いつも私の下らない質問にお応えいただき誠にありがとうございます。 私は今地球温暖化が怖くて仕仕方ありません。 私の生まれたときは雪が多かった。 それが降らなくなり、車に霜さえ降りなくなり、今年は桜が咲く時期も異様に早く。 最近の天気もおかしいです。梅雨前なのに雷が多く、気温もまるで夏。まだ30年余しか生きていていない私のでも、今年はちょっと異常だと、否応にも感じてしまいます。 この前の温度が上がり続けるのだろうか。地球はどうなるのか。人が生きていけなくなるんじやないか。 気温が高い日が来るたび、不安になってドキドキしてしまいます。 コロナの件もあって、死の存在が身近にあるのだと再確認させられました。 温暖化もコロナと同じように、私達の命をジワジワと縮めるものの気がして怖くてなりません。 仏教では変わらないものはないと説いていらっしゃいますが、それは気候や地球環境も同じなのでしょうか。 また、悪いニュースだらけの世界を受け入れて、生きていく心構えを説いていただけると嬉しいてます。 よろしくお願いします。
小学生の頃より、ふとした瞬間に"死んだらどうなるのだろう"と考え始めた。 でも、当時は漠然とした考えで 中学生の頃も同じようにふとした瞬間に漠然と考える事はあったが、そこまでの恐怖はなかった。 高校〜大学の時に恐怖へのクオリティ?が上がり、特に両親が去ってしまうと考えた時に押し潰されるような不安に襲われ泣く事もありました。 しかし、泣いて翌日にはケロッと後に引く事はなかったが20代後半になり 1人の時や夜中にふと目が覚めて ・両親がいなくなったら孤独だ ・兄妹はいるけど順番で考えたら 私が最後か… ・結婚もせず独身、死ぬ時も孤独なのか ・どんどんと老化してきて何もできなくなって死ぬのかな、怖い。 ・日々の一瞬一瞬全てが無に戻る&無意味に思える、それが怖い。 色々な不安が頭にぶわぁーっと入り 今までと比べ物にならないぐらいの 死への恐怖の波がきます。 私自身がネガティブな状態で、それが原因なのかと思い携帯で検索してみると 同じような人がおり、安心するが 内容を読むと結婚していて子供がいてetc... いやいや、結婚もしている 子供もいる、"家族"がいる。 生きた証を未来に繋げれる地盤が あるのに…と、卑屈になってしまい 更に不安がこみ上げて泣いたり 不安で寝れなくなったりします。 両親や兄妹が去れば 私も終わりでいいかなって思うし 始まりがあれば終わりもある と理解しているけど グルグルと同じ事を考えてしまいます。 死への恐怖はどうしたら治りますか? とは伺いません…。 ただ、言葉では言い尽くせない この恐怖をどう乗り越えていくべきでしょうか? よろしくお願いします。
最近ゴミ拾いをしてニートですが仕事した気になっています お金を得なきゃいけないのに、働くの怖いです バイトでしか多分生きていけないんだと思いますが、時間あるなら今のうちに何かしなきゃという焦りしかありません いろいろ考えちゃって無気力になってしまいました 厄介なのは資本主義的になんでも考えてしまっていることです 金にならなきゃ意味がない、それが資本主義です。 つれづれ草の作者みたいに生きてみたいなと思い泣きます 私はほかの人よりも世の中に何かしなければという気持ちが強いのですが、思いとは裏腹にから回るだけでなんも貢献できてません 正直生きるの怖いです 最近何に対しても恐怖を感じます、身近な人の死、未来にです
毎日死について考えてしまいます。 死にたいという考えではなく、いつか来る死について不安で不安でしょうがなく頭の中で色々と考えてしまいネットなどからそういう関連のサイトを調べすぎてもっと不安になってしまっています。今では自分でコントロールできなくなってしまいました。文章では書ききれないので箇条書きで今自分の頭の中にある考えを書きます。 ・テレビやネットでの年齢を見ると将来この歳になりたくないなと、絶対なるのにも関わらず考えてしまう。 ・いつかは死ぬとわかっていても死にたくないと思ってしまう。 ・死後の世界がどうなっているのか、自我意識はあるのか、仮に生まれ変わりがあったとして自分が自分じゃなくなるのではないかと思ってもし、死後の世界がなく何も感じられなかったらと思うと不安と焦りが出てしまう。 ・自分はなんなのか、この体は本当に自分なのかという疑問。 