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hasunoha 問答検索結果 : 「私 死 」
検索結果: 5452件
2022/02/19

婚約者が自殺しました

先日婚約者が自殺しました。 同棲もしていて4月に籍を入れる予定でした。 自殺する前日、急に「大事な話がある」と。仕事終わりに彼から連絡が。 「俺は年末実家に帰ったとき妹を妊娠させてしまった。今日母親から言われた。俺はもう犯罪者。家族と縁を切る。でも家族より、(私)と一緒にいられなくなるのが1番辛い。本当にごめんなさい。どうやって償っていいか分からない」と。 お義母さんに確認すると「ごめんね」と。「妹は?」と聞くと「妹は責めないで。被害者なの。(私)は早くあの家から出てって」と。 彼は帰宅し、泣きながら「ごめん」と。私はたくさん責めてしまった。 そしたら急に出ていってしまって。「帰ってきて」と連絡をすると「今までありがとう。こんな形で別れることになって本当に申し訳ない。本当にごめんね。ちゃんとプロポーズもしたかった。でも愛してるのは嘘じゃない。本当に愛してる」と言ってサプライズで作ってくれていた婚約指輪を作っている動画と写真を送ってきて、それから連絡が取れなくなりました。彼の友達も連絡が取れない。会社も出勤していない。彼は今まで1度も仕事をサボるような人ではなかった。すぐに警察署に行き、行方不明届けを。 次の日、机の上の紙にメールが書いてあり、iPhoneを探すで、家に置いてあった彼のiPadが居場所を教えてくれました。反応がある場所へ行くと彼の車が。ドアを開けると今まで嗅いだことのない匂いが。彼は氷みたいに冷たくなって固まっていました。練炭自殺でした。 私が見つけたときにはもう死後24〜48時間は経っていたと。 それから私はずっと自分を責めていました。彼の死を受け入れることも難しくて。でも彼の妹は「(私)さんってお兄ちゃんとどれくらいでやってたんですか?少ないから私のところにきたのかな〜」と。心の底から腹がたちました。 彼の家族は複雑で彼が小さい時に離婚。「俺は愛されてこなかった。居場所はなかった。親父は妹、ばあちゃんは兄貴が好きで。俺だけ1人。母ちゃんの苗字が変わったのを見たときすごくショックだった」と。そして妹はこれが初めてじゃないと。中学生のときからだったと。 同棲していたアパートも引き払い、会社も退職、一緒に飼っていた猫も、私の実家の都合で引渡しすることに。急に失うものが多すぎて、これからどうやって生きていけばいいのか分かりません。 ただ彼に会いたいです。

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コロナ禍での心気症

こんにちは、只今コロナ禍の中就活をしている学生です。 1番気になってるのは身体のことなのですが、項目としては生き方を選択させていただきました。少し長くなるかもしれませんがお付き合いください。 4月に少し体調が悪く、コロナを患ったかもしれないという思考になり毎日朝起きれるのか、いつ死ぬのか、1ヶ月後にはいないと考えるようになりました。テレビの放送予定などを見るのも、その日生きているか不安だったぐらいです。 しかし5月後半から、自分はコロナではなく難病や重篤な病気にかかって弱っていってるのではないかと感じるようになりました。身体も変な症状は実際かなり起きているのです。ですが、複数の病院へ行っても異常が見つからず鬱ではないかと言われました。オンライン上でも、心気症(自分が重篤な病気に罹ってると囚われること)また身体表現症状だと説明されました。 それでもまだ何らかの症状が出たりするので、いつ死ぬのかと毎日ビクビクしながら生きています。まだ若いのにと涙が止まらない日もあります。 同居している家族には言えず(コロナも罹るのが怖いというよりは罹ったら親に責められるかもしれないという思いが強かったです。私が体調を崩したら母は私を責めるのでしんどくても言い出せません)4月から必死に恐怖を隠して生きています。 体調に関しては気になるところの部位が色々変わったりしていますが、毎日3食栄養のあるものを食べ、できるだけ寝ているので幸せなことですし感謝しています。 それでも死んでしまうのではないかと怖いのです。お医者様の言う通り精神的なものだったらいいのですが、、   この先どんな心で生きていったらいいのでしょうか?「死は怖くありません」とか言われても20歳前半でそれは受け止められないので、生き方を教えてください。 これまで、誰よりも運があったし毎日周りにも神様にも沢山感謝してきました。今も感謝はしていますが、恐怖に支配されすぎており、自分が自分じゃないようです。 部屋の掃除をしていたら、自分は死ぬからその前に掃除しているのでは?とか就活の日記を書いていたら、これが最後の日記と呼ばれるようになるのかも、とこんなことばかり考えてしまいます。 こんな私に喝をいれてくださいませんでしょうか。 長々とすみません、貴重なお時間頂戴いたしました。

