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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2838件

自分の進むべき道

長文失礼致します。 ここ1~2ヶ月の間、あることを切っ掛けに特定の宗派のお寺に伺うことが増えました。 その中で、あるお寺のお弟子さんとお話しさせていただいた時に「お坊さんにならないのか」と問われ、その事についてモヤモヤとしています。 何故言われたのかはなんとなく理解できています。 それというのも、縁があり菩提寺とは別の宗派のお坊さんと知り合いになり、そのお坊さんに娘のように可愛がっていただいていました。 そのお坊さんに本当に色々なことを経験させていただき、そのお坊さんがいなければ今の自分は居ないと思うほどです。 亡くなってしまったため今は直接会う事は叶いませんが不思議と淋しいという感情はありません。 このようなことをお弟子さんにお話ししたところ上記のような発言となったのです。 恐らく「経験」の内容が水行等、修行に関することが多かったからなのでしょう。 さらには「そのお坊さんは貴女をお坊さんにしようとしていたのでは」ともお弟子さんに言われました。 しかし上述のとおり、懇意にしていたお坊さんは亡くなってしまったため真相はわかりません。 でもなんとなく私に色々な経験をさせてくれたのは自分で自分を守るためなのではないかと思っています。 いずれにしろ真相は分からないのですが… ここまでであれば私の性格上「こんなこと言われたな」程度で終わるのですが 先に書いたとおり特定の宗派(懇意にしていたお坊さんと同じ宗派)のお寺に伺う機会が増えたと同時に そのそれぞれのお寺でお経が始まる確率がすごく多く 必ずと言って良いほど伺ったお寺でお経を耳にするようになりました。 ちょうど御開帳が始まったり、こんなタイミングあるのか?と不思議に思うほどです。 そして何故かずっと開経偈が頭から離れないのです。 特に今の生活を変えたいとか思ったことはありません。 ただお坊さんになりたくないとも思いません。 行く先にその選択肢があるのなら選ぶ確率はゼロではないと思います。 最後になりましたが ・お坊さんにならないのか聞かれたこと ・お経を耳にすることが急激に増えたこと ・開経偈が頭から離れないこと これらの事は何かを意味しているのでしょうか。 またこれらのことから今私自身がすべき事はなにかありますか。 ご教授いただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

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お坊さんのお嫁さんについて

実家の法事をお願いしているお寺さんには恥ずかしくて聞けないので、こちらで質問させてください。 ご縁がありお坊さんとお付き合いをしています。彼のお寺はプロフィールの宗派と同じであり、祈祷寺です。 彼から、結婚したら自分と同じペースで滝行と水行をしてくれと言われ、面食らってしまいました。 え、例えば妊娠しても?と聞くと、うん!高熱でも妊娠してても立ち上がれる限りは!と元気な返事をいただき、おぉっとすぐには言葉に出来ませんでした。 家族がみんなしていないと、祈願をしにきた信者様から受け取ったものを払えず、家族の誰かが体調不良になったり、子が授かりにくくなるからと言っていました。 確かに彼の修行している力?は、彼が私の抱きかかえたペットを撫でようとした時に、激しく震え上がったのを見てから信用しています。(今まで同じような状況になっても、嫌がることはあっても、1度も震えたことはなかったので) お寺のお嫁さんで季節問わず、妊婦や体調不良であっても滝行や水行もお坊さんと同じペースでしている方もいるのでしょうか? 祈祷寺特有なのかなとも感じています。 私の性格上、寺の嫁が務まるのか、滝行などをしても気持ちにブレーキがかかり、信仰心が強くならず彼とお寺と信者さんに迷惑かけるのでは?など自分のお寺さんにも恥ずかしくて聞けず、誰にも相談出来ずに頭の中で堂々めぐりになっています。 彼も少しずつ慣れてくれればいいから!と言ってくれていますし、彼の性格、人柄にこの人だ!という気持ちがあるのに、自分の未熟な部分を見て進めない私に、助言を頂けないでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 8
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思うだけでも罪になる

私はどこの宗派に属しているわけでもありませんが、色々な書物を読むことが好きで、高校大学がカトリック系列であったため、聖書やキリスト教関係のものも少し読みました。祖父母は浄土真宗なので、般若心経も小さい頃から暗記するくらい読んで唱えて、大学院では国文学としての密教も少し学びました。どの教えも尊く、かつ興味深いのですが、中でもキリスト教の教えに「思うだけでも罪である」というのがありました。ここでの「思う」は、悪いこと、憎しみを思うことを指します。 確かに、「思う」だけで心におさめられることもありますが、「思」へば、それを実行してやろう(例えば、機会があったら悪口を言ってやろうとか。)という気にもなります。仏教(宗派は忘れてしまいました)にも似たような教えがあって、「良いことも悪いことも、思えばエネルギーがそちらに動いて、そのとおりに物事が進むようになる」とも。 ですので、何かマイナスの考えが浮かぶと「あー、ダメダメ。そういうこと思うのやめよ」と、なるべく自分に言い聞かせますが、なかなか思考はコントロールできないですよね。やはり、悪く思ってしまうこともあります。お坊様方は、自身の心の在り方を、どのように受け止めていらっしゃるのか、修行などによって、我々凡人よりも少し克服できるものなのか、伺ってみたいと思いました。

有り難し有り難し 26
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