母親が自殺未遂をしました。 原因は、数ヶ月前から病的な妄想幻覚に悩まされていたこと、妄想が悪い確信となり自分が生きていては周りに迷惑がかかるから、とのことでした。 前日の夜、珍しく電話があり、症状が少しよくなって気持ちも落ち着いているというようなことを話していたので、まさかそんなことを考えていて最後に電話をしてきたとは全く思いもしませんでした。 とてもショックでしたし、常に強かった父は早く気がつかなかったこと、おかしいと感じながらも病院に連れていかなかったこと等自分を責めて泣いています。 母親はなにを言っても聞いてくれず、起きている間はずっと被害妄想に苦しめられ、おかしな行動を一日中繰り返しているようです。 生きる気力を失っているからか治療をしようもしません。 私に、なにかしてあげられることがあるのでしょうか。
私は福祉の道を志し毎日精進しています。人の幸福に少しでも寄与できればと思ってのことです。専門的な勉強は楽しいし仲間は刺激し合うことができ、充実しています。しかしふと、たまにどうしようもなく死にたくなることがあります。以前精神病で引きこもっていたころのようなどす黒い感情が蘇るのです。ふと死にたくなることはきっと誰にでもあることでしょう。しかし周りも辛いから自分も耐えろ、と言われるのは酷です。なにか突如として起こる負の感情の鎮め方や捉え方はないものでしょうか… 駄文で申し訳ありません。本気で困っているのです。
亡くなった祖父の代から法要や月命日にお願いしている真宗大谷派のお坊さんなんですが、月命日にお経のために来ても、経本も開かず、両手を両袖の中に入れて、お経を上げて特に話もせず、帰ります。 先日、祖母が、亡くなりお通夜と告別式をお願いしました。自分も数度お通夜や告別式をに参列した事があるのですが、大体のお坊さんがお通夜の後に、故人との別れ方や、これからの生活していく上での心構えをお説教して下さるのですが、そのお坊さんは、お説教どころか、遺族や親族に対して会釈する事もなく、お経が終わればさっさと退室する。告別式でも全く同じでした。お付きの若いお坊さんの方はしっかり会釈して下さりどちらが位が高いのかわからない始末でした。 このお坊さんを、続けていくかどうか以前から親とも話していたのですが、今回の件で親にもう他のお寺さんに変えようと提案したのですが、49日の、お金まで払っているため変えられないと言っていました。 本当にお寺さんは変えられないのでしょうか?それと変えるタイミングいつがいいのでしょか?教えてください。
お坊さんに相談します(._.) 中学後半くらいから自閉症と診断されたあーちゃんです。 質問と相談の2つになってしまいますがよろしいでしょうか? ① 自分に思い当たること 自分と対立して、やるべき時(宿題)家での勉強)になかなか自分と息が合わず、時間があっても足りないとなってしまうんです😓 自分に甘いので苦しいです😑💦 ① 実際のお寺の、大須観音のお坊さんや成田山名古屋別院のお坊さんにお声をかけて話して見ればいいんですが、怖いんです😅 お声をかけていいでしょうか? お坊さんに話しかけるのが、すごい気まずい感じがしますし、お坊さんは、そんな悪そうな感じがしませんし、関わってみないとわかりませんので、なんとも言えないです。 悩みを相談するにしても3ヶ月経てばタフなところもあるのか気持ちがなんともなかったりするので…「まあいいや」ってなってしまうんです😅 うーん、ここで文章使って相談するのは、難しくて書けませんが、理解できなくても、理解できてもどちらでも大丈夫です。 私の言葉の会話や文章は、まだまだですね(^^;
お坊さんに「神さまや仏さまはいて、私達を見守ってくださってるんですよね?」と質問しましたら、「そんなのいない。そういうのに頼ってるから悩みが多いんだ」と激怒されました。 私が「頼るとかそういうつもりじゃなくて、その存在があたたかいですよね?」と言うと、「テレビやネットで霊能者を信じて、仏さまの罰があたる」と言われました。 仏さまなんていないって言ってたのに、罰を与える仏さまはいるんでしょうか? そのあともたくさんお坊さんにお叱りを受けたんですが、優しさや愛がなかったものなので、お釈迦さまのように「受け取らない」と決めてご挨拶をして帰ってきました。 まだ、お坊さんは怒ってらっしゃるようです。怒らせてしまったことは反省してます。私はどうすれば良かったんでしょうか? 追記) そのお坊さんの考えは思いやりがないので、今後はもうかかわりたくはありません。