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生きる気力を取り戻すキッカケが欲しいと思っております。

バツ2で過去に一度自殺未遂を経験しています。 私の家に再婚者が来て、私の息子と3人で同居する形で再婚生活はスタートしました。 息子が自立し、2年前には3人(前夫と息子と私)で費用を分割できるようになった事から、家族とも相談し、思い切って退職して次のステージのためにアルバイトしながら勉強をはじめていました。 そして突然(昨年12月)、別れたいと言われました。 我が家での暮らしは、夫にとっては窮屈だったようで、亡くなった義母の納骨等が終わり遺産が入ったことも、夫が離婚を切り出すキッカケになったようです。 でも、私には夫からの申し出はあまりに衝撃的で、仕事にも行けず、勉強も手につかず、全くの無気力になってしまいました。 具体的には、前夫の費用負担分をアルバイトの私が(その時はアルバイトにも行けなくなっていた)まかなう事はできないため、金銭的な問題から自殺(ローンがなくなり息子に迷惑をかけずに済む)を考えてしまい、2ヶ月ほど希死念慮が続きました。 それでも息子の支えがあり、ようやく乗り越えたように思っていましたが、心の傷の回復は中々困難なようです。 自尊心がボロボロで自己喪失感がひどく、夫から言われた言葉や態度に傷つけられたシーンが蘇ったり、将来のキラキラした自分を想像できず、更に過去の悲しかったシーンが戻ってきたりして、一人でよく泣き崩れてしまいます。 最近は、息子の前と仕事以外の時間は、精神的に不安定になりやすいです。 年齢的にも、残り時間が見え始めている中 この先を生きる意味がみえず、生きるのが面倒に思え、喜怒哀楽がなく、感動もありません。すべてが無意味に感じ、生きる覚悟が出来ません。 しかしながら、前回(自殺未遂)のように死を選ぶのは、息子の心にも傷を残す事になると思え、何とか生きないといけないのだと理解しているため、死を選ぶ事も出来ず、苦しい気持ちに襲われてしまいます。 相談電話とか、カウンセラーに話した事はありますが、 中々進めないので、何かアドバイスがいただけるのであればと思い相談させていただきます。 長文になりましたが、どうぞよろしくお願いいたします。

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母に振りかかった突然の病

先日、母に癌が見つかりました。 風邪一つせず、生活習慣も健康そのものだった母にそのような重い病が見つかったことはまさに青天の霹靂でした。 かなりたちの悪いものであるらしく、さらに転移の可能性もあるということで、今まで意識もしなかった母の死と言う現実を眼前に突き付けられ、目の前が真っ暗になったような気持ちです。 母の命の灯火がいつ消えるのかはまだ分かりません。1年後かもしれないし、もしかしたら治療が上手く行ってまだまだ生きてくれるかもしれません。 しかし一度意識してしまうと、様々な思いが頭をよぎってしまいます。私は良い息子ではありませんでした、まだ学生で進路も決まってなく、親孝行もろくにしないうちに母がこの世を去ってしまうかもしれないと思うと胸が痛みます。 人の命に限りがあることは分かっているつもりでした。それでもいざ近しい人間に、しかもこんなにも早くそれが訪れると思うとやりきれない気持ちでいっぱいです、 日々悪化する診断結果にショックを受け、涙を流すほど辛いのに私の事ばかり気遣う母を見ていると、なぜこの人が、という理不尽さに対する怒りすら湧いてきてしまいます。 この気持ちにどう整理をつければ良いのでしょうか、何か道標になるようなものを教えていただければ幸いです。

