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検索結果: 631件

ペットの死について

実家の愛猫が余命わずかです。 10日以上飲まず食わずで、あと数日だと獣医に言われています。 高齢猫の死因に多い腎不全を2015年に患い、 それが原因で失明し丸2年…懸命に生きてきました。 昨年末にステージ4の末期宣告を受けましたが、 推定余命からもう1ヶ月以上、2度ほど危険な状態になっても戻ってきてくれました。 ずっと闘病していましたが、いよいよ?という状態です。 飲まず食わずなうえにトイレも自力では難しくなってます。 20才11ヶ月という高齢なので老衰かもしれません。 ペットがほしい、という安易な気持ちで飼いました。 中1の春、小学校時代のいじめが原因で人間不信で、生きる希望も夢もない時に来てくれました。 大袈裟だと言われますが、今、私が生きているのは愛猫の存在があったからです。 それくらい私に幸せを与えてくれました。 人生の半分以上を一緒に過ごした愛猫。 私だけじゃなく母や弟も人間同等の家族だと思っています。 何が言いたいのか自分でもわからなくなってきましたが、 大切な猫がもうすぐ旅立つので質問させてください。 ①葬式後の骨について ②私のことを恨んでないか?幸せだったか? ③動物は人間に生まれ変われるのか? 実家に月参りに来ていただいている住職(日蓮宗)は 「骨は絶対に家の敷地に置いてはいけない。仏壇に置くのも、庭に埋めるのも、人間のお墓に入れるのもダメ!」と言います。 何故いけないのか理由を知りたいのですが、ただダメだと言われます。 「うちに来るお坊さんは良いと言ってた」と友人に言われましたが宗派によって違うのでしょうか? 私を恨んでいないか?ですが、結婚を諦めていた私は「どこにも行かないからずっと一緒だよ」と愛猫によく言っていました。 毎晩一緒に寝ていましたが、4年前に結婚して隣県に嫁いで以来、月1回しか会えず… それから1年ほどで腎不全になり失明したので罪悪感でいっぱいです。 末期と聞いてからは毎週会いに行っているのですが、喜んでくれているのかわかりません。 自分がほしいと言って飼い始めたのに中途半端で申し訳なくて。 生まれ変わりについては私の願望ですが、来世で私の子供として生まれる可能性ありますか? 不妊治療しても流産等でいまだ授からないのはそういう運命なのかもと思ってしまいます。 長文で読みづらいかもしれませんが、回答お願いします。

有り難し有り難し 42
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愛犬の死

初めて質問します。長文失礼致します。 先日18歳だった実家の愛犬を亡くしました。生まれて間もない愛犬を私が4歳の時にもらって共に生活をしていました。愛犬がよくいた場所を見たり、思い出しただけで涙が溢れます。 両親は仕事で最期は誰も看取ることなく、まだ温かかった愛犬を仕事から帰ってきた母が見つけました。 私は大学のある県外に2日前に帰ったばかりで、「2日間まだ実家に居ていれば手を握って抱きしめながら最期を看取れたのではないか」と悔やむばかりです。 とんぼ返りで帰省し、不思議なことにちょうど親戚が多く集まっていたため皆で葬儀をあげて供養しました。 生まれた時から吠えることも少なく穏やかな性格でしたが、18歳ということで目はほぼ見えず歩くこともできず痴呆もありました。また、辛そうに泣くこともあり、すぐに気づいてあげられない時もありました。本当に頑張ってくれました。 5年前からはほぼリビングにいましたが、私が中・高校生で習い事や部活で忙しく、両親も仕事が多忙だった時は小屋で窮屈な思いをさせました。 幼くやんちゃだった私の後ろを着いてきてくれた姿や県外での一人暮らしや友達関係が上手くいかず帰省し疲れ果てて寝ていた私にいつの間にか寄り添ってくれていた姿、反抗期で両親と喧嘩ばかりだったのですが愛犬が居てくれたことでコミュニケーションを取ることができ、本当にたくさん助けられました。 また、私は一人っ子でそれで嫌な言葉を言う人達がいましたが、愛犬が居たことで弟ができたように家族で可愛がり、私も救われました。優しく可愛く親戚など皆から愛されていました。私もそんな愛犬が大好きでした。 何もかも思い出し悲しくなります。 無口でぶっきらぼうで当初犬嫌いだった父も涙して撫でていました。 「もっと〜してあげれば良かった」と色んなことを考えて悔やみますし、こんなに私がくよくよしていては犬も旅立てないとは分かっているのですが「もう会えない」「撫でてあげれない」ということを考えるだけで悲しく辛くなります。全く無くならないこの気持ちをどう収めたら良いのでしょうか。 アドバイスやお言葉をいただければと思います。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 7
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2022/10/28

