話もしました。13日には会う約束もしていた突然のことに心が追いつきません。 母は仕事で遠方に行くことが多く共に過ごしたのは4歳まで、12歳までは2、3ヶ月置きに20日ほど、中学の3年間は共に過ごしましたが、15の頃事件に巻き込まれ両親は離婚、以降母とは別に暮らしていました。母には月に一回会いに行く生活でした。親子で過ごした時間はとても少ないと思います。 私が小さな頃に母は兄を自殺で、8年後父(私の祖父)を失っています。家事もして優しくて、けれど二人を失ってからは心のバランスを崩しがちでした。事件以来パニック障害とうつ病も持っていたことを、死後知りました。 私は酒を飲んでいる母が嫌で、つらいことがあるという事もわかろうとせず、冷たくしてしまうこともありました。 死後、家の整理をしていたところ母の履歴書がたくさん出てき、母が頑張ろうとしていた事も知りました。また母のメールから、母が男性に金銭面で援助してもらい、代わりに身体を差し出していた事、その中で暴力行為があった事も知りました。それが母の病状を悪化させたのではないか、知らなければよかったと苦しいです。 なぜ、もっと優しくしてあげなかったんだろうと後悔しています。 誰か一人、私だけでももっと優しくすれば、必要とされていることを母に伝えていれば、向き合って話を聞いていれば母は酒に溺れる事もなく、吐いたものを詰まらせて亡くなる事もなかったのかもと考えてしまいます。 母は依存症でしたが、私のことは常に愛してくれていました。毎月いつ来るかを聞く母は嬉しそうでした。残された沢山の私の写真、母の写真はほとんどありません。 ここ数年は一緒に写真も撮っていなかった、大切だと伝えていなかった、話をして共に出かけたかった、全てを後悔しています。 母の依存症で辛い想いはたくさんしました。普通の家庭がよかったと思う事もありました。 それでも母のことを愛しています。嫌いになったり割り切ったりできません。死後の世界でも、苦しみから解き放たれてほしいと思っています。 残されたものがくよくよしてはいつまでも然るべき世界に行けないと聞いたので前を向きたいです。けれどどうしたらいいかわかりません。 よろしければお言葉を下さい。

有り難し有り難し 36
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人事異動で毎日憂うつです

4月に異動の予定だったのですが、前職の引き継ぎなどで今月になって別の部署に異動となりました。 前の部署は仕事内容も人間関係も良好でそれと大きな問題もなく和気あいあいと仕事をしていました。 新しい部署は、とても静かで、仕事内容以外で私に話しかけてくれる人はいません。まだ3週間ということで仕事を覚えることで大変な日々が続いています。メモをとったり、質問したり。 3週間で普通にこなすには無理な仕事だと分かっているのですが、新しい仕事、人間関係、覚えることが一杯などで、毎日、憂うつです。 休日、帰宅後はなるべく仕事のことは考えず、気持ちの切り替えをしているはずなのですが、気がつくと「仕事、しんどいなあ。この先、大丈夫かな」と憂うつになっている自分がいます。 はじめての人事異動ではないので、それなりに色々な職場や環境を体験しているのですが、どうしても今回は不安が拭えません。 仕事と内容ががらっと変わったのとやっぱりなかなか人に馴染めません。以前は、女性が多い環境で働いてきて、それなりに居心地がよかったです。今回は、長く勤めているベテラン社員が多い職場で、私はまったくの新人扱いです。 異動の前に、今回の異動は納得出来ないと上司に申し出たら、「スキルアップになるし、若菜さんのスキルと能力を考慮した異動」だそうです。 前の職場の環境があまりにも恵まれていたので、異動後は辛くてたまりません。 新しい所で「使えないおばさんが来た」と思われてないかとか、「物覚えが悪い」とかきっと影で言われているんじゃないかとか、勝手に思い込んでしまいます。 正直、仕事のトレーニングも3週間で詰め込みすぎだと感じます。 あんまり緊張するとミスしたり見落としたりするので、自分のペースで頑張りたいと思っています。 でも、正直しんどいです。毎日憂うつです。 仕事を辞めるわけにはいかないので、耐えるしかありません。 3ヶ月後には、普通に仕事できるようになると自分に言い聞かせていますが、やっぱり不安です。 なんだか、全てが嫌になってきて、家事や趣味の植物の世話までおそろかになっています。 食事もとりあえずのものが多くなってきてます。 考え過ぎということは分かっているのですが。 仕事のイライラを家に持ってきてはいけないのに、家でも憂うつで頭から離れません。

