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検索結果: 721件

故人を思う気持ちだけではダメですか?

先日夫の母が亡くなり、夫が喪主をつとめました。少し事情があり、葬儀は極めて少人数、その後のこともバタバタと大急ぎで進めてまいりました。 私達夫婦は30代でそれほどお金がなく、葬儀の祭壇も小さいものしかできませんでした。 お坊さんにこんなことを申し上げるのは大変失礼なのですが、葬儀こそ「間が持たないから」とお経をあげてもらいましたが、位牌も仏壇も夫の考えで無し、納骨もジーパン姿で石屋さんと簡単に済ませました。 母が住んでた家もすぐに売却し、取り壊されました。形見分けもできるような状態でなく、すべて処分しました。 親戚は私達のやり方に任せてくれています。 しかし母の友人はことあるごとに、家を売却してしまったこと、仏壇を捨ててしまったこと(とても使える状態ではなかった)、葬儀に〇さんを呼ばなかったこと・・・色々と、私達が「常識からはずれている」と指摘してきます。 母も生前お世話になった方なのは承知ですが、私達も考えがあってこういうやり方をしています。 それに何をするにもお金がかかりますし、今後生きるためのお金を故人のために使うのか?と不躾ながら私は思ってしまいます。 母とは嫁姑的なこともそれなりにありましたが、思い出しては笑ったりまたムカついたりしています。 それだけじゃダメなのでしょうか? 亡くなって数か月経つのですが、その友人が何かと電話をかけてきてダメ出しをするので毎日が憂鬱でたまりません。 失礼を承知で相談します。何もしない供養はいけないのでしょうか?

有り難し有り難し 21
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地獄に落ちかけたのでしょうか

初めて質問をさせていただきます。 私はよく印象的な夢を見ます。 ほとんどがその時の自分の気持ちや実際の出来事を反映していることが多いので、 自分なりに解釈し、現実世界の行動に反映するようにしていますが最近見た夢で納得が言っていないものがあります。 その解釈をお坊さんの視点でいただけないでしょうか? ========== 私は切り立った岩山に囲まれた峠に居ます。 そこには温泉施設があります。私は番頭さんに声をかけて温泉に向かいます。 温泉は階段を深く深く下ったところにありました。 暖簾には「男」「女」ではなく「嘘つき」「炎」と書いてあります。 変わった風呂屋だなあ、はて、どちらが女湯だろうと迷います。 なんとなく「炎」ではない気がして「嘘つき」の暖簾をくぐりました。 脱衣所は広く、そこには女性だけではなく、男性もいました。 混浴だったか、ではもう一方を見てみようと荷物を置いて「炎」の暖簾をくぐりますが、靴置きに並んだ草履がすべて大層大きいものだったので、やっぱりここは男湯かと思い「嘘つき」へ戻ります。 暖簾をくぐると、私の荷物が漁られているところでした。 ========== そこで夢は終りました。 夢なので大したことはない、思い過ごしだと思われるかもしれませんが私にとってはなんだか気がかりなのです。 シチュエーションとして、夢で見たのは地獄の入り口だったのでは? 炎の暖簾の向こうの草履は、鬼のものでは? 温泉ではなく、釜茹でにされるところだったのでは? もしかしたら何かしらの悪行を積んでいるのではないかと。 ポイントは、私は普段自分のことを嘘つきだとは思っていないこと。 こんな夢をみるきっかけになった出来事に心当たりがないことです。 自分が気付いていないだけで、悪い行いをしているのであれば改めたいですが無意識にやっていることにどう気付きを得ればよいのか方法を知りません。 お坊さんはこの夢をどう解釈しますか? また、無意識に悪行を積んでしまっていたとして、無意識下の行動を改めるにはどうすればよいのでしょうか。