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この世がすべてと思うと怖い。生きる執着心

私は生きる執着が強いがために地震や病気に過剰に反応してしまいます。生きたいと言うより死後、無になるのが怖いです。だからあの世の世界を信じたくて霊や死後の世界についての本を見てしまいます。この世が全てだとしたら事件や事故に巻き込まれて亡くなった人の死が理不尽でニュースを見るたび気が滅入ります。でも長生きしたが故に子供の死に直面することもあると考えると長生きが全てではない。死に方は重要ではないと思うようになりました。もともと生まれる前は無でしたからそこに帰るだけなのかなとも思います。生きているから感じる不安や恐怖ですが疲れてしまい、生まれてこなければよかったと小学生の頃から感じています。でも自死はしません。生まれてきてしまったのだから真っ当に生きるのみです。死後の世界もこの世にいる人に語れる訳がないし、否定も肯定もできません。私は白黒はっきりしないと気が済まないので、わからないことに恐怖を覚えます。なので普段あまり悩まないし、答えのないことで悩むことが多いです。生まれてきた意味だってない。ただ、この世は修行だと思うと、わからないことや曖昧なことはありのまま、曖昧なまま受け止められるようになることが課題なのかと思ったりもします。でも、この世でどんな風に生きていけばいいのかわかりません。家族が殺されても、地震が起こっても、戦争が始まっても、隕石が確実に落ちてきて地球が滅びるとわかっていても、動じることなく自分が死ぬまでひたすら淡々と生きるのが人生ですか?人の役に立とうが神様を信仰しようが殺されたり短命の人もいます。いいことをすればいい縁ができると思っていたけど、結局見返りを求めてしまっています。人生が修行なら、その中で楽しいことや嬉しいことを経験できることが有り難く幸せなことですよね。修行はつらく苦しいものだからそれが当たり前なのに、私は恵まれているし幸せです。それなのに過度に不安になったりこの世が全てだと思うと絶望的な気持ちになったりして、罰当たりだと思います。もっと人生を楽観的にというか、いつ死んでも後悔はないし真っ当に生きたと言えるようになりたいです。死後の世界があろうがなかろうがどうでもいい!今を生きる!こんな風に考えられるようになりたいです。この弱さとどう向き合えばいいでしょうか。

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生きる意味について

 昨年亡くなった母の死がショックで先日「かけがえのない母の死、死について」でご質問させていただき回答いただいておりました。  お坊様方からいただいた回答を読み返しながら日々頑張っていこうと思いましたが、今まで両親の介護と仕事、家庭を両立させていたせいか毎日一生懸命頑張っていたのに父そして今回母が亡くなって気が抜けたようになってしまいました。  どうしても母の死に間に合わなかった悔やみ、亡くなった時の母の顔、今までの思い出が蘇り悲しくて仕方ありません。今まで自分を守ってくれた父母の介護をするため自分なんか結婚しなくても構わないとまで思っていましたが、縁があってひっそりと結婚をし夫と別居して母の世話をしていました。その後、母の容態が段々と悪くなり寝たきりとなり施設や病院も転々とし、順番待ちでようやく入れた施設が勤務地から遠く母は私が職場から駆けつける途中で亡くなってしまいました。一人ぼっちで逝かせてしまったことが悔やまれ、それでも仕方ないとは思いつつなぜもっと近い施設に預けることが出来なかったのか、私が結婚すると一人になるのではないかと心配していた母が私が結婚したことがショックで病気が悪化したのではなかったかと自分を責め続けてしまいます。  その結果心の病になってしまい、たった一人の家族の夫にも心配をかけ残業後で疲れているのに夜中に私が疲れて眠るまで付き合ってくれました。  そんな夫にこれ以上心配をかけたくないし、以前のように家事をこなしたいのに料理も作れなくなりご飯も食べれなくなってきてしまいました。  今は生きているのが楽しくない、何のために生きているのか、夫を楽しませてあげたいのに食事や旅行に誘われても以前のように行く気が全くしない、生きがいが見いだせない、生きる意味が分からないのです。  これは、長年一生懸命勤務してきた人が退職して呆けてしまったという話をよく聞きますがそれと一緒なんでしょうか。  それはどのようにして乗り越えていけば良いのでしょうか。ご教示をお願いいたします。