死を考えています

数年前まで、都内で母方の親族が経営するメーカーで事務職に就いていました。 実家は愛媛県ですが、会社所有の土地や不動産があり、その会社と強い結びつきがあります。 親族は、複数おりますが、会社経営に関わる親族と、そうでない親族がおり、ずっと対立が続いていました。 叔父や叔母、従兄弟たち経営陣たちからは、対立する親族と関わらないよう言われていました。 それなのに、その対立する親族と接点を持ってしまったり、両親を敵に回すような態度をとってしまいました。 そうして、私は経営者である叔父や叔母だけでなく、縁故採用のきっかけとなった母を裏切るような行動を取ってしまい、家族や親族からの信用を失いました。 会社の従業員の人たちとの人間関係にも悩み、心療内科に通っておりましたが、経営者親族や両親ともコミュニケーションがうまくとれていなかったため、メンタル不調を理解してもらうこともできませんでした。 その結果、任されていた会社の経理の仕事もうまく勤まらなくなりましたが、鬱の治療を受けたり、休職願いを乞うこともできず、そのまま自己都合退職してしまいました。 東京から愛媛県の実家に戻りましたが、親からは家を出て行けと言われ、唯一の頼りだった身内との繋がりも失い、途方に暮れています。 鬱の治療もままならないまま、やっと見つけた仕事は、工場での派遣で、福利厚生もありません。 お給料は、親族のメーカーに勤めていた時の方が、遥かに上回っています。 経理というデスクワークに、縁故採用してもらい、手厚い待遇を受けていたのに、経営者親族とうまくやれなかった自分。 東京という街で、キャリアを築くこともできたのに、地方に帰ってしまった自分。 もしあの時、仕事や人間関係に悩んで、経理が手につかなくなっていたのなら、正直に鬱病であることを報告して、休ませて貰えばよかった。 親族間の対立や、両親とのこじれた関係も、うまく距離をとったり、会社での立場と公私混同せずに、自分のキャリアに集中すればよかった。 結果として、家族との繋がり、親族からの信用、仕事、キャリア、出世、全てを失うことになりました。 社長だった叔父は亡くなり、副社長の叔母からは、「顔も見たくない」と言われました。 母も、口を聞いてくれません。 謝っても、泣いても、何も取り返しがつきません。 毎日、死ぬことばかり考えています。

