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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9964件

向き合いたいのに、向き合えない。

顔を見れば、「おまえら(子ども)のために金がかかった」「誰のおかげで暮らせているんだ」子どもや私に言ってきます。自分は親なのだから、子どもに何を言っても許されると思い込んでおり、自分の言葉がどれだけ子どもを傷つけるかに想像力を働かせることもできない。だから、信じられないような言葉で子どもを怒鳴りつける。 「アイツらの言うことは信用ならん」「お前らはクソや、死ね」言葉で我が子を罵倒することも少なくない。 子どもの悪いところはあります。言われて当然な事も。夫婦でお互いの気持ちをきちんと共有できなくなったところもいけないのはわかっています。最初はきっと小さなずれだったのだと思います。相手の気持ちに関する言葉に、いつしか正面から受け止められなくなり、自分の不満などの負の感情も伝えられなくなっていました。 私は少しでも対等に向き合って伝え合って、一緒に協力して生きていく道を探せたらいいと思っています。でも、上手くいかないのです。4月から大学進学のため県外に出る息子もいます。このまま協力してもらえないのか?相談も出来ないのか?と思うと不安でいっぱいになります。

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友人の自殺

わたしは2年ほど前から、ガールズバーで働く女の子が友人にいます。 当時は私もガールズバーで働いていて、今はもう働いてなく、その友人は未だにガールズバーで働いています。 今でも友人関係が続いていて、その子のことを大事な友人だと思っています。 その子は家族との関係が良くなくて、詳しいことはわからないのですが、昔から精神疾患があると言っていました。毎日たくさんの薬を飲んでから寝ているのも、知っていますし、何度かこの目で見たこともあります。ADHDの傾向もあるようで、生きづらいと感じることは多々あるようです。 私も注意が散漫、時間を守れないADHDの傾向は昔からあり、でも生きづらく感じても死にたいと思ったことはありません。 話は少し変わって、私の高校時代の1番仲の良かった友人が私が19の時に自殺しています。私は今でも思い出すたびに苦しさと、悲しみはありますが4年ほど経って、私にはどうにもできなかった事なんだ、彼女のことを思い出す事で、少しでも自殺してしまった彼女の魂が安らぐといいな。という考えになっています。 話は戻り、そのガールズバーで出会った友人と高校時代に自殺してしまった子が雰囲気や話し口調が似ていて、私はふと思い出す瞬間があります。 つい最近、ガールズバーの友人から、上司にやんわりと仕事をやめてほしいと伝えられたと相談を受けました。 LINEの文面を読んだ時、その上司はその子の精神疾患で出る症状やADHDで出る空気が読めなかったりする症状を、「なんで治らないんだ、治らないなら仕事をやめてくれ」わかりやすく言うとこのような感じで、ほぼクビを告げているように感じました。 それでその友人はパニックと過呼吸で自殺願望が芽生えてしまって、私は心配なので電話をしたら、どう死ぬか、とか、遺書はどうするか、などもう自殺するしかないとゆう頭になっています。 私はその友人の素敵な部分をたくさん知ってますし、なるべく生きやすく、生きてほしいと願うのですが、きっと友人は夜職は辞められないとも感じてます。 どうしても死んでほしくないです。自分のエゴだとわかっていますが、私は友人に死んでほしくないです。私の気持ちは伝えましたが、私の気持ちだけでは自殺の衝動は抑えられないようです。 私のこのような意見ももしかしたらプレッシャーになってしまうのではないか、とも感じています。 難しいです。

