2024/02/17チュンダの報い 続き
詳細は過去の質問を読んでいただきたいのですが、
愚かな行為であり、全くの自業自得ながら、ずっと抱えている苦しみです。
こちらで温かく有難いお言葉もいただきました。
こちらに質問したのは、何とかして救われたいという気持ちでした。
事実を認めたくなく、縋りたかったのだと思います。
いろいろ調べてみましたが、やはり私の行為は害だったようです。
複合的な部分はあるかもしれませんが、確実に害でした。
救われたい、などとあまりに虫が良すぎる、と思い至りました。
これ以上は心が耐えられそうもないので、
家族的責任を果たしたら、命を以って詫びたいという気持ちです。
家族の縁が非常に薄いので、家族的責任と言ってもそう長くかかるものではなく、
それが済めば私の死を悲しむような人はいません。
(今となってはそれでむしろよかったと思います)
命を以って詫びよう、という思いに至った時、
ふいに荷を降ろしたような気持ちになり、何でもない景色が美しく見え、
何とも形容しがたい不思議な感覚でした。
チュンダはその後苦しみながら生き抜いたのか、
後悔と自責の余り生きられなかったか…
出家したという記述もないようなので、
きっと後者なのだと私としては今は思っています。
善意の行為ゆえに痛ましいですが、結果はあまりに重大なものでした。
私の今の考えも逃避でしょうか?
決行を少し先に延ばすことで現在の苦しみから逃げようとしているだけかも、
という気もしています。
この苦しみを抱えながら、
生き地獄に生きるというのが報いでそれが償いになるのでしょうか?
どこにもチュンダのその後の記述はありませんが、
お坊様方はチュンダはどのように生きた(あるいは死んだ)と思われますか?
何も書かれていない以上、それぞれのお考えがあるかと思いますが、
お聞かせいただければ幸いです。
有り難し 6
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