今から12年前に母方の祖父が亡くなり、それから100日法要?だったかで魂入れの時に突然肩が重くなり、お経の時に体が前後に揺れました。お経の終わりと共に、ふっと軽くなり、元に戻りました。両親や親族も見ていました。 それから年月が経ち、昨年の初夏に父方の祖母が亡くなったのですが、火葬場でお骨になってから葬儀場に戻ってからのお経の際にもやはり体が揺れました。横揺れでした。不思議と、「入ってくる」のがわかり、正直言ってあまり良い関係とは言えず、悲しさなどはなかったのに涙が止まりませんでした。 体が揺れる間、色んな人達への「ありがとう」と言う感情が込み上げてきたのがわかりました。終わってから、私は炭酸飲料を買い、一気に飲み干したのですが、普段はまず飲みません。両親は驚きながらも「ばあさんが来たんだ。ばあさんは炭酸が好きだったから」と。そういえば、昔は家に行く度にファ◯タグレープが出されたものです。それを、私は350mlも飲み干したのです。 そして先週、親しくしていた叔母(母方)の義母の告別式へ参加しました。前述以外にも色々と不思議な事はあるので、このときも「来るかも……」と思っていました。両親も思っていて、事前に叔母一家にも言いました。実は、私の親戚にも同じ体質の人がいますので、叔母も理解がありました。 そして、やはり体が揺れました。実家の宗派と違うし、私にはお経の終わりはわからないのですが、縦に揺れたあと、横に揺れ、「終わるのかな」と思い、揺れが止まったあとにすぐお経も終わりました。 叔母夫婦や従兄弟たちは「おばあちゃんが喜んでくれた」と言っていましたが、そうなのでしょうか。ただ、揺れていた間、やはり「ありがとう」という思いがあったので伝えました。 最近では、実家の祖父の仏壇に手を合わせると体が揺れたり、合わせている手が上下や横に、円を描くように揺れたりするのです。 嫌な感じはしません。困っているというわけでもないですが、やはり不思議でなりませんし、他人には理解してもらえないと思うと、多少悲しくもあります……。気持ち悪いのかな、とか。 気になるのは、祖父母たちは本当はどんなことを訴えようとしているのでしょうか?
我が家は浄土真宗本願寺派です。 菩提寺の御住職様は御高齢の為、お勤めをしておらず、県外にいる息子様が行事等がある際に戻ってきていらっしゃるとの事です。 先日親族が亡くなり、すぐ菩提寺へ連絡した際に「すぐには対応出来ないので、そちらで別のお寺を探してもらえませんか」と言われました。 葬儀社を手配し、その葬儀社へ菩提寺から言われた事を相談し、お寺様を紹介して頂きました。 葬儀も滞りなく、無事に終了した為、菩提寺へ連絡し、「七日毎のお勤めをお願いしたい。家へ来れないのであれば、お寺でお経をあげて欲しい」と伝えたところ、お断りされました。 その後四十九日の法要にあたっては、事前に連絡をして日程を決めてお願いし、了承を頂けたのですが、後日連絡があり、「葬儀でお世話になったお寺様へお勤めしてもらわないでいいのですか?」と言われました。 こちらから「本来菩提寺であるそちらへ葬儀の時もお願いしたかったのに、お断りされたのはそちらで、代理で立てて頂いた方です。」とお伝えしました。なんとか四十九日の法要はお勤めして頂けるとのことです。 このような事があり、家族や親族より、菩提寺を変更した方がいいのではないかと話が出ております。 ずっとお世話になっている菩提寺様なので、今回の事は少しショックでした。 今回お勤めをして頂けるお寺で依頼していたのは、「浄土真宗本願寺派のお寺様」でした。 私は仏教に興味があり、お寺を調べたところ、「天台宗のお寺様」でした。 お経は、仏説阿弥陀経や正信偈だったので、通夜・葬儀の際は「なんかお経の読み方が新鮮だなあ〜」と感じていただけでした。しかしとても親切で、四十九日までの間、毎週お勤めに来てくださいます。 普段から仏壇へ向かい、お経を読む事もあり、こんな事があるのなら、私が学校に行き、僧侶の資格を取ってお勤めしたいとも頭をよぎりました。 菩提寺を変更するというのは、やはり避けた方が良いのでしょうか。それとも変更しても良いものなのでしょうか。 どこに相談していいものか分からず、投稿させて頂きました。 宜しくお願い致します。
