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市販薬の「痛み止め」について。 ※参考までに

余りに苦しんでいらっしゃるので、非常に心が痛みます… 見て見ぬ振りが出来ず、放っておけません…すみません。 以下、単なる私の「独り言」だと思って、こちらに記すことをお許し下さい。 ※バファリンは何種類かあるため有効成分をアスピリンとして記させていただきます。 バファリン(アスピリン)…胃に負担をかけやすい成分の痛み止めです。胃を保護する成分も入っていますが、その点から長期服用はあまりオススメしたくありません。 ロキソニン…病院でよく出される鎮痛剤。バファリンよりは確率が低いですが胃に負担をかけます。空腹時の服用は避けてください。決して1度に数粒服用しないでください。1回に1錠、最低4時間以上あけて1日3回までです。 新セデス…アセトアミノフェン、カフェイン、エテンザミド、アリルイソプロピルアセチル尿素が鎮痛成分として入っています。主な有効成分はアセトアミノフェンです。眠くなる(フラフラする)のはアリルイソプロピルアセチル尿素のせいで、中毒になると言われているのはカフェインのせいだと考えられます。 成分によって差はありますが痛み止めは胃に大きな負担をかけます。そのため痛み止めの服用は食後にしましょう。これだけで胃のダメージを大きく減らすことができます。 痛み止めの中でも特に胃にダメージを与えるのがアスピリン(バファリン)です。逆にアセトアミノフェン(新セデス)は胃への負担が非常に軽く、緊急時であれば空腹時でも使用できます。 鎮痛剤は痛みの原因をなくすものではなく、一時的に痛みや炎症を抑え込むものです。痛みが継続している場合は、病院へ行き、処方された薬を飲んだ方が良いと思います。 参考になるか分かりませんが、少しでも気持ちがラクになればと思い、読んでいただけるか分かりませんが、少しだけ書かせていただきました。 どうぞお大事になさって下さい。 以上、「独り言」でした。 出過ぎた真似して、本当に申し訳ありません。 どなたもですが、早く苦しみから解き放たれ、平穏な暮らしが送れるよう祈るばかりです。

有り難し有り難し 16
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今の医療に対する、お坊さまの願いは?

先日、ある外科医が、自分が患者となり、手術を受けた時の恐怖や不安を記した記事を読みました。 私は、自分が勤めている病院で全身麻酔の手術を受けたことがありますが、その外科医のような恐怖や不安は全く湧いてきませんでした。 執刀医を信じていたから、とかではなく、常に、いつ自分が患者側になってもいいよう心掛けていましたし、いつ患者側になるか分からないことを自らに言い聞かせながら働いていましたので、「ついに自分の番が来たか」というぐらいにしか思わなかったのです。 しかし、やはり「手術」や「全身麻酔」に対する恐怖や不安は、現役の外科医ですら感じるぐらいなので、他の患者様たちの中では、相当大きなストレスになっているのではないかと思います。 私は、出来ることなら何でも相談して欲しいと思っています。 どんな些細なことでも構わないので、自分が納得出来るまでとことん質問して、少しでも患者様の心から、恐怖や不安を減らしてもらえればと思うのですが… やはり、躊躇ったり、言い出せずにいるのではないか?と思うのです。 患者様に親身に寄り添うこと、普段から信頼関係を築いておくこと、気軽に話し掛けられる雰囲気でいること、私自身の実体験をお話しすること、など工夫していますが、そうしたところで、まだまだ恐怖や不安は拭いきれないのではないか?と思うので… お坊さまがもしご病気になり、手術を受けることになったとしたら、医療従事者側にどのようなことを望みますか? どのように接していけば、少しでも安心感が得られると思われますか? 普段から精神を鍛えていらっしゃるお坊さまでも、やはり人間です、医療に対する不安感や不信感などはあるのでしょうか? 今の医療に対して、医療従事者に対して、どのような思い、希望を抱いていらっしゃるのでしょうか? 今後の参考にさせていただきたく、質問させていただくことに致しました。 もし、何か具体的な不安等がありましたら、お答え出来る範囲内ですが、お答えしたいとも思っています。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 33
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怖い。空虚でだるい。

