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検索結果: 385件
2023/02/07

あの世について無記と言う姿勢は正しい?

あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか? 中学時代の世界史の教師が言っていたことですが 昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った 若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ と話していました ウィキペディアの記述によると 【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】 とあります。 お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね? お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ 日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった といったところでしょうか (毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた) お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、 私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。 死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで 自分もその責任を感じるはずですから・・・ 歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く 平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは 子供の将来を心配して亡くなったことも そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており 死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず 話をお釈迦様の話に戻しますが お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか? 私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが 人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?

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お坊様ならどのように声をかけますか?

いつもありがとうございます。 もう書き込むことはないと思っていましたが 念のためもう一度書き込ませてください。 昨年末、下の質問で皆さんが如来に戻る日(成仏する日)が 迫っている話をしました。 https://hasunoha.jp/questions/39774 実際に新型コロナウイルスが世界的に流行しはじめ 私達もその感染から逃れられなくなりました。 このウイルスは複数回感染で重症化し 死に至るか後遺症が残る可能性が高いものです。 また、人が感染したら死ぬ可能性を持つ H5N1鶏インフルエンザの発生などの騒動なども始まっています。 見えない恐怖との戦いとでも申しましょうか。 中国で爆発的に新型コロナウイルスが蔓延したため 今後は病気だけの問題では済まず 日本や世界の物流や経済も必ずおかしくなります。 お金が手に入らなくなると同時に 食糧の奪い合い、買い占めが始まるため、 食べ物も手に入らなくなります。 さらに地震や噴火、台風や豪雨による災害も起きるでしょう。 阿鼻叫喚の世界がまもなくやってきます。 お坊様方を心から頼る人々が 死への恐怖に苛まれる日々が訪れるのも あと数ヶ月後に迫っています。 もちろん、お坊様方自身も恐怖心を抱くことになります。 そのような状態でも お坊様の皆様は、救いを求める人々に対して どのように慈しみ労わる言葉を おかけになりますか? 戦争を経験していない世代の私たちは脆いです。 自分は如来と気づいた立場の私の場合 死んで如来に戻っていく人には 死ぬことは幸せなことで ありがたいことなんだよ。心配ないよ。 宇宙の一部であることに変わりはないよ。 やりたいことはいろいろとあっただろうけど みんなやり残して死ぬから辛抱してね。 今までずっと辛かった人々はやっと楽になれるね。 良かったね。生きていてありがとう。 生き残る人々には この世の地獄を味わうけど 生きている奇跡を忘れず 前を向いて進んでいこうね。 神様仏様をはじめ 宇宙のすべて森羅万象に感謝すると良いことが起きるよ。 あなたは宇宙そのものだから。 という感じで声かけをしたいと考えています。 皆さんのご意見をいただけると幸いです。 よろしくお願いします。

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生の強制を信奉できない

以前自殺願望について何度も相談させて頂いたものです。何度もお手数をお掛けして申し訳ありませんが、またご相談の程宜しくお願いいたします。 私は、皆さんとの対話の末に何とか生きる目的を導き、少しずつ自らの存在と自身が存在する世界を祝福できるようになりました。ですが、自身の中で解決していない問題があります。 生の強制と自殺についてです。 私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのですが、その立場故に生存を無条件に強制する人たちに対して今でも強い忌避感を覚えてしまうことに悩んでいます。 私は、ハスノハ以外でも両親や友人、教授に自殺願望の悩みを打ち明けたのですが、その誰もに私に対して「死ぬな」という事を前提に説得されました。 私が、生活に不満はないがやることがなくなり、これ以上生命に執着したくないという事を打ち明けたとしても、その発想自体を幻想と一蹴され頑なに生を強制されました。 説得者の言葉からは、現実の私ではなく、説得者のイメージとしての私や、先程述べた死生観を見ているような見当違いを感じ、それ以来人を信頼できなくなっています。 断っておきますが、この方々が悪い人間とは思っていません。むしろ、自己の想像の範疇で私を助けようとしてくれる善人だと思います。しかし、それ故に彼らが生きるという事を無自覚に狂信している事実に深い断絶を感じます。この世のどんな渓谷よりも深い絶望的な断絶の向こう側に、ひとりぼっちで取り残されたような感じです。 私は、彼らのように生を肯定すること自体は問題ないと思っているのですが、生に取り憑かれ、挙句他者にそれを強制する傲慢さを拒絶せずにはいられません。 生きたいと決心した人が快く生き、死にたいと決心した人が悔いなく死ねる。そんな世のあり方を私は望んでいますが、この考え方に取り憑かれた私もまた傲慢なのでしょうか。 そもそも、仏教の教えを信じる時点で私は傲慢だったのでしょうか。

