こんばんは。いつもお世話になっています。 最近、漠然とした不安、情緒不安定、などで、助けてほしいと思っても頭が働かず、どうハスノハに質問を書いたらよいかわかりませんでした。 やっと不安定の理由がわかりました。 最近のコロナ騒ぎで不安になっていました。私は免疫系の基礎疾患があり、コロナ感染=死です。 感染者が増えてくるに従ってじりじりと自分に死が近づいているとかんじてしまいます。 死ぬのがこわいと心から感じています。死ぬことは怖くないと前は思っていたのに嘘みたいです。 もうじき来るかもしれない死への恐怖、死神が近づいてくるような恐怖、死刑台に立たされているようです。どう恐怖と向き合い受け入れたらよいのでしょう。
先日の俳優さんの死で、どちらかと言うと好きな芸能人の1人というだけだったはずなのに何故かすごく悲しくて、毎日何もやる気になれません。 お会いしてみたかったという気持ちがなぜかすごく湧いてきて、他の好きな芸能人が亡くなった時とは比べ物にならないくらい悲しくて、身内が亡くなった体験の次に辛いです。 身内にはいつか自分が死んだら会える、それまでは時々見守ってもらえていると思って頑張れるのですが、会ったこともない方には自分が死んだ後に会いに行くことは出来ないのですか? なぜ関わりのないそこまで大好きだったというわけでもない方なのにこんなに辛くて頭から離れないのでしょうか? また、その方は私が目指している世界で成功していた憧れの人(たくさんいます)の1人でした。そんな方がこんなに苦しんで自ら死を選んだということが衝撃的で、ただでさえ険しい道なのにそこを突破しても苦しむことになるのかと思うと怖くなります。そこまで行けなくても苦しいし、でも諦めて安定の道を選んでも後悔しそうで、生きることが億劫になってきました。アドバイスよろしくお願いいたします。
最近、死への恐怖がとても強いです。前から怖がりな性格でしたが最近、今日寝たら明日起きられないのではないか。そう考えて寝つけません。また、そういったことを考えているとふとしたときに動悸がしたり頭痛になります。その症状も病気なのでは無いかと不安でたまりません。 自分がおそらく健康なことはわかっています。ですが少しの体調の変化ですぐ怖くなってしまいます。 どうしたらそういった恐怖と上手く付き合っていけるのでしょうか?
前回も回答ありがとうございました。 今では前回よりもだいぶ前向きになれました。 私は今でも死ぬのが怖いです。 人はいずれ死ぬ。わかってます。理解もしてます。 できれば、おばあさんになるまで生きて今世に悔いがないように生きたいと思っています。 ですが、最近頭から離れないのは、災害での死です。 私は、東京に住んでいます。 いつ来るかもわからない、そもそも私が生きているときに来るかもわからない首都直下型の地震に怯えています。 今は建物もだいぶ強化されていて、被害は予想よりも少ないかもしれない。実際被害は予想より少ないかもしれない。 被害にあわれる方も、考え方が悪いかもしれませんが、一握りだけです。 最近は、その一握りに入らないように精一杯生きていこうと思っています。 ですが、もし建物が倒れてきてつぶされてしまったら、火災に巻き込まれて死んでしまったら、水害に巻き込まれて死んでしまったら、予想よりも被害が大きかったら。 最悪なケースしか考えられません。自分が生きている未来が見えません。 死んでも、死後で昔一緒に暮らしていた愛犬や愛猫、おじいちゃんたちが迎えてくれるかもしれない、そう考えると悪くないかなと考えることもあります。 でもやっぱり怖いものは怖いです。死ぬときのことを考えすぎて日々しんどいです。 想像するだけでも火災は熱いし、水災は苦しいし、潰されるのは嫌だし。 死について両親に言うと「考えるからだよ」「身近な人がいなくなると怖くなくなるよ」と言います。友人は「その時にならないと分からなくない?」と言います。言っていることはわかりますが、怖いものは怖いです。 一か月ほど前までは、周りの人と同じように楽しく暮らしていたのに、コロナで暇になった今、こういうことしか考えられなくなりました。 少しでも心を落ち着けるにはどうしたらいいでしょうか。前向きに生きたいです。 相変わらず読みにくい文章ですみません。
去年の6月卵巣嚢腫が見つかり、 経過観察にしてもらってはいるのですが、お医者さんは手術を受けた方が良いと言ってきます。 自分でもその方が良いと分かってはいるのですが、 全身麻酔が怖くて決心がつきません… 簡単な手術だと言われてもやはり怖いものは怖いのです… こんな自分が情けないです…
死んでしまえば、あらゆる恐怖から解放されますか?
