常識人すぎて面白い小説が書けない
以前、作家になりたくて文芸誌の新人賞に投稿して入選したり地元の同人誌に投稿したり合評会に出たりしていました。
やがて普通に社会人になり、非正規ですが仕事にありつき、しばらく小説を書くのを止めていました。
それから音楽に目覚め、貯金ができたこともあり仕事もリタイアして音楽活動を始めました。
そして時間ができたので小説の方にも取り掛かり数篇書いたのですが、自分は小説を書くには狂気へのマインドブロックが強く、常識人すぎるというかバランス感覚が取れすぎていることに気がついたのです。
夏目漱石や芥川龍之介は統合失調症だったらしいし、太宰治や武者小路実篤はADHDだったらしいのですが、私は彼らほど病んでいないし異常でもないのです。
文学は人間の実存を豊かにする役割もありますが、作り手の実存は破綻しています。
私にそういう要素がないので、物語を書いたとしても、常識的な予定調和の部分が出てしまうし、人間の内心の描写がいまいち深みが足りないのです。狂気へのマインドブロックを外せば人間の心象の機微を掬いとる細やかな感性を手に入れ名作が書けるかもしれませんが、確実に実生活は破綻し太宰治みたいに酒や薬物や女に溺れるとか芥川龍之介みたいに自殺とかしかねません。
どうもそのあたり、自我の防衛のためのホメオスタシス機能が働いているのかもしれません。
私小説というジャンル自体、私事を作品という形で公衆の面前に暴露する行為ですが、私は自分の実存をさらけ出すのが大の苦手で私の内にある妄想で紙幅を埋めてしまいます。
よく商業文芸誌の選考委員の作家が「作文ではなくて文学で応募してくれ」みたいなコメントを新人賞を目指す作家に向けて出していますが、私の作品は彼らが言う作文の範疇から出ていない気がします。
鋭敏な感性は狂気と隣り合わせですが、常識人である私はそういう修羅の境地にわざわざ足を踏み入れる必要はないのでしょうか?
表現活動として音楽をやっていますが、こちらは狂気を表現してても観客の前で披露するので文学ほどではないとは思います(それでも薬物に走るミュージシャンは枚挙にいとまがないのですが…)。
有り難し 7
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