子供の頃、少林寺を観てお坊さんはみんな 、カンフーをやっていて、強くて優しくて、空を飛べる最強な存在だと思っていました。 DVDの特典映像を観て、ワイヤーに吊られてただけで、空は飛べないし、カンフーやってないと知り少しショックを受けました。 最近知りあったお坊さんが、元自衛官、元ボクサーのムキムキな方がいて、やはりお坊さんは、最強なのではないか。と思ってます。 ・・・相談じゃないですね(;・ω・)
22歳、病院受付をしています。 直接の先輩に当たる 受付の方が怖くて仕方ありません。 先輩の言い方や接し方がきつく 失敗をするとしつこく責められる為 何をするにもビクビクしながら 仕事をしています。 仕事場では先輩の許可が無ければ 何も出来ませんし 勝手に行動すると怒られます。 どうしてこんなにきつい言い方しか 出来ないのだろうと思ってしまいます。 毎日息が詰まりそうで苦しいです。 家に帰っても仕事の事を思い出すだけで 心臓がバクバクし苦しく 毎朝仕事に行きたくなくて 起きれません。 私がもっと仕事が出来れば 頑張らなければと思えば思う程 辛くなっていきます。 仕事を辞めたくても やっと見つけた仕事で 先輩以外の周りの薬剤師さんや看護師さんは いい人ばかりです。 それに先輩が近々産休に入られる為 私が辞めてしまっては 受付の仕事が出来る人がいなくなってしまいます。 今のところ産休の変わりの方も見つからず どんどん追い詰められていきます。 私はどう頑張ったら良いでしょうか? わかりにくい文章で申し訳ありません。 よろしくお願いいたします。
先日、父親の葬式がありまして代々檀家としてお世話になっているお寺のお坊さんに来ていただいたのですが、お坊さんの態度とか振る舞いがなんとも偉そうなカンジで親類一同イヤな思いをしました。 まずはお経をお願いするためにお寺に電話した時から上から目線で日にちや時間を指定されました。 お経をあげる前にお布施を前払いで要求したりお布施の金額を指定してきたりするのは普通なのでしょうか? 今まで参加したお通夜ではお経の後に親族を励ますような説法をしてくれたりしているとこが多かったように思うのですが、事務的にお経をあげて挨拶もそこそこにさっさと帰って行かれました。親戚の叔父さんの話では、お坊さんが代替わりしてから檀家からの悪評をあちこちで聞くらしいです。お坊さんは世襲で檀家の者はお坊さんを選べないんですかね? 私の兄弟も檀家をちがうとこにしたいとか言ってました。インターネットで調べても最近檀家を抜ける人が多いとか出てますが、しかし先祖代々お世話になっていますから簡単にはかないようにも思いますし… どうなんでしょうね? 宗派に不満とかは無いので同じ宗派の別な檀家に入れてもらったりするのは可能なのでしょうか? あるいは本山に連絡してお坊さんを変えてもらったりできないのでしょうか? これから行事毎にそこのお寺にお願いして来ていただくことが苦痛になりそうです。 最近インターネットでお坊さんを派遣したりするビジネスがあると聞いて馬鹿々々しくて笑っていたのですが、今回自分がこのような体験してみると派遣して来ていただいたほうが正しいような気がしてきました。 今の時流がひとつ理解できました。 どうするのがよいとおもわれますか?
菩提寺はなく、祖母の教え子のお坊さんに個人的に祖父母は戒名をつけていただいていましたが、そのお坊さんがすでに亡くなってしまい、 そのお寺さんとも縁がなくなったため、 先日亡くなった父の戒名を考えています。 釣りが趣味だったので、「釣」という文字を入れたいのですが 殺生を連想させるかもしれないからよくないのでは? という意見もありましたが、避けたほうがよろしいでしょうか?
