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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6191件

動物との付き合い方

先日、怪我を負った子猫と出会いました。足を引きずりながら寄ってきて、ずっと啼いているので、家に連れて帰りました。 家に一晩泊め、食事をあげました。怪我が治ってから自然に戻そうと思いましたが、既に足の骨が外れて、怪我からも時間が経過していた様子で、治りそうな様子はありませんでした。近くに、きちんと治療できる獣医もいませんでした。 猫を保護し、飼う事を考えましたが、私と子供は海外に住んでいるので、この場所にあとどれだけの期間住むことができるのか分かりません。不安定な生活を送っています。 猫の寿命を全うするまでこの地にいられればいいのですが、そうではない場合、いつかはこの猫を野良猫に戻さなければなりません。 飼いならすことで、折角持っている野良猫の自衛の習慣も本能も失わせることになるので、それであれば、このまま別れるほうが罪が軽いように思い、猫を庭に放しました。 また、撫でて欲しいと寄ってきても、満足に気持ちに応えてあげられませんでした。 気持ちが通じ合って、この子猫が、私たちの家族になれると期待することが怖かったのです。 しかし、後ろ足を二本失ったこの子猫、やはり保護すべきだったのではないかと、後悔の気持ちもあります。 私はどうすべきだったのでしょうか。

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お腹の子が男の子で不安な自分に自己嫌悪

21週の妊婦です。 先週の検診でエコーで男の子と分かりました。 夫婦で漠然と女の子の様な気がしていて、ショックを受けています。 ショックを受けている自分にかなりショックです。 神様がこの二人なら大丈夫と授けてくれたんだ…と思うのですが、ここ1週間ずっと情緒不安定で涙が止まりません。 母は成人式に振袖を買ってくれて私に着せてくれたり、妊娠も既に兄嫁の子はいるのですが、娘なので凄く喜んでくれたり、悪阻が辛い時も話を聞いたり心の支えでした。 父・母にそれぞれ妹2人(私目線叔母)がいるのですが、子供は3人男兄弟です。 なので「(私)は女の子でいいな~」と子供の頃から言われていて、今では痛い程分かります。 その叔母の子達は嫁を尊重して遠い他県の嫁の実家近くへ引っ越したり、嫁姑の悩みも多そうでした。 中には不起訴の事件を起こした子もいました。 夫はどちらの性別でも喜んでくれています。 お腹の子も胎動で蹴って自分の存在するをアピールしてくれています。 もしかしたら一人っ子になるかもしれません。 それを考えると将来この子もお嫁さんの味方になり、どこか遠くへ行ってしまうのか、とか母と買った振袖は箪笥に眠ったまま終わるのかと暗い将来ばかり見えて怖くなります。 母方の叔母は男兄弟で大変そうでしたが、母(姉)がいたので、頻繁に連絡したり買い物して楽しそうでした。 私は姉もいないし、娘もいないとなると将来女性の身内いないんだ…と悲しくなります。 悩むと1番は旦那に相談しますが、母や友人等の女性に聞いてもらうと共感して貰え心が落ち着く自分がいます。 夫は人生最大の理解者です。 不倫の心配も無くて、家事も積極的で、育児休暇も取ってくれそうです。 「お母さん思いの良い子に育つよ」 と言ってくれます。 でも将来振袖やお買い物の憧れや女性の身内がいない事は叶わないかもしれないと思うと悲しくて仕方ありません。 ここまで夫もお腹の子も置いてきぼりで、頑張ろう→でも…を繰り返して、1日何度も急に涙が溢れてしまいます。 何度も旦那とお腹の子に対して勝手でごめんなさいと思います。 残りの妊婦生活もイメージ出来ず、出産と子育ても不安しか無くて、将来も怖くて、娘を持つ事を無いかもと思うと毎日涙が止まらず、不安で身体が震えて、食欲も無く辛いです。 どうすれば良いですか

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死にたいと漠然と考えてしまう

死にたい、漠然と思うことがあります。 大切な人たちのために生きなければと思いますが、死にたいと思うことがあります。 介護職へ復帰して、やり甲斐を感じながら仕事をしてきました。 コロナの影響で面会制限があったり、慰問も受け入れができず、入所者にもストレスは溜まります。不穏な方々に対応しながら、地域のためにと奔走する毎日。 加えて著しい人員不足。 コロナ禍で、海外からの技能実習生やEPAの派遣が止まってしまい、募集をかけても人材は確保できず…ギリギリの人数で業務をこなす日々。徘徊や帰宅願望にも対応しながら笑顔で必死に対応しつつ、今の場所で必死に、生きています。 最近めまいや吐き気がくることがあります。数年前に経験した地獄が、頭をよぎります。あの時の自分には戻りたくありません。 どんな厳しい現場でも乗り越える強いメンタルでいたいのに、どうして私はこんなに弱いんだろう、と嫌になります。 プライベートでは… 以前トラブルになったご近所さんからは、空き地の管理や放棄地周辺の整備について、チクチク言われます。休みもままならない状況で、何とか整備を頑張っていますが、心が壊れそうになります。 今この難局を乗り越えたら、楽になれるのかな。 心が辛いと、色々見えなくなる。 もっと強く優しく生きたいのに、思うようにいかない日々。 死にたい、そうつぶやく日が増えました。実行に移す前に、自分をたて直さなければ、と思います。 みんな大変な状況の中頑張ってるのに、弱い自分が大嫌いです。