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お坊様から浴びせられたヒドイ暴言について

(編集部より。こちらの質問は利用規約により一部編集しています) 以前、私が21歳の頃、奈良にあるお寺に伺い、そこの僧侶数名と、信者さん数名とでお寺巡りしました… 寺の山門で40代の僧侶から私の事を皆に聞こえるような大きな声で≪皆様は、高校や大学、卒業後に社会人になり間の開いてない人生を送っていると思われます! 間が開いている人を【マヌケ!】といいます!≫と罵倒されました… 以前の私は5歳の頃、父親がガンで死別し、母親一人で弟と育ちました… その母親は生まれつき、心臓に障害を抱え、若い頃、肺の一部分を切除手術し、数年間入院した経歴の持ち主です。 心臓に障害を抱え、母子家庭ながら私と弟を育ててくれました… 弟は健常者ですが、私は生まれつき、口唇口蓋裂で3度の手術をしました… 学生の頃、酷いイジメに遭い、中二で不登校をしました… 高校は通信制高校で、不登校の事で不良達からとんでもない嫌がらせをされ、中には学校の先生がその不良に加担していて、本当に悲惨でした‥  それでも何とか卒業しました。 他にも幼少期のトラウマにより《雷恐怖症》という精神の病気を患い、無職でした‥  何とか立ち直りたいと思い、そのお寺に伺い、皆の前で僧侶から上記の暴言を浴びせられたのです… ここでお坊様に質問ですが、お坊様は40代にもなっても21歳の子にこんな暴言を浴びせるのでしょうか?無職を平気でからかうのでしょうか? 私は今、38歳ですが、僧侶から浴びせられた暴言で心に大きな傷を負いました… その僧侶は寺で山伏さんをやっておられた方です… そんな厳しい仏の修業をされている方が、何の理由があるのか解らないのですが、平気で大勢の前で悲惨な境遇の子を相手に、罵倒するのでしょうか? それがお釈迦様の教えでしょうか?    尚、この寺は不良少年や挫折した人を立ち直らせる事を謳い文句にしたお寺でした!  管長や僧侶は矢鱈と【人助け!人助け!】と連呼していました…  そして、お寺で預かり、お世話したのはどこかの会社社長の息子や多くの土地を保有している土地成金とか金もちばかりを優遇していました‥‥ しっかりしたお寺なのに本当に残念です…私は立ち直りたくて働きたくて、社会人になりたいので、そのお寺に修行に行ったのですが… お坊様方、これが人助けでお釈迦様の教えなんでしょうか?      仏法や仏教はこんな教えなんでしょうか??? 

有り難し有り難し 44
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彼氏いない歴3年半、25歳の女です。

こんにちは。 タイトルの通り、人生のうち最も若くて美しい時期をもったいなく過ごす女です。 私は理系の大学院出身で、周りを男性ばかりに囲まれる中、なんのアプローチも受けずに20代前半を終わらせてしまいました。会社員になってからも、技術職なので周りは圧倒的に男性が多い中、なんのアプローチもされません。学生時代に勉強に集中していたことが報われ、現在、高校生の頃から夢見ていた仕事に就けており毎日仕事が楽しいことだけが今の支えです。 見た目は悪くないと思います。笑顔が可愛いと男性女性問わず言われます。身長も高く、よくスラッとしてると言われます。意識して愛想もよくしておりはきはきした態度に努めています、『彼氏いるでしょ?』と言われることが大変多いです。 人生で一番輝かしい今を独りで過ごしていることに焦りを感じています。若い今しか出来ないような、心ときめく恋愛がしたい。 ですが、自分からはなかなか好きだと思える人に出会えません。彼氏いない3年半=恋愛していない3年半なのです。一度だけ恋心を抱いた人がいますが、奥さんがいると知ってすぐに気持ちを諦めました。 焦りばかりが募り、でも恋愛感情ってどんなのだっけ?と思い、そしてまた焦る。。その繰り返しです。 周りの同世代女性にはパートナーがいない人はいません。みんな彼氏or旦那さんがいて、私だけ独り。みんなパートナー持ちのため、休日に気軽に誘える女友達もいません。 こんな、毎日堂々巡りの考えばかり巡らせている私に、お坊さんからのお言葉をいただけないでしょうか? 本当に毎日悩んでいます。キラキラの『今』を無駄にしたくないです。