またこの場に来てしまい申し訳ありません。 毎日同じ間違いをしてしまいます。 このままでは駄目だと理解してはいますが、現実を受け入れ変わる事が本当に怖いです。 死ぬしかないと希死念慮から眠れない日々です。 楽になる方法ばかり考えてしまいます。 母に「生まれたくなかった」「生まれてきてごめんなさい」と謝る毎日です。 楽になれるなら地獄に行っても構わない と思っているのに勇気が出ません。 誰かに頼る事しか出来ずごめんなさい。 相談ではなく不満になってしまい申し訳ありません。
もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。
度々いろんなお坊様のいろんなご意見を読んでは参考にさせていただいています。 一つ最初に私はあまり信心深くなく、こんな時だけお坊様や仏様の慈悲にすがる浅ましさをお許しください。 かれこれ15年、「死ぬのが怖い」発作に苦しんでいます。 きっかけは祖母の死でした。 当時中学生になりたての絶賛反抗期で、親ともうまくいかず、勉強もうまくできず、何をやってもむなしい、いいことも何もないし死にたいと思っている最中の出来事でした。 自分がいかに死を簡単に考えていたかを身に沁みて理解しました。 悲しみよりもずっと大きく、死んだらどうなるのかという恐怖と、自分が自分でなくなり消えていく恐怖が襲いました。 悲しみよりも我が身の可愛さが先に来た自分が情けなく思いましたが、その恐怖は今もなお私を苦しめます。 必死にその恐怖を押し込めて、忘れ去ろうとすることしかできません。 親には相談できませんでした。 当時の憔悴しきった様子から、自分が何か心配をかけるような真似はできないと思いました。反抗する回数も少し減ったと思います。 その時に適切に恐怖心を処理しなかった代償か、今もふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、足元からさーっと冷気が這い上がるような恐怖で吐き気がすることがあります。 お風呂に入っているときが一番その発作が起こりやすく、全くお風呂が安らげる場ではなくなってしまいました。 かといって人間皆いずれは死ぬのに、怖がっていることが恥ずかしく、心療内科の先生(以前適応障害を患い通っていました)にもカウンセリングの先生にもうまく伝えることができませんでした。 とにかく自分が自分でなくなり、何もわからない世界に行ってしまうことが怖くてたまりません。 そして私がいなくなった後も永遠に時間が続き、地球が滅び、宇宙が滅んでいくと考えると、手足の先が氷のように冷たくなって正気を保てなくなります。 お坊様達のご意見が聞きたいです。 お坊様達の世界の捉え方、仏様の世界を知れば、この恐怖から解放され、無事に死んでいけるのでしょうか。 親(二人とも60前後でまだ元気ですが、)が死ぬことも最近は毎日のように頭をよぎり、人間が物言わぬモノになっていくことが悲しく苦しくてたまりません。 身勝手な相談で申し訳ありませんが、どうか少しでも死ぬまでに心やすらかに人生を送れるようなヒントを頂けますと幸いです。