去年からの数ヶ月の間に、数名のお坊さんに出逢いました。 hasunohaのお坊さんにも話を聞いてもらい、 親切にしてもらって、励まされ、背中を押してもらって、たくさんの愛をもらい、少しずつですが、自力で前に進めるようになりました。 感謝してもしきれないくらいです。 なので、微力ながら、恩返しがしたい、役にたちたいと思いました。 直接お坊さんに聞くのは、どうかなと思ったのですが、何かできることは、ないでしょうか??
こんばんは。(・ω・)ノ あるローカルニュースでターミナルケアを専門にやっている臨床宗教師というお坊さん達が新しく取り始めた試みを前から気になって観てました。(^ω^) 京都のある病院と連携してお坊さん達が末期癌のターミナルケアをしてはる方々の特集は別の番組で観て知ってますが、その方々と臨床宗教師というお坊さん達は別の人達なのかとそもそも臨床宗教師というものを知りたいのでよろしくお願いします。m(_ _)m 京都の龍谷大学という仏教の大学にその臨床宗教師を育成するコースがあるみたいですが、hasunohaの御僧侶の方々で臨床宗教師に詳しい方がおられましたら教えて頂けたら幸いです。(・ω・)ノ お坊さん達が末期癌やターミナルケアを必要としてはる方に死についてホスピスで旅立ちを安らかに迎える取り組みは前から気になって私は良い取り組みだと共感している人間なので、臨床宗教師というお坊さん達にも関心があるので、質問させて頂きましたので、よろしくお願いします。m(_ _)m
初めまして、備前と申します。 縁あって真言宗のお寺さんで働かせていただいているのですが、お坊さんと接していくうちに憧れを抱き私もお坊さんになりたいと思うようになりました。 ですが、このお寺さんに面接して頂いた時に住職さんに「お坊さんになろうとか、興味はあるの?」と聞かれた時私は今は興味ありませんと答えてしまいました。 なので、今更住職さんにやっぱりお坊さんを目指したいと言うのも自分勝手な気がしてしまい言い出せません。 ずっと憧れのままでいた方がいいのでしょうか。
私はお坊さんになりたいと思っている中学生です。 駒澤大学高校に行こうと思っています。 私の家はお寺とかじゃなくて、普通の家なので、お経を教えてもらったり作法を教えてもらったりしていません。 これでもお坊さんになれるのでしょうかまた、駒澤大学高校の仏教専修科で教えてもらえるのでしょうか。
かなりの長文で重い内容です 私の父方の家がお寺です。祖父も父もお坊さんですが、先月祖父が亡くなり祖父母の家を継ぐお坊さんが父ひとりになりました。 私の祖母は腰が悪くてあまり動けなくて、母はあまりお寺のことに積極的ではないです。私にも姉妹はいますが妹がひとりいるだけで跡を継げる人がいません。父は公務員とお坊さんの両立をしてるため、いつもかなりしんどそうです。そんな父を毎日見ているので私がなんとかしてあげれたらと思うのですがどうやって支えてあげればいいかわからないです。 もし私がお坊さんになったりした時の檀家さんの反応やまわりのお坊さんがどう思われるか分からないのでならない方がいいのかなと思ってしまいます。もしなったとしたら、私のやりたい仕事を泣く泣く諦めなければいけないのかと思うとやっぱり迷います。私はどうすればいいのでしょうか。どうすれば家族を幸せに出来るでしょうか
こちらで質問回答を読み進めるうちに、いろんなお坊さんがいらっしゃるのだなと思いました。今まで、お坊さんとは職業名に近い印象でしたが、今はもっと奥行を持って感じられます。 お坊さんも人間で、頭があって手脚が生えてて、目鼻口がある。 小中学校では机を並べて学んでいたでしょう。 同じ2019年、同じ日本に生きる個人として、不思議に思えました。 お坊さんは、人に向き合い、救おうとし、ハスノハで回答をなさっている。 私は、お坊さんに質問し、救いを求めている。 なぜ、私は自分を救えず、救われることを願う側に疑いなく居座るのでしょう。 私ももっと強くなりたい。 お坊さんと私の違いは何でしょうか? 仏教の教え、智慧をどれほど会得しているかでしょうか?そして日々の心の修練でしょうか?それから、覚悟でしょうか?何なのでしょう…?気になります。企業秘密でしたら無理にとは申しませんが…
先日大好きな母を亡くしました。 葬儀の前に母の一部をと思い、 母の髪の毛を少し切りました。 その髪の毛をお守りにして持ち歩こうかと思うんですが、 母の髪の毛をこの世でお守りにするに辺り母が成仏できなくなるなど何か他によくない事はありますか? お坊さんに三十五日までお経を勤めていただくのですが、 これから月命日などがありますが、 仕事などで忙しくなるため毎月お坊さんを呼べそうにありません。 一周忌などにはお坊さんにお経を唱えてもらう予定です。 月命日には必ずお坊さんにお経を唱えていただいだ方がよいのでしょうか? お坊さんは呼ばず、お経を録音しておいて流すだけでもよいのでしょうか? ほかに母のために何かしてあげると良い事などありますか?
