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検索結果: 300件
2022/02/07

霊障、お祓いなど

子供が三人いますが、昨年の春からまずは長男が不登校→通信制高校へ転校 中学生の子も不登校(部活やテストは行ってます。) 小学生の子は五月雨登校、教室に行けない日も保健室で勉強したりして、学校へはほぼ毎日行ってます。 昨年の春まではみんな、普通に登校してました。 今は、それぞれカウンセリングを受けたり、試行錯誤しながら、背中を押したり引いたりしながら私も過ごしてます。 昨年の春まで、パートで勤めてたのですが、そこの方がコロナに感染してしまい残念ながらお亡くなりになりました。 それをきっかけに、主人が勤めることを反対し、仕事をやめました。 それから、次々と子供たちが不登校になっていきました。 この出来事と子供の不登校が因果関係があるとは思ってませんが、一度、区切りとして霊障やお祓いをしてもらったほうがよいのかと考えてます。 霊障のせいとか思ってるわけではないですが、可能性としてあるのであれば、私も前へ進むために、どこかお寺などでみてもらおうかと考えてます。 そこでなにもなければ、コツコツ出来ることをやるだけだと思ってます。 しかし、ネットなどで調べても、どういうところでお願いしたらよいかわかりません。 お寺とかではなく、霊能者と名乗る人が霊障をみてくれたりするのをネットでみますが、ちょっと怖い気もして躊躇してます。 実家が真言宗で、いつもお世話になっているお寺さんに相談しましたが、前の代の方は霊障はみることができたけど、今はできないと言われました。 何か良い方法はないでしょうか?

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お寺を変えるのは悪い事でしょうか

祖父が明治に 長野から移転してきてから お世話になっている真宗大谷派のお寺ですが、 当時のご住職からお孫さんへと代も変わり、 色々変わった事もあり、 なんだかんだと寄附を募られても払えないし お寺を変えたいと家族で話しておりました。 先日、伯母が亡くなり、葬儀をお願いしましたが、 もともと、無愛想で月参りの際も、年寄りが話しかけても、返事もせずに帰られる方で、 年寄りも生前、 「あの住職に葬儀は頼みたくない」と申していた程で 色々不誠実に思える事がありました。 一番は、火葬場まで着いて来て下さるはずが 当日の朝急に、行けないから、葬儀場で火葬の前のお経をあげると言われたことでした。 葬儀会社の方に 「火葬場で伯母様だけ、粗末な棺桶だと可哀想でしょ。 花がないと可哀想でしょ。」 といわれgrade upしましたが 一番可哀想だったのが うちだけお寺さんがいなく、お経もなく炉に入れられた事でした。 先日は4日の祖母の月参りを 忘れてたとすっぽかされ 14日の父の月参りに一緒にすると言われ、2回分包みました。 その際に思い切って 他の同じ宗派のお寺に変わりたい旨を 話ましたら 激怒され まともに歩けない老母まで仏間に呼びつけ 火葬場へ行かないのは正しいやり方だ 位牌はどうする 過去帳はどうする 次のお寺に引き続きしないといけないから どこに変わるか名を明かせと 凄い形相で 2時間近く怒鳴られ 大変、恐ろしい思いをしました。 また金曜日に みえるそうですが どうしたらいいか憂鬱です。 葬儀の時に相談に乗って下さった 娘の同級生のお寺に 今後の事はお願いしてあるのですが、 以前にも、その寺から変わってきた檀家さんの事で妨害をうけたから 暫く寺の名前は出さないよう言われてます。 また金曜日にまくしたてられたら 言う通りにしてしまいそうです。 お寺さんを変えるのは そんなにいけない事なのでしょうか?