はじめまして。 わたしはタイトル通り死や病気に対しての恐怖心がとても強いです。 そのことについてお坊さん方のお考えをお聞かせいただきたく投稿いたしました。 わたしは様々な体調に関する不調があるとすぐにネットで調べて不安になり、病院にかけこみます。 医師から様子を見ていいと言われても『もっときちんと調べてもらった方が良かったのかもしれない』とまた別の病院を受診することもたびたびあります。 家族は『本当に心配性』『そんなに気にしてどうするの』『なったらなったで受け入れるしかない』と言いますし、私も頭ではその通りだと理解はしています。 しかし、病気になって、しかも余命宣告を受けるようなものだったらどうなってしまうのだろう。 自分がそうなったらその状況に耐えられるはずがない。 死んだらまだ幼い子ども達はどうなるのだろう。 そう思うと、病気が怖くて仕方がありません。 実際に婦人科系の疾患で経過を診ていたり、別のことで手術も経験しました。 さらには悪性を疑っての生検をしたこともあります。 子供がいるのに、そのたびにネットで調べ、この病気だったらどうしようと最悪の事態を考え、まだ病気と言われてもいないのに暗い表情で最低限の家事しかせずに落ち込んでしまいます。 主人にも、そういう性格だから仕方がないと思っているけど、子どもに対しては無理をしてでも明るく接して欲しい言われています。 病院受診が続いても主人は何も言わずにいてくれますが、私自身この考え方を変えたいと思い今まで本を読んだりいろいろな方法を試しました。 いまを生きる。 先のことを思い悩まず、目の前の一瞬にかける。 現にいまこの時も私なんかよりもっと若くもっと幼くして病と闘っている人もいるのだろうと思うと自分の心の弱さが情けなくなります。 頭ではわかっているんです。 でもすぐに不安感情がその上に覆い被さるように乗っかってきてしまいます。 この先も自分だけでなく、子ども達も体調を崩したりするたびに毎回こうなるかと思うとこの考えを断ち切りたいのです。 何に対しても、私は理屈っぽいと思います。どうしてそう思うの?その根拠は?とつなげてしまうところも災いしていると思うのですが。 そんな私が、少しでもどん!と腰を据えて何があろうと例え重病になろうが運命だったと受け止められるようになるアドバイスがありましたらよろしくお願いいたします。
2度目の質問です。 よろしくお願いします。 生きる意味、生きている意味、生かされている意味、それを考えると生きていた中で味わった事のない恐怖を感じました。 なぜ、怖いと思うのか一緒に考えては頂けませんか。
最近、死後の世界について考えるようになりました。 小学生の頃、戦争に興味があり(※好きなわけではない)色々と調べていました。 そして、死について知りたくなりました。 相談その1自分は死後の世界があって欲しいです。でも、確かかどうかは誰にもわからないので怖いです。気持ちを和らげる一言をください。 相談その2自分は死について深く考えていますが、他の周りの人はあまり考えないのですか?また、お坊さんでも死は怖いですか?
