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hasunoha 問答検索結果 : 「 忘れられない」
検索結果: 8397件

無くなる前提の考え方を直したい

私は昔から色んな物事が無くなってしまうことを前提に考えてしまいます。 例えば 人の命はいずれなくなってしまうから目の前にいるこの人もいつかいなくなる。 この人が言ってくれて嬉しかった言葉もいつか忘れてしまう…などです。 だからこそ人に優しくしたり何回も思い出したりしてプラスのこともあります。 しかし簡単に「死ね」や「もう無理、死にたい」などの言葉にすごくイライラしたりどうしようもなくさみしくなる時があります。 この考え方がふと頭をよぎるだけで目の前の相手が生きていてくれる幸せといなくなってしまう不安で胸が一杯になり迷惑になるのも構わずに泣きそうになります。 誰か大切にしていた身内が亡くなった等は親戚の人しかいませんし、大きな病気をしたわけでもありません。それなのにどうして生に執着してしまうのか本当に分かりません。 質問が分かりづらくて申し訳ありません。 目の前のことを手放しで喜べる考え方をするにはどうしたらよいのでしょうか。 またやはりこの考え方は変えて行くべきでしょうか。 どんな御意見でも構いません。 感想でもよいので、よろしければ回答をよろしくお願いします。 ここまで読んでくださって本当に嬉しいです。ありがとうございます。

有り難し有り難し 6
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2024/12/16

どうすれば納得のいく答えが出るか

人生に後悔しています。 自分の人生だけなら、まぁまたここから始めればいいやと思えるのですが、子どもたちの事を考えるとどうも自分を責めずにはいられません。 私は子育ての半分以上精神的に病んでいて、上手に子育てができませんでした。 最近は気持ちが安定してきていているのですが、過去を振り返ると子どもたちが小さい時にもっと私が元気でいればとか、あんな事をしてしまった、これができなかったと毎日悔やんで辛いです。 病みながらも必死に食事を与えたり公園に連れて行ったり身の回りの事はしてきましたが、ただそれだけで、いっぱい抱きしめたり会話したりと言うことができませんでした。 (夫は子どもたちとよく喋ってくれていましたし、家族で色んなところには出掛けました) 今子どもたちとの関係は良好です。(中学生) 過去はもう戻らないので今の子どもたちに向き合って、一緒に遊んだり積極的に会話をするようにしています。 子どもたちにも笑顔が増えたと思います。 ですが、あの頃寂しい思いをさせたことが忘れられません。 子どもたちは私を責めるような事は言いません。 ただ自分の頭の中で後悔のシーンがぐるぐる回っていて辛いです。 どうすれば自分に納得のいく答えが見つかるでしょうか。

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法事の際に受けた説法が引っ掛かっています

先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。

有り難し有り難し 149
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