義父が3年前に亡くなった直後、どこの宗、お寺にてお経を読んでもらうか、生前義父が言っていたことを忘れていて、同じ真宗ですが、最近葬儀を行った宗派とは違う宗派でした。 義父が亡くなる3年前に義母が亡くなった時、義父が言っていた宗派と違う宗派で葬儀をしたので、 義父が亡くなった時、義母と違う宗派の葬式はまずいと思って、そのままその宗派で葬儀をあげました。 それで、せめて分骨だけでもと思いまして、調べたら檀信徒のみ納骨できるとのことです。 私たちがそこの宗派の寺の檀信徒になれば納骨できるなら、宗派替え、お寺を替えないといけないと考えてます。 替える場合、今のお寺さんにはお墓も作ってないのでお墓もなく、檀家というほどの付き合いはありませんが、どう言ったらいいのでしょうか。 また、宗派替えまですることもないのでしょうか。 生前、嫌がられてもはっきりと聞いておけばと後悔してます。
長文になってしまい失礼いたします。 私は現在、親とは別の地方で暮らしています。実家には盆暮れのお休みに帰省しています。わたしは母子家庭で、母方の祖父母に衣食住の面倒を見ていただいて、大人になりました。独りよがりかもしれないですが、母方の祖父母にはお世話になったので、できるだけの恩返しと供養をしたいです。 先日祖父が亡くなり、今後菩提寺をどうするか母と伯父で話をしたようです。伯父は遠方に住んでおり「墓はいらない、葬式はしなくてよい」と言っています。 母も私も父方の姓を名乗っております。 今は、かなり高齢なのですが祖母が生きているので菩提寺があります。祖母無き後は長男である伯父が菩提寺を引き継ぐことになると思っていたのですが、伯父の代になると菩提寺は無くなってしまいそうです。実際伯母の実家が、お墓がなく葬式もしない無宗教なので、それで良いと思ったようです。伯母も葬式や墓は関心が無いようです。従兄弟も法事以外で先祖に手を合わせたことがないので興味がないかもしれません。 母は自分の両親を供養したいようなのですが、他所の家の話で、費用もかかることなので、強く言えないようです。私は供養したいので、祖父母の菩提寺を引き受けても良いと思っています。しかし、皆それぞれ遠方に住んでおり、家族が集まるのは法事の時だけなので、まだ生きている祖母の前で話すこともできず・・(祖母は信心深いので、死後お参りしてほしいと思ってるようですが、息子も可愛いので、菩提寺を無くす話を聞くと許してしまいそうです。) 1 子孫が生きていて家系が続いているのに、縁者が一時的に菩提寺を引き継ぐのは非常識でしょうか? 2 別の地方に住んでいる場合、棚経など仏壇に来ていただくのは難しいと思いますが、どうなるのでしょうか? 3 伯父、伯母など母方の家の者がなくなった場合も菩提寺を預かっている期間は、従兄弟を差置いて、葬式や法事など私が喪主?になって引き受ける必要があるんですよね?従兄弟に怒られるのかな??どうでしょう?? このまま、母方の菩提寺がなくなるのを見ているしかないのでしょうか?何か良い方法があれば、教えていただけないでしょうか? (菩提寺には、檀家を解消するような話は何もしていないと思われます。母方の先祖の法事やお盆の棚経などもこれまで通り継続しています。)