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2023/01/21

神仏の経済的な消費について

お尋ねして良いものか悩みましたが、本職の方のご意見をお聞かせ願いたいと思い投稿しました。 お寺や神社への関心が経済的に消費されていることがどうしても受け入れられません。 とても嫌な言い方になってしまいますが、 パワースポットだ何だと聖域を土足で踏み荒らし、信仰するつもりもないのにその恩恵だけは受けたい利己的な人々。 スタンプラリーのように自己の収集欲を満たすためだけに御朱印を集めてまわる人々。 過度に美化された歴史上の人物や神々のキャラクター化。 大河ドラマなどに代表されるような、経済効果ばかりに目が眩む自治体や企業。 大多数の人はそんな事気にしないでしょう。これは私の認識の問題であって、自分が一方的なものの捉え方をしている事は理解しています。 でも、歴史って、信仰って、人の生きた証って、そんなふうに扱って良いものなのでしょうか。まるで見世物の様に経済的に消費されている様に感じてしまいます。 需要があるから供給されているという事はわかります。お寺や神社に多くの人に来てもらえるように所有する文化財や偉人との関わりを宣伝、アピールしていらっしゃる事も重々承知しております。拝観料などは支払って当然とも思っています。 そう言った事ではなく、自己の欲望のために喧伝・消費するような行動に、嫌悪感を覚えるのです。 法隆寺に参拝した際、夢殿にてご老人が何やら怒鳴っていました。 「救世観音が見られないとはどういう事だ!その為にカネを払ってるんだぞ!カネ返せ!」と。 何処かの檀家さんなのでしょうか、そのご老人は輪袈裟のような物を身につけていました。ある程度日本のお寺に詳しければ、救世観音像が秘仏である事は知っている筈です。知らずとも、金を返せと怒鳴り散らすなど言語道断です。 この時感じた猛烈な嫌悪感が、ずっと心に刺さっています。 このご老人を責めたいわけではありません。ただ、大げさとは思いますが、この出来事が信仰のある人にとって神聖なものや、歴史的価値のある物に対する、今の日本人の扱いの縮図に思えてなりません。 繰り返しになりますが、これは私の認識の問題です。苦しみの発生源は私自身の心です。いわゆる"無宗教"の一個人の考え程度に受け取って頂いて構いません。 誰も悪くありません。誰も間違っていません。ただどうしてもやるせなく、哀しいのです。自身の狭量に恥じ入るばかりです。

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2021/06/12

跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

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葬式のお経

何故、葬式でお坊さんがお経を誰もわからない言葉で長々と読むのでしょうか?なぜそこにいる人々にわかるような言葉で読まないのでしょうか?あれじゃただの雑音です。 せっかくですし自分はお経の内容を知りたいと思っているのに、あれじゃ時間の無駄です。 ただでさえ悲しいのにあんなに長々と意味のわからない音を聞かせられるとか、お坊さんが人々にさらに苦しみをあたえています。 ああいう喋り方じゃなきゃ死者があの世に行けないということはないでしょう。 木で木を叩いて音を出し、声帯から決まった音を出さないと死者があの世に行けない理由もないでしょう。 ありがたいことを読んで悲しんでいる人の心を楽にさせてあげているわけではないでしょう。誰も理解できていませんから。 ああいうやり方にしないと死者への敬意を表せないわけではないでしょう。葬式で大事なのは心から悲しむことで、心から悲しみさえすれば決まった一つのやり方でやる必要はないからです。 自分が推し量るに、ああいうやり方じゃないとありがたみがなくなり誰にでも葬式ができるようになって、お坊さんが金儲けの手段を失うからだと思っています。 悟りを目指し、人々を救うことを目指しているお坊さんが、そのような誤魔化しをして金儲けをしている理由を教えてください。 攻撃的に感じるかもしれませんが、これは子供の頃から気になっていたことなので。どうか誤魔化さずに本当のことを教えて下さい。

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お位牌を手放す際の諸手続きに関して

<お位牌に関しての相談です> 両親のお位牌を本体とは別に作っていただき、現住所である海外の自宅に置いて手を合わせております。このことは、実家がお世話になっておりますお寺の御住職もご存知です。実家の宗派は真言宗です。 よかれと思ってやっていたことですが、最近日本に住んでいるきょうだい達が、私の身に何かあった際の、私の自宅にある両親のお位牌の扱い方に不安を覚えていると聞かされました。 ・私の主人は日本人ではなく日本語も話せないため、私の身に何かあっても、お仏壇(小型のものです)やお位牌に関して、日本にいる私の家族と話し合うことができない ・私のきょうだい達は、日本から両親のお位牌を受け取るためだけに、海外の私の自宅に来るようなことはしたくないとのことです。 ・予想される色々な状況を考えて、主人を含むこちら(海外)の義理の家族に後のことは頼めない。 結論としましては、大変残念ではありますが、私の存命中に両親のお位牌を手放して、きょうだい達の精神的負担をなくしたいと思います。 お世話になっている御住職に相談させていただくことも考えましたが、きょうだい達の耳に入ることを避けたいと思い、こちらでおしえていただければ有り難いです。 また、お位牌と共に日本から持ち込んでおります鈴、鈴棒などの仏具一式も手元にございますので、その扱いについてもおしえていただければ幸いです。なお、私自身は仏事等で年に一回は日本に行きます。  お位牌をそばに置いて手を合わせることばかりを考え、想定できたであろう問題について何も考えなかったのは迂闊であったと反省しております。

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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
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