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2021/07/26

父の死

実家で火災があり家が全焼、昼寝をしていた父が亡くなりました。 祖母と後妻さんと暮らしていた父。後妻さんの手前、会うのは年に数回でしたが、今年息子が誕生してからは毎月会っていました。 気性の荒い父でしたが初孫の誕生を心から喜び可愛がってくれました。ただ私がコロナを非常に警戒していた事もあり、抱く時はマスク二枚重ね必須。差し入れを持って家まで来てもらったにも関わらず抱かずに帰ってもらう事もありました。息子にキスしようとした父に『やめて!』と怒った事もあります。 まさか父がこんなに早く、しかも突然亡くなるなんて。息子が生後半年を迎える5日前に亡くなってしまいました。『今忙しいから』と言って数十秒で電話を切ったのが最後の会話です。 母との離婚を通して精神を病み、いつも声を荒げていた父ですが、孫の前では常に目尻が下がっていました。ここ数十年見たことのない笑顔は昔の優しかった頃の父でした。なので今思い出すのは笑顔の父ばかりです。 息子の成長をもっと父に見せたかった。私も親になりようやく父の苦労が分かり始めてた矢先にこのような事が起こり涙が止まりません。父と息子の写真は3枚のみ。しかも全てマスク着用。家が全焼してしまったので遺影がこのマスク姿のものしかありません。 なんであの時マスクを外して撮影しなかったんだろう。なんであの時息子を抱かせてあげなかったんだろう。ぷにぷにの赤ちゃんの頰にキスするくらいいいじゃないか。後悔ばかりです。 父に会いたい。不器用だけど、たくさん私を愛してくれた父。母をたくさん傷つけた父が許せず顔を合わせば常にぶつかってばかりだったけど、本音は父の事が大好きでした。 気持ちの整理をするために私は今後どうしたら良いのでしょうか?

有り難し有り難し 25
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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
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母の死

母が12月末の木曜日に亡くなりました。前日まで元気に過ごしていたのに信じられません。元気な母にはいつでも会えると思っていました。その週の月曜日の私のお休みに母に電話をするとこれから皮膚科にいくとのこと(遠いところに通っていたため、皮膚科に行く日は往復2、3、時間かかります)、私はだれかと話をしたかったので友達と約束をしてしまいました。母が皮膚科から戻って電話をくれたときには友達と会っていて、「ごめんね、友達と会っているんだ」と話して電話をきってしまいました。元気な母なので、またすぐに会える、冬休みも始まるし子供たちと会いに行けるという気持ちからそのまま電話をすることもなく、その電話が最後になってしまいました。どうして友達と約束をしてしまったのか、少なくとも夕方に母と「さっきはごめんね。友達と約束しちゃて」と話せたのではないかと後悔でいっぱいです。 母が皮膚科に通っていた理由は、2018年の夏くらいから徐々に髪の毛が抜けだし、去年の春くらいにはすっかり髪の毛がなくなってしまいました。病院で検査を受けても異常はなく、本人はいろいろな心配事があるのでストレスではないかといっていたので、いつも元気に動いていたので私も病気ではないと思っていたのです。本当はもっと母と一緒に大きな病院で検査を受ければよかったのではないかと後悔ばかりです。家で倒れてなくなったので、母が亡くなった原因がわからずとてもつらいです。 結婚してから子供ができてからは孫たちの面倒、たくさんの事をしてもらい、これから私が親孝行をしてあげたいと気持ちでは思っていましたが、何もできずにお別れになってしまいました。明るく元気で、小さなことにも感謝の気持ちでいられる母にもう一度会いたいです。、突然になくなった母、気持ちの整理ができません。今から私にできることは母のように誰にでも優しく感謝の気持ちを忘れないこと。子供たちを立派に育てること。私にできることがあれば教えてください。どうかよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 23
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母の死について

母は6年前私が22歳の時になくなりました。私は3人兄弟の末っ子で、次男2歳違い長男13歳違いなのですが長男は母の子供ではなく父の連れ子です。そのことを直接はしらされてなかったのですが私が16歳の時、母に癌が見つかり食事など作れなくなり近くの母の実家に夕食を食べるという生活をしていました。ある時母の祖母が母の結婚式の時に読んだ手紙を見せてくれたのですが、母が結婚した年齢と長男が産まれた年齢が違うことがわかり母の子供ではないということに気づきました。 それから数ヶ月後母の癌が再発し余命3カ月ということを父から知らされました。 その3週間後に母救急車で運ばれて病院にいるという連絡を受け、私はすぐ病院に行くと母は危篤状態という感じで私が来たことはあんまり認識していませんでした。 それから長男夫婦が来たのですが 母は認識したようで名前を呼んでいました。それから危篤状態が1日ほど続いたのですが結局私のことは認識することなく亡くなってしまいました。母が亡くなったショックと認識してもらえなかったショックで私は母にとってなんだったのかなとい思いがあり私が母の子供で良かったのかという疑問が湧いてきました。もちろん母からの愛情を受けて育ったという自覚もありますし本当に優しい人でした。でも最期が最期だけに今でも不安が押し寄せてくる時があります。これをどう捉えていったら良いのかアドバイスをいただけると有り難いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 4
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祖母の死について。