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亡くなった愛犬

こんにちは。 1年ほど前に老犬である愛犬についてご相談させて頂きました。 アドバイス頂いたように、愛犬と過ごせる時間を大切に過ごしてきました。ここ数か月は、私の仕事の帰りを待ち、私がただいまと声をかけると、すぐに立ち散歩に行こうとしました。散歩が大好きだったので、付き合いました。 この1週間、転ぶ回数が増えていました。ですが、この3連休の最終日は、元気だった頃に歩いていた散歩コースに自ら行きました。 その翌日(おととい)立つことが出来なくなりました。 足腰が弱っているのを2年前に目の当たりにし、その姿を見ているのが辛いと両親は安楽死させることを考えていましたが、私は反対でした。 その日の夜ごはんの後、何とか立とうとしているのが分かり、手助けをするとそれまで前足に力が入らなかったのに歩き出し、補助こそありましたが、少し庭に出ました。そして寝る前、濡れたタオルで体をふいたり、夜中に一度起きて、水を飲ませてやりました。 昨日の朝、母が愛犬を見て、まだ生きているのだから、安楽死させずに最期まで看取ろうと言い、そうすることに決めました。もう自力でトイレも行けなかったので、父が愛犬を抱いて移動させて、その間に母と私が敷いていたシートやバスタオルを交換しました。そして、私は昼休みに水を飲ませに帰ってくると伝え仕事に出ました。 その後、それまで水をやっても拒んでいた愛犬が母の前で自ら立ち、自分で水を飲み、少し庭まで出たそうです。なので私が戻るまでの間、庭で立てなくなったらいけないと、庭に出れないように傘を置いて母も仕事に出ました。 その数時間後のお昼休みに私が戻ると、寝ているはずであろう場所に愛犬がおらず、傘も動いておらず通せんぼされた状態でしたが、庭の炎天下のもと、息を引き取っていました。 すぐにペット葬祭に電話をし、引き取って頂くことにしたのですが、私は仕事もあったのもありますが、そこに立ち会えるだけの強さはなく、最後にお礼とお別れを告げ、仕事に戻りました。 最後まで立ち会わない、こんな冷酷な私を愛犬は許してくれるのでしょうか? 悲しい半面、楽になれたのかなと、ほっとしているのも事実です。 どうやって傘の向こう側に行ったのかも気にはなりますが、やはりこの暑さです。どのくらいの時間そこのいたのか、元々仕事を休んで様子を見るか悩んでいただけに、悔やんでも悔やみきれません。

有り難し有り難し 15
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心の整理をつけるにはどうすればよいでしょうか

先日この場所を知り始めて質問をしました。 1つ回答をいただけたことで少しだけ心が軽くなった気がしました。 また一つ心を軽くできればと質問をさせていただけたらと思います(これも1つの煩悩なのでしょうか) 去年、小学校からの友人の訃報が届きました。私にとっては親友と言える友人でしたがこの20年はお互い環境も変わり年に1度年賀状を送り合い数年に一度メールか電話をするそんな繋がりでした。訃報は友人の奥様から手紙で知らされたため詳しい事はわかりませんでした。 訃報を知り半年以上がたちますが、普段は心に無くても、ふと、心に上がってきて辛く悲しくなる時があります。 いつ、どこで、何が原因で亡くなったのか、どこにお参りに行けばいいのかもわかりません。無くなった友人の知り合いには伝が無く、奥様とも直接の面識はありません。またそのような状況で悲しまれているだろう奥様に聞くのも躊躇ってしまっています。 どのようにして心の整理をつければ良いのでしょうか、詳しい事を訪ねる手紙を送っても良いものなのでしょうか。 話が少しずれてしまいますが、20年ほど昔に良くしてくださっていた叔父を亡くし、10年程前には父が亡くなりました、どちらも未だに思い出し悲しくなる事があります。 叔父、父、そして今回の友人それぞれ夢に出てきた事があります、言葉を交わせたことはありませんがどの夢の時も穏やかな状況で逢えていたので叔父も父も友人も向こうで安らかであってくれればと願っています。 取り留めの無い文になってしまいました、よろしくお願いします。

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ストレスを取り除く声かけ、行動とは?