過去の罪は消えません。 自分で蒔いた種は、自分で刈らなければいけないことも分かっています。 毎日お経を唱えると共に、過去の罪を懺悔しています。 今、自分にできる事を一生懸命することで、良い種を蒔く事で、運命を変える事ができるというのは本当でしょうか。 最近よく読んでいる、仏教に関した本のいくつかに、そう書いてありました。 また努力をしている姿を、仏さまは見ていて下さいますか。 そして、自分が救われたいと思いながら努力する事は、いけない事でしょうか。 まとまりの無い質問ですみません。 どうぞよろしくお願いいたします。
タイトルの通り、 田舎の祖母からもらった韋駄天の20センチほどの像を持っています。 木彫りで黒く塗られた簡素なつくりのものですが、かわいらしい姿をしています。 祖母はこの像に私の無事を守るよう祈ってくれていたそうで、 以前、つらい節目に実家に帰った時に一緒に連れて行けと持たされました。イケメンで足が速い小間使いさんだと。 自宅はアパートで仏間がないので、背の高い本棚の一番上の段を そうした空間に見立てて飾ってあります。なんとなくですが、お守りや大事なものはその周囲に保管するようになりました ^^; このように結構適当にお迎えしてしまったのですが、 せっかくなので何か家の中でのお作法や相性などあれば知りたいです! お詳しい方、ぜひご教授願います。
数年前、祖母が生前にA寺にて戒名をつけていただきました。(A寺は代々お世話になっているお寺です。) 先日、そのA寺に、「生前に戒名をつけていると、大概の僧侶は葬式でお経を読むのを断る。読んでくれる人を見つけるほうが難しい」と言われました。同じ宗派でも断る人が多いとのことでした。戒名をつける際にはそのような説明はなかったので驚きました。 本当にそういったことがあるのでしょうか?僧侶の方は皆さん徳を積まれておられ、故人が安らかに召していけるようにしていただける方だと思っていたのですが、生前戒名をつけていたからお経を読んでいただけないなんて、祖母も大変心配しております。
一昨年 父が亡くなり、父の希望で献体しました。 先週大学病院から連絡があり来年の2月頃に火葬式をやる旨の連絡をいただきました。 父は病院で亡くなり、そのまま大学病院へ行ってしまったので葬儀をしていません。 東京から沖縄に移住してきているので近くに身内がいないため葬儀をするにも参列者がいません。なので可能であればお寺でお経をあげていただくというような供養ができないかと思っています。参加者が3名くらいでも、そのような事はやっていただけるのでしょうか。 葬儀会社に相談したら自宅にお坊さんを呼んでお経をあげていただいたらと提案されたのですが、そのようなスペースを設けることが出来ないので悩んでいます。
こんにちは。 今日初めて質問させていただきます。 お世話になります。 初めに失礼しますが、今思ってる事を全て文にするととても長くなります。 なので短くしますが、とても冷たい文に感じるかもしれませんがご了承いただきたいです。 最近疲れているので、お話を聞いていただけるお寺や、お経を読んでいただけるお寺。お祓いをしていただけるお寺などを探していますが、探し方がわからなくこちらに質問させていただきました。 ちなみに[お経を読んでもらいたい]というのは、以前お寺で不思議な体験をしてから、また似たような体験をしたいので希望しています。 関東圏のお寺を希望しています。 文がまとまっておらず乱文で申し訳ないですが、回答頂けると嬉しいです。