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住職様にとって、お葬儀とは何ですか

大変失礼な質問だと思いますが、何卒ご了承いただけると幸いでございます。 私は、長らくサービス業に従事しております。 ここ5年の間に、2人の祖母、叔父、母親、旦那の親友が亡くなり、その都度お葬儀に参列いたしました。 宗派の違いはありましたが、通夜・火葬・葬儀・法要とそれぞれにおつとめをいただき、『ありがたいお経のおかげで、故人は仏になるために旅立つんだな』と故人の冥福を祈っておりました。 そういった機会も多かったためか、ご縁あって葬祭会館へ転職いたしました。 まだ1ヶ月も就業しておりませんが、すでにたくさんのお葬儀に立ち会わせていただき、さまざまな宗派のご住職様にもお会いしております。 何件ものお葬儀に立ち会うと、知りたくなかった裏の部分も見えてまいります。 『お葬儀をしておつとめを頂くのは、故人が無事に仏になるためではなく、残された遺族が大切な人の死を受け入れるための段階の儀式』なのかな、とも考えてしまいます。 お葬儀をする意味とは、そういった死を受け入れる儀式的な理由も含まれているかと思いますが、住職様から見た『お葬儀の際におつとめをすること』には、どのような意味があるのか、お伺いしたいです。 無知故の不躾な質問で大変申し訳ございません。 よろしくお願い申し上げます。

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あの世にしか私の味方がいない

以前旦那さんが亡くなってすぐに質問させていただきました。 あれから3ヵ月半経ちました。 たった3ヵ月半ですが、私はもう何十年生きたくらい、生きるのに疲れました。 旦那さんとお別れした当初は、これからは色んな人に助けてもらえると思っていました。 けれども今、誰にも自分の気持ちを話さず、1分1秒ごとにくる苦しみを1人で耐えている地獄のような毎日です。 歯を食いしばりすぎて、そろそろ顎が割れそうです。 両親には毎日夫婦のやり取りを見せられています。 ご飯の味が濃いか薄いか、私の息子が今日こんなことをした等、毎日小さなことをなんでもお互いに報告する姿を見せられています。 もう彼らにとっては日常で、芸能人の訃報がテレビで出れば、へー!死んじゃったんだ!と言われます。 お父さんとお母さんでベビーカー押してる人がいたよ!と言われます。 義理の家族には、百箇日の法要を勝手に私の誕生日に開催されました。 その時に、あなたの誕生日だから、よかったら来ない?家族のみでやろうと思ってるの!と言われました。 彼の家族は私と息子なはずなのにおまけです。 私の誕生日に彼は喪服を着て祈ってほしいと思っているようです。 また納得できないから、彼の健康診断の結果を見せてほしいと言われました。 妻の私の至らなさをあーだこーだ言われそうです。 それらを聞いても、私の両親は義理の家族に何も言いません。 むしろ返事をしない私が失礼をしたと、謝っています。 友達も最初は連絡してくるくせに、今はほとんど連絡してきません。 私に死なないでほしいと言います。 でも何も助けられなくてごめんと言われます。 彼を失っただけでも辛く悲しいのに、世界はさらに私を傷つけてきます。 味方は旦那さんだけだったと、つくづく思い知らされます。 もう生きるのが辛い。 息子を養護施設に置いてくる勇気さえあれば、すぐに死ねます。 息子の前では必死に笑っていますが、毎日何度も何度も死にたいと口にしてしまいそうです。 自殺する方の気持ちがよくわかります。 生きるのが辛いんです。 死んで、周りの人たちにどれだけ苦しいか思い知らせてやりたいんです。 この世界に味方はいない、誰も助けてくれない。 なぜ、私は生きなければならないのでしょうか。 彼を救えなかったのは私です。 謝っても許されない、その罰を受けるので、誰か私を殺してください。