昨年、祖母が亡くなりました。 91歳で、老衰だとの事でした。… が、亡くなる数年前から 寝たきりになって 認知症もでていて、施設に入っておりました。 六年ほど前に私は実家を出たのですが それまでずっと 同居しており 小さい頃は よく面倒を見てもらいました。 しかし、母との仲が良くなくて、(いわゆる嫁姑問題)で いつも 間に挟まれておりそれが嫌で 成長とともに 自然とあまり 会話をする事もなくなっていました。でも 祖母の事は 好きでしたし大切な存在でした。 施設に入ってからは あまり 訪ねて行くこともせず(少し遠かったので)何年か経ち 亡くなる数日前に訪ねたときにはもう 話も出来ない状態でした。 小さい頃はよく遊んでくれて二人で出掛けたりしていた祖母が まるで別人のようになってしまっていて… そのまま逝ってしまいました。 もっと、会いにいって いろんな話をすればよかったと今になって後悔しています。 私の事も忘れてしまったままあの世に逝ってしまったのだろうか…と思うととても悲しく涙がとまりません。 認知症のまま亡くなってしまったら どうなるのでしょう? ちゃんと いろんな事を思い出して 家族を見守ってくれているのでしょうか? 祖母は 会いに行かなかった私を許してくれるでしょうか? 亡くなってから よく夢をみるので そんな事が気になっています。 お坊さん達は どう思われるでしょうか?

有り難し有り難し 34
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2021/10/04

死への恐怖が辛いです

何度かご相談させていただいていますが、また失礼いたします。 最近、「死」への恐怖が以前に増して強くなっています。 心療内科で「強迫性障害」(軽度)と診断されています。 死に直結するような病気にかかったかもしれない、かかるかもしれない、そんな不安が絶えません。 これまで気にしなかったようなこともすべて死ぬことに結びついてしまうのではないかと、不安になります。 先日実家に少し帰った際、いっそう「死」への恐怖が増しました。 親より先に死にたくない、これで今生の別れになりたくない。 そんな感情が溢れてきて、駅に向かう道すがら、新幹線の中、居住地付近に戻ってからの通勤電車の中、帰宅後と泣いてしまいました。 この不安が「強迫性障害」から来ているのはよくわかりますし、不安を感じたときは抗不安薬でなんとか抑えることはできています。 しかし、やはりどこか根本的な意識を変えなければならないのだろうと思います。 仏教の方面から「死」の恐怖への打ち勝ち方、ないしは恐怖の受け入れ方、といったところを是非アドヴァイスいただけませんでしょうか。 いまこの文章を書いているときも、直前の行動が不安でたまりません。 そんな不安は馬鹿げていると思える自分と、不安に震える自分が拮抗し、震えるほうがすこし優位になっているような感じです。 拙い文章で恐縮です。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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兄の死