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不安で押しつぶされそうです。

以前別のことで相談した時にとても心に響くお言葉を頂いたのでまた相談させて頂きます。 わたしの家は家庭環境が子どもの頃からあまり良くなくて、そんな理由もあり中学の時に不登校になってしまいました。その時に母がわたしの為に犬を飼ってくれました。辛いときも嬉しい時もその子が側にいてくれてわたしの中では家族より大事な存在になっています。そんな子も、もう老犬になり去年心臓病と診断されてしまいました。 まだすぐにどうこうなるという訳ではありませんが毎日毎日、その子がいなくなったらわたしはどうなるんだろう。 お願いだからわたしより先に死なないでほしい、この子より先に亡くなりたい、わたしの寿命を全部あげても良いから先に死なないでって思ってしまいます。裏庭にお稲荷様の祠があってそこで毎日祈っています。 そのぐらい毎日この子がいなくなってしまうことへの不安に押しつぶされそうになっています。 家族にも友達にも職場の人にも誰ひとり心を開くことが出来ないわたしですがその子だけには心が全部開けます。 大事な存在の為に自分の寿命を捧げたいって思う心はいけないことなのか。 お忙しいところ申し訳ありません。良ければ回答お願いします。

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2024/06/03

やっと事業が落ち着いた矢先に突然の病に

個人で事業を始めて5年が経ちました。 まったくの未経験から始めて周りの方に助けていただきながらなんとかやってくることができました。 開業した時の融資の返済も目途が立ち、ようやく落ち着いてきたかなと思った矢先突然体調を崩してしまい、救急搬送される際いつどうなってもおかしくない命に関わる状態です。と言われそのまま入院となりました。 その瞬間までいつもと変わらない仕事、生活をしていたので何の予兆もありませんでした。 そのうちよくなるだろうとあまり深く考えていなかったのですがあまりよくない状態のようで、これまでどおりのように仕事や生活をするのは難しいと説明を受けました。 退院したものの、それ以来眩暈はひどいし体はだるいし、搬送された時と似たような環境になるとパニックの発作まで起きるようになってしまいました。 あれからしばらく時間が経って、いつまでも休んでられないので量やペースを落としながら仕事を再開していますがまったく思い通りにいきません。 日によって波があるので動けるときに一気に動いて具合がよくないときは控えめにというふうに調整していますが、仕事をしたいのに体が言うことを聞かないことが多くてものすごくストレスになっています。 量もペースも落とさざるを得ないので収入にも直結してしまいます。 やっとここまで来れたのにどうしてこのタイミングで・・・と嘆いても仕方ないのはわかっていても考えてしまいます。 今の仕事と関連する体の負担が少ない事業もやっているので、そちらの比重を増やすように転換し始めていますがなかなかすぐには仕事や収入には直結しません。 ここから再スタート!がんばろう!!と前向きに考えるようにしていますが、これからどうなるんだろう?という不安も日に日に膨らんでいきます。 今までやってこれたんだから大丈夫!っていう思いと、思い通りにできない自分が情けないという思いとが入り混じって頭がおかしくなりそうです。

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生前の仏教の触れ具合は死後の「ハンデ」になる?

まず素朴な疑問のうえ、お坊さんの限りある時間と質問を増やしてしまい頭が下がります。 死後の行き先は生前の「行い」によって左右されるというのは勿論ですが、 こちらのサイトでもいろいろ知恵を授かっている内に、 死後の「裁判」は良い悪いの数直線上では計れないところもあると感じています。 たとえば、ある人は日本に住んでいて、 まったく仏教に触れていなかったとしたら? ある人は仏教に触れて、 仏教の「表面上の」知識は身に付けて、 それでもなお多かれ少なかれの悪い行いをして… 後者は私ですが、少なくとも「知っていて尚悪いことをする」のと、 知らずに悪いことをしたのとは、やはり裁判の天秤の重さに違いがあるのでは?と思いました。 「弥勒菩薩は兜率天に住み…」 「虚言はいけない」 「丸々寺は誰々により開かれ」 「般若心経」 「お寺や神社の真ん中を歩いちゃ駄目。」 「蚊を殺しただけで地獄」 「獄卒が火であぶる。」 私はこのような「情報」を得て、我を顧みることもなく過ごしています。 ただ蚊は殺めません。 仏教で守るべき掟も、出家された方にとっては、いままでとはより厳しくなると思います。 まず、 出家された僧たちにある戒律は、破ったときにのちの自分に降りかかるのでしょうか? それとも守ることで人のため、世界が良くなるべきの「願い」の要素がありますか? また、「在家」まではいかないが仏教を信仰する私として、 表面上の仏教を(インターネットで閲覧できる限りの知識を)覚えるごとに 死後の裁判の「ものさし」が厳しくなるということはあるのでしょうか。 おなじく、お坊さんとも一般人とも、仏教の知識が死後の「ハンデ」とはならないでしょうか?

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