有り難し有り難し 35
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地元と親元を離れるべきかどうか

お世話になります。 仕事の都合で地元と親元を離れなければならない可能性が出てきました。 私は関西(奈良県)出身で、地元と親への執着が強く悩んでいます。 私は生まれてから大学卒業までずっと関西で過ごし、ずっと親元で実家暮らしを続けていました。大学卒業後にはIT企業に就職し、東京に移住しましたが、大きな望郷心と親に会えない寂しさから精神的に弱って2年で会社を辞め、別のIT企業に転職して関西に帰ってきました。 しかし、コロナ不況の影響で、また関西から離れなければならない可能性が出てきました。(関西に就業可能な案件が少なくなったため) その後、偶然本屋さんで発見した本の影響で仏教の勉強を始め、執着は良くないことだと知りました。 よって、私の地元と親への執着は仕事を優先する上では良くないことだと気づき、苦しみの根源はここにあるので、論理的に考えれば執着を捨てる(抑える)べきだとは考えるようになりました。しかし、この執着を捨てられる自信がありません。 また、一人っ子で親に甘やかされて育てられたので、諸々の欲望(怠けたい、自分を守りたいなど)を抑えるのも心の負担が大きいです。瞑想を実践して、自分の感情を少しずつ冷静に見つめられるようになってきましたが、まだ感情にとらわれて情緒不安定になることが多いです。 このような状況で地元と親を離れて仕事をするべきかどうかは迷っています。会社としては一応地元を優先しても良いという姿勢ではあるようですが、それでは自分の今までの職種、希望の職種に全く合わない部署に配属される可能があり怖いです。 自分の経歴を生かせる希望の職種を優先するならば、全国転勤を受け入れなければならないです。しかし、また望郷心と親に会えない寂しさから精神的に弱ってしまわないかが不安です。 煩悩まみれの私で大変申し上げないですが、回答の程よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 31
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2022/03/09

存在そのものを悪と断じずにはいられない

「生きているのではなく、生かされていることに感謝すべき」だとおっしゃるのでしょう。 けれど、どうしても「生きていること、生かされていること」を肯定的に捉えることができません。 「盲亀の浮木」というように、この比較的平和で当たり前のように安全な生活ができる存在として生まれたことそのものがとんでもない奇跡、という理屈も承知しております。 しかし、「だから生まれたことに感謝すべき」と言われても感情が追いつかない上に、「存在するということはとんでもなく危険なことなのに、誰もそこから逃れられない」と、存在そのものをどうしても否定したくなってしまいます。 限られた運の良い生き物しか安全に生きられない。 限られた運の良い人間しか生きることを許されない(そんなことはないとおっしゃるかもしれませんが、自己責任論と優生思想のほうが人間の本音だとどうしても思ってしまいます)。 これまでの人生で幾度となく自殺を考えましたが、死んだところで「存在」からは逃れられないと気付き、「じゃあ生きるって何なんだ! なんでこんな悪趣味なことを強いられるんだ!」と、閉じた恨みの感情ばかりが強くなります。 所詮、うまくいかない自分の有様と社会問題を歪みきった認知で安易に結びつけているだけなのでしょう。 ただ、そこから脱却するための、理論的にも感情的にも強い根拠が見つからず鬱屈としています。 「生き物だから生きるのだ」と言われても、「それは存在の『罪』から目を背けているだけだ」「生きることは悪であるという、自分にとって都合の悪い真実を見て見ぬふりしているだけだ」と思ってしまいます。それとも、私が「生きることは善である」という真実を見て見ぬふりしているのでしょうか。生きることを肯定されてしまっては、私の苦しみに満ちた人生をも肯定しなければならないから、「生きることは悪である」という幻想に逃げているだけだとおっしゃるのでしょうか。 痛みや苦しみを憂うあまり存在さえ否定したくなるのが煩悩だとしても、「存在することをやめたい」「ありとあらゆる感覚器官を捨て去りたい」「物質的制限にまみれたこの次元から脱出したい」と思わない時はありません。 まして、この世界から「生きるに値する根拠」は急速に失われつつあるのではないでしょうか。 死ねないなら生きる苦痛を受け入れなければならず、しかしその覚悟が決まらないのが課題です。

