仏教徒として男性に親切すれば勘違いされる
私は仏教徒としても大阪人としても、老若男女に愛想よく、親切にします。
それを気があると勘違いする同世代の男性に、どう接すれば良いですか?
同じ大阪人の男性ならまだしも、よそから来た田舎の人は、勘違いしやすい気がします。
①誰が相手でも人間同士、思いやって話す男性
②気があると勘違いして、デートに誘ってくる男性
③気があると勘違いして、わざと冷たくして、俺はお前に気がないぞ!とアピールする男性
私は仏教徒として振る舞うと、②と③の男性に困ります。
①の男性は、自信があり、リラックスしていて、尊敬して欲しいのにプライドが満たされないと承認欲求に飢えてギラギラしたり、ジメジメしたりしていません。
いちいち恋愛脳になる②と③の人は、女性を自分の欲求を満たすためのモノとして捉えていて、人間として誰にでも思いやりを持って接するという人間性にまで、心が磨かれていません。
そんな人間性でいるから、君は承認してもらえないのではないか…と思っています。
②と③の人は、対等な人間同士の温かい会話にならないので、初対面でも温かいコミュニケーションができて当たり前の大阪人としては大変戸惑います。
私が子どもっぽかった時はそんな事なかったのに、最近「変わったね、可愛くなった、お洒落」と言われるようになってから、①の人が減った気がします。
大人の女性扱いされているのでしょうか?
私がお洒落でカッコいい男性に、同じ人種というより、遠い世界の人と感じて身構えて、緊張して素っ気なくなりすぎるような感じでしょうか?
そういう時、イケメンは優しく微笑んで、赤ちゃんを見守るかのようです。
私も「きれいな女の人だな」と挙動不審になる男性には、仏様のように微笑んでいれば良いのでしょうか?
たまに、ジーッと見てくる人もいて、怖いです。
そのまま痴漢やナンパをする人もいます。
だから、ジーッと見られたら怖いので逃げます。
「変わったね、かわいくなったね」と言われるようになってから戸惑うことばかりです。
こういうのに慣れている美人は、どのようにしているのでしょう?
やはりイケメンが私がおどおどしていると、赤ちゃんを見守るように優しく微笑むように、私もあんな感じで、いちいち動じるのをやめたら良いのでしょうか。
今まで誰からも子ども扱いだったので、戸惑っています。
どうしたらいいですか?
有り難し 6
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