死について最近よく考えます。 飛び降りたい、死にたい、消えたい、悲しい、寂しい、いなくなりたい、さようならと、頻繁に思います。 衝動的な感情ではなく、死ぬという選択肢もアリかと思うのです。 不幸な人生を過ごすより、どれだけマシかと。 決して、精神病ではないです。狂気でもないです。 沢山努力して、頑張ってきた、必死に精一杯生きてきた。 それだからもういい、後悔はない、死ぬんでいいんだ、、、と思うのです。 死ぬのは怖い、苦しい、悲しいだけではなく、死は安らぎ、静穏、慰め、新たなスタート、でもあるように思ったのです。 新たに生まれ変わって、新しい命を生きるのも良いのではないかと。
私は死ぬのが怖い、家族の死が怖いと、毎日一日中怯えているのですが、最近、死も老病と同じく人のある状態であるから、特別視しなくてもいい自然なことかなと思うようになりました。人間のある姿という点においては、死も老や病と変わらないと思うのです。ですがそう考えると、毎日のテレビなどのニュースで報道される、事故死、早死になどの死亡のニュースはセンセーショナルで、とても人間の自然な死に方とは考えられないのです。死に方に優劣はないと思いますが、そのような特殊な死に方について、どう考えたらよろしいでしょうか?自分なりに考えた死ぬことは自然という、論理に反しています。どうぞよろしくお願いします。
棒読みなのですか?怖いイメージしかつきません 永平寺すら戦前は違うイメージで近所の子供と堂中で鬼ごっこしていたとテレビでやってました
昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。
はじめて質問させていただきます。 私は今年18歳になる、高校3年生の女です。 通信制高校に通っています。 ここ2、3ヶ月の悩みなのですが、私は自分や家族の死、老いに恐怖を感じています。 あるニュースを見てから、突然感じるようになりました。そのことで体調を崩し、今は心療内科に通院しています。 自分の老いへの恐怖。そして死ぬ時はどんな感じなのか、その後はどうなるのか。考えても考えても当然ですが答えは出ません。恐ろしいです。家族(特に母親)が老いていき、いつか…それを想像するだけで涙が出ます。 誰にでも来るもの。それは十分に理解しています。 だから、今を大事に生きていくしかない…ということも頭では分かっているのです。 ですが、どうしても怖くていられません。 不安でいっぱいで、ずっと体調を崩したままです。泣くことも多いです。 ずっとこの気持ちを抱えたまま生きていくのか…。 心も体も、とてもとても辛いです。 私はどうすれば良いのでしょうか?教えてください。 よろしくお願い致します。
私の祖母は、昨年の今頃、家で転んでしまい、足の骨を折ったきり寝たきりで入院しています。もう一年以上、入院生活を送る祖母はもともとボケていましたが、今やほとんどなにもわからなくなってしまいました。そんな祖母ですが、お見舞いに顔を出すと、ここから出してくれ助けてくれと最近言うようになりました。 たとえボケているとはいえ、やはり入院しつづけるのは辛い精神状態の様です。今では鼻から栄養入れている状態で、たぶんこのまま家には帰れないと思いながらも大丈夫だからここにいて休んでねと声をかけるのはとても辛いです。 それを見ていたら生きるってこんなに辛いんだなぁと思いました。死ぬ事も辛く怖い事ですが、生き続けることもまた辛いのではないでしょうか。なんだか生きることも死ぬこともすごく怖いような気がしてしまい、私自身もなんとも言えぬ恐怖感を感じるようになってしまいました。祖母になんと声をかけてあげると良いか、死と生きることへの恐怖の乗り越え方などアドバイスしていただければ幸いです。
現在大学生四年生です。ふとした瞬間に人は死んだらどうなるのかなと考え込んでしまいます。 死んでしまったら、今のわたしの意識は消えてしまいますよね。だとしたら今頑張っていることも、それを感じる意識がないのですから無駄なことになるのではないでしょうか。 わたしは、わたしが消えてしまうことがとてもこわいです。最近こんなことを考えてばかりで、がんばろう!と思っても、すぐ「頑張っても死んだら関係ないよなあ」と思ってしまい、怖くなって何もできなくなってしまいます。 恥ずかしいことに現在就活がうまくいっておらず、本当ならもっと努力をしなければならないのに、無意識にそこから逃避しようとしてこんなことを考えてしまうのかもしれません。 今考えなくていいことを考えてしまい頑張れない自分が情けないです。この悩みに区切りをつけて、また頑張れるようになりたいです。 破茶滅茶な文になってしまいすみません。
私はまだ20歳の女子なのですがこの歳でもう死後の事を考えています 気にしたらキリがないのに 死後の世界が怖くて死にたくもありません。 その上虫や飲酒をするだけで 地獄行きという事も知り余計に怖くて仕方ないです。 どうすればこのような考えにならないかアドバイスが切実に欲しいです 両親にそのことを話したら考えすぎと言われました。 確かに神経質過ぎたなとは思っています ですが怖くて仕方ないのです どうにか考えなくなるようにしたいです お願いします