よろしくお願いいたします。 数年前夫が大病をしました。幸い寛解したのですが、再発必須・段々と蝕まれていくと言われました。 結婚して1年半、長子が産まれたばかりだったので闘病中は勿論寛解後も大変混乱し毎日酷い不安感に苛まれていました。 不安感の内容は大切な人と離れてしまうかもしれないという心細さ・経済的な不安・この不安感を一生抱えなければいけないのかという負担感でした。 不安感をなんとか誤魔化し最近二人目を妊娠することができました。 しかし、妊娠中にみた悪夢(南海トラフで子供を守れず自分もろとも死んでしまう:子供を守れない自身の無力さを責めながら死ぬ)を見たことにより酷い不安感が舞い戻ってきました。 カウンセリングも信用できず、妊娠中なので精神薬も飲めずで足掻きに足掻いた結果、以下の考えに行き着きました。 世の中には病や死が溢れているのになぜ自分達には無縁だと思っていたのだろう。死ぬというのは当たり前なんだ。 そもそも不安感というのは希望(欲望)があるから抱えてしまう。欲がなければ不安もないだろう。 しかし生物は欲望があって当たり前。無欲の境地なんて生物をやっている限り無理。 しかし欲が沢山あると不安感で沈んでしまう。 私の一番の欲望は「これ以上苦しみたくない」。ならその欲を一番に受け入れよう。 その為には人は死ぬというありのままの事実を受け入れよう。抗えない事象があるという事実を受け入れよう。 抗えない事象に悲嘆する自分も受け入れよう。 その上で家族と限りある人生を慈しむもう。 上記のように思えるようになり心の平安を取り戻しつつあります。 我欲にまみれた我儘思考の結果なのかもしれませんが、欲も私自身だと思うので受け入れようかと思っています。 ただ心配なのは、この考えは歪んだ考えなのではないかということです。 歪んだままではいつか行き詰まりまた苦しむかもしれませんし、家族に迷惑をかけるかもしれません。 この思考は危険なのか、誤っているのか、他の考え方があるのか相談しようにも誰に相談すればいいのか解らずここに書き込むことにしました。 とりとめのない内容で答えにくいかもしれませんが、思ったことやより良い考え方があればお答えいただければ幸いです。
初めまして 調度1年前に乳癌と診断され、すぐ手術し、夏に抗がん剤治療が終わりました。 ステージ1ではありましたが、増殖性が非常に強いタチの悪いタイプの癌で、死を意識せざる負えません。 私は離婚し旦那はおらず、子宝にも恵まれませんでしたので、誰かのために生きなければ行けない!とは強く思ってはいません。なのに、死ぬのがなぜが悲しいのです。人並みに楽しいこともしてきたし、仕事も頑張りました。何に対しての未練なのか分からないのです。 親やきょうだいには「みんな平等に死ぬんだから、早いか遅いかの違いだよー」って言ってるのに。 心の整理の付け方、生への未練の経ち方、教えてください。
婚約者がいるのに金銭感覚麻痺しています。 一度水商売を上がったのに、お金欲しさに戻りたくなって毎日何時間も求人見てしまいます。 昼仕事はしていますが、自由に使えるお金が少ないので貯金に手をつけながら生活してます。 パチンコ依存症なのでそれも困っています… 若い頃からお金使うのを我慢する生活をしてこなかったので、我慢しようとすると辛くて、生きてる意味無いんじゃないかとまで思ってしまい死にたくなる時もあります。 毎日言ってることもコロコロ変わります。(婚約者には隠してます) 昼仕事だけでなんとかする!と友達に宣言した数時間後にはまた求人見ての繰り返し。実際に面接までしたけど、やっぱり辞めたを繰り返し、迷惑をかけています。 毎日毎日麻薬中毒者みたいな感覚です… なにをどうしたら普通の人間になれるんでしょうか。 自分でもなにがしたいのか分からないし、とにかく気持ちがすぐ変わってしまい自分についていけません なにから手をつければ良いですか どうしたら良いですか