この4つでどうしようもなくなりネットなどで調べて安心しようとするも信じていいのかわからずこのループに陥ってしまっています。 この事を家族に相談をしても「暇だからそう考えるんだろ」と言われるだけで考えないようにしようとしていてもふと、考えてしまいまたループに陥ってしまい焦りや不安、そしてパニックになってしまいます。先の将来、死後の世界が判明するのではないかとネットで書かれていたのですが本当なのかどうか本当にあるのかそれとも無で何も感じられなくなるのか、4つの考えのループから抜け出すのにはどうすればいいのか、身体や私生活に影響が出るほど深刻な問題なので、是非ともお教え頂きたいです。
生まれた時からずっと気にかけ、見守ってくれた祖父が亡くなりました。 亡くなってから毎朝お線香を上げて話しかけ、四十九日も無事に終わったのに、心の整理がつくどころか、まだ祖父の死を受け入れる事が出来ません。 人間関係も、テレビから流れるネガティブなニュースも、お金の事も、祖父が亡くなってから、この世の全てが怖いです。 1人で外を歩くのも怖くなりました。 何をしていても、気を抜くと涙が出てしまいます。 毎日寝起きには、恐怖と祖父恋しさに涙が止まらなくなります。 大好きな祖父ではありましたが、こんな気持ちになるなんて、思っていませんでしたし、何故こうなるのかもわかりません。 祖父が亡くなって辛いのも、泣きたいのも、祖父に会いたいのも、私だけではないのはわかっているつもりです。 どうすれば気持ちの整理をつけ、気持ちを強く持って生きていくことができるのでしょうか。
先月の中旬に愛犬をなくしました。 病気がわかってから8ヶ月、 仕事を調節しながら、 後半は ほぼ一緒の時間を過ごす事が出来ました。ペットロスの心配を考えて、後悔ないよう。 そう思って毎日一緒にいたのに、お別れの日、 今日はいつもと様子が違うな‥と思ったにもかかわらず、お互い足を向けて寝っ転がっている時に逝ってしまいました。 ふと あの子を見た時に、手足がピーンと伸びて、もうそんな体力あるわけないのにおかしいと思い起き上がり、顔を見ながら名前を呼んでも反応なく、もう何をやっても仕方ないとわかっていながらも、怖くて、携帯を取りに振り向いた瞬間、 ドクンと一瞬 身体が動いたのが視界に入ったんです。 まだ生きてる!と思って動物病院へ電話しましたが、電話口で先生から胸の音とか皮膚の色とか瞳孔の様子とか色々聞き、確認しました。 やっぱりもう逝ってしまった後でした。 病気に対しての治療、介護は何の悔いもありません。なので思ったよりペットロスは平気そうです。けどそれはただの自己満足です。 けど最後の日を思い出すと辛くてたまりません。 最後の日、あの子の視界がなくなる時に自分が看取ってあげれなかった事、声をかけてあげれなかった事、携帯なんて取りに行かないで傍にいればよかった。苦しくて辛くて動けないまま、そのまま息を引き取ったのではないかと思うと、かわいそうで辛くなります。 みんな、幸せだったよって言ってくれますが、 それは本人しかわからないし…。 わかれば教えてください。 亡くなった今、病気も一緒に消えるのでしょうか?もう苦しい思いはしてないんでしょうか。
1ヶ月に「今すぐいなくなりたい」という件名で質問したものです。 その節はご丁寧な回答をいただきありがとうございました。その後ですが、区に問い合わせたり色々と取り組みましたが、何も状況は変わりません。変えようという意思も段々となくなりこの1ヶ月はほとんどものを食べなかったり、過食しの繰り返しです。夜も全く眠れず寝ても2時間ほど、あれから四六時中死ぬことばかり考えて、誰にも相談できません。私も仕事の連絡が突然、来なくなり無職になりました。誰も信用出来ないしお金もないです。母は私名義のカードを3社上限まで使い、いよいよ1社滞ってしまい私が電話をかけて延滞しました。もうつらいです、なぜ幼少期に親の恋人からレイプされあざだらけの虐待などを受けて、成人になればトラウマからくる慢性的な精神的な病にかからなくていけないのでしょうか?結局未だに母の家に住まわしてもらっていることが悔しくて仕方がないです。何も知らない親戚からは甘えてると言われました。甘えてるんですかね。確かにそうですよね。でも私からすれば過去のことは絶対に消えないから苦しいし、本当に憎んでいるんです。