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2025/02/11

亡くなった父に優しくなかった自分に後悔

2020年の年末に母が突然亡くなり、その際もっと優しくしていればよかったと沢山後悔したはずなのに、愚かにも2週間前に今度は父が急に亡くなってしまい、なぜもっとちゃんと見てあげてなかったのか、もっと優しくできたのではないかと後悔してます。ここ1カ月ぐらい急に食が極端に細くなり、眠っている時間が長くなっていたので、よく考えれば身体が死ぬ準備をしているようだと思えるのに、まだ77歳になったばかりで今の時代ではまだ若いんだからしっかり!、近所のクリニックにも自分で行き、付き添い等最近はしてませんでした、、十五年前ぐらいに末期の胃癌でしたが、転院させた先の先生や薬が合い胃全摘で復活し、その後食べても太れないので細い身体で頑張っていましたが、転んで大腿骨頸部骨折。でもまた歩けるようになり、細く長くこの先もまだ続くのかと思ってました。料理をしっかりやっていた時もあったのですが、朝早くでて終電で帰ってくるような生活だったので忙しすぎてご飯も手抜きになりがち、、父にリハビリがてらご飯を作ってもらったり。たまにしか美味しいご飯を作ってあげられなかったです。もっと毎日早く帰りご飯を作ってあげればよかった、、どこか痛いとこがあるのか、もっと生活を快適な環境にできなかったのか、、もっとちゃんと話をしてあげたらよかったです。本当に優しくなかった、、、ごめんなさい。 ただ、亡くなった後の顔はとても穏やかで、お世話になった方々、昔からの仲間たち、近所の方々、沢山の人に見送られ、火葬場に着いた時は少し微笑んでいるような顔をしていました。亡くなった直後、納棺師の方による化粧後、最後の顔を一緒に見てくれていた友人も不思議だね、と話していたのですが、それが唯一救いです。亡くなった後にどんなに良くしたって遅いですね、、、生きているうちにもっとやるべきでした。

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自分を責める癖がついてしまいました

 私は子供の頃から、「お前なんか居ない方がいい」「お前なんか死んでしまった方がいい」「お前なんかダメ人間だ」「生まれてこない方がよかった」と心の中で自分に言い聞かせる癖があります。親などにそう言われて育ったわけではないのに、自分の中にそのような言葉が湧き上がってこだましています。自分が勉強や仕事や人付き合いを上手くやれている時だけはそのような気持ちは隠れるのですが、何か一つでも上手くいかないことがあると途端にお前はダメだという気持ちが立ち昇ってきて頭の中が真っ黒になってしまいます。  子供の頃の私は、兄弟や両親が癇癪を起こしたり喧嘩をしたりするのが怖くて、必死に人の顔色を伺っていて、家庭内の平穏や親兄弟に貢献する自分でいないといけないと本気で思っていました。媚びた自分でいないと受け入れてもらえないという恐怖は家庭の外の人間関係にも現れました。私は、周囲が期待した自分像にそぐわない自分など自分じゃないと思うようになりました。自分がこうあるべきと思っている姿から少しでも外れてしまう度に、自分など死んだ方がいいと思いました。  今でも、真面目で良い子じゃないと自分は誰にも受け入れてもらえないと思っています。何もしていない自分や、何も頑張っていないし結果も出していない自分は絶対に受け入れてもらえるはずがないと思います。でも私は無能な人間だし、もう疲れ果てて何もすることができません。やがて自分が失望されて見捨てられてゆく未来が怖くてたまりません。  いつからかそれが癖になり、四六時中自分など死んでしまえと考えてしまうようになりました。いけないことだと分かっていても、自死の妄想がやめられません。いつか本当に自死を選んでしまうかもしれません。そう思うと怖くてたまりません。親を傷つけてしまうかもしれないからです。生きることをやめてしまいたい願望と自死の恐怖が同時に襲ってきます。  助けてください。私はこうやって自分を責める心の声に怯えて生きることに疲れてしまいました。私には生きている価値などありません。自分に意識がある限り、自分を攻撃してくるもう一人の自分から逃れることはできません。このままだと自意識に殺されてしまいます。むしろ、死んで解放されるのなら、早く死んでしまいたいです。