ネットにて、今、全く初めてこちらさまのご存在を存じ上げたばかりのところです。 「自己紹介」等の欄にお書きしました通り、私の中には、小学生の頃から、人間の傲慢さがどうにも許せない、ありえない、という思いが深く根を張っております。 このような感覚をもって、現世に人として生きていくことこそありえないわけで... 似通った感覚をお持ちの方がいらっしゃるのでは、と「引きこもり」の方たちの電話相談にはおかけしたことはあるのですが、私の話を一方的に聞いて頂くだけになってしまいました。 あまりにも恵まれた時代と環境に生まれ育った故の所産であることとは自覚しておりますが、この人間社会に長らえるには、自分の感覚を 鈍く鈍~く、何も感じないように... と、感性を抑え込むしかないようで... 現在、人類が いよいよ行き詰まっている、その大もとの根っこにあるものは、我々が、ほかの生き物たちを、日々、凄惨な生き地獄に突き落としている、その自覚さえなくなってしまっているという大問題であるとの思いが募っています。 ほかの生き物たちの激痛に思いをいたせない生き物の社会に、戦争がなくなるはずがない、とも学生時代から確信しています。 特に日本人は「わたしたち」という言葉には、あらゆる生きものたちを含む、という感覚が まだ残っていた(人が多かった)と思われますので、取り返しのつかないような焦燥感にも苛まれます。 西洋の、あのあまりにも人間中心の文化を思いますに.. (たかだか100世代も遡らない頃に) [人間は他の生物とは隔絶した、超別格の存在である] という理論を、きっちりと美しく構築しなければ、さすがに後ろめたくて生きにくくなってきたのだろうか? 我々農耕民族とは違って... などと考えています。 実際に困っていることは、少しは現世と関わりを持つべく、細々と活動していることの中に、[感性を抑え込]んでしまっては成り立たないことが大いに生じることとでございます。 このような者(自分を含め 全ての人間に非礼かと思われますので..)と話をして頂けますような場などおありでしょうか? 不遜なことを申すようですが、「世捨て人」「すきもの」などと呼ばれていた方々の中には、私の感覚に近いお方もいらしたのでしょうか..? ということも、一度お尋ねしたいと思っておりました。
なかなか自分の怒りを沈め、許すということが乗り越えれない場合がありますが、 その際、どのような取り組みをしたらよいですか。自分の怒りに対する執着が自分でも嫌になります。 ご教授下さい。
初めて質問させていただきます。 同い年の妻と、子供が3人おります。 妻は高校の同級生で、大学生の時に妊娠をさせ、相手の産みたいという強い希望に後押しされた形で結婚をしました。 仕事を始めてすぐに、地元を離れ、慣れない仕事の忙しさ、そして仕事のやり甲斐や喜びなどから舞い上がり、家庭を顧みず、仕事や、職場の飲み会に明け暮れていました。慣れない土地での初めての子育てで不安ばかりの妻のことを考えずに過ごした2年間のせいで、妻は私に対する愛と信頼をなくしました。 幾度となく喧嘩をし、「離婚してくれ」と言われたものの、私も反省し、地元に帰ってからは家族のことを優先し、なんとか妻の愛と信頼を回復しようと頑張ってきました。 しかし、自分が蒔いた種とはいえ、妻の私に対する愛や信頼は完全に消失しており、妻の冷たい態度や罵詈雑言が辛く、離婚したいのであれば応じると伝えたところ、子供達から父親を離すのが可哀想という理由だけで仮面夫婦のような関係を続けると言います。 妻のことは愛しています。しかし自分への愛のない女性に、帰ってこない愛を注ぎ続けることに正直疲れてきました。そして家庭を優先することで、仕事や自分のことに向ける時間が明らかに少ないことも不満の一つだと思います。 私も妻の態度や言葉に苛立って、つい子供を感情的に叱ってしまったりしてしまいます。子供だけと一緒の時はそんなことはないのですが、妻への負い目や、喧嘩の際に言われた暴言などから妻のことを怖いと感じてしまっている自分がいて、無意識にびくついているのだと思います。