許す心を持ちたいけど、今はその余裕もないしむりなんです、このまま母にカード上限まで使われて滞納したら一人暮らしもできないです、もうコロナになってから一年経とうとしてますが毎朝、毎晩、ずっと職探ししてます。つらいです。毎日ずっとメールと検索エンジンで求人をみるのが。頭の中ごちゃごちゃで何も考えられないです。 また、1ヶ月前、回答いただいてから役所、区の事務所、区画センター?にも電話して、出向いたりしました。生保しかないと言われて、管轄の担当の方から電話が来ましたが私の事情を全く引き継がれていなくて強い口調で私の予定も聞かず、暇なんだから空いてる明日の朝一に来てね。絶対。と言われて男性の方で、男性が苦手とあれだけ伝えたのに、どこでも成人になれば自己責任、たしかにそうです。でもこの状況で相談乗ってくれる人が誰もいなくてどうしようもないんです、何もかもが消えてしまいたい、ここまで支離滅裂に話してしまったのも許してください、なんか、もうどうすればいいのか、このまま地面に溶けていなくなりたい、死ぬしかないんです。もう人生諦めたいです、結局自分は無責任な人間なんです、もうとにかく死にたいんです。この気持ちが怖い。
父親が先月亡くなりました。 まだ50歳でした。 心臓の病で倒れ、一時は手術もせずに退院出来るかもというところまで来たのに急変し3日後に亡くなりました。 父とは血が繋がっておらず、高校生の時に出会いました。 警戒心丸出しでなかなか心を開かない私に、根気強く、そして優しく向き合ってくれました。 人間関係や仕事が上手く出来ず、落ち込む私を一番に気にかけてくれ、そっと側にいてくれました。 父にしか話さなかったこと、父にしか相談しなかったこと、たくさんあります。 父は身体が弱く、よく頭や歯が痛いと言い、熱を出すことも時々あり、睡眠も短いことが多かった為(疲れていても長時間眠れなかったようです)心のどこかで長生きしないのではないかと感じていました。 そのため多少無理をしてでも父親に対して孝行をしてきたつもりです。 父が亡くなった後、棺に入れるものを探していた時、仕事用の鞄からたくさんのポチ袋が出てきました。 私が就職してから、ボーナスが出た時に家族に渡していたお金を入れていたものでした。 ずっと持っていてくれたことを知らず、胸がいっぱいになりました。 ボーナスが出た時にお金を渡すのは、父が私の祖母にしていたことだったので、私も同じようにしていたのです。 また、亡くなった後会社の人や、父の仕事関係の人から、娘にこれを買ってもらった、娘とあそこに行った、私のことを娘みたいに可愛いと話してくれていたことを知りました。 血の繋がりのない私を実の娘以上に大事にしてくれ、時には怒ってくれたこと感謝してもしきれません。 そんな父が亡くなり、まだ現実を受け止められません。 上手く感情に蓋をし過ごせる日もあれば、涙が出る日もあります。 ただ、本気で泣けないのです。 間違いなく、私にとって大事な存在だった人です。 涙は出ても本気で泣けず、自分でも驚きます。 いつか、本気で泣ける日が来るのでしょうか。 また時が薬となり癒してくれる日はやってくるのでしょうか。 時が経つにつれ、父との記憶が薄れるのではないのかと怖い気持ちもあります。 いつも身体のどこかが痛い中、家族の為に働いてくれていた父はやっと痛みから解放されたのでしょうか。 感情がまとまらず文章がぐちゃぐちゃで申し訳ありません。 何かお答えいただけると有り難いです。
ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。 僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た) そして、最後も看取れず・・ 怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。 一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。 特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。 あぁ・・ 母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。 もうどうしようもないことはわかってます。 でも なんで一人で逝かせた? 