私は大学生です。最近、今の自分のことや将来のことですごくしんどいです。 人として成長したいと思いボランティア活動をしようと思ったのですが、いざ参加するボランティアをさがしていると「迷惑かけたらどうしよう」「失敗したらどうしよう」「人と関わるのが怖い」などと考えてしまい、結局できませんでした。ほんとにボランティアがしたいのかわからなくなってきました。 それと、コンビニでバイトをしていて、夏休みなのでできるだけたくさん入ることになるのですが、正直バイトに行きたくないです。怖いです。私はあまり仕事ができなくて周りの人に迷惑かけているし、やることがたくさんあるはずなのに、何をすればいいのか見つけることができなくてボーッとしてしまって、先輩方をイライラさせてしまいます。 新人だからとも言えるかもしれませんが、私よりも数ヶ月あとに入った、年齢も年下の後輩は私よりはるかに仕事ができて、コミュニケーション能力もあります。その後輩の存在で自分の無能さを改めて感じてしまって、自分が頼りなくって嫌になります。 いっそのこと、何もやらなければ楽なのですが、それはそれで自分の存在意義がわからなくなってしんどいです。いじめられたとか、そんな辛い出来事があったわけじゃないのに、時々死にたくなります。何も考えずずっと寝ていたいです。 大学でも、周りの人は明るくてよく喋れて、いろんなことができて優しい方ばかりなのですが、対して私は友達以外に対しては上手く喋れなくなるし、そもそも人付き合いが苦手で交友が広くないし、これと言って人の役に立つようなことはできないし、可愛くないし、周りの人のような人や社会の役に立ちたいという心は持っていません。 教育大学に通っているのですが、そのような私は教師に向いていないし、かといって他に夢があるかといえば何もありません。趣味はありますがそれを仕事にとは考えられません。 だから将来に対してあまり希望がないし、目指すゴールがないので今自分が何をすればいいのかも分からなくて空虚です。夢を探すためにいろんなことをやろうと思っても、上記のボランティアのように怖くてできなかったり、経済的環境的に難しかったりします。 あまりまとまっていない文章になってすみません。 自分でもよく分からなくて上手く整理できません。ただただ虚しくて辛いです。しんどいです。助けてください。

有り難し有り難し 21
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悪い方に変わっていく自分を変えるためには

前回の相談に親身にお答えいただけて心が軽くなりました。 今回もお知恵をお借りしたく相談させていただきます。 私は以前より自分が最低の人間になっているのではないか、と恐怖しています。 昔の私は愚痴をこぼすことも他人に悪意を抱くことも嫌い、「人は人、自分は自分」の精神で誰かに無闇に干渉せずに過ごしていました。 しかし最近は、誰かと会うとつい愚痴を言ってしまう、周りの仕事の仕方にいらいらしてしまう、つい自分を大きくみせようとしてしまう等……自分自身でやりたくないこと、他人にとっても嫌なことを不意にやってしまいます。 自分で気を付けようと思っていても、いつの間にか口から零れ出ています。 自分の中のよくないものだけが出てきてしまっていると感じます。 最近はそれを何とかしようと、今ある人間関係からなるべく離れる時間を増やしました。 そして、自分がどうありたいのか、どうしたいのか、自分に向き合う時間を取りつつ、会う人も少数に絞って過ごしています。 それでもぽろっと愚痴が出てしまった時や、自分の存在を誇示しようとする発言をしてしまうと、後悔して自己嫌悪に陥ってしまい、また人から離れなければと一番最初に戻ります。 そんなルーティンを繰り返していたら、ついにS少数の人がSNS上で私と距離を置いたことに気づきました。 SNSの数字などあまり気にしていなかったのですが、少し調べたらよく会って話をしてくれていた人達だと気づきました。 自分で今のままではダメだと思いつつ、本当に変わる気がなくて逃げていたのではと、自分自身にショックを受けています。 自分が引き起こしたことなので、もうその人たちから一生嫌な奴だったと言われ続けても構わないです。 ただ、まだ仲良くしてもらっている人たちにこれ以上負の感情を撒きたくなくて、何とかして自分の感情をコントロールしたいです。 でも、どうしたらいいのか分かりません。 お坊さんたちは、自分がコントロールできなくて周りに迷惑をかけていると思った経験はありますか? もしあれば、その時にどのように考え行動したのか、お教えいただけないでしょうか。 また、人に対して自分の意に反することをしてしまうとき、どのような心持ちで自分を変えていけばいいのでしょうか。 他力本願のような拙い文章でお恥ずかしいですが、お知恵をお借りしたいです。