昔見た怖い話の魔が怖くて困っています。 夜寝ようとしても、眠っている間に襲われたり、憑かれたりしたらどうしようと考えてなかなか夜寝つけません。寝ていたら経などを唱えられず自分を守る術が無いと思ってしまいます。 一応、毎日、祝詞や経などを唱えていて神仏の加護があるとは思っているのですが、その唱えている最中ですら時々その魔が気になって集中できない時もあり、神仏に申し訳ないです。 一度もそんな災いが降りかかった事は無く杞憂であるとわかっているのですが、もしも恐ろしい事が起こったら...と考えてしまいます。 そして恐怖を無くそうとするが余り、怒り、憎しみ、嫌悪、高慢の心を起こしてしまいます これは内面の問題だと思います、恐怖の無い冷静な思考を持ちたいです。 回答よろしくお願いいたします。
お経には観音菩薩とか不動明王とか釈迦以外の仏様がたくさん出てきますが、仏教ではそういう霊的な存在を本当に存在すると教えているのでしょうか? それとも実在しているわけではなくて、仏教の教えを象徴しているだけの架空の存在なのでしょうか?たとえば、不動明王の剣は智慧の象徴とか、座ってる石は固い菩提心の象徴とかいう感じで、仏教の教えを大衆に分かりやすくキャラクター化して説明しているだけで、崇拝の対象ではないのでしょうか。 お経の中ではお釈迦様がいろいろな菩薩や如来を紹介しますが、お釈迦様自身がそういう存在を拝んでいたとか護摩祈祷をしていたとか逸話は聞いたことがないので、不思議に思い質問させていただきました。よろしくお願いします。
つい最近父の13回忌だったのですが 親戚も高齢になり家族のみの法要でお願いしたいとお寺に伝えたところ 「この時期はとっても忙しくて、塔婆さえたててお墓参りしていただ ければ法要と同じなので。 塔婆はちゃんと住職が前日にお経をあ げますのでそれで大丈夫です」 と奥様に言われ当日塔婆をたてお墓参りだけの13回忌になってしまったのですが・・・ そんなものなのでしょうか? 素人考えだと本殿もしくはお墓前でお経を唱えていただきお焼香をしての法要だと思うのですがこれは普通のことなのでしょうか。 13回忌までの年忌法要はすべて本殿でした。 毎年のお盆時の供養とまったく同じなのと忙しくなかったらちゃんとした法要だったのかな? とか考えてしまい気持ちがすっきりしないのと父が供養されているのか心配で質問させていただきました。
質問ではないので、投稿していいのかわかりませんが… 不謹慎だとは重々承知の上ですが、先日祖父のお葬式でお経を唱えていただいた住職さんがとても素敵な人で久しぶりにキラキラした気持ち(?)になりました。 祖父が亡くなったこと、また来月から新しい環境に行く予定で、それが苦しい日々になることが分かっているので憂鬱な気持ちが続いていましたが、そんな気持ちから少し離れることができました。 多分ですが近くのお寺の住職さんなので行こうと思えば行けますが、多分行かないしもう会うことはきっとないんだろうなぁと思うと悲しいです。(もし会えたとしても何もできない笑)が、あのキラキラした気持ちになれたこと、また心のこもった御経を唱えていたいたことに感謝したいです。祖父も嬉しいと思います。ありがとうございました。 質問ではなくて申し訳ありません。
何度かお世話になり、今は落ち着いています。 ありがとうございました。 毎朝、夫婦揃ってお仏壇に向かってお経を上げています。 お経が済んだあと、声には出さず、 「今までのあらゆる罪をお許しください。 これからは綺麗に生きていきます。 間違った道に進みそうになったときは正しい道へとお導きください。 〇〇(主人の苗字)家のご先祖様、〇〇のおとうさん、〇〇のおかあさん、安らかでいてください。 今日も二人が無事に幸せに一日を過ごせますよう見守ってください。 感謝申し上げます。 ありがとうございます。」 と唱えています。 最初の言葉はご本尊様に伝える気持ちで唱えています。 後は、〇〇家の方々に…です。 このような内容でも良いですか? 間違って唱えてはいないでしょうか?