付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・ 叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・ 寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは 一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。 母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。 ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・ でも、それも今となっては教えてもらえず・・・ 『寂しい・・』 『家に帰りたい・・』 逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります とても苦しいです。 とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて 毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。 母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・ 今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。 こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。 僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。 やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか? 一生背負って生きていかないといけないものでしょうか? 是非、意見を聞かせてください。 辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。 でも、結局は生きていくしかなく・・・
先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。
こんにちは。 いつも拝見させていただいています。 私は先日、長く付き合った恋人と別れることになり、自然と自死を考えるようになりました。 結婚話も出ていたことから、別れたあとはまともに睡眠や食事もとれず、何をしていても気が紛れることはなく、自分を責めたりして、この苦しみから解放されたいと全てを終わらせることにしました。 正直私は親不孝者だと思います。何一つ、恩返しはできていません。私にとって、自分の子供を家族に見せてあげるのが希望でしたが、それもできなくなってしまいました。 まだ何も身辺は整理できていませんが、少しでも早く優しい仏様のもとに戻りたいと思います。 自死について考えるのはとても寂しく、辛いですが、仏様が迎えてくれるのだと思うと段々怖くなくなってきました。 仏教では自死はよくないことなのかもしれませんが、こんな私でも天国に行くことはできますか?こんな私でも、仏様は愛してくださいますか? ご回答よろしくお願いいたします。
昨年末に母親が亡くなりました。最初、父親から連絡がありまず噓だと叫び号泣しました。兎に角信じられず現在も受け入れられず何処かで生きてるんじゃないかと思ってます。正直自分も母親の後を追うと真剣に考えましたけど、何とか踏み止まりました。それからは虚脱感、脱力感、後悔の念ばかりです。母は兎に角昔から頑張り屋で自分が物心付いた時には病室に居た記憶が多いです。癌も患い子宮癌に甲状腺癌と最後は腎臓の透析をしてまして、夜中に大動脈解離で手術は無理という事で亡くなりました。自分と両親は離れて住んでまして私は長野、両親は千葉でして元々母は長野の出身で2年程前には両親は長野に住んでたのですが事情があり弟夫婦と住む事になりました。事情と言うのは、私は長男ですが昔からだらしなく弟の方がしっかり者で兄貴にはこれからの両親面倒は無理と判断したのでしょう、自分が引き取ると言う形になりました。本当に恥ずかしく、情けなく思います。