それならば離婚をして夫婦としての関係を解消するだけで、子供との関係は今まで通りにしていくという選択肢が皆の精神衛生上いいのではないか、と思ってしまいます。 もちろん昔のように妻が私のことを愛してくれることが理想ですが、それは難しそうです。 それほどまでに妻にショックを与えた自分への自己嫌悪もさることながら、自分といることでそれこそ妻を縛り付けているのではないかとも考えてしまいます。 子供のために愛のない形だけの「家族」という物を無理矢理継続させる方が良いのか、それとも本当に子供を愛している二人が夫婦ではないけれどもすぐ近くに存在する方が良いのか。 私の大変身勝手な悩みではありますが、ご意見を頂けると幸いです。
祖父は、幼い頃から「学校には行かずに働いていた」と繰り返し話す人でした。そういう時代を生きてきて自負心があり、「自分が一番」「自分は正しい」と思っている人です。なので、家族であろうと他人であろうと、自分以外の人を馬鹿にする言動が多い人です。 目に余る態度だったので、「早く死んではくれないだろうか。」と思ったこともありました。 末期の肺がんとわかったのは、去年の7月。 9月には脳梗塞も患いました。 その時は母も私も、さすがに可哀想だと思いました。 しかし、抗がん剤治療が効いているのか食欲もあり、多少痛みを感じる日もあるようですが元気いっぱいです。脳梗塞の後遺症もほとんどなく、自立歩行が出来ますし、今でも車の運転をしています。 以前にも増して、暴言が多くなったように感じます。自分の思い通りにならないとすぐに声を荒げて怒り出してしまいます。 挙げ句の果てに「自分は死ぬから好きなことをさせてくれ」という始末。 私は実家暮らしではなく、祖父の通院の付き添いやご飯の用意は母が1人でやっています。 祖母はいるのですが30年以上前から台所に立っている姿を見たことがありません。全て母まかせです。ご飯をよそうことすらしません。 父は婿養子で、祖父母と折り合いが悪く病院に連れて行くことは皆無で、協力的ではありません。 母1人に負荷がかかり、母のほうが先に倒れてしまうのではないかと心配しています。 祖父は今年81歳を迎えました。 もう、そろそろ逝ってはくれないかと思ってしまいます。祖父も家族ですが、母が先に倒れてしまうことだけは絶対に嫌です。むしろ、祖父が逝ったら凄く楽になるのに。と思ってしまいます。 私も兄も結婚をし、それぞれ曾孫を見せてあげることもできました。もう、十分生きたのではないかと思ってしまいます。そんな風に思う自分に、罪悪感すら感じません。 家族を大切に出来ない私はダメなのでしょうか。
私は今シングルマザーで、付き合っている彼氏がいます。 とても素晴らしい彼で、子供の父になろうと一所懸命努力してくれ、真面目で優しく話も合うし仕事も頑張っているとても素敵な人です。 彼以上の人はいないと思っています。 ただ、最近、以前職場にいた既婚の男性に告白をされました。 私の心がすごく弱いと思うのは、好意を伝えてくれた人の事がすぐに気になってしまうところです。 以前も同じような事があり、当時とても好きだった彼氏がいたのにも関わらず私に好意を向けてくれた複数人と同時に関係をもってしまい、とても辛い思いをした過去があります。 当時は自分の理性じゃどうにもならず、カウンセリングを受けようと思い場所を探しているときに子を授かりました。 今回も、私は断り続けていたのですが、どうしても最後に話がしたいと言われ続け折れてしまい、2人で会い、ハグまでしてしまいました。 そして、少し好きだと思ってしまいました。 私はもう過去の失敗を繰り返したくないです。 今そばにいてくれる人をすごく大切にしたいのに、彼のことを好きでいたいのに、今回はここで終わったとしてももしまた誰かに好意を向けられたらまた同じ事が起こってしまいそうでとても怖いです。 こんな自分を克服するにはどうしたらいいんでしょうか。 きっと1人でも生きていける心の強さがいるのかなとか、他人に依存しなくなればいいのかなとか、色んなことを思いましたが自分ではもう分からないです。 どうしたら強くなれますか、甘いのはわかっていますが、よろしければお答えいただきたいです。 どうぞよろしくお願い致します。
