初めて質問させていただきます。 「なぜ生きなければならないのか」とGoogle検索してhasunohaへたどり着きました。 私は、生まれ変わっても人間になんてなりたくありません。 「猫になりたい」と言う人はよくいますが、私はミドリムシになりたいのです。動物でも植物でもあり、生殖も分裂もできるその自由さに憧れます。 なぜ生きるのかなんて考えず「ただ生きる」ことができ、80年以上こまごまとしたことに苦悩したり体の衰えや痛みを薬でごまかしたりしながら生命を維持する人間などよりも、短い時間であったとしてもよほど生命として正しくあることができます。 仏教では畜生道は悪道とされていますが、下手に思考のできる人の道の方が険しくつらいと思われませんか。 人間は嫌です。どうすれば畜生であるミドリムシになれますでしょうか。
3ヵ月ほど前に自宅で飼っていた小型犬が老衰と病気で死んでしまい、その後2ヶ月後今度は飼っていた猫も車にはねられて死んでしまいました。 自分は勿論の事、家族全員が悲しみました。2匹とも火葬し、遺骨は自宅のリビングに祭壇を作って置いてありますが、それで良いのでしょうか?それともペット墓地などに埋葬し供養した方が良いのでしょうか? 家族はまだ冬で寒いからなどと言っていますが、どちらの方が2匹の為になるのでしょうか?教えて下さい。
最近は、犬や猫などの小動物はペットというよりも家族、という感覚になってきていて久しいですが、その反面酷い動物虐待の事件が後を断ちません。 ネットが出来てからというもの、わざわざそういう動画や画像をネットに流したりする外道も多いです。 殺処分も同様ですが、そんなひどい目に遭った子たちは、ちゃんと成仏できるのでしょうか? 恐怖と苦しみを引きずったまま、この世を彷徨っているのではないだろうか? そしてそんなことに楽しみを見出す外道にはちゃんと罰が下るのでしょうか? 最近立て続けに酷い事件を知ったので、どうなのだろうとずっと思っています……。
ペットのお葬式はどのように行うべきでしょうか? 犬、猫、うさぎでまた違うのでしょうか? 我が家にはうさぎがいます。 かけがえのない家族です。 その時が来たら自分に出来る最高の送り方をしたいのですが、まだ考えがまとまりません。 万が一急に…とゆう時に慌てて済ましてしまい、後からこうしておけば良かったと後悔してしまう気がします。 どうぞ、ご教授お願い致します。
こんばんは、何度も投稿しては消すを繰り返してしまいすみません。 タイトルの通り、自殺する覚悟が出来ました。 過去の己の過ちが許せないのです。 自分が悪いと分かっていても苦しく、もう限界です。 不思議と清々しい気持ちです。 もちろん母への申し訳なさはあります。私も母のことは大好きですし、生まれ変わったら母に飼われる猫になりたいです。 死んだら地縛霊になるかもしれないし無かもしれない、はたまた地獄かも。 それでも罪を持った人間として、この世には存在したくありません。 お釈迦様、お坊様、途中で今世の修行を投げ出すことをどうかお許しください。
妹が心の病になり入院することになりました。 その心労が祟ったのか今度は母が体調を崩して入院になってしまいました。 その上19年可愛がっていた愛猫の死も重なり、毎日生活していても心が曇っています。 前向きでいようと思うのですが一人になったりすると不安からか涙が出ます。 気持ちを保つにはどうしたらよいのでしょう。 立て続けに色々起こって気持ちの整理がつきません。
私の住んでるところは山深くて野うさぎやリスなど野生の動物が多いです。また猫や犬までも放し飼いにしている方もまだまだいらっしゃいます。 夜道路を走ってるとそういう動物が飛び出して来ることが多々あります。 今までの何回か急な飛び出しで命を犠牲にしてしまったことがあります。 夜中だったのもあり電話で道路緊急ダイヤルに報告するしか出来ませんでした。 私には今可愛がっている愛犬がいます。 その犬に顔向けできないとんでもない事をしてしまったと後悔することがあります。 どのように供養しどのように気持ちを切り替えればいいのでしょうか。
犬や猫はよく残忍な虐待のターゲットにされてますよね。 四肢をちょん切る 首をちょん切る 肛門を焼く 本当に残忍。卑劣。許せません。 法律で裁いても大した罪にも問われず。 本当にかわいそう。 こうした犯人たちを神は裁いてくださるのか。 出来れば全く同じ目に遭って欲しい。 こんなニュースを見かける度に 心が病みます。
最近拾って15年可愛がって飼っていた老猫が死にました。 悲しみにくれ、涙したあげく「俺もいつか歳をとってあの世に行くから、必ず三途の川で元気で待っていろよ!」と亡骸に言ったのですが・・・ 後から考えてみると、人間には死んだら審判があって天国や地獄があるとは言いますが、動物はどこへいくのでしょう? 別の道を行ってしまったらもう会えない?また会えるかな? あと、亡骸に話しかけても、もうここにはいないですか?