昨年、兄が突然他界しました。以前から糖尿病や心臓などの問題があると聞いていましたので、それが原因だったようです。私は現在アメリカに住んでいます。父は3年前に他界しました。父はアルコール中毒でしたが、私が中学高校大学中、お酒は完全に絶っていましたが、定年退職後、飲みはじめ、長い間病院で生活していました。何かあると、母が兄に連絡し、兄が助けていました。両親、兄、私の関係は、いい状態とはいえませんでした。会話のあまりない家族でした。しかし、兄は私のことを心配し、何かあると助けてくれていました。兄は結婚し子供がいましたが、子供が小さいとき離婚し、それ以来子供に会っていませんでした。元の奥さんは、変な宗教にはまり、離婚後も、私の家族といって、実家に立ち寄っていました。そのたびに、母の血圧が上がり、こまっていました。私が、兄と、その元奥さんの間に入って、必要な連絡(ほとんどが理解できないこと)を兄に伝えていました。でも、兄が死んだとき、母と私は、兄が、中学の時の同級生だった女の方と10年以上も暮らしていたことを知りました。私は、前から感づいていたのですが、それを知って、ほんとうに兄が一人でなくてよかったとうれしく思いました。今年に一度帰省するようにしていますが、そのたびに、少しの時間ですが、兄は私と旦那(アメリカ人)と一緒に食事してくれました。おととしの12月の帰省のときに兄にあって、その後新年の2月に突然兄は他界しました。私は電話中で、その電話を切った直後に母から電話があり、兄が死んだ、と告げられました。何も考えずに飛行機のチケットをとり、日本にかえりました。涙は、まだ全くでません。お葬式には間に合いませんでした。それ以来、母のことが心配で、不安でしかたありません。母は3年前に脳梗塞で倒れましたが、奇跡的になんの後遺症もなく助かりました。毎日今、スカイプで2回連絡していますが、母が何かの用でスカイプに出れないとき、心臓がどきどきしてパニック状態になります。今朝、兄の元の奥さんから思いもかけずメールが届きました。その奥さんからのメールで、また心がパニック状態になったりします。いつも、毎朝兄と父に手を合わせて、母のことを守ってくれるよう祈っていますが、とても不安で不安でしかたありません。これも人生、流れにまかせるしかない、とわかっていますが、むつかしいです。つらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

愛犬の死

15年実家で飼っていた愛犬が先週の金曜日に亡くなってしまいました。 犬は人間より遥かに寿命が短く年をとるのも早いので、15年間という年月を思えば特に大きな病気にもなることもなく、とても長生きしてくれたと思っています。 しかし、亡くなる前の数日間は、食べるものも受け付けず体力的にも日に日に弱っていき見てるのも本当に辛いものでした… 愛犬も最後はかなり辛かったのではと思いますが、私が近くに来たのがわかると立ち上がるのもやっとな感じなのにフラフラしながらもそばに寄ってこようとしてくれました。でも私はその時、愛犬のそばからすぐに離れてしまい別の用を済ませに行ってしまったので、用を済ませてまた愛犬の所は行きましたがもうその時には立ち上がることができなくなってました… でもまだ息はしていたのでとりあえずまた来るからね!と声だけかけてその日はそのまま帰ったのですが、それが愛犬と最後の交流となってしまいました… フラフラしながら自分の方へ寄ってきてくれた時にもしかしたら愛犬は触れて欲しかったのかな?何か伝えたかったのかな?とかあの時こうしておけば…と愛犬がいなくなってから愛犬の存在の大きさと後悔の念のようなものが出てきてなかなか心の整理がつきません。 あと、供養の事でも、生前お友達を作るのがあまり上手ではなかった愛犬が少しでも寂しい思いをしないようにと地元の斎場で火葬したあと、返骨なしで合同での供養と埋葬でお願いしました。ですが、愛犬の埋葬される予定のお寺が家からだいぶ離れた県外の場所になると後から分かり気軽にお墓参りもできる距離でもないので、そんな遠くの場所に埋葬させてしまうことへの罪悪感もあり、愛犬にとってこれで本当に良かったのかと本当にこの選択で愛犬は幸せだったのかと自問自答を繰り返しながらふと気づくと涙を流してるような毎日です。 この気持ちがいつか癒されていく日は来るのでしょうか?