有り難し有り難し 15
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自殺についての捉え方

初めての質問で、ずっと考えていた、人に話したことの無い私の人生観の相談になります。 表題からまず、誤解せずに頂きたいのは、私は別に苦しいからつまらないから死にたいとは思ってません。 逆に、なぜ皆、自殺=悲劇、悪、禁忌という考えなのか理解出来ません。 私は自分の人生において、ある年齢に達した時に自ら死のうと決めております。 それは人生がつまらないだとか苦しいからだとかという理由ではなく、そこを自分の終着と決めたからです。 やり残したことや後悔などはきっとすると思いますが、それは生きている以上無くならないですし、無くしてはいけないものだとも思っているので、それも受け入れて自分に幕を引きたいと考えているのです。 その行為によって、自分が納得しているか否か関係なく周囲に必ず迷惑がその後にかかるということも承知してます。 それでも、人に気を使って私の自分で決めた終わり方をやめようとは思えません。 それゆえの、表題での根本的問いです。 本人が満足し、納得した自殺をなぜ悪く言うのですか? そもそも死が忌避される理由すらもわかりません。 世界の一つの理に対して人は勝手に忌避を覚えることに疑問です。 絶対に抗えない世界の理に対する意識とは『忌避』ではなく、どう捉え、受け入れるべきかなのではと考えています。 自然死を待つ、というのも考えてはいました。 幼い頃は長寿を望んでいましたが、なぜ長寿を望んでいたのかを考えた時、特に理由もないことに気がつきました。 で、あるならば、私はいつ死ぬべきなのか。 現時点で私は事故で死んでも、後悔、やり残しがありますが、それでも納得して死ねると思っています。 誤解されそうですが、死を美化して捉えているわけではありません。 自分自身で終着を決めることで日々生きているのだという実感を得ることが出来、そして自身で決めた終着にて、私という存在に幕引き、人生が完成を迎えるのだと思っているのです。 だから問いたい。 自殺への忌避と悪、そして逃避という捉え方は違うのではないかと。 仏教において、聞きかじりで申し訳ないですが、仏教は自殺が=で罪ではないということから、このような形で長年の疑問をご相談させて頂いております。 お坊さん方は、みなさん、自殺をどう捉え、そして生きているのでしょうか?

有り難し有り難し 23
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夫の何を信じてきたのか分からない

2歳の子供がいる主婦です。 数ヶ月前につい好奇心で主人のメールを初めて覗き見してしまったところ、子供が生まれる前、結婚して2年目の頃に出会い系で体の関係を持とうとしていたことが発覚しました。 動揺した私はまず勝手に見てしまったことを謝り、主人に話しました。 主人は出会い系のことはすっかり忘れていたようですが、そのような連絡をしたことは事実で、でも実際には会ってない、仕事のストレスと出来心で…と平謝りされました。 普段の主人は大変優しく、怒ったり不機嫌なところも一度も見たことがありません。 考え方も妙に達観していて、私が悩みや愚痴を相談すると、いつもここhasunohaのお坊さんのような回答をくれて、そんな主人を心から尊敬していました。 何より、恥ずかしながら愛されてる自信があったので、今回のことは別人が送ったメール?夢?と思うくらい私にとってはショックでした。 今の主人は娘を溺愛し、私のこともとても気遣ってくれています。 主人も「過去より今を大事にしよう」と言うので今の主人を信じたいです。 しかし、「今が大事」なんて言う人がなぜあんな倫理に反する事をしていたのか…今も口では立派なことを言いながらしてるんじゃないか…と不信感を持ってしまいます。 それにあの頃の主人も私の目には今と変わらない優しく仕事熱心な主人でした。 「仕事が忙しいから」と言って私に構ってくれない日も、仕事なら仕方ないと割り切って、熱心にスマホを触る主人の邪魔をしてはいけないと遠慮していました。 なのにその時出会い系で他の女性とやり取りしていたなんて… 毎日考え過ぎて、主人の何を信じればいいのか分からなくなってしまいました。 誰でも間違いは犯しますし、ふと心に隙間が生じるものだと思います。 私は主人のそういう心の弱い部分も受け入れてあげたいと思います。 でもそれは2回目3回目と同じ間違いをしても受け入れてあげる覚悟と同様なのでしょうか。 主人が好きなのでそういう人なんだと受け入れたい気持ちと、私をまっすぐに愛してくれた主人ではなくなってしまったのかという悲しみと、心がグチャグチャです。 主人の何を信じたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 18
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出勤困難症