引きこもりが長期になって、学校も仕事もしておらず死んでしまいたいと考えています まわりと同じように出来ず何故できないのか分からず、失敗が怖くて、いつか今以上に人に迷惑をかけて実際にしたことはなくても最悪暴力をするようになるのではと怖いです このまま死んでしまったらずっと地獄なのかと怖いです、私は人間として間違っているでしょうか
私はとても怪我が多いです。中学生くらいから頻繁に起こっています。運動会の前日練習で肉離れを起こして運動会は見学、よくドアに足の小指をぶつける、角を曲がる時肩を思いっきりぶつけて脱臼、包丁で指を切る&爪を切る、階段から落ちる&コケる、高校の部活でしょっちゅう肉離れを起こし見学ばかり、バイトで床ふきから立ち上がった瞬間机に背中をぶつけ、2日間曲げられなくなる、朝起きると足にあざができている、バイト先で気づいたら爪が剥がれている、弟と遊んでる途中コケて、手、足、胸を傷める、ピアノで腱鞘炎をおこしまくる、自転車に乗ってコケ、すねを怪我し、何日間か走れなくなる、ラジオ体操中腹部を肉離れする、振り向きざまに目の前の物体に顔面を強打する、車に乗る時降りる時頭をぶつける、バイト中手首に負荷がかかりすぎてものを持てなくなる、、、まだまだあります。細かい怪我がとてもとても多いです。もういやいやでしょうがありません。どうして私はこんなに怪我が他の人より多いのか、、自分に嫌気がさします。体はボロボロです。そのせいでどれほどの人に迷惑をかけたか、どれほど物事を無駄にしてきたか、今手を流血しています。肩も脱臼しています。指には傷跡がたくさんです。どうすればいいんですか。もういっぱいいっぱいです。頑張りたいことも怪我があるせいでこれ以上頑張れないことがたくさんあって辛いです。
仕事の相談でメールや電話をしても無視するくせに私のメールの返信が少しでも遅いと、残念なひと、だと言われます。 忙しいから無視をした、自分でこたえを出せそうだと思っての無視だった、私からしたら言い訳です。 私のメールの返信が遅れたのも、その考え方でいうなら、こっちはこっちの予定があり残念なひととは失礼です。 そう腹が立ち、考えてしまう自分を何とかしたいです。 煩悩やエゴがなかったら面倒くさい生き方をしなくて済むと思うからです。
某企業へ内定を頂き、懇親会に参加してまいりました。 豪華なゲストルームで懇親会が行われ、楽しかったのですが ・内定者のある一人が仕切りたがりで、そのノリが少し苦手に感じた ・全体的に割と体育会系のノリ で、多少盛り上がったもののあまり人と話すのが好きではない私は少しいづらさを感じてしまいました。 もちろん、社員の方は皆優しく、この人の下でなら働いてもいいかな……と思える人ばかりです。 ですが、内定者は皆人と話すことが好きなタイプばかりで、人付き合いが苦手で一人で過ごすことが好きな私のようなタイプはいませんでした。 もちろん内定をくれたということは自分がその会社で働いていけるだけの素質があると思われていると感じてはいますが、どうにも場違いな感じが否めませんでした。 そこで相談なのですが、まだ五月も半ばなので、このまま就職するかそれとも他の会社を探すか、正直のところ迷っています。 こういう場合、どういった要素を判断材料にしていけば良いのでしょうか? 回答よろしくお願いいたしますm(_ _)m
何かのテレビ番組で、お寺さんを粗末にあつかうと、孫の代に悪いことがおきると。 私の姑は、とにかくお寺の住職が嫌いで、口癖がお金泥棒です。月命日にお経をあげに来られるのも断り、お寺さんに納めるお金も、払わないと直談判に行く。もし、自分がなくなったら、そこら辺の坊さんにお葬式をしてもらえばいい。との考え方。その為、私達もお寺さんとは疎遠になっている状態です。しかしながら、テレビ番組の話が本当なら、私達に起こっている災難、悲しみとの関係性を疑わずにはいられません。 実際のところ、どうなんでしょうか?