有り難し有り難し 3
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毎日死について考えてしまいます

私は毎日、大切な人たちの死を考えてしまい、悲しくて苦しくてこの先の人生に希望が持てなくなるような瞬間があります。 大切な人たちというのは主に家族で、特に両親や姉妹のことです。 昨年、結婚し初めて実家を出ました。 元々結婚願望がなかった私でしたが、婚約してからはあっという間に家を出ることになってしまい、当時29歳でしたが、なんだか現実に起こっていることと自分の心がついてこないような感覚でした。 あぁ、私も結婚する歳なんだなぁ…大人になってたんだよなぁ…というような感じです。 結婚生活はとても楽しく、実家にもよく顔を見せに帰っていますし、姉妹とも連絡は頻繁に取っています。 しかし、いつも楽しく幸せだと感じる裏側で、いつかこの幸せも終わってしまう、いつまでも幸せではいられない。そう思ってしまうのです。 もしかしたらあと10年後には両親がいないかもしれない。もう少し前の私であれば、そんな考えが浮かんでも「まだまだ若いし元気だから大丈夫」と自分を励ますことができたのですが、最近ではもう親の死も他人事ではないというか、あり得ないことではないと落ち込んでしまいます。 いつだって人は死と隣り合わせで生きているし、親がいくつだろうと、自分が大人でも子どもでも関係ないことだったのに。 この先私が親や姉妹よりも長生きするとすれば、私の未来にはとても悲しくて辛い出来事が必ず当たり前のように訪れます。 「大切な人の死」という、想像しただけでも胸をえぐられるような悲しみ以上に、楽しいことや幸せだと思えることが今後あるのでしょうか。 もちろん私の両親も自分の親とのお別れを経験しているわけですし、人はそうやって生きていくものだと思いますが、こんなことを夜な夜な考えてはこの先の未来に影を落としてしまいます。 少しでも前向きに考えていけるようになりたくて、ここでお話しさせて頂きました。 わかりにくい文章で申し訳ございませんが、何かお言葉を頂けたらと思います。

有り難し有り難し 3
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父の死について

2月23日に父が突然亡くなりました。 以前から息苦しいとはいっており3軒の病院で検査しても特に異常がありませんでした。 4年前に兄が東京で亡くなり、両親がいる鹿児島へ遺骨を持って帰りました。 その際に父の肺癌が見つかり、治療後の約2年前に私の家近くにマンションを借りて生活を始めました。 肺癌は放射線治療で完治していました。 1年目は、大好きな父に出社前に作ったお昼のお弁当、夕飯のおかずを持って行くのが日課でしたので、家事をしながら話すのが、とても楽しかった。 私が出かける時は、必ず玄関まで見送りしてくれました。 行きたがっていた北海道にも一緒に行きました。 旅行もたくさん行きました。 病院への通院も月に一度行きました。帰り道に外食するのも楽しかった。 しかし昨年の8月から、言っている事がおかしかったり、物忘れがひどくなっていきました。 11月には昼夜逆転となり、夜中も電話をしてきたり、母に対して暴言を吐くようになりました。 あんなに穏やかで優しい父だったのに…。 その頃から着替えも1人じゃしない。お風呂も入らない。 ご飯も食べない。体重は37キロまでに痩せてしまいました。 MRIで検査したところ認知症でした。 週3回デイサービスに行かせる事にしましました。 痩せないように大好物のヤクルトやお煎餅、果物を持って行くと1日で全て食べてしまいます。 しかし最後は35キロ。 私も父のイメージが崩れていくにつれ足は遠のき、あまり会話する事もなく家事をこなし 「早く」「早く」と言い、着替えさせて出社する生活になりました。父も私の態度が悪いからか無口になっていきました。 そして老人ホームへ行きたい…と言い出し、審査が通り4月から新築の老人ホームに入る事が決まっていました。 紙に「老人ホームへ4月から入る事が決定」と書きテーブルに貼って喜んでいました。 それなのに自宅で倒れ、そのまま逝ってしまいました。死目にも会えませんでした。86歳でした。 何で私は最後まで優しく出来なかったのか後悔でいっぱいです。 あんなに大好きな父だったはずなのに…。認知症が出てからは避けるようにして。最低です。 父の死目にも会えなかったのは罰です。 夢枕にも立ってくれません。 荼毘にふされた今も会いたいです。会いたくてたまりません。 この気持ちをどのように持っていったら良いでしょうか。