ある企画の手伝いでお坊様と一緒になりました。 その企画に初参加で少し空回り気味でした。 お坊様とはほとんど会話はありませんでした。 しかし、企画の最後に突然握手を求められました。私は他にする事があり急いでいて、深く考えもせず応じました。 もう一年以上経ってますが、今だに握手を求められた理由が分かりません。 合掌ならわかりますが... 私の態度や行動ぶりはけして好印象を抱かれたとは思いませんし、お坊様に対して良いお接待をする器用さもありません。 お坊様が一般人に対して握手求める意味とはなんでしょうか? 教えて下さい。
死者は葬式でお坊さんによって、成仏しますよね?所謂、死んで仏になる、解脱するんですよね? それと、 お坊さんが悟りを開いて輪廻転生を解脱する。 この違いはなんでしょうか? 葬式による、成仏では、輪廻転生は解脱出来ないのでしょうか?
先日、父が亡くなり親族葬を行いました。 突然の死でしたので残された家族と共にバタバタしながらも、父や列席していただいた方々に失礼のないよう努めてまいったつもりです。 そんな中、お通夜のお焼香の時に一人ずつ順番に出て行ったところ、お坊さんのお経の方が早く終わってしまい席を立たれてしまいました。さすがに退場されることはありませんでしたが、その時にお坊さんが「もっと早く出てこなあかん!お焼香は喋るとこちゃうよ!」とお怒りになられました。 喋るというのは恐らく、親族の方々が順番が来て前後の方と「どうぞ」「ありがとうございます」とやり取りされてたことだと思います(狭い会場でしたがそれ以外に会話は聞こえませんでした)。 たしかにお焼香は一人ずつ席を立たず前の方の後ろに並んで途切れることなくすべきだったのかもしれません。お葬式に不慣れとは言え、お坊さんにとっては無作法で失礼に値することだったのかと反省するところはあります。 しかしながらお通夜にも関わらず高齢の親族へ声を荒げられたお坊さんに対し、憤りを感じてしまったのも事実です。 故人である父はこういう場面だと「皆さん足元気ぃ付けておいでください。」と親族を気遣うような人です。その父に背を向け親族を怒ったことが許せませんし、父の通夜を、列席していただいた皆様の思いを侮辱されたような気分です。 何より喪主である母が「こんなことになってお父さんに申し訳ない」と落ち込んでいるのが辛いです。 いまだに気にしてしまっていること自体、父に失礼なような気もしますし、それよりも父を思う気持ちが大事だということは分かってはいますが、この出来事がなかなか頭から離れません。 我が家はお坊さんのお寺の檀家で、これまでも長く付き合いがあり、これからも顔を合わせることはあると思います。 どうやったら落ち込む母を励まし、またこの出来事を乗り越えて、今後もお坊さんとわだかまりなく付き合えるのでしょうか。
今年の仕事あと2日です。明日からぼちぼち職場の掃除しようかなと思います。要らないものたくさん捨てちゃろと思います。 お坊さん掃除好きですか?お坊さんいつも掃除してるイメージです。素敵です。