とある事情で実家に帰ることができず、檀家を探す上で宗派が分からず困っています。(実家の仏壇を見れば分かるのですが) 疑問に思っているのは、実家の檀家のお坊さんが祖母のお葬式の際のお経の中で、「開経偈・懺悔文・三帰・三竟・十善戒」「般若心経」「南無大師遍照金剛」を唱えるので、真言宗かと思ったのですが、最後に「南無阿弥陀仏」を繰り返していました。 檀家は高野山真言宗のお寺だったと思うのですが、とても田舎でそのお寺しかなかった・・・ということもあるのかもしれません。ご本尊は阿弥陀如来だったと記憶しています。 このような記憶ですが、宗派は分かりますでしょうか? また、今後「阿弥陀如来」をご本尊にして、真言宗のお寺に檀家をお願いするということもあっていいのでしょうか?
いつもお世話になります。 今夏、母の二度目のお盆を迎えます。 葬儀社からの紹介で葬儀を行っていただいたお寺様より、 お盆の棚経のお参りの日程のお知らせが届きました。 それが8/7(木)でした。 ちなみに我が家は真言宗です。 お盆は8/13からだと思っていたので、家族の霊が帰ってきていない時にお経をいただいて意味があるのかどうか疑問です。 そして、7日から15日までお盆としてお祀りするものなのか、二度目のお盆なので仏壇でお祭りして良いものか迷っています。 お寺様に直接電話ででもお聞きするのが早いかとは思いますが、お寺様の都合で日程を組まれていて、それに不服を言うような感じになってもいけないので、こちらで質問させていただきました。 ご回答よろしくお願いします。
大乗の車の両輪は法華経と無量寿経だと思いますが、我が浄土宗は法華経とは縁が薄いです。このことに後ろめたさを感じるようになってきました。 天台宗はもちろん、禅宗でも法華経を重視してらっしゃいますね。真言宗でも法華経を扱ってらっしゃいます。こんなに広く支持を集める法華経を無視していていいのだろうか? 敬愛する一遍上人が「法華すなわち名号なり」と鮮やかに言い切っているのに慰められるぐらいでしょうか。 かと言って僕は法華経そのものには特に惹かれているというわけではなく、むしろ現代語訳された法華経を全部読みましたが「法華経が法華経を自画自賛してるだけで結局何が言いたいのかよくわからんお経だな」と思ったぐらいです。 このモヤモヤした後ろめたさを晴らしてください。
祖母が亡くなり23年目を迎えます。 7年前の冬、両親と共に西本願寺を訪れ永代経をさせていただきました。 私が京都近隣に転居してきたこともあり西本願寺にてお参りをさせていただきました。 本堂でのお経を聴きながら、この7年間のことを思い出し仏様や天井を見上げながら言葉にならないことがありました。 両親と共に訪れ、私も互いに歳を重ね高齢となる両親と共に近い将来に訪れ共に想いを馳せたいと考えております。 健康上や経済上のこと故郷から呼ぶことは難儀でもあります。 故郷へ帰ることやご先祖様が眠るお墓参りにはなかなか行けなくなりますが、近くとなりました西本願寺でお参りをさせていただければ…幸いです。
先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。
初めまして、ハルネと申します。 皆様が日々心を落ち着けたり精神を高めるために、 どのようにルーティンを行ったり、毎日を過ごされているのか気になり、質問させていただきました。 といいますのも、私は日頃精神のバイオリズムが激し目のタイプで、 これを落ち着かせたい、気持ちを高く良い位置で維持したいと考えており、 その為にはルーティンのような、日々の自分の精度を上げるための習慣のようなものが効果的ではないかと考えている為です。 実際、そういえばお寺のお坊さんは朝のお勤めなどでお経を読まれたり掃除を毎日していた気がする…と思い、 見様見真似で真似をしてみたところ、 気持ちが安定してきたという成果があったので、 よりお坊さんの日頃の過ごし方やルーティンのようなものに興味が湧いたという次第です。 宗派や人によって日々の習慣や朝のお勤めの仕方、ルーティンは違うかと存じます。 できるだけ多くの方の、心を落ち着けるため、己を高める為の習慣的行為を教えていただけたらと思います。 ぜひ勉強させてください。 何卒よろしくお願い致します。