有り難し有り難し 21
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全体と一体となる具体的な修行を教えていただければ幸いです。

 お坊さんにおかれましては、一年で一番お忙しい時に恐縮です。いつも具体的で親身な回答ありがとうございます。アドバイスよろしくお願いいたします。  宇宙は「無」から生じたという物理理論があります。宇宙の一切も遡れば所詮は「無」でしかない。  宇宙の一部である我々も「無」ではないでしょうか。 地球においても、創成期から多様な生物が存在していない。単純な単細胞生物から、多様な生物が進化したようです。地球の生命の源を辿れば、一つに繋がっている。気の遠くなるような年月を経て、生存競争を生き抜いた最強の遺伝子を携えた生命が今ここに生きています。  今の我々が、より恵まれたいとかより充実して生きていたいと個々に願うことは、遺伝的な本能から湧き上がる自然の衝動のように思われます。あらゆる生命の刹那の反応は、あらかじめ生命にインプットされた生存欲による自動的なものであると思われます。  我々人間は、生命として生きるために我に固執する「小さき心」が休むことなく働いていることに気づかされます。  「無」から生じた宇宙の一切は無限に広がり、「本来の心」も無限であり穢れのないものと思われます。我欲に縛られた「小さな心」は自由で無限である「本来の心」の一つの現れであると思われます。  「小さき心」が幻であると気づくか、「本来の心」と一体になれば、今まで対峙していた「対象」と「我」という二元の境は無くなると思います。個ということをあまりに重視した生命の本能から脱し、分離など無いとの気づきが訪れるのではないかと思います。  各宗派によって異なると思いますが、全体と一体になるような具体的な修行を教えてください。

有り難し有り難し 15
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愛猫の死

愛猫が亡くなりました。 11歳でした。 3週間前に、舌に炎症を起こし、痛みからご飯食を食べられなくなりました。治療もし、回復を祈りましたが、助ける事が出来ませんでした。 こんなにも、あっけなく逝ってしまうなんて。 寂しくて、辛いです。 本当に良い猫でした。良い子過ぎました。 名前を呼べば、どこにいても来てくれて、わたしが辛い時は顔を舐めて励まして、癒してくれる、優しい女の子でした。 保護したつもりが、わたしが保護されてました。 助けたい、生きて欲しいと、この3週間、嫌がるのに、無理矢理栄誉食を飲ませ、少しでもご飯を食べてと怒り、本当に酷いことをしてしまったと、今は後悔の気持ちでいっぱいです。 亡くなる3日前には、手からご飯をたべてくれ、これで元気になると安心しましたが、この時が最後でした。 わたしを安心させる為に無理してくれたのだと思います。 猫に気を使わせてしまうなんて、恥ずかしいです。 最後はわたしの腕の中で息を引き取りました。 涙が止まりませんでした。 わたしの所に来てくれた事に感謝の気持ちでいっぱいです。 母は、悲しむわたしに、役目を終えて、お母さん猫のとことに帰って行ったのだから、いつまでも悲しんでは、駄目、痛みから開放され、楽になったのだから、と言いますが、悲しです。 いるのが当たり前と思って生活をしていたので、亡くなった事が信じられず、どう受け止め良いのかわかりません。 ただ、ただ悲しです。 まとまりのない文章て申し訳ありません。