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罪の償い方

いまだ母の死(いなくなった事)が受け入れられず、これは母を大事にしなさすぎている私に対してのドッキリで、帰ったらまた前みたいに家に居てくれると期待しながら家に帰ったり、目を覚ましたら、また居てくれると、また戻って来てくれると信じて願っています。 でも、家に帰っても目を覚ましても、母の姿は無く、私が母の事を殺したんだからいるわけない、と思う自分もいます。 やりたいこともあって、死にたくないと思いながら、寂しさや苦しみの中死んでいった母の事を思うと、本当に申し訳なくて、毎日位牌とその横で笑う写真に泣きながら謝っています。 寝るときも布団の中で泣きながら謝っています。 「その笑顔も、オカンの人生も全部めちゃくちゃにしてごめんなさい。許してもらおうとは思ってないし、私が行くのは地獄だから、向こうでオカンには会えないけどゴメンね。こんな風に育ってごめんなさい。私が生まれてこないで、生まれてくるはずだった弟か妹が生まれてきてれば、もっと幸せで長生き出来たのに、オカンの事不幸にしてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい」と謝っています。 私はアレルギー持ちで母がいたときは、促されて毎日薬を飲んでいましたが、今飲むのを止めています。私のせいで母が苦しんだのに、私が苦しまないのは平等じゃないと思ったからです。母は、私には少しでも体調悪いと思ったら病院行けと言う割に、自分では多分私に遠慮して病院に行くことをしませんでした。ここ最近、痒みと戦っていますが、母の苦しみに比べたら大したことないと自分に言い聞かせています。 私に出来る罪の償いは、謝り続けることと、薬を飲まず痒みと戦うこと、ご飯を作る事以外に何があるでしょうか? やはり、母が言っていましたが、人を殺したら自分も死ねの教えに従うべきでしょうか? 生まれてくるはずだった弟か妹も、私のせいで死んでしまったのです。(小さいとき、夏にビニールプールに母を無理強いして入れたために、流産したようです。) 私はやはり生まれてくるべきではなかったと思っています。