話が逸れましたが私は母ととても仲が良くて買い物や色々と良く出掛けました。他人から見たらマザコンです。兎に角、父も母も弟も皆負けず嫌いで頑張り屋で努力家で自分は皆と正反対の性格で一言で駄目人間です。でもそんな自分にいつも皆は優しく特に両親には一生頭が上がらないです。だからこれから頑張って親孝行したかった。。特に母にはしたかったです。。その矢先に母が亡くなり自分を恨みました。生きてる時に何で何でと思いましたが、親孝行したい時親はなしと言いますが本当にその通りです。今は無念で何かあれば何処でも涙が出て辛いです。今も母の思い出の中で生きてる感じです。人間はいつかは旅立ちますのはわかってますがあの頑張り屋の母がと思うと寂しい悲しい空しい悔しいです。母ではなく自分が代わりにと思いました。後から家族から聞いた話で亡くなる前は私の名前を何度も連呼してたと聞き心が痛くなりました。結局離れて暮らしてからは電話では話たけど合いには一度も行かなかったです。母は痛いし辛かったのを我慢して頑張ってました。本当に辛いです。死にたいと思いますが正直怖いです。私はこれからずっと母の思い出の中で生きてくのでしょうか?どうぞ何卒下らな事ですがご回答の程宜しくお願い致します。
35歳の娘が2年近くの闘病生活をしてまいりまして、3週間前に天国へ旅立ちました。 2回の大手術、放射線、抗がん剤、丸山ワクチン免疫療法とやれる事は全てやったつもりですが、転移、再発を繰り返して、最後は腫瘍による腸閉塞になり、点滴生活が1ヶ月半でした。 この2年で私にもお友達にもほとんど泣き言を言わず、いつも明るく前向きで、大丈夫が口癖でした。 5月に入り、3日間くらい何を話しかけても話をしなくなってしまった時にもうこのままだめなのかなあと諦めかけました。 すると4日めで目覚めて、とても怖い夢をみていた、目をつぶると死ぬよと言われ一生懸命開けてたと。 変なおじさんもいたと。 その時、私は娘は奇跡をおこせるのではと思いました。 3月の終わりに、病院でこのまま病院にいても家に帰っても点滴しかやる事がないと言われて退院してきます。 在宅看護でしたが、看護師さんもすごい生命力といってくださいました。 それから、3日間くらい、主人と私と3人で一日中一緒に過ごしましたが、しゃべってしゃべって、朝方までしゃべり続けるのです。とても元気になったのだと思ってた。 ところが、その3日後にお友達が会いにきてくれてその夜から眠ったままになってしまいました。 疲れたのだろうと思っていましたが、亡くなるまで、一言二言話すだけで、最後の3日間くらいは、顎で息をして、目は開いたままで瞼を閉じてあげようとしても、無理でした。 尿もほとんど出ず血圧も下がってきていたので、あれだけ死んだら絶対だめだと心の中で叫んでいたのに、もう楽になってほしいと思ってしまいました。 顎で呼吸になるとすぐにだめになる人が多いと看護師さんから聞いて、4日間も頑張っている娘に対して今は申し訳ない気持ちでいっぱいで、会いたくて会いたくて毎日泣いてばかりです。 目を閉じなかったのはなぜなんだろう、時々泣きそうになる顔は何を言いたかったんだろう。全部私が悪かった。これからどうやって生きていこう。 死にたいと思うが死ぬ勇気もない。 2年近く入院以外は毎日一緒だったので、どの部屋に行っても思い出して辛い事ばかりです。 神様も仏様と助けてくれなかった。 今は娘が仏様になったので、ご飯を作る事だけが、精一杯です。 娘は誰にも泣き事を言わず明るくしていました。 どんな事を思っていたかと思うと胸が張り裂けそうです。
最近早く楽になりたいと思っています。 高齢者を見ていると歯も無くなって食べることもままならず認知者が進んで介護され、自分もいつかそうなるのかと思うと怖くて早く人生終わってしまいたいと。 しかし死ぬことも怖くて、不安感が日に日に増していきおかしくなりそうです。 生きることも辛いですし死ぬことも辛い 起きていることがしんどくて、最近は長時間に寝るようになりました。 若くして事故や病気で亡くなった人を見ても不謹慎なことは分かっているのですが羨ましいと思ってしまいます。 長く生きている人はどうやって今まで発狂せず生きてきたのか不思議です。 考えすぎているのは分かっているのですが不安感が消えず辛いです。
