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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 」
検索結果: 32458件

人生ツマラナイ

26歳男、現在無職です。 5月まで医療従事者をしてました。 務めていたのはクリニックで、とてもホワイトかつやることが少なかったため、色々考える時間がたくさんありました。 仕事に就いて1ヶ月は仕事を覚えるのに必死でしたが、覚えてからは私がこの仕事をする必要、意味や生きることの意味を空いた時間に考えてました。 私がこの仕事をする必要はあるのか考えていた頃、コロナが流行りだしました。 務めていたクリニックでは(他のところはどうかわかりませんが)衛生管理が悪く、コロナを甘く見る患者がおり、私がいくら気をつけていてもコロナにかかる可能性が非常に高いと判断し、やめる決断をしました。6ヶ月でやめました。 また、私じゃなくてもこの仕事はできるとか、この職業は買い手市場だから私以外の人がやればいいとか、この程度の知識で収入が良い意味がわからないとか、患者とかどうでもいいとかも考えました。 生きる意味については答えが出ず、次の行動をする気力も起きません。 6年かけてとった資格ですが、資格を取ることが目標だったことに気づきました。 また変に仕事の要領が良く、単純労働化してすぐに飽きてしまいます。 自分がやりたいことを全力でしたいのですが、やりたいことが見えません。 死にたいとは思いません。生きたいとも思えません。 私のような人間が生きていていいのでしょうか。生きるとは何なのでしょうか。

有り難し有り難し 26
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仏教徒に対する疑問パート3

お坊様 仏教についてもうすこし深く知りたくて色々調べたのですが やはりわからないことがあってモヤモヤします なのでお答えください 仏教のテーマは苦しみから逃れて悟りの境地に行くことですよね でも釈迦様は菩薩に悟りとは何かを聞かれても何も答えなかったんですよね  それをバックボーンに諸行無常とかそういう言葉が出てきてもなんか怪しいです  それに四諦、八正道、中道など苦しみから逃れて悟りの道を歩もうとすることを意識すること自体が結局は五蘊無我になれないと思いますし  釈迦様が五蘊無我になって悟ったならそれは感覚器管すべて感じなくなって死んでるんじゃないですか? 生きてるんだとしたらその生きてる我はなんですか? 自分の我じゃなくて動物、人間、植物、全宇宙の我ですか?だとしたら我々みんなも悟らないと釈迦様も悟れないんじゃないですか  釈迦様だけが自分ひとりで悟って救われてるならそれはまだ自我から出られてないと思いますし  出ているならなんで菩薩に悟りとはなにかを聞かれても教えないのか  それを答えないのは我があるからじゃないですか我がなかったらペラペラ喋ると思うんです  それとも真理は言葉で表現しちゃダメなものなんですか?だとしたら言葉にした瞬間それは真理で無いなら諸行無常とか言う言葉も真理じゃないんじゃないかと思ってしまいます それとも言葉にしたものは完全には間違ってないけど半分真理なんですかね 色すなわち空のように 言葉にしない次元が完全に真理で言葉にする次元は半分シャバで半分真理 でもそうだとしても言葉にしない次元と言葉にする次元は既存の世界としてありますよね まるで色すなわち空のように そうしたら結局この世界なんて半分真理で半分シャバで  究極の悟りなんかないのかと思って もうこうなるといくら悟ったって究極の悟りを得られないなら この世の全てを作った全能なる神にひざまづいた方がいいんじゃないかと思いまして

有り難し有り難し 73
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祖父の死が信じられなくて苦しい

半年前、私をとても可愛がってくれていた大好きな祖父が亡くなりました。 80歳を超えていましたが現役バリバリで仕事をし、街の発展に尽力した人で、街の誰からも尊敬され、愛される、自慢の祖父でした。 私が小さいときには、公園に連れて行ってくれたり、一緒に昼寝をしたり。成人してからは、家に遊びに行く度に、様々な御説教をしてくれたり、小さい頃からの約束だった「祖父母と3人での海外旅行」をしたこともありました。 祖父は2年前に肺がんを患っていることがわかり、抗がん剤治療をしながらも、相変わらず街の為・人の為にと普段通りに生活をしていました。 私は今、仕事の都合で地元を離れて暮らしており、なかなか祖父母に会いに行く時間を作れずにいましたが、神社などで健康のお守りを頂いては祖父に送ったり、手紙を書いては電話で返事をくれる位に喜んでくれていました。 最後に会ったのは亡くなる3ヶ月程前で、その時の祖父は自転車に乗って威勢良く「仕事に行ってくる‼︎また遊びにおいで‼︎」という元気な姿でした。 ある日、母から「祖父が入院した」という知らせがありました。それまでに何度か検査入院などもしていたので、その時も検査入院か2〜3日で退院できる程度だと思っていました。 それから2週間後、「祖父が亡くなった」と連絡がありました。その時、大きな仕事を抱えていた私には、容態が悪い事を伏せてくれていたようです。連絡を受けて、とにかく必死でその日のうちに祖父の元に向かいました。 地元に着いた時には、もう祖父は棺の中で安らかな顔をしていました。祖父の葬儀でそこまで泣いている孫は見たことがないと言われる位に泣いて泣いて、泣きました。あの元気だった祖父の死が、半年以上経ってもまだ受け入れられません。 パパっ子だった私の母も、必死に前を向こうとしてはいますが、小さなきっかけで悲しく涙を流すのです。そんな母を見ると、私もとても辛く、地元には祖父の面影がありすぎるし、元気な姿しか想像出来ないのにどうして会えないんだろう…と苦しいです。 大好きだった祖父の死を受け止めるにはどうしたらいいでしょうか。 また、ありがたい事にとても仲の良い家族で、いつかは別れの日が来るのだと思うと辛くて悲しくて、その現実と向き合う事も出来ません。 前向きに明るく生きていくには、どのような心持ちで居ればいいでしょうか。

有り難し有り難し 24
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生まれてみたら 偶々人間だった、それだけのことなのに...