夜分に失礼いたします。 私はうつ病で障害者雇用で一般企業に勤務させていただいております。 先日も同様のご相談をさせていただきまして、良いアドバイスをいただき、焦らずにうつ病と向き合い今できることをやってみようと近くのお寺のご住職に相談しにでかけてお話しをしてみたり、主治医の勧めで運動をはじめたりしているのですがいざ出勤となると体が動かない状態が数ヶ月続いております。 こちらでアドバイスをいただき、お寺のご住職のアドバイスもあり1日だけ出勤できたのですが お正月明けからまた出勤ができなくなってしまいました。それも仏様のお導きで私はその中でできることをするのが一番の努力なのではないかと自分なりに解釈しているつもりですし、毎日ではないですが思い出した時には呼吸法と共に「南無阿弥陀仏」を唱えたりさせていただいておりますがふと、他のお坊さんのアドバイスも聞いてみたくなりご相談させていただいている次第でございます。私の中ではこれも仏様が何かのアドバイスとして私に投げかけて下さっている。あとはできることをやってみなさいとご慈悲をいただいているのだと思っておりますが…とは言えこのままの状態で良いのかどうかと迷っております。仕事に対して嫌な気持ちも会社の人間関係にも不満はありません。 むしろ心配していただいたり、お気遣いいただいたりと恵まれた環境です。 今私が他にできることはあるのでしょうか? ちなみに友人と食事にでかけたりすることはできる状態の時もありますが、朝になると出勤ができないという状況です。 お忙しい中ではあるかと思いますがご回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

ある報道からモヤモヤしています

今日、俳優さんのある容疑についての報道がされました。 私は、著名人の扱いに対するモヤモヤと、自分のなかの矛盾を感じ悩んでいます。 著名人は問題を起こすと当たり前のように世間に晒されます。 報道の自由や知る権利の関係、ときには有名税などと言われる難しい問題であることは理解しています。 しかし、俳優さんでも人にはそれぞれ事情があって、犯罪や非難される行為に至った背景や悩みがあるはずです。 社会で生きる限り、やってはならないとされる行為はしてはいけませんし、償わなければなりません。 でも、過ちは誰にでもあります。著名人だからと社会的制裁のようなことをしていいのか… 理由も何も知らない人々が、人のやった事にどうこう言うことは出来ないと思います。 こう思うと同時に、私には矛盾があります。 やはり、彼が逮捕されたと知った途端に無意識に検索しました。知りたいと思う気持ちが出てくるのです。頭では良くないと思っているのに、何で?どんな風に?とあれこれ気になります。 これは人間の習性か何かで、どうしようもないことなのでしょうか。 お坊さん方は、こういった野次馬のような気持ちは起こらないのですか。 この矛盾はどう解決できるでしょうか… 私は、その俳優さんが好きでした。でも問題を起こしたのは俳優としての彼でなく、私生活での彼です。俳優としての彼の演技をまた見れる日が来るように、ただ頑張ってほしいと願います。 社会には色々な人がいます。そんな中でも、あれこれ詮索するのではなく、再び活躍される日を温かく迎えられるような世の中になってほしいと思います。 最近、社会のなかで生きるのって難しいなと感じます…