いつもご回答ありがとうございます。 昨年4月から役所関係のパートで働いています。 普段土日は休みなのですが、年に2.3回は行事などがあり土日でも頼まれたりすることがあります。 私は今のところ結婚はしてますが、子供はまだいません。旦那は基本的に日曜日が休みです。 他のパートさんは3、4人ほどいて子どもが小学生から大学生までと様々です。今年も休日出勤を頼まれたので、出席することにしたのですが、他のパートさんは出席されないということでした。正直、去年もパート1人で参加してみて人手不足のせいなのか正職員の方がかなり仕事を押し付けてくるのと、責任ある仕事の割にイベント前のオリエンテーションなども不十分なまま本番で不安だったので、わたしも今年は欠席したい気分です。 また、パート私1人という孤独感も嫌です。 毎年に数回しかないイベントなら他のパートの方も1度くらい出席できないのかなとも思います。 他の方の欠席の分、全部こちらが出席しなくてはならなくなります。 でも、やはり私がまだ子供もいないから頑張るしかないのかなと毎回思いながら参加しています。『去年はパートなのに来たの?偉いね』と褒められましたが、来なくてもいいのなら断りたいです。土日出勤分の賃金が出るわけではなくて、代休として、貴重な平日に休まなくてはならず、どんどん仕事が溜まるのも嫌です。 これまで通り、我慢して出席すべきか、 やりたくないならみんなのように断るべきか困ってます。 いいお考えがあれば教えてください。お願いします。
55年の人生でさまざまな苦労や喜びがありましたが「努力は報われる、因果応報、神様は見ている・・・」と信じ生きてきて、そう実感出来ることもありました。 しかし、最近の事件や動物虐待の話を聞くと何の罪もない子供や動物が苦しい思いをし誰にも助けられずに死んでいくことに居たたまれない気持ちになります。納得できません。 神様が存在するのなら助けることが出来るのでは? 悪いことをした人が罪にも問われず、のうのうと生活しているのは、なぜ? 理不尽で不公平な世の中だし、1人の庶民の力では何も変えることは出来ない。 今この瞬間にも虐待されている命があるかも知れないのに助けることが出来ない。 虐待で死んでいった命に、どう向き合えばいいのでしょう? どういう思いでこの理不尽な世を生きて行けばいいのでしょう?
私は若い時から40歳になるまで、ずっと自営業を営んできました。苦労ばかりでお金がいつもなく、結局一度も花咲くことがありませんでした。 沢山のお金と時間を費やしました。 数年前、小学校の娘が白血病になり、1年半の入院を経て、治療は無事に終わったのですが、今後再発する可能性もあること、家族の今後を考えて、自営業を辞め、小さな会社に就職しました。 給料は安く、平均に遠く及びません。また情けないですが、この歳になるまで長年ずっと両親から援助を受けていたのですが、いよいよ打ち切られることとなり、金銭的にも大きな不安があります。 何より自分が情けなくて、両親に取っても家族にとってもお荷物で、友達もおらず、孤独感を感じて非常に辛いです。四六時中自分を責めています。夢を見ていないで、普通に大学を出て普通に就職していれば良かったと。 また9年ほど前に鬱病になり、現在も薬を飲んでいますが良くなりません。 こんなどうしようもない、お荷物の自分が生きていて良いのでしょうか。
最近思ったことがあります 前に質問した時に地獄はあるかというした時に 精神状態で決まるて聞いた時思ったことがあります 病んでる人は地獄に行ってしまうんではないか と思った時もありました それはどうなんでしょ? ケアすると大丈夫なのでしょうか?