父が63歳で亡くなりました。 再発した脳出血が原因でした。 1度目の脳出血は私が中学3年の時。 思春期真っ只中で、親がいなくなる恐怖を味わいました。 その恐怖は私の心に大きな影響を与えました。 当時の父は血圧正常、喫煙飲酒も並で、医師からはハッキリした脳出血の原因はわからないと言われたものの、その時の父は仕事のストレスが大きく、ストレスからではと言われたそうです。 私が社会人になって3年目、父2度目の脳出血。 出血した部位が悪く、入院生活1年半で、父は亡くなりました。 父にとっては苦しい1年半…でも、私たちにとっては貴重な1年半でした。 父がいなくなる心の準備ができた1年半。 最後まで家族の為に頑張ってくれた父でした。 現在、私は結婚し、生後半年の娘がいます。 中学から身内の死を身近に感じたからか、いつも旦那が先に亡くなったらどうしよう、1人になったらどうしようという不安があります。 特に最近、旦那は仕事が大変でストレスを溜め込み、暴飲暴食が目立ちます。 仕事の話はしたくない旦那なので、あえて私からは聞きません。 暴飲暴食も心配ですが、それが旦那のストレス発散だと思うと止めることもできず、「体を大事にしてね」と一言言うだけしかできません。 しかし、私の心の中では、この暴飲暴食が原因で病気になったら、止めなかった私の責任だと葛藤しています。 「仕事しんどかったら辞めてええんよ、自分の体を第一にね」と言うものの、その言葉が彼の心の負担を和らげられているのかどうか…。 親の死を見送るのは子どもとして当然、でも旦那の死は受け入れられない! だから私よりも長生きして欲しい! ストレスで病気になった父。 旦那もストレスで病気にならぬよう、少しでもストレスをとってあげられるような声かけ、行動などあればアドバイス下さい。

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49日までにどうしても知りたいんです。

この前、祖母が亡くなりました。 ハッキリとした性格で誰に対しても大きな愛を持つ優しい祖母でした。 祖母と私はトイレに行くときまで手を繋いで一緒に行くほど、ずっと一緒で仲良しでした。 私は大学受験で去年と今年は全然会えず、祖母の大好きな旅行はもちろん家に遊びにも行けなかったので、せめてと思い祖母の誕生日会をしたのですがその夜救急車で運ばれ、「肝臓の末期ガンで、いつ亡くなられてもおかしくない」と言われました。 元々肺ガンを患っており毎週大きな病院に通っていたので、そんな急に...と正直信じられませんでした。 取り敢えず私はずっと病室に泊まり、祖母と一緒にいました。 祖母には母達の意向でガンの転移と余命が無いことを告げませんでした。 なので祖母は体調不良で入院していると思っており、「早くお花見がしたい。」入院前からもずっと「早く私の成人式の振袖が見たいわぁ。」と言っていました。 私は振袖楽しみにしててね、早く一緒に遊ぼうねと言っていましたが、その願いは叶いませんでした。 祖母は息を引き取りました。 家族や親戚に「泣くな!」と言われるのが辛く、ひとり祖母のお骨前で泣いています。どうしても毎日涙が勝手に流れます。 なぜ返事は返ってこないんだろう。いつも隣にいてくれたおばあちゃんはどこにいるんだろう。なぜ愛と人情に溢れ、人に尽くして正しく生きた祖母が死ななければならなかったんだ。など、毎日後悔や悲しみ、寂しさで心にぽっかりと穴が空いたみたいです。 せめて成人式の振袖は見せてあげたかったと毎日後悔しています。 真宗大谷派の方法で葬儀などを行い、祖母は極楽浄土で仏様になられたからもうここにはいないと住職の方に教えて頂き、お盆にはこっちに帰ってこない。お仏壇には祖母はいない。など、それらを聞いてまた泣いてしまいました。 質問があります。 ・祖母はそばにいないのでしょうか。 ・祖母はもうこっちに遊びに来られないのでしょうか。 ・私達をずっと見守ってくれるのでしょうか。 ・話しかけている言葉は届いているのでしょうか。 ・どうしても祖母に会いたいと思ったら死しかないのでしょうか。 ・転生など他の宗派で考えではもう会えないということでしょうか。 ・成人式の日、祖母はこっちに遊びに来て振袖を見ることが出来ないのでしょうか。 ・最後に、私はまた祖母に会えますか。 回答お待ちしております。