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自殺願望が消えません。

幼少よりずっと自殺願望があり、その気持ちが消えません。 住んでいるマンションの外に面した階段から飛び降りようとして、母に止められたことが5〜6回ありました。 どこかで母が追いかけて来てくれるのを待っていたようなところがあり、こんなことではいつまで経っても死ねないと思い今日自室のクローゼットで首を吊ろうとしました。 ベルトに首を通して、しゃがめば死ねることがわかっていたのにしゃがめませんでした。自室なので母は止めに来ないのに、死ぬことを躊躇ってしまいました。 首を吊れなかったことを母に話したら、いつもは私の自殺願望をあまり真に受けてくれなかったのに今日はあなたが死ぬことを想像もしたくないと泣かれて、流石に罪悪感が湧きました。 しかし、私には母の気持ちが本当なのか未だに疑ってしまいます。疑ってしまうのには今までの育ちなど色々と事情があるのですが、いくら死んで欲しくないと言われても私の心にそれが伝わってこないのです。 私がおかしいのはわかります。 母を苦しめたくない気持ちもありながら、母の気持ちを疑ってしまったり、死にたいのに首を吊るのを躊躇ったり、自分でも何がしたいのかわかりません。 死にたいと思わない人たちが羨ましいです。 長くなりましたが、結論としてはどうすれば死にたいと思わなくなるのかをお伺いしたいです。

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2023/08/21

亡き娘への自責と後悔が払しょくできません

以前に一度相談させて頂いております。 娘が病気で亡くなったことは運命であったと理解しており、辛さ、悲しさは日々増しますが残された高齢の父を看取ることが私の使命と思っています。 そのような日々の中、私の中でどうしても払しょくできない自責と後悔の念があります。 娘の病気が発覚した当初から私の役目は娘が最後の最後まで楽しく前向きに生きれるようにする事だと考えていました。最初に主治医にお願いしたことは、『娘との最後の会話は「今日はゆっくり休もうね。明日になったら元気になるからね。お天気だったら公園に行こうね。」と言って見送りたい』でした。 闘病中は病気の重篤さを悟られないように、治るんだと思えるように、私なりに努力しました。 しかし肺に転移した腫瘍が増悪し、最後の3日は病院で鎮静が必要な状態でした。娘は仰向けになる事ができず、ベッド上のテーブルに突っ伏して半分寝て半分起きているような状態で右に左にふらふらして本当に辛そうでした。 この時点で鎮静を多くして娘の苦痛を取り除いてもらうべきだったのですが、こんな状態でもまだ私は娘の死が間近であると認識していませんでした。 ふと、トイレに行くのは苦しくなるのでオムツにしてもらわなければ、と気づき、看護師さんにお願いしようと思った矢先に娘が「おしっこしちゃった」と息も絶え絶えに訴えました。私は「やってしまった。最後に失敗してしまった」と思いました。苦しい思いは絶対にさせまいと誓って頑張ってきたのに。 娘を私に寄りかからせて看護師さんにパジャマをハサミで切ってもらい何とか着替えさせました。すると娘が「もう死にたい」と私の耳元で一言いったのです。10歳にも満たない娘に「死にたい」と言わせてしまった。最後の最後で私が気付くのが遅れて苦しい思いをさせてしまった。すぐに鎮静を多くしてもらい、娘はやっと仰向けになって眠れるようになりました。その後目を覚ますことはなく、翌朝早くに亡くなりました。 病院側から残り僅かであると一言あればもっと早くに苦痛を取り除いてあげられたのに、とも思いますが、最後まで意思の疎通をさせてあげたいという善意だったと理解しています。気づかなかった親の私の責任です。 楽しくお浄土にいると言われても、この世の最後の言葉が「もう死にたい」であった幼い娘の気持ちを考えると、自分自身がどうしてよいか分かりません。