有り難し有り難し 8
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子供の死を考えてしまいます

私は29歳で、10ヶ月になる一人娘がいます。 事情があり未婚で出産したので実家で両親と住んでいますが、積極的に育児を手伝ってくれていますし、本当に心から娘を可愛がってくれています。 間違いなく、今が人生で一番幸せだなと感じています。 だというのに、夜布団に入って目を瞑ると、娘の死を考えてしまうのです。 それは事故だったり事件だったりするのですが、いつもいつもすんでのところで私の手は届かず、娘は死んでしまうのです。 目を開けて横を見るとスヤスヤと寝ている穏やかな顔の娘がいます。 これは全て妄想だと分かっているのですが、やめられないのです。 楽しいことを考えるのも、何も考えないのも、どうしても出来ないのです。 ただずっと娘の死ぬところを妄想し続けてしまうのです。 考えて、泣いて、を空が白み始めるまでやめられないので、ろくに睡眠も取れず、毎日しんどいです。 昼間はそんなこと考えずに、普通に幸せにいられるのに、夜になるとずっとそんなことを考えてしまうのです。 これは私が深いところで願ってしまっているということでしょうか? こんなに愛しく守るべき存在の娘の死を望んでいるということなのでしょうか? どうしたら、考えなくなるでしょうか? どうかどうか、ご教授ください。

有り難し有り難し 21
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妻の遺骨を妻の実家のお墓に納骨することになりました・・・

申し訳ありません。これで三度目のお願いです。自死した妻の49日に納骨をすることになったのですが、当初私の菩提寺に納骨をすることになっておりましたが、義父から「実は死ぬ前に電話があり、離婚することになった。私はお母さんのお墓に入りたい。」と最後に電話があったそうです。 過去2回ご質問をさせて頂いた際、最後の晩、私はお酒を飲んでおり妻に「死にたい。」と言われた時、怒ってしまいました。鬱病の事を忘れてしまいました。うかつでした。 しかし、その後離婚をしたいくらいのことは、夫婦喧嘩の時は普通にあるかと思うのですが、その様な話をしました。 ※ これ以外に妻の子供のことの話をしましたが、内容まで殆ど覚えていません。 しかし、離婚話は本気ではありませんし、離婚するつもりもありません。その後の話の内容を本当に覚えていないのです。ですから非常に苦しいのです。 しかし、自死する前に鬱病の薬とお酒(血中アルコール濃度0.80㎜)を飲んで正常な判断ができるとは思えませんが、義父に妻の最後の言葉だから叶えてあげたいと言われました。私もやむを得ずこの話を菩提寺のご住職にお話をし、ご納得を頂きました。 妻の実家のお墓は、一般の宗派不問の霊園です。 妻の実家と宗派が違います。位牌は私が護ります。私が死んだら菩提寺のお墓に入ることになります。この様なケースはあるのでしょうか。 昨晩、義父に「私の菩提寺ではダメですか。」と電話で伝えたのですが、既に親戚に沙汰をしてあるし、いまさら変更できない。それに娘の最後の言葉だから。と言われると言い返せません。妻の納骨先は、仕方ないと思います。 酒を飲んで何を言ったのか覚えていない罰として受け入れるしかないと思っています。ただ、夫婦で同じお墓に入れないのは辛いです。私としては、再び巡り合って一緒になるつもりでいますが、それが叶わなくなってしまうのではと不安になってしまうのです。 妻を愛しています。だから最後の言葉を尊重するしかないと思います。私の質問は、夫婦別々のお墓に入っても、あの世で再び結ばれるのでしょうか?妻にもう一度再会して、謝罪したい。そしてもう一度夫婦になりたいと心から思っているのです。 申し訳ありませんが、あくまでも納骨先を妻の実家のお墓ということでご回答を頂ければと思います。これで3度目の質問で本当に申し訳ありません。