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この世こそ地獄

私はうつ病4年目です。 子供や親を養うために仕事を辞める事も休職する事も自殺する事もできません。 病気は治るわけもなく、毎日クタクタになって帰宅しています。 休日は、ほとんどベッドの上です。 疲れやすく、何もする気になれず、欲しい物もないし、テレビも読書も以前好きだったのに何にも興味を持てず、ただただ毎日なんとか『生きるしかない』状態です。 自分が不甲斐なく、『生きなくてはいけない』事に疲れ果てています。 死 とはなんですか? 地獄 とはどこですか? 極楽浄土 とはどこですか? 私は、 死 とは、無 になることと思います。魂とか怨念とかそんなものはなく、ただそこにいた人間が居なくなり 無 になるのだと思います。 地獄 とは、存在しないと思います。 もし仮に輪廻転生があるのだとしたら、今生かされている この世こそが 地獄 だと思います。 うつ病だと知ると平気で差別し偏見を持ち疎外されてきました。 今、死にたい人に安楽死を許可したら世界の人口はいったいどの位減るのか…そう考えていただけたら私が言う この世こそが地獄 と言う考えを理解していただけるのではないでしょうか。 極楽浄土 とは、存在しないと思います。 もし仮に輪廻転生があるのだとしたら、転生されなくなった時を表しているのだと思います。 私は今生かされていますが、状態からすればもう 無 なのだと思うのです。 まとまりの無い話になりましたが、このまま、この世で死んだ様に生きていく事に意味はあるのでしょうか。 家族を養う事は大切です。 ですが充分な保険に入っているので大丈夫だとも思うのです。 残された人の気持ち…と言われると辛いのですが、どの道人はいつか死ぬのです。 この先も生き続けなければならないならば、こんな私はどのような心持ちで生きたらよいのでしょうか…

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一生治らない病。まだ苦しむなら今すぐ死にたい

現在、心身の不調により幾つかの病院に通い続けておりますが、どの病院でどんな治療をしても、全く良くなっておりません。 むしろ悪化しております。 幼少期より、あらゆる箇所に不調が現れ、その頃から手探りで病院に行っておりました。 高校生の頃から、幾つかの病院へ本格的に通うようになりました。 それでも どんどん悪化し、今は20代前半ですが、ほとんど動けず、寝たきりに近い状態です。 安静にしていても、いじめ等、過去の辛い記憶が頭を支配して非常に辛いです。 かなり前より希死念慮はありましたが、年々強くなっております。 検査で明らかな異常が出るわけでもないためか、お医者さんは未だに病名を断定しにくいようです。 心と体の両面を、行政にも相談しましたが(電話や対面で医療相談が出来るもの)、とても面倒くさそうで、適当な返答をされるだけでした。 検査で明らかな異常も出ないため、周囲にも理解されず、ただ怠けていると思われているようです。 (動きたいときに動ける方から見れば、そう思えても当然かと思いますが、やはりショックです…) 何をしても改善されないため、この病気が治るのか以前から疑問に思い、何度か医師に聞きましたが、あまり相手にされませんでした。 しかし先日改めて聞くと、 「こちらも困ってるんですよ」「あなたはもう治らない」「一生病院に通って薬を飲むしかない」 とのことでした。 覚悟はしていましたが、この状態が自然死するまで続くとわかると、今すぐ終わりを選びたいと、更に強く思います。 仕事も出来ず、話し相手もおらず、1日中 家の中で孤独に横になる生活が何十年も続くのならば、今すぐ死を選びたいです。 誰かに殺されるのでも構いません。 日本にも安楽死の制度があれば良かった。

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自分の意識から逃げたい

死にたくないけれど、自分という意識を消し去りたいです。   私は命は自分のものではないと思っていて、だからこそ大切にしなくてはいけないと思っています。 私を虐待し続けた両親を、それでも私を愛してくれていたことはよく知っているから愛しています。 だから私は二人がくれた命、二人が大枚をはたいて育んでくれた命を捨てるのは、他人の高級車を身勝手に壊すようなものだと思っています。 虐待されていた頃から希死観念は持っていました。 でも上記の理由で両親を恨めず苦しみながらも今日の日まで生きてきました。 すべて二人のおかげだと思っています。    二人から離れ、かつての傷も癒えて来たと思っているこの頃、それでも希死観念が消えないので、これが本当に「死にたい」という意志なのか、書き出していって分析をしようと試みました。    すると私の「死にたい」は、「思考を続ける自分という意識から逃げたい」のだと気づきました。   私の命は私のものではありません。粗末に扱ってはいけない貴重なものです。 しかし、私は私の思考、意識、いわば私というものがとても嫌いで、怖くて、逃げたいのです。 自分と一生付き合っていくのは自分ですが、その自分の脳髄から逃げたいのです。 自分というやつがこの世に存在しているのが我慢ならないのです。 これは罪悪感ではなく身勝手な怒りです。 しかしこいつから離れるには脳死するしかなく、それでは両親の投資が無に帰してしまいます。 しかも国立大で勉強を続けているので、国民の税金を無駄にすることにもなってしまいます。 なのでどう考えればこいつと向き合っていけるのか、その心構えを教えていただきたいのです。