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愛猫の小さな命を亡くしました

飼い始めたばかりの猫を事故死させてしまいました。来週で四十九日です。 自分のせいでしかなくて自分をどんなに責めても戻ってこないのは分かってます でも、最後の無邪気な姿 最期の姿が忘れられなくて 今年の9/1に野良猫を飼うことになりました。推定生後1ヶ月ほどの小さな命 きっかけは旦那の職場で野良猫が5匹見つかり里親探しを始めうちでは先住猫がメスだったためメス猫ちゃんを引き取ることになりました 娘が好きなトトロという名前をつけました 肩の脱臼もあった為病院にも通いました 先住猫もおり一歳と二歳の子もいたので初日から本当に慎重に育てていました まだ離乳食期で3.4時間ごとの食事 子猫の寂しさから夜鳴きもあり 子育ても両立させるため 正直毎日忙しかったです でも頑張れたのはトトロの可愛い寝顔で 普段の疲れが全て癒されてました 娘の誕生日を翌日に控えていたので9/24日に出かけました 帰宅後は朝から動き回ったのでヘトヘトでいつも通りトトロは構ってちゃんでしたが、まともに相手ができませんでした 夕食も終わり一息ついた夜11時 先住猫がベランダへ そしてトトロが外に出ないようにも見張ってました 見張ってるつもりでした 気付いた時には柵の反対側でした トトロは楽しそうに遊んでる様子でしたが 部屋の中にいる家族におもちゃとって!早く!と叫んでました 振り返ってもう一度トトロの方を見るともうそこには居なくて 7階でした。即死だったと思います 迎えに行った時には涙を流してるようでした でも、まだ温かいから助かるかもしれないと一心不乱に声をかけて動物病院に連れて行きました 延命治療を続けましたが やっと呼ばれたときには亡骸でした 娘の誕生日前日に 病院での時刻だと誕生日当日に その日にうちに別荘に土葬しにいきました。 前に飼っていたペットもそこに土葬してありましたのでその横に寂しくないように それから毎日地獄でした 数時間おきのアラームもなくなり 買った子猫の餌もたくさん残ってて 一瞬でも暇さえあればトトロへの後悔 生後2ヶ月経ったか経たなかったか短すぎる命 他の里親さんが拾ってくれてたら 子育てとの両立なんて甘くみていたから 最後の日もっと遊んであげれば 治りかけてた脱臼なんか気にせず手を差し伸べて引っ張ってればと こんな母親なんかでと子供達にも申し訳なさがいっぱいです

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幼少期の殺生と、その懺悔について

 初めてお世話になります。  私は動物(虫や貝、ミジンコなども)が好きで、彼らの命は例外なく尊く、人間と同様に重いものだと考えています。 しかし、子供の頃はその重さを分かっていませんでした。  小学校2〜3年生くらいの頃、同級生と一緒に通学路の途中にあったアリの巣を潰そうとしたり、アリに残酷なことをして命を奪ってしまいました。 自分のした事を考えると胸がズキリと痛み、とても後悔しています。  一時は「自分は幸せになってはいけないのではないか」、「地獄に落ちるのではないか」という考えが頭を巡り、何をしていても心が苦しい状態でした。  ある時ネットで、 「幼少期に虫を死なせてしまうことは、命や死についての理解につながる」 という記事を見つけました。  確かに自分が命を尊く思えるようになったのは、過去のそうした経験が影響していることは否定できません。 人間が罪深い生き物であることを受け入れることは出来ましたが、それでもやはり虫達への罪悪感があり、本当に申し訳ない気持ちです…。  今は無益な殺生は当然として、蚊やゴキブリといった虫達も殺めずに、可能なら外に逃してあげるようにしています(害虫の駆除はやむを得ないのかもしれせんが、出来る限り殺生を避けたいので…)。 食事も間接的な殺生と聞きますので、いつも感謝を忘れないようにと自分に言い聞かせています。  長くなってしまいましたが、私が相談させていただきたいことは罪の懺悔についてです。  最近になって「懺悔文」というお経を知り、これを唱えたり、命を奪ってしまった全ての生き物達へ謝罪を込めて、ご冥福をお祈りをしているのですが、 年月が経過した今でも、この気持ちは神様を通じて虫達の御霊へと届いているでしょうか? そのことがどうにも心につかえています。 何卒、お言葉をいただけましたら幸いです。

