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検索結果: 3323件
2022/06/19

死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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彼女の死について

僕はいま、25才になります 彼女とは15才で出会い 2年後の17才の頃、乳癌で亡くなりました 乳癌という事で、女性の大切な胸を切り落とさなければ助からないと言われました 僕は、胸を切除したくないと言う彼女に 生きていてほしくて 怒鳴るように無理矢理、手術をしろと言いました 泣き叫んでいた彼女の声が 今でもずっと聞こえます その後、胸を切除した彼女の母親に 癌が肺に転移していると そしてすぐに、脳にも転移していて もう、対処のしようがないと言われました 彼女は、僕を気づかって 笑ってはくれましたが どうせ死ぬなら 綺麗な体で、女性として 逝かせてあげるべきだったのかと思うと 僕はなんて事をしてしまったんだと 後悔しています 助かるって言ったから 切除したのに 助かるから、大丈夫だからと 何度も彼女に言い聞かせたのに 僕は何もできませんでした なんの為に、彼女を殴ってまで 病院へ連れていったか分かりません きっと自分は悪魔のように見えたでしょう これを書いていること事態も 自分の悲しみばかり人に聞いてもらって 卑怯な人間だと思ってしまうんです 何度も何度も死のうとして そうやって逃げようとしてる自分が 一番嫌いです ただもう耐えられなくて 僕は人に迷惑をかける事が嫌いです そして、自分の事を人に話したりする事が少く 彼女と付き合っていた事は 彼女の母親しか知りません 彼女が死んだからどうすればいいなんて そんな重い相談が迷惑だろうと 誰にも言っていません ですが、もう限界みたいで ここへ相談してみました 長文、申し訳ありません

有り難し有り難し 19
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死にたいですが、死ねません。

20代後半の成人です。 高校生くらいからぼんやりと早く死にたいな(辛い思いをしてまで長生きしたくないな)と思うようになっていたのですが、最近その念が強くなってきました。 昔から人間関係で苦労してきて、いじめや自傷行為の過去はあるのですがその時は死にたいと言うよりむしろ怒りが勝ってどうにかして見返してやろうとエネルギッシュになっていました。 しかし年を追うごとに周りの環境や友人の意識が変わってきて急に未来が怖くなり思い悩む日々が多くなってきました。 そんな時に自身の病気、肉親との諍い、職を得られないと言うことが重なり、嵐の日の川の前で姉に自殺宣言をしていました。 そこから姉と母が地元から私の家まで来てくれて一晩付き添ってくれました。 自身の体調を見ながら頑張ろうと思い仕事も得ることができて頑張ろうと思っているところだったのですが、ふとした瞬間に死んで何もかも悩みたくないと思ってしまうのです。 とても不謹慎な感情ですがニュースなどで人の自殺の訃報を目にすると羨ましいとまで思ってしまうのです。 いつも死にたいと思う時母親のことを思い出します。私が死んだら後悔して体を壊すかもしれない、後を追って死んでしまうかもしれない、と思うと涙が出てきて死にたいのに死ねないと絶望してしまいます。 家族は悲しせたくないと思うし、私の選択で彼らの人生を狂わせたくないと思いますが現在私を繋いでいるのは母親への想いだけです。 このような思いを持たれている方は少なくないと思いますが、生きていきたいと思うためにどのような考え方が必要でしょうか。

有り難し有り難し 10
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死ぬことを止めたい

おはようございます。 唐突な質問で申し訳ありません。 友人についての質問です。 私も友人も精神疾患を持っています。 私も病状がひどい時は自傷行為を繰り返したり、自殺未遂を繰り返したりしたこともあるのですが、幸い周りや主治医に恵まれ今では寿命がくるまで生きたい死ぬときは笑って死ねればいちばんと思えるようになりましたが、友人はまだ気持ちの波が激しく前を向いてがんばろうと思ってくれる時もあれば何かに傷ついたり、落ち込むと死を考えてしまうことがあるようです。私はなんとか彼女にも 生きてほしいと願っています。 色々苦しいことが彼女にはあるのは理解してはいるつもりではあるのですが、環境の違いや、悩み事の違い、病状の違いその他いろいろなこともあり自分なりに生きてほしいことを伝えてはいるのですがやはり彼女には命の重さをうまくは伝えきれていないように思えます。 お節介なのは承知の上ですが、 自分の関わっている人には生きてほしいと願いますし、命の重さもわかってほしいと思います。きれいごとではなく 命の大切さをどう伝えればよいのでしょうか?本来ならご両親がいちばん悲しむと言いたいところではありますが 彼女のご両親は今で言う『毒親』で 彼女をゴミ扱いするような親だと聞いているため両親が悲しむと言っても伝わらないと思っています。両親はともかく 私を含めた友人を悲しませることになることは既に伝えてあるのですが… 命の大切さをどのように伝えていけばいいのでしょうか? 私も彼女もアラフィフですが、まだまだ できることや人生を楽しむことはできると思っているのでそのことも伝えてはいるのですが… 私も体調を崩して会社を退職し今は自宅で療養している身で彼女はほぼ引きこもり状態ということもあるので余計に命というものを大切にしてほしいと願うばかりです。なのでどう伝えればいいのかを 伝えたいと思っています。 ご教授よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 19
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息子の死