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父が突然亡くなりました

心に大きな穴が開いたような心地です。 胸が痛いと救急車を呼んで、自分で乗り込み、救急車の中で母に見守られ心臓が止まりました。本人が生前望んだ通りのまさしくピンピンコロリと亡くなりました。 母や三人の弟妹や子供のことを思えば、目の前で大きな声で泣くわけにもいかず明後日の通夜と明々後日の告別式を思いながら一歩ずつ確実に準備を進めています。 私には小さな息子がいるため、病院での必死な蘇生場面に会えず母からの「お父さん、駄目だった…」という電話で死を知らされ、ご遺体として着替えた状態の父に会ったせいか再び起きて話してくれそうな気がしてなりません。このまま燃やしてしまうのが嫌で仕方ないのです。 父は子供が大好きで、離婚して実家のすぐ近くに帰ってからは毎週末息子と三人で近くのショッピングモールに出掛けたり、母も交えて大好きなうどんを食べに行ったり…この一年、「こんな幸せな老後が過ごせるなんて夢にも思わなかった」と言われていたせいか親戚などからは親孝行したねと言ってもらえるのですが、私個人としてはそんな夢のような日々がこの先も少なくとも息子が小学生になるくらいまでは続くものと思っていたんです。 冷静な笑顔で弔問客の対応をしながら、再び起きて欲しい!遺体として扱って手を合わせるのが嫌だ!燃やしてしまったら父が二度と目覚めなくなってしまう!と本当は一番子供のようなことを思っています。 父を天国に見送る為にこんな気持ちでは後悔が残ると分かっているのですが、どうしたら良いのか何かアドバイスを貰えたら嬉しいです。 死を脳が理解するのはどんな瞬間なんでしょうか。

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急性中毒の慢性化、脱する!!!

最近、カフェイン断ちに成功しました。 1年半ぐらいでしょうか、急性カフェイン中毒が慢性化していました。 精神疾患がなかなか善くならないので、気分の落ち込みをUPさせたかった… そして「浄化」する為に「下剤効果」を得たかった… しかし、「急性カフェイン中毒」が「慢性化」して1年半も経てば、確実に「死」が近付いていることが分かってきます。 具体的な「中毒のなり方」を書くと、私と同じ症状に陥る方、私のように「死」を目指す方が現れると困るので書きません。 「カフェイン断ち」は、とてもしんどいです。 相当な覚悟を持って望まないと、挫折します。 でも、もともとの「鬱病」等々が原因で死ねば、まぁまぁそれなりに家族も私の死を受け止めることが出来るかも知れませんが、関係のない「カフェイン中毒」で死ぬと…きっと「何故?」が増すと思うのです。 でも、止められずにいました。何せ「中毒」ですから…。 これを断つと決めた時、同時に「水中毒」も断とうと決めました。 「水中毒」の症状も相当悪く、体に水が溜まり過ぎて、呼吸出来なくなりそうな状態になっていました。 それを同時に断つと決めたのです。 「無言実行」であり「有言実行」である自分の性格を利用しました。 主治医とカウンセラーに「もう止めます」と(私自身に)宣言しました。 「このままだと、そろそろ死ぬと思いますので」と。 どちらからも「徐々に減らす方が良いのでは?」との提案がありましたが、「荒修行でないと、甘えが出てきて止められなくなりそうなので」と自ら困難な道を選びました。 「カフェイン断ち」をした際に現れる様々な症状に、精神的にも肉体的にもかなり苦しい日々が続きましたが… 「止めます」と宣言しましたし、「有言実行」に逆らいたくないと思い、耐えました。 今は、「カフェイン断ち」にも成功し、「水中毒」も解消しています。 こちらhasunohaに訪れた時から、止められています。 こちらは「無言実行」です。 本来の持病での「自殺行為」ではない、自分の弱さ故に陥った「中毒症状による自殺行為」。 止められた!もう大丈夫だ!と思えたら、こちらに書こうと思っていました。 カフェイン飲料も水も、普通に摂取するには害のないものですが、異常摂取の「中毒」になれば、死ぬ可能性があるものです。 皆様「ほどほどに」です!

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