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亡くなった昔の恋人を思うと辛い

中学時代から10年ちょっとに渡り、ついたり離れたりしていた恋人がいました。私はその人と結婚するだろうと思っていたのですがタイミングが合わず、お互い違う人と結婚し、家庭をもちました。彼は結婚後も実家の近くに住んでおり、私が帰省した際とか年に一度くらい会ったり、電話で近況を報告しあったりしていました。お互いの配偶者には内緒でした。 その彼が3年ほど前に突然心筋梗塞で命を落としました。その死をまだ受け止められていないのでしょうか、彼のことを毎日思い出し、そのたびに心が苦しいです。遠距離に住んでいるため彼の葬儀には参列できませんでした。彼の死後共通の友人を通してお墓の場所を教えてもらい、一人で墓参をしに行きました。涙が出て止まらなかったです。 今でも彼のことが忘れられず、特に今までの朝の連続ドラマ「半分、青い」の主人公と自分たちが重なり、なぜ彼は死んでしまったのか、ちゃんと伝えるべきことは伝えたのか、混乱と後悔でいっぱいです。 結婚後も昔の恋人を想い続けるのは罪かもしれません。が、彼は死んでしまった。逆に死んだことにより私の心に深く住み着くことになったような気がします。 彼の奥さんは結婚前から私の存在を知っており、結婚当初、私の存在を良くは思っていませんでした。あれからもう20年ほど経っています。今、私のことをどう思っているのかはわかりません。まだ敵対視されているのか、もうなんとも思っていないのか・・ 今度帰省したら彼の仏壇に焼香をさせてもらいたいと思うのですが奥さんが許してくれるかどうか。焼香したからと言って自分の気が収まるわけではないですが・・・ 彼の死を受け入れられる日は来るのでしょうか。こうやってずっと彼のこと思い続けるのでしょうか。どうにかしてこの思いを昇華させたいと思うのですが、それができる日は来るのでしょうか。

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どうしようもなくて死にたい

はじめまして。稚拙な文章で読みにくいところがあると思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。 私は5年ほど前から拭えぬ希死念慮を抱えて生きてきてそれが原因で死にたいと思っています。 死にたいと思うようになったことに明確なきっかけは何もありません。 常に生きることがしんどいという気持ちがあってそれが徐々に死にたい気持ちに変わっていったのかなと思います。 今はアルバイトで生活をしていて、仕事にも家庭環境にも問題はありません。 なんなら人より楽な生活をしているのにこんな気持ちになっていて申し訳ないし、こんなに心の弱い自分が嫌でまた死にたくなります。 今までに精神科にお世話になったことがありそこでは一過性の思春期鬱だと言われましたが私にはそうは思えません。 私の場合ただの甘えと性格だと思います。 何が辛いでもないのにいつも憂鬱で泣き出しそうです。そんな状態が続いて抜け出せないです。でもこれは私の生まれ持っての性格だと思うのでこの先も一生続いていくんだと思うと本当につらくて死にたいです 。 こういう気持ちを家族に話して慰めてもらってその時は魔法にかかったように元気になっては、またすぐに沈んでを繰り返していてさすがにめんどくさいし迷惑だろうなと思って申し訳ないです。 死にたいと思うことにもすぐに気持ちが沈んでしまうことにも幾度となく繰り返すうちに疲れてしまいました。 ですがここまで死にたいと連呼しておきながら私は生きていたくないだけで死にたいわけではないのではないかと思うのです。 本当は死にたいわけではなく私は心を元気に保って楽しく生きたいと思っているのだと思います。 ですので、どうすれば些細なことで落ち込んでしまわないか、又落ち込んだ時に死にたくならないようにするにはどうすればいいのか、教えていただけると嬉しいです。