動物虐待といえば愛護動物に対するそれの話題を見かけますが、それ以外の動物、例えば両生類や魚類、無脊椎動物への虐待はあまり槍玉に上げられていないように思います。 愛護動物への虐待は通報すれば加害者を捕まえることができますが、それ以外の動物への虐待はなかなか罪に問われない(なっても器物損壊程度)という事実に心が痛みます。 また、愛護動物(主に外で活動する家猫)が小動物を虐めたり、他人に迷惑をかけることに対して何も感じない人がいるということも恐ろしく思います。
はじめまして。猫かぐらと申します。 さっそくご質問させていただきます。 お釈迦様は輪廻転生から解脱されたとのことですが、前世を覚えている子供たちが世界中にいて、実際に前世としてその個人が存在していたという確証までとれるケースがあると聞きます。 仏教の概念では、生まれ変わりという意味での輪廻転生はあるという姿勢なのでしょうか。 もしあるのだという姿勢なのであれば、輪廻転生から解脱されたというのはどのような意味があるのでしょうか。 また、生まれ変わりとは、未熟な者が成長するために人生を一からやりなおすということなのでしょうか。 そうだとすると、この世は学校や道場のようなものなのでしょうか。
はじめまして。 我が家のねこさんが猫エイズを発症し、今にも消えそうな命に向き合っています。 治す方法のない病のため、先生も積極的な治療はこの子にとって辛く、苦しいだけなので進めませんと…。 発症したらどうなるのかは分かっていたことなので、それは私も同じ思いです。 殆ど食べることもできず、殆ど動くこともできない子。 もう楽にしてあげたいとも思ってしまいます。 でも安楽死という選択をすることは見ているのが辛い、可哀想、と思っている私が楽になりたいからなんじゃないかとも考えてしまいます。 安楽死という選択は、私が殺すことと変わらないのですよね。 やっぱりしてはいけないことなのでしょうか…。
はじめまして、発達障害ある小学生2人を育てている母です 近所には子どもの事を説明していましたが、訳あって数年前に自治会を辞めました 辞める理由も区長さんに話しましたが、辞めてから近所に邪険にされてます。 ゴミ捨て行けばシッシッって言われる、自宅前の美容室の猫が放し飼いにされ駐車場に糞をする、車を運転してれば突っ込まれそうになる、奇声がすごいのよって知らない人に言いふらされる、引っ越しは出来ません。 我慢、我慢です。いなくなりたい
動物が大好きです。自分の飼っているペットでなくても、例えばご近所の猫がなついてきたり、庭に住み着いた野生のニワトリが雛をつれてエサをねだりに来るのは、可愛くてしかたがありません。 この子達が死んだ時はきっととても辛いと思います。すでに、雛が大きくなれずに鷹のような鳥に食べられたりするのを目の当たりにすると、数日は涙が止まりません。 これは、執着でしょうか。どうしたらいいのでしょうか。
恐れ入ります。 明確な理由は分かりませんが、何か憑いてしまったようです。 我が家には犬と猫が複数いますが、何か察しているようで、しきりに自分の首周りを気にしたり、目を丸くして驚いた表情をしたり、目で追う仕草を頻繁にします。 自分は霊的なものには鈍感な方ですが、嫌な雰囲気を少し感じています。 普段から読経や写経、祝詞奏上が自然な日課になっていて、その目的は自分の精神を整える為と字の練習に繋がるので行っている事ですが、般若心経を写経しようとしたり、大祓詞を奏上しようとすると邪魔が入るような空気になったり、自分自身が神仏に対して怯えているような心境になっています。 憑いてしまったものが真言やお経や祝詞を嫌がっているような感じがします。 その嫌な雰囲気を意地でも払拭しようとすると、先日仏壇の花瓶が落ちてきました。 供え花が傷むのも早く、花瓶を丁寧に洗っても、新しい花を生けてもすぐに腐ったような嫌な匂いを発します。 以前までは、花が長持ちする方でした。 こんなに早く傷むなんて今まで無い事でした。 原因不明の体調不良も続き、寝込んで一週間になります。 近日中に、お寺にて厄除けをして頂こうと考えていますが、以前にも似た事があって、その時に「憑きてきやすい人。同情心が強いから、無意識に集まってしまう。」と言われた事がありました。 そうならない為には、どのような事に気を付けて生きていけば良いでしょうか。 何でも霊的な事と結びつけたくはありませんが、この頃の奇妙な現象を省みると、自分の行動を変える事で防げたり改善出来るのではないかと思い、ご相談させて頂きました。 よろしくお願いいたします。