有り難し有り難し 20
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前夫の死を受け入れるられません

いつも迷いがあると読ませて頂いており救われます。今回も投稿前に何度もお話を読ませて頂きました。私は20年以上前に国際結婚をし10年ほど前に離婚をした前夫との間にダウン症の息子がいます。幸いにも息子は健康に恵まれ周りの愛情をたくさん受けて健やかに育ち無事先日その国での成人を迎えました。その国の複雑な行政システムのために外国人の母親に親権は与えられず、親権がないとその国に住めず、全幅の信頼を前夫に託して帰国ししたのが10年前です。離婚後も、私は彼の母親と、彼は私の実家と、お互い頻繁に交流を続け、円満離婚だったと思います。彼と私ももちろん頻繁に連絡をとりあいました。離婚した夫婦ですから毎回会う度に些細なことで口喧嘩をし、その度に仲直りをするという繰り返し。このやりとりは二人があの世で会うことになってもするんじゃないと笑いあったものでした。兄と妹、姉と弟のようなそんな愛情だったと思います。その後お互い新しいパートナーができ、私も毎回行く度に会いました。そして先日、前夫は息子の成人を見届けたかのように、長年の闘病生活の後、亡くなりました。前夫は彼女と友人に自宅で看取られとても安らかな旅立ちだったと聞いています。旅立った後の彼の安らかな死顔の写真も送ってもらいました。安らかでした。彼は家族がいなかったため、葬式手配などは私が渡航して彼の彼女と一緒に取り行いました。彼が亡くなって1ヶ月たちましたが悲しみがますばかりです。溺愛した息子を1人残す彼の悔しさを思うと胸が張り裂けます。(息子は数年前より里親と生活しています) 私も、離れていてももっと彼に色々してあげられたのではないかと後悔ばかりつのります。今の夫も最初は聞いてくれましたが、どうリアクションしていいかも分からないようなので、夫の前ではいつもの私で過ごしています。親友達も海外にいるのでなかなか気持ちを吐き出す相手がおらず、後悔と悲しみが胸の中に留まり続けております。彼の死を受け入れることが出来ず、泣き暮らす気持ちとは裏腹に、表面的には普段通り仕事をし、美味しい物を食べ笑う自分がいて、気持ちと生活がチグハグな状態です。亡くなってから改めて彼の存在の大きさを感じています。前夫の死をどうやって受け入れることが出来るのでしょうか? 受け入れる日は来るのでしょうか?

有り難し有り難し 6
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人の死を受け入れる心構え

先日、お仏壇の事で相談した者です。 2月1日まで母はとても元気で、母の誕生日が近いので、緩和ケアから外出許可をもらい、食事の予約して母もとても楽しみにしていました。 ところが、3日の日母から電話で、嘔吐下痢があり、無理だからキャンセルをと言われ、まだ少し時間あるから。と伝えてももうそんな気分になれない。と。 4日には痛みが出ているらしく、薬で眠らせてる状態で。今からどんどんひどくなると。 私は実家から出ているのと、母の余命は8年前から宣告を受けていたのである程度の心構えはあったつもりですが、 やはり落ち着かないといいますか、心がザワザワとするし、かと言って母の所にずーっと居るわけにもいかず。 これは少し困った精神状態です。 人の死を受け入れる事はできるとは思いますが、いざとなるとこんな風にザワザワするものなんですね。 本来去年のクリスマス時期に一度危なくて、何故か持ちなおし緩和ケアにはいったのですが、私と母が二人で話すこと。がこれまでなくて、緩和ケアに入ってる間、沢山会話ができました。その時間を神様がくれたのかもしれません。 後3日、時間くれたら母も思い残す事は無かったのでしょうが。。 人の余命は私にはわかりません。 こんな時、どんな風に家族は心構えをしていけば良いのですか? 安定、不安定な繰り返しで、少々メンタルがまいってます。 よろしくお願いします。

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お坊さん33秒法話ピックアップ