有り難し有り難し 8
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2022/04/11

仏教は反権力主義?ご信徒様との付き合い方

 いつもお世話になっております。  毎週、近所のお寺の法座に上がってお勤めをしているのですが、 数年前に通うようになった2人の奥様が気に掛かるのと、それに付随 した10年来の疑問があります。  法座が終わるとお堂の外に出て皆さんで世間話をするのですが、 お寺の境内でするにはあまりにも不適切な内容の話で奥様が 盛り上がります。 「皇族の@@殿下は頭が悪い」 「@@(大企業)の社長、旅行に行ったきり帰ってこなければいいのに」 「政治家の@@は裏でこういう事をしているそうよ。嫌ね」 というような、大企業、皇室、政治家などといったいわゆる「力ある 人」の醜聞や誹謗中傷です。  私も一時期、聞かなければ失礼かと思ってそれにお付き合いして しまっており、別の参詣者様が後ろで 「信じらんない…」 と呟いていたのを聞き、同類視されたと思い、あまりのショックで 帰宅して嘔吐しました。  お寺に全く行かない私の知人も、 「お寺に行かない私でも、そんな話はお寺でする話じゃないってわかる」 と言っていました。  1人の奥様は栄養士の資格を持っているので、役に立つ事を教えて くれます。それはありがたいので聞きます。しかしそういった悪い ゴシップが始まると、私は一緒くたにされたくないので 「お先に失礼いたします。お疲れ様でした」 と言って早々に離脱するようにしました。  先述のように、普通はお寺で人の悪口や醜聞など語るべきではないと 思っています。  権力に歯向かうのが功徳になるとでも思っているのでしょうか。 昔通っていて今決別した寺院も、住職が 「@@主義は仏法に通じる」 と公言し、寺報で政策を優しさの中に激しさを包含する言葉で批判する などしていました。まるで過激派の機関誌です。  私は当時体調がよくなく、でも家に籠っているのは嫌なので日参を していたら寺の職員全員から執拗な嫌がらせを受けました。  別のお寺でも、境内で防犯キャンペーンをしていた警察の人に 大声で暴言を吐き、言い終わった後にお坊さんを捕まえ、警察の人が 聞こえるように警察の人を指さして喚き散らしていた人を見たことが あります。  せっかく気持ち良くなりたくてお寺に来ているのに…これも修行 でしょうか。私の対応は適切ですか?また、仏法は反権力主義 なのですか?  ご教授よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 24
回答数回答 1

妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 79
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心を平静に保つには。支えとなる本や言葉はありますか?

季節が秋、冬になると、心がふさぐことが多くなるのでご質問しました。 毎日いろんな経験をすると、その都度心が揺れ動きます。 人間関係のもつれや仕事が上手くいかなかったときの失望、家族につらく当たってしまったあとの後悔・自己嫌悪。将来どうなるのかといった不安や自分が独りぼっちになったことを考えたときの悲しさ。失恋や身内の不幸など、大きな衝撃をうけると体調にも影響がでます。 およそ「一日平和だったな」と思える日のほうが少ないような気がします。 そんな時、よく「お坊さんはどうやって心を平穏に保ってるんだろう」と考えます。 法事で家にいらしたとき、温かい雰囲気で話を聴いてくださる。いつもにこやかで、周りの人を優しい気持ちにさせる。私自身そういう人になりたくて、仏教に興味をもちました。 ただ、本屋さんに行ってみても、これは!としっくりくる本に出会えずにいます。 お坊さまがたには、心を落ちつかせるおまじないとなるような本や教え、言葉はありますでしょうか。 仏教のこと、おぼろげには知っているものの、自分の心の糧にできるまでには至っていません。 お坊さまがたの心のよりどころをお教えください。

有り難し有り難し 33
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