私は小学生の頃から 希死念慮がありました。 虐待された経験やイジメられた経験があるわけではなく、特にこれといった理由があるわけではないのですが、「死にたい」という気持ちを強く感じていました。 インターネットや書籍などで、 同じように「死にたい」と感じている方の話を拝見すると、皆さま本当に辛い経験をされており、何も理由がないのに「死にたい」と思ってしまう自分が情けなく、「こんな自分が病院に行ったら、本当に鬱病の人たちに申し訳ない。」と思い、誰にも相談できずに生きてきました。 しかし、「死にたい」と思いながら生きていく日常は辛く、苦しく、何とかしてこの「死にたい」という気持ちを無くしたいという一心で、様々な方法を探していました。 どの本にもネットにも「まずは近くの人に相談する」ということが書かれていましたが、「死にたい」と周りに伝えることは怖く、 中々相談できない日々が続いていました。 そんな時に、 様々な出来事が重なり、どうしようもなく死にたくなり、1番近しい人に「死にたい」という気持ちを伝えました。 この人なら絶対に話を聞いてくれる、と思っていましたが、私が「死にたい」という気持ちを伝えると、その話には全く触れず、違う話をし始めました。 「この人にとって、私は死んでも良い人間だったんだ」と思うと、 とても悲しくなりました。 また、1番仲の良い人が、 私が死んでも構わないと思っているこということは、「この世の中に、私に生きていて欲しいと思ってる人は存在しないのだ」と気がつき絶望的な気持ちになりました。 勉強を頑張っても、良い人になっても、明るく振るまっても、愛される人間にはなれませんでした。 この先、何をどう頑張っていけば、自分が必要な人間になれるのかわかりません。 他の人が普通にできている 「生きる」という行為が 私にはひどく難しく感じます。 寝る前に「どうかこのまま目が覚めませんように!」と強く願い、 朝目が覚めて絶望的な気持ちになります。 「死にたい」と思う反面、「死ぬのが怖い」とも思いますが、「死ぬのが怖い」のと同じくらい「生きるのも辛く」どうすれば良いのかわかりません。 (ネット相談を始めて利用しました。気持ちを文章化することで、少し落ち着くことができました。ありがとうございます)
私は家計的に仏教とは縁があり。 お坊さんの思想をとても信頼していまして、以前からこのサイトを自分自身の励みとしています。 まず私の人生を話しさせていただきます、以前縁あって地下アイドルをしていました、某AKBなんてメジャーな運営ではないので、日の目を見ることはほとんどありませんでした、それでも僅かなファンを大事にしてまいりました。 その活動の傍ら私は男になりたいう性同一性障害に苦しむようになりました、自分の求める容姿になれない、輪郭も骨格も、男になり切るには無理があると周りから言われても諦めず叶わぬ夢を追い、そのストレスの反動でたくさん親やメンバーに悪態を吐きました。 性別を変えるためには膨大な費用がかかり我が家の財産では到底無理でした、毎日苦い思いに泣く日々、鏡を割ったり死のうとするのは日常茶飯事でした。 学校もろくに行かずに3年程アイドルを続けて、そろそろ将来やべぇ、って思いました。 アイドルを辞めて、高校受験をしました、今では無事入学し、文学と生物学の勉強をしてそれなりに充実しております、見た目も男と女の中間だって、半端だってそれが自分なのだから受け入れよう、妥協したっていいじゃないかと思うようになりました。 そんなある日、何気なく死後について考えました。 死んだ後はどうなるんだろう。 思い出の服、大切な友達や家族との記憶、大好きな歌、憧れの人のことを全て忘れてしまうのかな。 やってきたこと全て無駄になるの?。 死にたくない、生きたい、ずっと生きたい。 あれだけ死ぬことばかり考えていたけれど、今度は生き続けるために画策しなければならないなんて、あぁ、なんて皮肉。 記憶は脳が作ってるから死んで脳が焼かれたらおしまい、あの世って考え方は死への恐怖をなくすための御伽話なのかな。 あの世があっても転生して魚や牛になって食われるのは勘弁だよ。 そのために今は自分なりの徳を積んでいます、散々私がいじめた親に恩返しをしています。 死への恐怖、なくなりますかね? あと人は死んだらどうなるのですか? 人格が変わってしまいました、興味と欲望と生きる気力がなくなりました、かと言って死にたくもないのでただ存在しています、死を気にしない溌剌とした自分に戻りたいです。 死という概念に囚われずに輝く同年代が少し羨ましく思えます。 今私が見えているものは灰色の世界です。