いつもあたたかいご回答の数々を拝読させていただいております。 今朝、通勤途中の車で、交通量の多い道路を走行中に、既に轢かれてお亡くなりになっている動物(多分猫さん)のご遺体を誤って踏んでしまいました。 車社会の上に田舎なので色々な動物が道路に横たわっているのをちょくちょく見ますし、いつもであればタイヤの間を通すとか、何とか避けるように努めています。 でも今日に限っては亡くなっている場所や対向車の存在や通勤途中の車の流れもあり、車を止めることも行政への報告もできずに、踏む直前に気が付いてビックリして「ごめんね!!?」と叫んだまま、そのまま出勤してしまいました。 ハスノハさんに投稿をしている身ですが、私自身はそれほどスピリチュアルな世界観?というものを本気にしてしまう性分ではなく、都合のいいことを言われれば信じるし、都合の悪いことを言われればなかったことにしてしまう性格です。 今回のことも、動物さんには悪いですが、「そんなところで亡くなってしまっているから、後続車が避けてしまったほうが危ないし、そもそも私が轢いて殺してしまったわけじゃない」という風に思ってしまい、そこまで自責の念にやられているわけではないです。 ただ、タイヤに塩を撒いてみても、なんとなく気が晴れません。轢いた人が悪いといえば、飛び出してきた側はきっと車に恐怖を抱く文化がないでしょうし、飛び出してきた側が悪いといえば人間様なんだから何とか止まれなかったのかといえなくもないし、というか私も避ければよかったわけで、誰もが悪い=誰も悪くないので、逆に誰のせいにもできないというか……。 あまり気持ちを引きずるのも良くないと思いますし、なんとか気持ちを切り替える方法を探しています。 これから車に乗り続ける年月はもっとずっと長いと思うので、同じようなことはきっと起こりうると思います。今のうちに、こういう時の気持ちの切り替えができる智慧を授けていただけませんでしょうか。
人間とは行動、言葉一つで人を殺せるものだと感じております。 それに動物も人間のエゴで去勢やら避妊など自然の摂理を無視したことを平気でやっております。私も猫を飼っており避妊と去勢をしました。人間の世界にとっては至極当たり前らしいのです。 ですが私は疑問に感じております。人間如きの裁量で他の動物達の未来を奪って良いものか?と。私が感じているのは人間如きに生命を自らの裁量で決めていいのか?ということなのです。 人間とは自分が気に入らなければ平気で他人を虐めたり殺したりしますよね?果たしてそんな罪深き人間に存在価値はあるのか?どうぞ御回答よろしくお願いします。
5年ほど前からうちにご飯を食べに来るようになった野良猫がいます。懐いていて私が帰ると必ず私の車の方に走ってくるので毎回とても注意していました。なのに先日はいつもと違うところから出てきて間に合わず轢いてしまいました。 すぐに病院に連れて行ったのですが残念ながら助からずその日のうちに火葬し骨を拾わせてもらい今自宅に骨壺を置いています。 私がもっともっと注意していたら死なずに済んだのに。うちには猫がいますが野良にしておかず迎え入れてあげれば良かった。出迎えに走ってくる姿がもう見られないと思うととても辛くてたまりません。 その野良猫はとてもいい子だったのでそんなことはないと思うのですがこれを機に何かうちに災いが起きるのではないかと思ったり、毎日辛くて泣いてばかりいます。 どのようにすればこの気持ちが落ち着くのでしょうか・・・
初めまして。 供養の仕方について教えて頂きたいです。 昨年末に猫を1匹亡くしリビングに遺骨と写真、お水、お花をあげ毎朝お線香とロウソクを灯し般若心経を唱えています。 しかし、一昨日にお義父を亡くしお義父さんの身につけていたメガネと時計を一時自宅に持って帰ってきたので、同じようにお供えしたいのです。 ここで質問なのですが、 1、同じスペース(サイドテーブル上になります)に置いてお祀りして一緒に供養して良いものか? 2、別々のお水お花を用意して般若心経を唱えるのが良いのか? 宗教は全く異なりますが、自分の出来る範囲で供養出来ればと思っています。 どうかアドバイスをお願いします。
今日はめまいがしてしんどかったです。 それをホルモン剤ものんでるし、更年期だからといいました。 それを母は母のときはしんどくても働いていたとかいうので そばにいたばばに母はわかってくれないねというと10ぐらいかえってきました。 だれが病院につれていってんねんとかえってきました。 母が猫の散歩にいくときにはばばの見守りを一人でしてます。 母からばばのことよくしてくれてありがとうねという言葉きいたことがありません。 父も母も大きな病気したら娘の苦労がわかるでしょう。 そしたら娘の苦労もわかるでしょう。 私だってばばの入れ歯洗うのをまって夜の薬のませました。 ごはんなんてつくりたくないとかいろいろいってきました。 父もわたしには暴言をはくしおこるし あんまりわからないばばと仲良くしとくしかないかなと思っています。