私は小学六年生の時の日記に 『人間は そろそろほかの生き物たちに恩返しをする時代にならなければおかしい』と書いていた者です この、根の深い痛切な感覚には、その後は自ら強い麻酔を打ち続ける思いで何とか半世紀ばかり長らえてきたのですが、8年ほど前から、その麻酔もすっかり効かなくなってしまったようで 今や、人類の殆どあらゆる所業が、私には受け入れ難いものになっています 他の天体から見たなら、何千万種もの生き物の中、一種族だけがこれ見よがしに繁茂している星なんて、なんと残酷な・・破滅が近いな・・なのでは? 3/27にもお書きしましたが 現在、人類が行き詰まっている 大もとの根っこにある大問題は 我々の存在も《この星の成分の欠片(の一瞬の姿)》であることを忘れ捨てたような、はち切れんばかりの傲慢さであると思えて仕方ないのです きれいな夜景..? この星の命である「表土」がぐちゃぐちゃにされて..としか、私には見えず.. (癌細胞が光っているようにすら見えてしまいます)  生命に満ち満ちた、緑深きこの国の山々にゴルフ場..? この星の生き物の一員として、正気の沙汰とは思えません (家を建てるだけでも夥しい生き地獄が発生しているわけで.. 地鎮祭の意味も、もはや茫漠として..) 人間だけが快適な空間へと破壊が進む街なかでは、縁の下という空間は消え、水を飲める場すら潰され... 苦痛に喘ぐものたちの悲鳴を聞く耳もなく.. 更に、惨殺という過去の真事実を忘れたのか「〇〇危惧種」などとは どの口が..と、苦しすぎて、耳にも口にもできない事象が日常に溢れています ほんの0.何%の 極めて幸運な動物に対して「かわいい・癒やされる」という言葉が出てくる感性が、理解不能です 私は(“奇跡の一本松” よりも、更に幾重もの偶然の結果、何とも有り難いことに) 【生まれてみたら、偶々人間だった】 それだけのこととしか思えないのです 何十世代も語り継がれてきた口承文芸の中には、たいへん大切な 《我々は大昔から、ほかの生き物たちにどれほど助けられてきたことか..その感謝の気持ちを忘れてはいけない》という深い心が伝えられてきたものと私は思っています かつて「日本昔ばなし」というTV番組の主題歌 “いいないいな人間ていいな” との歌詞を耳にして愕然としました これは全く真逆なのではないでしょうか?

有り難し有り難し 16
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実父との同居に限界を感じます。

40代後半の独身女性、会社員です。 75才の実父との同居に限界を感じています。 実母は数年前に他界。私は独身で、実家にて父と二人暮らしです。 母が生前のときは、なんとか折り合いをつけながら両親と暮らしていました。 ですが母亡きあと、父との二人の生活にストレスがピークに達してしまいました。 家は両親と資金を共同で建て直しましたので、私の老後貯金はわずかです。会社員ですが薄給なので、一人暮らしは厳しい状況です。 何より、父はガンを患い、入退院を繰り返しています。今は治療のおかげで症状は安定していますが、それをよいことに、父は止めていた飲酒、喫煙を再開。 主治医からも注意されたのにも関わらずです。 そのくせ、ちょっとでも具合が悪くなると大騒ぎをし、入退院を繰り返します。私はその度に入退院の手続きに振り回され、退社後の時間や休暇も全て父の面会に使い、ヘトヘトになります。 飲酒、喫煙を止めない父に、裏切られた気持ちでした。 それからは、父が具合が悪くなっても、何も感じなくなりました。 入退院、治療を繰り返す父を、生き汚いとまで感じてしまいます。 今は容態が安定し、家に居る父の存在が鬱陶しいのです。 私が子供の頃から、あまり良い父ではありませんでした。母にも苦労ばかりかけた父を許せない気持ちもあり、時折、子供の頃に受けた父からの暴言や暴力を思い出し、憎んでしまいます。 私には父への愛情はなく、今は義務感だけで同居していますが、ときどき心底、父との暮らしが嫌になり、逃げ出したくなるのです。 有給休暇を使い、たまにビジネスホテルに泊まったりして父と離れる時間を作りますが、1日やそこらではストレスが解消できません。 もう、勤めも辞め父も捨てて、山奥に逃げてしまいたい、一人になりたい。 最近では、ちょっとしたことで父と口論になり、やさしくできません。 自分でも大人気ないと思うのですが、一度腹が立つと、父への憎しみが止まらなくなり、自室で気が済むまで怒りの言葉を叫んでしまいます。 ニュースを賑わすような、取り返しのつかないことになる前に、私の心身をなるべく正常に保っていたい。でも、経済的にも今の家を出られない。八方塞がりです。 もう、どうしたらいいかわかりません。孤独です。

有り難し有り難し 75
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