有り難し有り難し 82
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今の仕事をどうするか悩んでいます

多忙と人間関係の親密さが原因で体調が優れず、薬(精神薬)に頼り、量を増やして下さいと言った所、とうとう医者から療養しなさいと宣告されました。 私は今、飲食店で朝から夕方まで働いてます。多忙な職場でもあり、気が強い人が多いです。 それでも、緩い職場でもあり、融通を聞いてくれやすい所もありますが緩過ぎて嫌になる事が多いです(余裕がある時はお喋りが多い、プライベートの事に対して開放的など) 今まで辞めては休んで、新たな仕事を見つけてを繰り返してきました。(大体3〜4年) 辞める理由の半数は人間関係です。 今までの中で一番長く続いている職場です。(今で6年目です) 次辞める時は目的あって辞める時(結婚など)と決めていたので、長く続けれてたのもあるかもしれません。 何処にいっても人間関係の煩わしさはある、だからまたそんな事で辞めては、また繰り返すとそれだけの理由で続けてる部分もあると思います。 今、お付き合いしてる人がいて、結婚の話もしていて、結婚する時はお相手の事業を手伝う事になっていて結婚する時は辞める時なのですが、事業が安定してからなので当分仕事を辞める事は出来そうにないです。 自分には、就職になる様な有利な資格もなく歳を重ねて転職し続けるだけでは不利な事がわかっています。 生活に困らない程度と結婚資金の貯えも必要だと考えていて、療養だけするには厳しいです。 お付き合いしてる人に相談した所、自分の思うようにしたらいいよと言われたのですが、どうしたらいいのか、何が正しいのかわかりません。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 12
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一生彼と添い遂げる為の心得をください

4年前に離婚をし、その後は男性とのお付き合いもなかったのですが、昨年の秋に知人の紹介で3歳年下の彼と出会い、出会って一週間後に「結婚を前提として付き合ってください」と彼から言われました。 私としては、彼に魅力を感じていなかったので、すぐに結婚を想定してはいませんでしたが、いい年だし、せっかく頂いたご縁だしと思って、交際を始めることにしました。 付き合ううちに、トキメキはないけど、彼といると穏やかな気持ちでいられる、そういうのが上手くいく結婚なのかもしれないと思い始めていました。また、離婚を経験し色々学んだことから、思いやりと適度な距離感を持って付き合っていく為には、こういう少し冷静な気持ちがあった方がいいのだという思いもありました。 トントン拍子に話は進み、先月からは同棲を始めました。彼は、家事などにも積極的で、私と過ごす時間を大事にしてくれていますし、今後の家庭を作っていくことについても積極的であるように見えます。 しかし、決定的な欠点がない彼との結婚、幸せいっぱいなはずなのに、なぜか手放しで喜べない自分がいます。 彼は「結婚がしたい」だけで、「私と結婚したい」わけではないような気がするのです。 もちろん、私が彼の中のある一定条件をクリアしたからという理由はあると思うのですが、憧れの車を買うのと同じような感覚で、彼の理想の人生の中に「結婚」があって、それを手に入れたいだけなのではないかと思う節があるのです。 飽き性である彼が「結婚」にいつか飽きた時、今してくれている事をしてくれなくなった時、それでも私は彼を愛せるか?自分自身が不安です。それは、私が未だに彼に魅力を感じていないからです。どこか冷酷なところがあり、純粋な部分がない通俗的な人だと思います。でも相手は自分の鏡。私もそういう人間なのだろうと思う気持ちもあります。 先日妊娠していることが分かりました。 39歳ですので、もうそれほど妊娠可能な時間もない中、授かることができて本当にうれしく思っています。これで良かったんだ、運命なんだと言い聞かせています。努力して彼と、生まれてくる赤ちゃんを幸せにしたいと思っています。 私はどんな気持ちで、これから彼との生活に向き合い、家庭を作っていけばいいか、この頭の片隅にある不安をどうやって拭えばいいのか、一生彼と添い遂げるための心得とアドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 6
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