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人との距離感について

人との適切な距離感が分からず、悩んでいます。 私は、男女関係なく直感で「あぁ、この人好きだな」と感じることがあります。 その「好き」が人として好きなのか、恋愛として好きなのかは分かりません。 そもそもその2つの違いが分かりません。 好きだと思ってしまうと、男女関係なく、その人の一番になりたくなるんです。 でも大概なれないですよね。恋人がいたり、もっと仲のよい友達がいたり。 また好きだと思うと、楽しくていくらでも一緒にいたくなります。 それが人間関係を良好に保つのに害をなすことは認識しているので、 相手の出方を見極めたり、客観視しようとしてみたりして、関係を保ってはいます。 でも、それが本当に苦しいです。 社会的に、表面的に問題がなくても、とてもしんどい。 顔を合わせているのに話が出来ない日が続いたり、話しているときに恋人のことを聞いてしまったり。 私が一番になれないということを感じてしまうと苦しくなってくるんです。 体がぞわぞわしてきて、じっとしていられなくなります。 食べ過ぎなくらい食事をしたり、エナジードリンクを体に悪いと知りつつ何本も飲んだり。 一方で、少し長く話せるだけで楽しくなって、その間は穏やかに過ごせます。 でも勝手に浮き沈みしていることがしんどくて、こんな自分が面倒くさくなって、人と関わるのが億劫になります。 また、自分は(2,3人ではありますが)「この人もあの人も好き」と感じているのに、相手にとっては一番になりたいという傲慢さにも辟易とします。 こんな自分、相手にとっても迷惑だと思うから、なおさら相手との距離をどう取ったら良いか分からなくなります。 人との適切な距離について、どう考えていらっしゃいますか? 何を心がけたら苦しまなくて済むのでしょう。

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急性中毒の慢性化、脱する!!!

最近、カフェイン断ちに成功しました。 1年半ぐらいでしょうか、急性カフェイン中毒が慢性化していました。 精神疾患がなかなか善くならないので、気分の落ち込みをUPさせたかった… そして「浄化」する為に「下剤効果」を得たかった… しかし、「急性カフェイン中毒」が「慢性化」して1年半も経てば、確実に「死」が近付いていることが分かってきます。 具体的な「中毒のなり方」を書くと、私と同じ症状に陥る方、私のように「死」を目指す方が現れると困るので書きません。 「カフェイン断ち」は、とてもしんどいです。 相当な覚悟を持って望まないと、挫折します。 でも、もともとの「鬱病」等々が原因で死ねば、まぁまぁそれなりに家族も私の死を受け止めることが出来るかも知れませんが、関係のない「カフェイン中毒」で死ぬと…きっと「何故?」が増すと思うのです。 でも、止められずにいました。何せ「中毒」ですから…。 これを断つと決めた時、同時に「水中毒」も断とうと決めました。 「水中毒」の症状も相当悪く、体に水が溜まり過ぎて、呼吸出来なくなりそうな状態になっていました。 それを同時に断つと決めたのです。 「無言実行」であり「有言実行」である自分の性格を利用しました。 主治医とカウンセラーに「もう止めます」と(私自身に)宣言しました。 「このままだと、そろそろ死ぬと思いますので」と。 どちらからも「徐々に減らす方が良いのでは?」との提案がありましたが、「荒修行でないと、甘えが出てきて止められなくなりそうなので」と自ら困難な道を選びました。 「カフェイン断ち」をした際に現れる様々な症状に、精神的にも肉体的にもかなり苦しい日々が続きましたが… 「止めます」と宣言しましたし、「有言実行」に逆らいたくないと思い、耐えました。 今は、「カフェイン断ち」にも成功し、「水中毒」も解消しています。 こちらhasunohaに訪れた時から、止められています。 こちらは「無言実行」です。 本来の持病での「自殺行為」ではない、自分の弱さ故に陥った「中毒症状による自殺行為」。 止められた!もう大丈夫だ!と思えたら、こちらに書こうと思っていました。 カフェイン飲料も水も、普通に摂取するには害のないものですが、異常摂取の「中毒」になれば、死ぬ可能性があるものです。 皆様「ほどほどに」です!

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