高齢の母は一人暮らしです。3か月前、大好きなディケアで転倒して骨折し大好きな自宅を離れてショートステイに居ます。 早く自宅に帰して、ディケアに行かせてあげたいけど、歩けるようにならないと叶えてあげられない。 ショートステイに居たら、私は安心できるし楽だけど、母は自宅のように自由にテレビを観る事も、好きなものを食べることも出来ません。 そんな中、自分は好きなものを食べ、好きなことをしています。 それは私自身を大切にしている事で悪いことではないはず。 今までだって、毎週末、母のところに通い、買い物や庭の手入れ、持病の通院の付き添い、今回のショートステイ入所でも手続きやケガの通院、いろいろやって来て、頑張ってるはずなのに、施設に入れてしまい、母の自由を奪ってしまった罪悪感に泣けて来ます。 罪悪感を感じてしまうのは仕方ない事だけど、そういう思考回路にならない考え方がないでしょうか。
私にはとても会いたい友人がいます。 ただ、その子に会うと身近な人(家族や友人)が亡くなる様な気がして今までずっと会うのを避けてきました。 きっと人が亡くなる事への恐怖心・不安な気持ちからくる強迫観念の様なものだとも思うのですが、そう思う様にになったきっかけもあります。 中学時代その子を含め4人で遊んだ事がありました。そのうちの1人が高校3年生で亡くなってしまったのです。また社会人になってからその子と飲みに行った3ヶ月後、癌で闘病中だった祖父が亡くなりました。 あとから中学2年生の時に亡くなった祖母についても中学1年生の時にその子と同じクラスになっからじゃないかと思うようになりました。 ただ自分でそう関連付けてしまっただけかもしれませんが、一度そう思ってしまったらその子に会うのが怖くなり、以後数年間会うのを避けてきました。 しかし最近その子から久々に会わないかという連絡をもらいました。 その子の事は大好きですし、一度きりの人生このまま会わないのも嫌です。正直な気持ちを言えば会いたいです。 ただ会って身近な人が亡くなってしまうのがとても怖く、嫌です。それだったらその子と会わない方が我慢できます。 でもせっかく私に会いたいと言ってくれているのに断るのも胸が痛いです。 その子と会って何もなければ私もとても会いたいです。 そこでいくつか質問があります。 ①「特定の人に会うとその後不幸な事が起きる」というのは実際にある事なのでしょうか。 それともただの「偶然」なのでしょうか。 ②その友人に会っても不幸にならない方法があれば教えて下さい。お祓いや塩を撒くというのは有効でしょうか? ③やはりその友人には会わない方が良いのでしょうか? ばかみたいな相談かもしれませんが、回答して頂けると幸いです。 よろしくお願い致します。
私は自己中心的且つ八方美人な性格です。 自分に自信が無く、価値も見出せず、でも人に嫌われたくない。それどころか誰かの一番や唯一、特別な存在になりたくて仕方がないのです。 誰かが誰なのかも分かりません。一番や特別になる為にどうすればいいか分かりません。一方的に大好きな友人に嫌われたくなくて必死な私なんかが、果たして誰かにとっての唯一特別な存在になれるのか。実際なれていません。傲慢なことですが、それが寂しいです。 私がどんなに仲良くしてるつもりの友人でも、私よりも長い付き合いの友達、私よりももっと仲良くて大好きな友達がいます。私はそれになりたくて、でも、なれません。きっとこの人は私を多少なりとも特別に思ってくれていると勝手に期待しては、そんなことはないと知り勝手に絶望する。こんな最低な自分が嫌です。苦しいです。 「自己中心的」や「八方美人」と検索してネットの記事を読んでみても、「こういう考え方をやめましょう」と書いていることが私にとってあまりに難しく、もうずっとこうやって勝手に悲しくなりながら生きるしかないのだと思っています。 まわりにとってもこんな私は害でしかないのではないかと思います。どうしたらいいのか分かりません。誰にも相談できません。もし相談しても、友人たちは優しいのでそんなことはないと慰めてくれると思います。ですが、友人たちからすればそれ以外言いようがないと思うのです。気を遣わせるようなことはしたくありません。 こんな情けない自分が嫌で、虚しいです。私は、このような自分とどう上手く付き合って生きればいいのでしょうか。 どうか、ご教授願います。 散文失礼致しました。