有り難し有り難し 29
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2024/05/05

さすがにもう幸せになりたい

不幸自慢のように思われてしまうかもしれません。けれど、どれだけ不幸であったか、不幸であるかということを書かせていただきます。 小学生のときに転校してから、今までずっとずっと、死にたい死にたいと思いながら生きてきました。 いいかげんに幸せになりたいです。 転校した初日に母に言った言葉は死にたいだったそうです。私は覚えていないのですが…… その日から学校にいても家にいてもしんどくて、生きていることが辛い、消えたいと思う毎日でした。 実際はしんどくないのに死にたいと言っているかというとそういうわけでもありません。 小学生の頃は人の目が怖かったです。場面かんもく症といって、学校関係の場面では声が出ずに話すことができませんでした。前を向くこともできず、首が痛くなるほど下を向いていました。 小学生の頃には父からの性的な暴力が何度かありました。今はもう一緒に暮らしてはいませんが、親子関係は続いています。ですが父親として認めることはないです。 中学生は不登校で、少しだけ通いましたが、授業をまともに受けられないし、下ネタが飛び交う荒れた環境でした。1人の子からブサイクだ、存在が気持ち悪いといじめられたこともあります。机をぶつけられたりもしました。 高校生の間は、転校してからの人生で一番穏やかなときでしたが、やはりブサイクだ気持ち悪いと言ってくる人はいました。辛いことが重なった結果うつ病になりました。 こうやって書いていると、あまりしんどくなさそうだなぁと思われるかもしれません。 ですが本当に心がしんどくて、生きることが苦しいんです。 最近は支えてくれていた母もしんどくなってきてしまって、ケンカが増えました。私が責任を押し付けて、母のことを尊重できていません。 私の命はなぜあるのだろう、苦しむためにあるのかなと感じます。 変な話、嫌に思われるかもしれないのですが、小さい頃に悪いものに取り憑かれたことがあるみたいなんです。有名な厄除けのお寺でよくしてもらいました。 その悪いもののせいで辛い人生なのかなって、悪いものに責任を押し付けたくなります。 生きることは苦しみであると仏教は説いていますよね。 幸せになれるって言って欲しい気持ちもあります。 長年苦しんだから、幸せになれますか? 人生に希望が見えなくて、希望を見せて欲しいって思ってしまいます。

有り難し有り難し 36
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2023/01/16

大切な人との別れ

私は今海外にいます。婚約者と1年間同棲して、暮らしていました。 3ヶ月前彼女が腹痛を訴え、夜中に嘔吐したので朝病院に連れて行きました。彼女はそのまま救急車搬送された、今の今までに集中治療室にいます。 つい3週間ほど前に医者からもう回復の見込みはないと告げられました。どんなに投薬しても、助かることはできないようです。 彼女には連れ子がおり、私は心からその子を愛し、我が子のように向き合ってきました。 彼女が入院してから、子供は生物学上の父親のもとにいます。この国の法律では僕はどうやっても子供には会えません。 この3ヶ月の間に、全てを奪われてしまった気分です。 精神的にも限界がきてしまい、自殺も考えました。 この先僕の人生は一生苦しみを背負って生きていくしかないのでしょうか。 楽になれる方法はあるのでしょうか。 本心では彼女に回復してまた家族で暮らしたいとそうなって欲しいと願っているものの、それはもう無理だと理解しています。 誰が、何がいつどうやって僕をこの苦しみから解放してくれるのでしょうか。 今は家に落ちているシール一枚や、壊れたおもちゃを見るだけで心が締め付けられるようで、涙が溢れてきます。 彼女も気管切開もされており会話ができず、そもそも本人が苦しまないようと、投薬で眠らされている状況で苦しんでいるのを分かっていて、なんで僕たちだけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと、やるせない気持ちでいっぱいです。 めちゃくちゃな文章なのは分かります。ただ僕は今は藁にもすがる思いでハスノハに投稿させていただいています。 魔法のように僕が楽になる方法がないのは分かっています。 昨日も心の相談窓口に問い合わせたけれどもやっぱり僕の心は救われませんでした。 死ぬしかないのか、生きるならこの苦しみを背負っていくしかないのか…そんなふうに考えてしまっています。 どうか、教えてください。僕はどうしたらいいんでしょうか。どうやって生きていけばいいのでしょうか。 生きていかないといけないんでしょうか。僕を引き留めているのは僕のことを心配してくれている家族だけです。 めちゃくちゃな文章ですけど、何卒回答をよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1