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2022/04/24

外道の救いの道

努力したのにも関わらず、もう心の中は楽しいことしか浮かばないのに、最後の最後で人を裏切ってしまいました 財産を捨ててしまいました 心の繋がりや絆を全て経ってしまいました 魂か精神世界に亀裂が入ったのが見えました それから精神世界がパリンと割れ、割れたカケラが胸の中心に全て入り込んでしまい、そこからボロボロと崩れてしまい、今は目を瞑ると地獄のような幻覚が見えてしまいます 過去の自分が薄れ、宇宙から孤立し、きっかけとなった日から思考が止まってしまいました 目の輝きが死んでしまいました 私はもう輪廻から外れてしまい、天狗道に行くのだろうと思います そのくらい人を裏切り、悟ることができなくなってしまいました 本来ならもう誰にも助けてもらえない状況のはずですが、裏切ってしまった人もまだこんな私を気にかけて下さいます 毎日生きるか死ぬか迷っています 天寿を全うしてもきっといいところにはいけません だからといって自分でやらかしたこの状況で自殺なんて余りにも身勝手すぎると思います 本当に救いようの無い愚かすぎる失敗をしてしまいました 守護霊さんやご先祖様、何より現世まで繋いできたこの魂にとても申し訳ないです 申し訳ないでは済まないです 過去世の方々は命をかけてこの魂を磨いてきてくれたはずです だから私の頭も心もスッキリとしていて楽しいことがしたいだの、誰よりも強くて優しくなりたいだの、好きな自分を望むことができたはずです そもそも裏切りなんて人間しかしません 私は生物の中で心も頭も最弱になってしまいました 人生で失敗したと思うことがなく、たった一回の気の緩みから最悪な感じで魔が入り自分をここまで落としてしまいました 私のこの行いで過去世と自分の努力を水の泡にしてしまって本当に救いようが無いです 宇宙で一番の愚か者だと思います 仮に自殺してしまったら自然死よりも状況は酷くなると思いますか? もしこんなことで自殺してしまったら私は悪霊にでもなってしまうのでしょか? 失敗の振り幅がデカすぎて絶句してしまいます

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壊れた心を抱える中でも、自暴自棄にならず生きて行きたいです

初めまして。この度自分の悩みについて書かせて頂きたく、また読んで頂けたら嬉しいと思いまして、投稿致しました。 私はある暴力被害のために、酷いトラウマを負わされました。 その加害者は、この他にも酷い事をしていたのに、何も裁かれず、誰も非難もせず、 逆に、社会運動やインテリの人達の世界ではちゃんとした知見を持った人として支持され、受け入れられていることを知って、 酷い絶望と衝撃を受けました。(その加害者は外面が良く、裏の顔を知っている人は殆どいないようでした) 私はそれが耐えられず、心がボロボロになり、号泣する思いで「馬鹿馬鹿しい、やってられるか!」と思い、 社会運動、教養関連の一切の事を忘れたくて、それらを忌避するようになってしまいました。 社会も法も裁いてくれないのなら、私にはもう地獄です。 因果応報など大嘘だと、強く思います。 私はどんどん希望や拠り所を毟り取られるし、もう疲れ果ててしまったんです。 傷が癒えるには、もうあの世に行くしかありません。 結局この世は「勝てば官軍負ければ賊軍」で、 汚れやら錆やらを他人にスイスイと押し付け、 自分は綺麗な存在として軽やかに転身し、スマートに生きる人が勝ちなのかも知れません。 真っ当に、コツコツと地道に生きて行くのが馬鹿らしくなる時が、しばしば有ります。 違法薬物を買える場所を探したり、違法賭博を行うことを考えたこともあります。 私が心ある人にも見放され、やがて孤独になって、蛆虫らしく死んで行くのはもう確定しています。 時々自暴自棄になって、もう犯罪者になってしまってもいい、死刑になっても、 最期は刑務所の中で死んで行っても良いじゃないか、 という思いさえ萌します。 安楽死が認められるなら、自分の傷付きを遺書に書いて、然るべき人に託したい、と思うこともあります。 実は何人かの方に、私が暴力被害者の方を救えるかもしれないとおっしゃって頂いたのですが、 私が誰かを救えるとも思えないし、他に優秀な人材は何名もいらっしゃるし、 申し訳ありませんが、意義ある仕事なら、私でなくても誰かがやるから良いだろう、とさえ思います。 おかしなことを言っていると、笑って下さっても構いません。 自暴自棄にならずに、心を鎮めて生きていくアドバイスを頂けましたら、非常に幸甚に存じます。 どうかよろしくお願い申し上げます。

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