何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。
以前から同じような相談をさせて頂いており、その度に温かいご回答を頂き感謝しております。 ご回答のおかげもあり、少しずつ死の恐怖を克服していたつもりでした。 しかし、それでも何度も何度もどうしようもなく死の恐怖に襲われます。死ぬことに怯え、泣き、気が狂うような恐怖で、これを感じないためには死ぬしかないのかと、本当につらいです。 自分で沢山考えた結果、私の一番の恐怖はやはり死後が分からないことでした。無になることが一番怖いです。でも、輪廻転生できたとして、宇宙が無くなったら転生は止まるのか?解脱したら、魂は消えてしまう(無になってしまう)のか?など、怖さで考えが段々大きくなり、恐れることがどんどん増えていってしまいます。 死後を考えても仕方がないと、頭では分かっている筈でした。死は逃げられるものではない。だからこそ、死そのものを、たとえ死後が無だったとしても、ありのままに受け入れる姿勢、考え方が大事だと理解しているつもりでした。でも、どうしても、湧き上がる恐怖が勝ってしまいます。 いつか死ぬと理解してから、人生が虚無です。最後死ぬのに、消えるのに、生まれて自我を持つなんて、なんて残酷な世界なんでしょう。なんでこんな世界に私達はいるのでしょう。 どうしたら、死の恐怖を消すことができますか?死を受け入れることができますか? 私はこれから、最後は無になる(かもしれない)ような分からない未知の世界に否応なく行くしかないのに生きて、耐え難い死の恐怖に襲われながら死んでいくしか無いのでしょうか。 乱文かつ感情的で本当に申し訳ありません。どうしようもなく苦しいです。どうか、助けて下さい。
父の事であたまがいっぱいです。 今までは、持病はあるものの元気に過ごしていたのですが、突然体調不良になり原因を追求できないまま日に日に衰えていき、ただうろたえるばかりでした。 認知症かも。 兄弟でそれを告知するかどうか意見が分かれて、うまくコミュニケーションがとれなくなりました。 結果、認知症ではなく他の病気のようで検査待ちですが、コミュニケーションがとれない期間がとても長く、その間に病気がかなり進行してしまい深刻な状況になってしまいました。 私が告知をためらい検査を拒んだことから始まり、周りを混乱させてしまい、その結果父を苦しめる事になってしまいました。 あの時、ちゃんと検査を受けていればもっと早くに病気がわかったのに… あの時、他の病院に行っていれば… あの時、余計なことをしてしまって… あの時、きちんと話し合えば良かった… あの時もあの時も。 何よりも何よりも、父の寿命を縮めてしまった責任を感じ、申し訳ない気持ちと後悔と反省で心が押し潰されそうです。 時間は戻らないとは、分かってはいるものの、今度は、父がいなくなるのではと怖くて怖くてたまりません。 いい大人なのに、未熟者で情けないです。 父に対する罪悪感と死に対する恐怖心と、どう向き合っていけばいいのか教えていただきたいです。 よろしくお願いします。
徳の高いお聖人様に質問です! 今から約23年前私の幼馴染が事故死しました…… あれからしばらく経つのですが、ふと、彼の供養?をしようかなぁ~?と、突然思いました…… ここで質問なのですが、事故死した方を供養したらひょっとして頼られたりして憑りつかれるかも? と、少し怖くなります… どうなのでしょうか? 供養と言ってもどこかのお寺に頼むのではなく、道端のお地蔵様やお地蔵様を祭ってあるお寺に手を合わせてお線香やおろうそくをあげるぐらいの事です… お坊様方、上記の事でも供養になるでしょうか? それと憑りつかれたりしないでしょうか? また、お坊様方は事故死した死者や災害で亡くなった方を供養したりするのでしょうか? 無縁仏の供養なんかも以前は怖くて近づかなかったのですが、ネットで調べたら供養しても大丈夫でお釈迦様の経典でもその功徳が説かれていました… 餓鬼の供養も同じです…≪施餓鬼法要≫ 事故死した方の供養も何かの経典で説かれているでしょうか??? お上人様、無知な私に有難い法話をお聞かせください!!!