昨年の4月に悪性リンパ腫で私の息子は入院しました。医者は、8回の抗がん剤をやれば完治するとの事だったが、心配になり霊視占いにも見てもらったら、死にはしない!親より先に死ぬ事はない!治るとの事だったので安心してました。 ところが、7回の抗がん剤が終わった時に医者から腫瘍がまた大きくなっているから退院は無理と言われ更に強い抗がん剤をやったがダメでした。私達は、不安になり癌に効くサプリやお墓参りも何度か行き、神社にも毎日行き、神社では不思議な現象も何度か体験してもしかしたら治るんじゃないかと期待していたのですが、様態はどんどん悪くなり正月早々に亡くなりました。 息子は、23歳でしたが激しい痛みにも耐え根を上げず、ずっと頑張っていました。亡くなる最後の日私にハグをして、愛してる愛してる!ありがとう!の言葉を残し他界しました。 頑張っていた息子の為にも私は、残された家族のために頑張らなくてはいけないとは思っているのですが、仕事も家の事もやり気が出なくて泣いてばかりの毎日です。 息子は、私の言う事は信じて頑張っていました。亡くなる日に私は、息子にこんな病気何くそー負けるか!負けてたまるか!って言う気持ちでいなよ!絶対に治るから!と言ったせいなのか息子はかなり弱っていた体に力を振り絞って長い時間ベットの上で便を頑張り力尽きて亡くなりました。 私は、息子の寿命を縮めてしまった!かける言葉を間違えてしまったと言う後悔で息子に申し訳なくてこの先どう生きていけばいいのか分かりません。 無理なのはわかってますが、もう一度息子に会って謝りたいです。

有り難し有り難し 8
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死にたいのはいけないことですか

最近、死んだら救われると信じてしまいます。 他に何が救ってくれるのか 分からないからです。 趣味もゲームも外出も 人とのお喋りも衣食住も 楽しさを感じなくなってしまいました。 友人に話したり お医者さんにも行きました。 半年ほど経ちましたが 救って頂けそうにございません。 今まさに救われていないので…… また 家族や友人が悲しむと分かっていても そんな事は関係ないと思ってしまいます。 自分勝手だとは思いますが、 誰かの事を考えて生きている 余裕がないのです。 死なないでという言葉が苦手です。 助けてもくれないのに 言われるとどうしたらいい?と 困ってしまいます 死にたいことを許して欲しい。 許して貰えないのが悲しくて でも自分を差し置いて お金をかけ育ててくれた 親にも申し訳なくて しにたくてごめんなさいと 心の中で謝りながら 毎晩泣いて朝を迎えています。 痛いのはこわくてつらいので 今のところ死には至っておりませんが 一日も早く死にたい、将来は死にたい という希望の持ち主なので 死ぬまでの間に何かする必要あるのか 分からないのに周りには何かしろと 強いられているように感じてしまい 悲しくて仕方ありません。 したい事があるからまだ死ねない というような事ももう無く いつ死んでも大丈夫だな、 後悔せず死ねるな、と思ってしまいます。 でも本当は、楽しさを感じて 今世くらいは 生に縋り付けるようになりたいです。 もし生に縋り付けるご提案があれば 聞いてみたいと思いました。 ……来世は物体として 存在する事を辞めて 姿形も変化しあるかないかも 分からないような みなものようになりたいです。 自分が存在している事が 苦しくて堪りません。 それなのにこのような文章を 残してしまう事を 申し訳なく思います。

有り難し有り難し 18
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2021/08/12

父親の死について

父が余命僅かな状態です。 元々厳格な性格の父でしたが、心の病を患った事により、引きこもり、家族に対して理不尽な暴言や暴力を奮うようになり、家族を完全に支配していました。 幼少期より父に対して恐怖心があり、思春期の頃には毎日死んで欲しいと願っていました。父の言いなりの人生で、父が死んだ後、本当の自分の人生が始まると思っていました。 大人になってからは、さすがに毎日死を願う事はなくなりましたが、それでも苦手意識は変わらず、同じ空間にいると怯え、吐き気がする状態でした。 人に言えば、いい歳なのだから親のせいにするのはおかしい、自分の人生なのだからと言われてきましたが、どうしても父に対する恐怖心が拭えず、怒られない・バレない選択をしてしまい、思うように生きれませんでした。普通とは違う、自分の家庭が嫌で嫌で仕方がありませんでした。 歳をとり性格が丸くなり、父がこちらに歩みよろうとしている事は分かっていましたが、受け入れる事はできませんでした。父から受けた人格否定や暴力、辛くて毎日死にたかった過去の日々をどうしても水に流す事はできなかったのです。 そんな父の病気が発覚し、想像していたような開放感はなく、悲しみや、父の不遇な人生が可哀想に思いました。しかし、父をただただ心配し悲しむ家族の中での疎外感も感じてしまいます。 私も父を許し、最期の時を過ごすべきなんだろうと思います。父が悪人ではなく、病気がそうさせていたのだと、分かっています。しかし、納得できない自分もいます。 結局は、私が全て飲み込むしかないのかと。 長年連れ添った伴侶を亡くす母の気持ちも痛いほど分かっており、できる限り助けたいと思っていますが、当たり前のように支援を求めてこられると腹を立ててしまいます。私の心の葛藤にも目を向けて欲しいと思ってしまいます。 父に対して、穏やかに、できる限り苦しむ事なく最期を迎えて欲しいという気持ちは本当です。仏教ではどのように考えるのか分からないのですが、次の人生があるならば、次は幸せな人生を送って欲しいと願っています。私には関係のないところがいいですが… まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。私は自分の心をどのようにもっていけば良いのでしょうか。父の最期の時にどのように接すればよいのか、どうかご教示下さい。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

有り難し有り難し 26
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2023/04/18

私の「定命」は・・・(安楽死所望)

私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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